バカって言われて悲しいよ、本当に自分の心と向きあい、包み隠さない純粋な心があるからこそ出てくる言葉ですね。大人になって、プライドとか経験が積み重なると、それらが邪魔して認めたくなくなるんですよね(汗)。
読んでいるうちに、大事なことを思い出させてくれた気がします。
作者からの返信
まさにその通りですよね。大人になると、「自分は平気だ」という表現をどうしてもしたくなる。感情に揺さぶられる自分をなぜか隠したくなる。本気で気持ちを伝えるべきシーンはたくさんあるのに、素直に本心を出せなくなる……考えてみれば、とても厄介な癖ですね💦
それでも、相手に誠実な気持ちを真っ直ぐに届けたい時は、やはり包み隠さぬ心からの言葉が大切なのだと、そんな気がします。
「今日、◯◯にバカとか言われて超ムカついた」
「今日、◯◯くんにバカって言われて、すごく悲しかった」
心に訴えかけるのは後者でした。
「超ムカついた」という表現が心を素通りしていく理由が分かったように思います。aoiさんは真摯に『言葉』と向き合っておられて、だからaoiさんの紡がれる『言葉』は心に響くのですね。『言葉』を、大切なひとに、真っ直ぐに届けられるひとで在りたいです。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
言葉はやはり、凄まじい力を持ったものだと深く感じます。「言霊」とはまさに言葉の威力をうまく言い表している。そんな気がしますね。
気持ちを伝える。受け取る相手には、それは天にも昇る幸せな贈り物にもなり、一生消えない傷を残す凶器にもなる。言葉を使って生きる私たちは、常にそのことを決して忘れず、「言霊」を丁寧に、細やかに使いたい。いつもそんなことを思います。
整髪料が頭皮に合わないこの頃……夏場は、とかく汗疹に悩まされている愛宕でございます(笑) 毎日洗髪しているのも一因なのかなとも思いつつ、子供の頃から続けてきたルーティン(毎日洗髪)は止められません。気持ちが良いですもんね。仰る通り、何か気持ちの上でも憑き物が取れたような爽快感があります☆
――『希望の言葉 呟きに込め』
本心を洗い流す中身には、願望などの本心も詰めこんでみると、ひょっとしたら叶うかもしれませんなぁ☆
作者からの返信
愛宕さん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
髪を洗う、身の回りを片付けるなど、身綺麗にすることは、自分自身の心もすっきり整理されるような感じがして気持ちいいものですよね(*^^*)
清潔にする習慣も、一度つくとなかなか手離せなくなり…やりすぎはむしろ悪影響かも?とは薄々思いながらもやめられませんね(^_^;)(笑)
強い意志で何かを願うって、すごく大切ですね。ふわふわ願うのとはパワーが違う、そんな気がします。
そういう心地よい時間に、叶えたい願いに静かに向き合ってみる。少しずつ、何かをいい方向へ向けられる力が湧いてきそうです!✨
物語の世界で、よく頭から水をかぶって冷静さを取り戻すシーンがありますが、髪を洗う行為も頭をすっきりさせる効果がありそうです(^^)
大人になるほど、相手に良く思われたいと言葉を選びますね。
ティーン以下の子供の発言は時にナイフのように残酷に傷つけるけれど、まっすぐに届くところは確かにありますね。
不器用でもまっすぐに心を伝える──
それが必要なとき、私も勇気を出して伝えられればいいなと思いました。
編集済
すこしずつ拝読し、先日ようやく追いつきました。
成長し、語彙がなまじ増えてしまうと、妙に言葉を飾ったりしがちです(例えば私……)
でも、それって却ってひとの心の中でつるつると滑ってしまうのですよね、きっと。
純粋で剥き出しの言葉は、人の心を深く動かします。
子供が放つ「ママだいすき」の言葉があれば、なんでも乗り越えられる気がします。
作者からの返信
眞実さん、コメントありがとうござます!そして、作品を通してお読みいただき、本当に嬉しいです!
そうですね!おっしゃる通りだと思います。つるつると滑って、ひっかかりがなくなってしまうようなその感覚。綺麗だけれど、流れていってしまうんですよね。
子供の言葉の力は、本当にすごいです。たった一言で心から幸せになれたり、涙が止まらなくなったり。心の底から出てくる本心だということが明らかだからこそ、そんなパワーを持つのかもしれませんね。
何の為に言葉を用いるか?ということを考えさせられました。
人を傷つけるため…想いを伝えるため…様々なのでしょうが、言葉とは相手在りきだということです。
伝える側の気持ちを無視していては、使う価値のないものなのかもしれませんね。
作者からの返信
桜雪さん、素敵なコメントをありがとうございます!
いただいたコメントで、私もはっとしました…
本当にそうですね。言葉は本来、自分の持つ情報や思いを正確に伝達するための道具。自分自身や相手を騙したり、ごまかしたりするためのものではなく…。
人間は、ともすればそれを忘れ、自分勝手に言葉を乱用してる…
言葉とは道具であり、それを操る人間の心は決して澄み切っているとは言い難いのだから…これは仕方ないことなのかもしれませんね…
我が意を得たり!
そんな今回のエッセイです
特に言葉を操ることを趣味といたしておりますと、ややもすると難しい言葉を気取って使うことがしばしばございます。
それでは本心は絶対に伝わりません
髪を洗う
こんな発想から導き出すアオイちゃんの発想力はすごいなあ♬
作者からの返信
つばきちゃん、コメントありがとう!♡♡
実は、今回のお話は、ある作家さんの物語に出てきた女の子の拙い言葉にじーんときたのと、つばきちゃんの今回の新作に強く心を動かされて書いたものなんです!(*^^*)
キラキラする言葉は美しいけれど、何かをしっかりと伝えたい時には、表情が薄いものなんだ…そんな気がします。
物語も、表面的な美しさだけでは、伝えるものの「中身」が無表情になるんですよね。ダイレクトでまっすぐな言葉ほど、心の奥深くまで届く。そこの部分は、ものを書く時にも知っていなければならない非常に重要なポイントだと思いました。
このお話を書くきっかけをくれて、心より感謝です!(*^^*)♡♡
つばきちゃん、ありがとう!!
感じたことの中にも、そのまま伝えた方がいい言葉と伝えない方がいい言葉があって。常にどちらなのかを考えながら話したり書いたりする難しさ…。
「子供のように素朴でまっすぐな言葉」、たくさん伝えられると素敵ですし、人のそういった言葉に耳を傾けてあげられる人間でいたいですね(^^)
作者からの返信
黒須さん、素敵なコメントをありがとうございます!(*^^*)♡
そうですね。私も、常にそういうことを考えながら話をしています。その場面で言うべき言葉か、胸に収めておく言葉か。けれど、そういう努力ができる段階で、きっとその会話は多少なりともその人の役に立ててるんじゃないかな、と微かに思ったりもしています。
大人になると、なぜか真っ直ぐな言葉を言いづらくなってしまいますね。照れてしまうのか、格好つけたいのか……けれど、やはり大切な時には、心の奥から沸き出る思いをまっすぐな言葉にして伝えなければいけないと、そんな風にも思います。届けたい時にはっきりと届けないと、あとで悔やむのは辛い。そんなことをふと思ったりするのです。