――瞳は命の色が見える場所。
そうですね。(*´∩ω・`)゚+.゚
拝読しながら、飼い猫の最期を看取った時のことを思いだしました。
瞳から命が消えていく瞬間……。
号泣しましたね。
生きるとは、その瞳に、喜びを、怒りを、悲しみを満たすこと。
心に沁みる言葉です。
作者からの返信
ayaneさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
外で飼っていた犬だったのですが、彼が空へ還る時、私も側にいました。
不思議ですね。命の火が消えると、その身体が、「生き物」から「物体」に変わってしまう。——本当に身体から「何か」が抜け出てしまったのだと。子供心に、その時はっきりと感じました。
生きている身体には、やはり「何か」が宿っている。そして瞳は、その「何か」の色や輝きが現れる場所なのだと。そう思わずにいられません。
中七の「在処」と、その後の「夏の雲」を別次元で構成する事で、「眼」の協調性が大いに浮き彫りとなったイメージが伝わります。「眼ってそういうもんなんだよ」という言葉まで浮かんできますな☆
――『その切れ間より 力漲る』
濁らないよう、いつまでも活気に溢れた気概を持ち続けたいものですね♪
作者からの返信
愛宕さん、コメントをありがとうございます!♪( ´▽`)♡
私も、読み直してちょっと胸が苦しいというか……生きている瞳の尊さというか、切なさのようなものを改めて思いました。
ちょうど、入道雲の立ち上がる季節がやってきましたね。生きているその喜びを忘れることのないよう、一瞬一瞬を大切に過ごせたら……そんなことを、心から思います。
生命の力を湧き上がる夏の雲にたとえる感性の素晴らしさにまたまた感動してしまいました✨
わびすけも含め、周りのペット達に老齢を迎えている子が多いのですが、やはり若かりし頃に漲っていたような生命力は感じられなくなっています。
とても寂しく切ないことですが、生命の火が消え入るその瞬間まで、彼らのその火に寄り添っていたいとしみじみと思う今日この頃です。
作者からの返信
ひまわりちゃん、コメントありがとうございます!(o^^o)♡
生きているものにも、四季があるような気がしますね。
生まれたての柔らかい春、力が溢れるような夏、静かに穏やかな秋、寂しさの漂う冬…。
どうしようもないこと、変えられないこと。それは、時にとても残酷ですね。
でも、そんな「期限」があるから、自分の側にある命を、精一杯大切にしたい、愛したいと思う。
思えば、生を受ける、というのは、もうそれそのものが随分切ないことなのだなあ…そんな風に、強く感じます。
あおいちゃんも知ってる人だった。濁ってしまったビー玉。
私も、少しずつ瞳が白く濁っていくのを見たことがある。
世界が閉ざされていくのを、じっと見ていた時が。
あれは、あまりにわかりやすい、命の消える瞬間。
いつか死にゆく時に、自分もそんな瞳をして消えていくのかなって思う。
作者からの返信
六月さん、コメントありがとうございます!(*^o^*)♡
六月さんも、ご存知なのですね。
瞳が濁っていく様子を見守る…これ以上の悲しみは、他にないかもしれません…。
医師に見守られたりしないで逝ってしまう、愛するペットの死、というのは、ある意味で強烈なものがある気がします。「死」がむき出しのまま、というのか…
瞳の色もそうです。そして、もう身体全体が、毛布とか何か、そのような「物の塊」に変わってしまうのですね…
そこにあるのは、愛していたものの「抜け殻」でした。
ありありと、そう感じさせられました。
自分の瞳も、例外ではないのでしょうね、きっと。
でも、それは「抜け殻」でしかなくて。
セミが皮を脱いでいくように。
抜け殻は——置き去りにしてしまっていいんだと思います。抜けた後がどうなったか、なんて、振り返らずに。
セミだって、自分の抜け殻のことなどは忘れて、空へ飛び立っていくのでしょうから…。
ホントにそう。
「死んだ魚の目」なんて表現は一般的に使いますが、光が宿っているのといないのとでは全くの別ものです。生きているのに光が宿っていない人もいます――生きている環境がそうしているのかもしれません。そんな人の場合は「生きている」じゃなくて「生かされている」が正しいかな。「植物人間」に近いかもね……光が宿っていないなら植物じゃないのかな(おいおい)
閑話休題
夏は好きです。
寒いのが苦手なのもありますが「夏の幻」って好きかも。
いろんな情景を見せてくれるんです。夏って。
でも、そのツケが秋に来て涙することよくあります。
晩夏に「楽しい日々は幻だった」って。
フィクションのネタとしてはいいけど……リアルだとつらい……でも、刹那の心地良さが魅力かも(笑)
終わりそうにないからこのへんで(*´・ω・)ノ~~ オヤスミ☆
作者からの返信
RAYちゃん、コメントありがとう!(*^^*)♡
本当にそうですね。私も書きながら思いました。生き生きとした光を湛えた瞳は、もしかしたら当たり前に手に入るものではないのかもしれない、と。
人生には、さまざまな苦労や困難がつきものですね。でも、生きようとする力は、いつも絶やさずにいたい…心から、そう思います。
私も、夏が大好きです。あらゆる生命力が湧き出し、大気に満ちているあの感じ…自分自身の心も大らかに解放してくれる気がします。
そして、夏が去る寂しさは、その分だけ辛いですね…。
共に陽を捥いで別れる夏の果
このエッセイの「夏の果」の話で詠んだ、夏の終わりの句です。うあぁ、切ない…(;ω;)(自分の句だろ!笑)
夏から秋への移り変わりは、なんとも言えない寂寥感と、秋風が穏やかに心を癒していくあの感じがたまりませんね…毎年経験してるのに、少しもその感覚に慣れないから不思議です^^;(笑)
…私も話が終わらなくなっちゃいそうです(笑)おやすみなさい♪(o^^o)
夏の雲のような瞳ってとてもいいですね。積乱雲の力強さと夕立の激しさと驟雨の短さが生き生きと宿っている情景が思い浮かびました。
作者からの返信
Askewさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
夏の雲のような瞳。命が激しく湧き上がるような力強い瞳を想像していただけて、とても嬉しいです(*´∇`*)✨この話は、私自身も胸にある思いをしっかりと描き出せたような気がしています。どんな時もこういう瞳で日々を歩けたらと、心から思います。