応援コメント

幸せな過ごし方」への応援コメント

  • 私は、「制限のない自由」は「堕落」と変換しちゃう人です^^;(一日中ダラダラしちゃう〜)
    「孤独」と表現するところが、さすがの感性ですね♬

    作者からの返信

    黒須さん、作品をたくさん読み進めていただき、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡♡

    無制限の自由、もしもそういうものがあったらどう過ごすのかなあ、と、私も考えます。「堕落」という言葉にも結びつきそうですよね。やらなきゃならないことから解放され、いずれ脳味噌が腐っちゃうかもしれません……(BLファンの腐敗とは別物です!笑)
    堕落、孤独。どっちにしろ、そんな世界では人間は長く住むことはできなさそうな気がしますよね´д` ;

    編集済
  • 制限があるからこそ、自由が素晴らしいと感じるのかもしれませんね。
    (^ー^)

    作者からの返信

    ayaneさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡

    一切の制限のない自由は、結局空虚な孤独にしかならないと思うのです。何かと関わりを持ち、何らかの形で必要とされるからこそ、生きていることを感じられるのかもしれない。そんな気がします。

  • 生きる自由は死ぬ自由と背中合わせ。
    句の「果てのない」ところに、孤独と自由が同居してそう……もしかしたら、孤独と自由は一体なのかもしれないなと思うこの頃です。

    ――『煙の行方 雲と気儘に』

    孤独を寂しいと思うか、それとも気楽と思いフラっと新しい世界へと旅立ってみるか。気儘な雲と一緒に流れてみるのも一興かもしれませんな☆

    作者からの返信

    愛宕さん、コメントありがとうございます!(o^^o)♡

    ひとりでいること。
    とても気楽で、私も好きだったりします。
    でも、ひとりを好きだと思えるのは、会いたいときに会えるつながりが周囲にたくさんあるからこそ…そんな気もしますね。

    本当の孤独は、やっぱり怖いんだろうな……臆病者な私はそう思ってしまいますが(笑)、それを考えると、周囲にさりげなくいてくれる人たちの温かさって、やっぱり有り難い。そんなことを改めて思います。

    周りの人との関わりを一旦遠ざけ、ひとりの自由を楽しむ、そんな時間。これはもしかしたら、最高の贅沢なのかもしれませんね。

  • あおいちゃんの仰るとおり、自由に憧れる、自由を欲するのは、規範だったり制限だったり何かしらの塀や壁の存在があるからこそなのでしょう。

    たとえ飛び回れる翼を持っていたとしても、果てしない、けれども何もない空を嬉々として飛び続けることはできるでしょうか。
    結局は、帰る場所、止まれる木の枝があるから私達は自由を楽しめる。
    そしてその帰る場所や木の枝は、きっと塀の中にあるのだろうと感じました。

    作者からの返信

    ひまわりちゃん、コメントありがとうございます!♡

    本当にその通りですね。人の心は、不思議で複雑なものだとつくづく思います。
    制限があるから、自由がある。規制されるからこそ、その隙間の自由を楽しめる。
    でも……もしかしたら、制限されることの中にこそ、自分の存在の意味があるのかもしれませんね。
    一切の制限のない自由は、きっと恐ろしいほど孤独に違いない…そんな気もするのです。

  • 人間同士の粘つく関係が嫌なら自由は心の安らぎです。
    人間同士の文化活動に意義を見出すならば孤独はつきものです。
    そして、人に認められたいなら、ホンのひとときの自由から戻ってこなければならない、そう思います。

    作者からの返信

    自由と孤独。この話を書いていて、その境目はとても曖昧で、人それぞれなのかもしれない…などと感じました。
    でも、あずささんのコメントは、その辺がすっきりと区切られていますね!この切れ味の良さ、すごいです!
    素敵なコメントを、ありがとうございます!(o^^o)

  • 『自由』というのは『不自由』のなかにあってこそ価値のあるものなのかもしれませんね。
    自由を孤独と考えたことはないけれど、人から遠ざかって生活している人達は自由だと言いますものね。
    どちらが幸せなんでしょうか…。

    作者からの返信

    もしかしたら、感じ方にもよるのかもしれませんね…。
    「寂しがり屋」というタイプのひと。独りの時間を好む人。同じ時間の感じ方も、人それぞれなのかも。
    でも…「不自由」という時間の中に存在するからこそ、「自由」と呼べる。それはきっと間違いないのでしょうね。

  • 本当ですね。
    自由と孤独はメビウスの輪のようにつながっているのかもしれないですね。

    作者からの返信

    自由と孤独。実はよく似ているのかも、と感じます。
    楽しめるなら「自由」、寂しいならば「孤独」なのかな?…そんなことを思ったりもして。
    「自由とは?」という難しい問題に正面から向き合う自信は全くなくて、あくまで感覚的な話なんですけどね(笑)

  • 冒頭の句を口ずさんだ時、「はて、なにやら物悲しさが」と思い詞を拝読いたしました

    なるほど!
    合点がいきました

    そういう句でよかったのですね

    自由という言葉
    空虚な願望なのか、それともほんの一瞬の大切なきらめきなのか
    考えさせられます

    作者からの返信

    つきちゃん、コメントありがとう!♡♡

    うん、この句だけだと、かなりわびしく寂しい空気が漂いますね。この句は独立させれば、「果てしなくやりきれない孤独」を詠んだものになってます。
    でも、後に続く文章と合わせて読むと、また違う意味に解釈できますね。前後の文章や、句の置かれる位置が違うだけで、いろんな色を帯びる…俳句のなんとも面白いところです♡

    自由。こんなにも短いエッセイの中で簡単に語ることなんてできないんだろうな…と思いつつ、心に浮かんだ部分だけ書いてみました。真っ正面から自由について議論する自信は全くないのです…(笑)

  • 焚火といえば「焼き芋」をイメージした自分は無粋ですが
    齢を経て「自由に生きている」面白い人間かもしれません。

    孤独と感じるか否かよりも「孤独を愉しんで巧く付きあう」
    その気持ち大事ではないのかと考えてみたりみなかったり?

    作者からの返信

    うっちーさん、コメントありがとうございます!

    そうですね!「孤独を愉しむ」という言葉で表現できる孤独も、きっとあるんだと思います。
    愉しめる孤独は、私も大好き♡(笑)
    でも、それはおそらく、正真正銘の孤独ではなく…「どこかで誰かと繋がっているからこそ、その上で楽しめる孤独」かも?…と私は思ったり。
    そして、人は必ず、どこかで誰かと繋がっていますよね。繋がっていたいと思うし、そう思えば繋がれる。自分の意思で、自分と外を完全に切り離しちゃう、っていうのはあるのかもしれませんが…。

    全くの自由。「無」に近い孤独。これは、愉しむよりも苦しいに近いのではないか…そんなことを思い、今回の話を書いてみました。

    …んー。まとまってますかね?(笑)

    編集済