冬の月は冴え冴えと美しくて「祈る」という動詞が似合いますね。そして「祈る」ことは、自分に語り掛けることに近い。自問自答で明確な解を求めると言うよりは、これでいいよねと納得させるような。客観的に自分を見つめる目線、俯瞰の目線の大切さを確認できました。
季語を知ることと、aoiさんを知ることで、見えてくる光があるように思い、とても感謝しています。ありがとうございますm(__)m
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
そうですね。「俯瞰」という表現がとてもピタリとくる気がするのです。自分自身を、愛情を持って見下ろし、導く。そういう不思議な安らぎに浸れるのは、祈っている瞬間だけではないかという気がします。
自分の中に沸いた思いつきを自由気ままに書きつけたエッセイですが、こんな言葉たちがひいなさんの何かお役に立てているならば、とても嬉しいです!(*´∇`*)✨
神とは自然そのものかもしれない。同感です。
神の怒りは自然の怒り。
神に対して祈っても、自然は無視をすることがある。
それが神というものなのでしょう。
冬の月ほど、はっきりと向き合って見上げる存在はありませんね。
それはそれは、よーく見える……まるで神を見上げているかのように☆
作者からの返信
愛宕さん、コメントをありがとうございます!(o^^o)♡
本当にそうですね。神様が願いを叶えてくださった、と思う時と、神様などいない、と恨みに近い思いを抱く時と……様々な時があります。結局、何もかもが思い通りになることなどなくて。
やはり神とは、もともと人間が空や月、星などを仰いで祈ったその先に、誰かが見守っていてくれると必死に想像した結果なのかもしれませんね。
これから空気が澄んでくると、月が美しくなりますね。その輝きの中に、何か尊いものが存在するような気がしてならないのは、なぜでしょう…とても不思議です。
月の光は冴え冴えとしているようで穏やかで、冷たいようでいて暖かくも感じますね。
姿を変えることを繰り返しながらも、常にこちらを見守っている。そんな不思議な佇まいに人は魅了されるのでしょうね(*^_^*)
作者からの返信
そうですね。自然の静けさって、ありがたいものだ…そう思います。自然は、それを見るものに何の感情も押し付けてこない。だからこそ、それに向き合う人間の心が初めて何かを感じることができる気がします。
そして…祈っている時間って、何というか、自分が見守る側に回って自分自身を客観的に見つめることのできる、不思議な時間…そんな気がするのです。とても静かに、温かく、自分自身の心の傷が癒されるような。
祈ることは、太古からある人間の知恵なのかもしれない…そんなことを思います(*^^*)
『神』とは『自然』なのかもしれない。
時として荒れ狂う『自然』は、神の怒りやメッセージなのかもしれませんね。
人間はその自然に寄り添い、その自然に生かされ、試されているのかもしれません。
今はただ、コロナの収束を祈りたいです。
作者からの返信
ayaneさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
まさにその通りですね。人間はこの星に君臨する王者などではなく、この星の上で命を営ませてもらっている無力な生き物の一種に過ぎないのだと気づかなければ、この先ますます自分自身の首を締め上げていくだけだという気がします。実際、自然界という「神」が、ここ数年急速に牙を剥き始めているような恐ろしさを感じます。にも関わらず、爆走する人間の文明にブレーキはかかりませんね。
先の見えない状況の中、暗澹たる思いに包まれます。