第4話 咲く花月 ⑷
「それで、無給はありがたいのですがさすがに申し訳ないので出世払いというか、ぼくがお金を手にするまで待っていただきたいのですルカ様」
もっもっもっ。向かいでぼくが作ったスコーンを口いっぱいに詰め込んで、ルクレーシャスさんはこくこくと頷いている。今日のスコーンは干しイチジクのスコーンだ。
髪色を変える魔法をかけてもらってから数日が経った。ルクレーシャスさんはすっかり離宮の生活に慣れたようだ。行儀悪くミルクティーをごくごくと飲み干して、スコーンのカスが口の周りについたまま疑問を放つ。
「どうやってお金を?」
「新しい玩具を作ろうと思います」
コモンルームの片隅で声が上がった。
「ああっ! なぜだ、なぜこのオレがまけるのだ! フローエ、もういちどだ! きさまも、オレがかつまでぬけることはゆるさん!」
コモンルームの隅でいくつか貼り合わせた紙を床に置き、フローエ卿とラルクがゲームに興じている。紙にはマス目がたくさん書かれている。マス目の中には指示が書いてあって、サイコロを振ってマス目を進むようになっているのだ。そう、日本人なら誰でも知っているだろう、人生ゲームである。
「またか! またなのか! なぜオレだけへんなマスでとまる!」
フローエ卿は困った表情で横柄に拳を振り上げた少年に対して大きな体を必死に縮めている。仕立てのいいきめ細かな刺繍の施されたジュストコールに身を包んだぼくと同じ年頃の金髪碧眼の少年。鶺鴒皇ヴェンデルヴェルトの息子で、この国の皇太子ジークフリード・ランド・デ・ランダである。
「あれ、かな?」
「はい。あれです」
ぼくの目から見ると、ジークフリード皇太子の振ったサイコロへ妖精たちが吐息を吹きかけたり、足で蹴ったりして良くない目が出るようにしているのが分かる。ルクレーシャスさんにも見えているらしく、苦笑いしてからティースタンドへ手を伸ばす。
「いいね。子供にも大人にも受けそうだ」
実は昨日の午後、皇王も含めてぼくが作ったボードゲームで遊んでいた。ルクレーシャスさんが離宮に滞在すると言い出したからだ。どうにか偉大なる魔法使いを政治的に皇国へ取り込もうと必死なのである。毎日のように皇宮で部屋を準備すると誘いに来るのだ。それくらい、ルクレーシャスさんの存在は大きいということだろう。
「ルクレーシャス様、これは我が子のジークフリードと申します。ジークフリード、挨拶なさい。偉大なる魔法使いであらせられる、ルクレーシャス・スタンレイ様だ」
「ジークフリード・ランド・デ・ランダであるぞ」
「ジッ、ジークフリードっ! ベステル・ヘクセ殿に失礼だろうっ!」
「構いませんよ。幼子などそんなものです」
「え……っと、皇王におかれましては本日もご機嫌麗しく益々ご健勝のこととお慶び申し上げます」
気まずい。ジークフリード皇太子はね、普通の七歳児ですよ。そもそも皇族として我儘放題甘やかされて育った上に、この国で自分より身分が上の人間など父親しかいないのだ。身分の差を感じ取って相手によって態度を変えるなんて小賢しいこと、まだできないお年頃で当たり前である。ぼくはジークフリード皇太子の態度に青くなる皇王へ心の中で「どんまい」と呟いた。
「……ちちうえ……」
ジークフリード皇太子が退屈を隠しもせず、父である皇王の袖を引っ張る。皇王は冷たい瞳で己の息子を睨み付けた。やめなさいよ。普通の六歳児ってそんなもんだよ。ぼくが特殊なんですよ。中身二十五歳成人男子だって言えたら楽なのに。
「退屈ですよね、皇太子殿下。あちらでぼくと遊びませんか。ぼくが作ったゲームがあるんですよ」
「げぇむ?」
「ええ。人生ゲームと言いまして」
定番だよね。この世界、中世ヨーロッパをざっくり模しているらしくてチェスはあるけど、娯楽が少ない。今まで転生して来た人たちはゲームを作ったりしなかったらしい。いや、そんなに転生者がいなかったのかも知れないけど。
「ヴェン」
「はい、ベステル・ヘクセ殿」
