同感です。恋に慣れは存在しないと思います。
おそらくは、恋の相手が千差万別……同じ相手がいないからなんだろうなって思うこの頃。似た者は存在し、恋する相手は似た者を求める事が多いですが、それでも別人たる事実は否めません。そこに緊張感が自然と走り抜け、常に新鮮な恋心……慣れない恋心が生じるのかもしれませんなぁ☆
――『ため息一つ 君に届けよ』
言葉が交わせない分、想いが詰まった白いため息を相手に届けたくなります☆
作者からの返信
愛宕さん、コメントありがとうございます!(o^^o)♡
本当にそうですね。違う相手になれば、違う思いで向き合わなければうまくいかない。そこを手探りする難しさや苦さが、その度に新鮮な恋の甘さになるんでしょうね……
そして、最近思うのですが……恋の感覚って、遠ざかると忘れてしまうんですよね。一年中恋し続けるなんてもちろん無理なのはわかってるのですが、ものを書きたい立場にしてみると、忘れるのは困るなあ……なんて真面目に思ったりします^^;(笑)
想いを言葉にできなくて、せめてため息が届けと願う……時にはそういう切ない恋の中へ身を置いてみたくなりますね(//∇//)(笑)
恋に慣れなどない。
改めて思うと、よくよく納得できます。
恋することに向き合うと、いつだって、心が揺れてしまうもの。
もし心が揺れなくなった時は、進化して何にも変え難いものになっているか、それとも退化して消え去ってしまうかの、二択なのかもしれない。
作者からの返信
阪木さま、コメントありがとうございます!
とても不思議ですよね。恋って、脳で向き合うものじゃない。脳が気付いた時には、もう心と体がとっくに向き合ってる感じがします(笑)
恋という感情が、進化などによってもしも消えてしまったら、人生の喜びの大部分はきっと失われてしまう。…恋心が動かなくなるというのは、人間が衰退しつつあるということを示すような気もします。
フォーク歌手で銀行マンの作詞家氏は
「最高学府の法学部卒」天は何物も与えたのか?
すべて真面目に取り組み「外部から評価の高い」
努力家で勉強好きな外見は普通の男性みたいです。
※歌びとに似ていると言われたのは誰でしょうw
作者からの返信
うっちーさん、コメントありがとうございます♡
これは小椋佳さんのことだったのですね。無知でお恥ずかしいです(笑)「愛燦燦」聴くたびに「すごいなあ、この歌詞…」と深く頷いていました。短い言葉の中に真実を言い切る。憧れます。
優れた人って、割といろんなものを全部持ってませんか?ちょっとずるいなあ。神様、結構不平等ですよ?(笑)
なんて鮮烈な句なのでしょう!
こんな句を詠まれる感性に、驚きます
恋
村下孝蔵の「初恋」は切なさを歌った名曲ですが、アオイちゃんの紡がれる詞も、とても共感を招きます♡
人を恋しく思う自分も、また恋しいのです
作者からの返信
つきちゃん、コメントありがとう♡
村下孝蔵の曲、すごくいいですね。そう、あの感じ…♡
でもね、ふと思ったんです。
男性の恋心と女性の恋心って、似てるのか、それとも全然違うのか。
もし、男と女の恋心が全く違うものだとしたら…今回の話は、男性が読んでも「?」なんじゃなかろうか?と。
男になったことないから、わからないんですけどね(あたりまえだ!笑)
男の恋心、じっくり詳細を聞いてみたい気がします。すごく(笑)
恋はいつでも初舞台。
明言ですね。(その演歌はわかりませんが)
ドキドキするから恋。( ´艸`)
慣れてしまっては、恋ではないのかもしれませんね。
恋を過ぎると、愛に変化するのかな。
異性への愛情や感情が、家族としての愛情に変化していくのかも。
それもまたいい関係ですね。
作者からの返信
愛情って、恋とはまた全く違う感情ですよね。
どこか突発的な病にも似ている恋ですが、愛情はそういう特殊な何かではなく、滲み出るようにひたすらその対象に注ぐもののような気がするのです。
恋は、その相手を「自分のものにしたい」と熱望する感情ですが、愛情は「何かが欲しい」のではなく、自然と、どうしようもなく溢れてきてしまう。もしかしたら、恋という強い欲求をお互いに満たし合うことで、その先に「相手に愛を注ぎたい」という感覚が訪れるのかもしれません。
素敵な恋が、やがて深い愛に変わっていくならば、これ以上幸せなことはありませんね(*´∇`*)✨