句中の「ため」という言葉に重みを感じます。
破壊と再生。そして再破壊。その繰り返しの根幹となるのは、人間の「感情」に他ならない……ってところでしょうか。
野分という季語は初見です。意味も知りませんでした。勉強になります☆
――『真意は人を 結びつける愛』
破壊の先は、人間たちの強い絆が生まれ新たな創造が生まれるものですね。
作者からの返信
愛宕さん、コメントありがとうございます!(*^^*)♡
そうですね。自然現象というものには、意味がない。大きな災害をもたらされても、怒りをぶつける場所もなく、ただ被った苦しみや痛みを嘆く以外にない。そして、他の動物のように、嘆きや悲しみを感じずに生きることもできない。
人間は、つくづく生きるのが大変な生き物ですね。
それでも、ひっきりなしに訪れるそんな苦しみに耐えて、明るいものを探しながら生きる。もう一度、力を合わせて立ち上がろうとする。——そういう精神の強靱さがあるからこそ、人間はこの星で生きられているのかもしれない…そんなふうにも思います。
そう考えると、人とは健気で愛おしい生物ですね(*^^*)
野分。私も俳句を詠むようになってから知りました。野性味の溢れる、素敵な季語ですよね。
三月ということもあり、震災を思い出しました。
地球にとってはくしゃみ一つ程度の動きだったのかもしれないけれど、多くの人が命を落とし、家を失い、人間の営みは破壊された。
それでも、数年という地球からすればほんの一瞬の間に人間は前を向き、同じ土地に再び営みを取り戻そうとしている。
小さいけれど、小さいなりに健気に一生懸命生きている。
人間の力って案外侮れないのかもしれませんね。
作者からの返信
本当にそうですね。
私達が、必死に餌を運ぶ蟻を見つめ、健気さや生命力を感じるように…地球の外側にいるもっと大きな存在がいるとしたら、人間の生きる姿もまた同じように映るのかもしれませんね。
それぞれが真剣に生きているはずなのに、人間同士の戦いやいがみ合いはなくならず…悩ましい部分もありますが…
やはり、人間もまた、地球上で必死に生きている生物のひとつなのですよね。
「叩きつけ砕けるための野分かな」
暴力的な台風の性格が如実に伝わるようでした。
自然災害の脅威の中に生き続ける人間の強さが見えます。叩き付けられても砕かれても、希望を捨てない人間の強さ。抗えない巨大な力の許で、ともすると弱くも見える人間が、実は強靭であることに気付きます。破壊からの再生……復興の歴史を繰り返してきた人間の強さです。
ところで、「絶対」や「普通」は誰基準なの?と、私も思います。
「今ここにいる自分に自分自身が満足できるならば、そしてその時々に目指す幸せに向かって努力できているならば、それこそが幸せ」……素晴らしいです。ぶれることのないaoiさんの哲学を拝読しました。
「可愛い子には旅をさせよ」だったのですね! ポジティヴで良かったです。
「自分自身から湧き出る濁らない想い」を大切にしたいと、aoiさんのお言葉を拝読して思いました。いつもありがとうございます。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
地球という星や、その上で絶え間なく活動する自然環境は、人間のために存在しているものではないのですよね。自然現象は、人間の体内の機能が活動するのと同様、単に地球という星の生理現象のようなもので。ひょっとすると、人間がCO2を大量発生させてるのは、地球ががっつり喫煙しているようなものなのかもしれないですね(笑)
そういう地球の生理現象が、いつまでも人間を守ってくれる優しいものでいてくれるかどうかは……
そういう中でも、生きる。どうにかして、命を守る手立てを考え、何とかしてその手段を生み出していく。人間はそれができる生物ですね。
雑念というのが、まっすぐ歩きたいと思う時に最も邪魔ですね。何が雑念で、何を本当に手にしたいのか。何を握りしめて日々を歩きたいか。そういうものをちゃんと見極めて歩きたいな、と思います。
自分は何とも不器用で融通のきかない人間だと呆れたりもするのですが、そういう自分でいることが結局一番心地いいんですよね(笑)