「スヴァンテくんの作ったゲームをあなたもやってみるといいですよ。きっと驚く。この子の聡明さを思い知るよい機会になるでしょう。できればあなたの息子も、これくらい理解できるようになってからお連れなさい」
「……」
つまり貴様の息子はダメだと言いました。興味ないです。次からもう連れて来んな。貴族的言い回しでそういうことです。にっこり微笑んだ顔が余計に怖いですルクレーシャスさん。
「それから、スヴァンくんの家庭教師はわたくしが引き受けるので他の者は断ってね。君の子とは多分、理解度も進み具合も違うから一緒に教えるのは無理だよ。スヴァンくんの邪魔にしかならない。今から嫌というほど思い知るだろうけど」
ぼくでも分かる貴族的言い回しを、ルクレーシャスさんはさらに分かりやすく言い直した。皇王は深く頭を下げたまま固まっている。中身が成人男子のぼくはズルをしているようで居た堪れない。
「スヴァンくん、わたくしも混ぜてもらっていいかな」
「はい。ルカ様はどの色がいいですか?」
「これは全部、君が作ったんだよね?」
「はい」
「この人形も?」
「ええ。暇なので。いつもはラルクと一緒に遊んでいるんですが、時々皆さんが相手をしてくれるので少しずつ人形を増やしたんです」
ルーレットも人形も、木彫りである。前世でハンドクラフト大好き手芸男子だったぼくは自分で言うのも何だが結構、手先が器用だ。ジークフリード皇太子は青い人形を握り締め、譲らないぞと暗に周囲へ訴えている。
「さぁ皇太子殿下。サイコロを振って、出た数字の分だけマスを進んでください。止まったマスに書かれた指示に従いながら、ゴールを目指すというゲームでございます」
「うむ。さいごはおうになるのか。ふけいではないか。おうはちちうえであるぞ」
「皇王陛下は皆の憧れ。尊敬する皇に、戯れの中だけでもなってみたいという小さな願いでございます。お許しいただけませんでしょうか」
「ふむ……ちちうえが、よいというならばゆるそう」
勉強はしてないのに傲慢さだけは学んでいるようだ。その父上はぼくとルクレーシャスさんをちらりと見て、それから激しく頭を上下に揺らした。
「では、皇王陛下が黄色、ルカ様が赤、ぼくが緑、皇太子が青でよろしゅうございますね?」
「うむ」
「ああ……」
皇王は既に顔色が悪い。これ以上、ジークフリード皇太子にこの世界の英雄であるルクレーシャスさんへ無礼を働かれても困る。しかし今さら黙れと自分の息子を連れて帰るわけにも行かぬからだろう。圧力と大人の事情に塗れたゲームスタートである。
「皇太子殿下、三マス進んでください」
「……なんとかいてあるのだ」
「ルーレットを回した分、お金を受け取れます」
もう教育は始まっているだろうに、ジークフリード皇太子はマスに書いてある指示が読めないのである。一方、マスに書かれた細く拙い字は確実にぼくの書いたのものであると推測できる。子供の手って小さいし、力がないから思うように書けないんだよね。
皇王はしきりに額の汗を拭っている。
「手に入れた土地から宝石の鉱脈が見つかった。ルーレットを回した分だけ利益を受け取る。おもしろいね、スヴァンくん」
「ゲームには夢がないといけませんから」
「るーれっととやらをまわしたぞ。それで、オレはいくらもらえる?」
ルーレットの数字を見てぼくは木彫りのコインを四枚、ジークフリード皇太子へ渡した。
「四で止まりましたので、四百ヴァイツ受け取れますよ。皇太子」
「うむ。たいきんか?」
「うう~ん……四百ヴァイツですと、見つかったのは水晶が少々と言ったところでしょうか……」
「すいしょうとは、なんだ?」
「う~ん……よく、家紋を彫った印章やペーパーウェイトなどに使われるのですが……皇国は印章をあまり使わない文化なのでご存知ないかもしれませんね……」
水晶は宝石の中でも比較的安価なもので、産出量も多い。ジークフリード皇太子は満足そうに頷いているが、たったこれだけの間に皇太子にはできていないことが多くあるのだが気づいているだろうか。
「……スヴァンくんは、生まれてから一度も離宮を出たことがないんだよね?」
「? ええ。そうですね」
何の話だろう。首を傾げると、ルクレーシャスさんは笑顔を貼り付けたまま、皇太子殿下にも尋ねた。
「皇太子もだね?」
「? そうだが? それがどうしたというのだ」
「……そう。うふふ、それがどうした、としか思わないのか……」
ルクレーシャスさん、目が怖い。皇王がもう、可哀想なくらい小さくなって大量の汗をかきながら萎縮している。頼むからもう、それ以上喋らないで皇太子殿下。お願いします。だがゲームを始めてしまった以上、喋らないわけにもいかない。ぼくもいささか精神的に疲れて来た。そのせいで殿下の扱いも段々、雑になって来る。
「殿下、領地が水害で麦が被害を受けたので百ヴァイツ支払ってください」
「なぜだ!」
「そういうゲームでございます」
「殿下、領地に新しく橋を作ったので二百ヴァイツ支払ってください。代わりに領地内の物資の流通が滑らかになったので馬車を得ました」
「ぐぬぬ。し、しかしばしゃをえたのか。よかろう」
「殿下、山賊が村々を襲ったので今年は小麦が収穫できませんでした。三百ヴァイツの損失です。殿下は今、百ヴァイツしかお持ちではないので二百ヴァイツの負債を抱えました」
「なんだと?!」
意図したわけではないのに、次々と皇太子殿下はオウンゴールを決め続ける。ぼくも冷たい汗が出て来た。皇王の顔色は青を通り越して白くなっている。ちょっとだけ可哀想になって来た。
「殿下は隣国との戦争で活躍したので城を賜りました。固定資産税を百ヴァイツお支払いください。固定資産税を払うと殿下の負債は、三百ヴァイツでございます」
「なぜだ! しろをえたのだろう!」
「城を売ることもできますが、九百ヴァイツにしかなりません。いかがいたしますか」
「うる!」
「殿下は拠点となる城を持たぬので戦争に参加している間、一マスごとに諸経費として五十ヴァイゼお支払いください。皇太子の資産は五百ヴァイツ五十ヴァイゼでございます」
足し算引き算ができない皇太子殿下のために、わざわざ所持金を告げているのだがそれがまた、周囲の空気を凍らせている。ところが何も分かっていない皇太子殿下はキレた。
「どうして!」
「城を売っておしまいになられたので……」
「なぜだ! こんなものもうやらぬ! ばぁぁぁか!」
「ジークフリード!」
殿下がマス目の書かれた紙を引っ張り投げ捨てると、紙の上に置かれていた人形たちがコロコロと床へ転がった。そして殿下はそのまま、テラスから庭へと走り出す。離宮の庭から、皇宮へ戻ろうというのだろう。うん。実に子供らしい癇癪である。ではあるが。
「わたくし、あの子嫌いだなぁ……」
「……っ」
皇王が殿下を追いかける前に、ルクレーシャスさんは割りと大きめの声で呟いた。もちろん、わざと皇王に聞こえるように言ったのである。
ところが殿下は余程の負けず嫌いだったらしい。今日は朝から従者を連れて離宮へやって来て、ぼくの顔を見るなりこう言い放った。
「きのうのげぇむとやらを、いっしょにやってやってもいい」
「あ、ハイ」
かくして現在。フローエ卿とラルクと自分が連れて来た従者、護衛騎士との勝負中というわけである。初めはぼくも一緒にゲームしてたんだけど、ぼくに勝てない皇太子殿下がイライラし始めたのが分かったので適当な理由を付けて抜けたのだ。イライラして周りに八つ当たりし始めたので、そんな皇太子殿下の姿をルクレーシャスさんに見られまいと配慮したのだが遅かった。ぼくはルクレーシャスさんの興味を皇太子殿下から逸すため、話を続けながら書斎からテラスへ移動した。テラスにはベッテがワゴンにティーセットを載せて控えている。ルクレーシャスさんはぼくを抱えて椅子へ座らせ、向かいの椅子を引く。
「ルカ様、バーゼルト氏の新しい論文は読まれましたか?」
「バーゼルトというと、魔法理論の?」
「ええ。精霊や妖精の使う魔法と、人間や獣人の使う魔法は根源が違うのではないか、という論文です」
「あれか。精霊たちが使う魔法の元であるマナは世界に満ちる気で人間や獣人が使う魔法はあくまで本人たちの『魂』の力なのではないか、ってヤツ?」
ぴくぴくと耳を動かし、ルクレーシャスさんはスコーンを飲み込んでにっこりと微笑んだ。耳がぴくぴく動くのは、ご機嫌の印だ。良かった、ルクレーシャスさんの興味は王太子殿下から完全にこっちへ移ったみたい。
「そうです、あれだと人間や獣人は使う魔法の属性や、魔力の多さが個人個人で違うことの説明がつくんですよね」
「というと?」
「魂の力、つまり個人が生まれ持った資質とすれば、親子でも必ず同じ属性の魔法が使えるわけではないことや、魔力の多い者同士で婚姻を結んでも必ずしもその子も魔力が多くなるわけではないことにも説明がつきます。つまり、魔法は遺伝するものではないんです」
「なるほど、一理あるね」
もぐもぐ咀嚼していたルクレーシャスさんの手が、最後の一つになったスコーンを掴んだ。ぼく、結構な数焼きましたよ。何でこんなに食べて太らないんだろうこの人。謎だ。ふう、と一つため息をついてベッテへ声をかける。
「ベッテ、明日のおやつに残しておいたパイを持って来てもらえる?」
「かしこまりました」
「パイ?! わたくしパイ大好きだよ、あれは世紀の発明だよ、スヴァンくん! パイだけはヴェンには秘密にしておこうね?」
この人、ぼくの前ではお菓子を延々と食べ続けるただの食いしん坊だが、金髪金眼で美姫かと見紛うほどの繊細な容姿で金細工の君なんて呼ばれるほどなのだ。口の周りにスコーンの食べカスを付けていても、美しいものは美しい。目の保養、なんだけどなぁ。
「となると、精霊たちからも意見を聞きたいところですよね。でも最近、一番仲良しの精霊さんが遊びに来ないんですよ」
ティーカップの中へ指を突っ込み、妖精たちへ差し出す。妖精たちはぼくの指についた紅茶を器用に丸くし、くすくす笑う。傍から見たら、小さな紅茶の水が浮いているように見えるだろう。風の精霊がぼくの後ろに立って、頬を撫でる。
「一番、仲良し?」
「ええ。ルカ様も大変な美形でいらっしゃいますけど、彼もとても美しいのですよ。夜空のような色の腰まである長い髪、勿忘草のような紫の瞳の精霊です」
「決まった精霊が決まった人間の元を何度も訪れるだなんて聞いたことがないよ……それに、夜空のような髪、勿忘草色の瞳、だって?」
「ええ。夜明け前の夜空の化身のように美しい姿の精霊です。とても好奇心旺盛で、この世界の話をよく聞きたがるんですよ」
「……あのね、スヴァンくん。精霊も妖精も、人間や獣人亜人の前には姿を表さないんですよ。だから精霊や妖精についての研究は遅々として進んでいないんだ。存在の証明自体が難しいんだよ……?」
コツコツコツ。テーブルを指で叩きながら、ルクレーシャスさんは何事か思案する顔で黙り込んでしまった。あの夜空色の精霊に心当たりでもあるのだろうか。
しかし生きる伝説に存在の証明が難しいとか言われるとは。凡人としては何だか複雑な気持ちだが、ヲタクとしてはワクワクが止まらない案件である。
夜空色の精霊が言うには、精霊たちは魔物が現れてすぐに精霊の国へ逃げてしまったから、魔王が倒されるまでのことは知らないのだという。魔物の気配が消えた後、好奇心の強いものが人間の世界へ時々やって来る。例えば精霊の王さまとか、妖精の王さまは精霊の国から出て来ない。精霊や妖精たちは元々、人間に興味がないのだそうだ。それどころか精霊や妖精を捕まえようとしたり、彼らの棲み処を荒らしたりするので嫌っているらしい。だから人間が精霊たちを見かけることが少ないのだ。
ぼくがそう続けると、ルクレーシャスさんは苦い顔をした。分からないではない。そういう顔だ。獣人も人間に奴隷にされそうになったり、国を侵略されたりを経験しているらしい。
精霊たちが集まって来る。午後の気怠い陽射し。爽やかな初夏の風。時々上がる皇太子殿下の苛立つ声。平和だ。
但し、これは束の間の平和であることをぼくは何となく感じていた。いや。この世界に転生してから、ぼくはずっと一歩先が崖でいつ真っ逆さまに落ちてしまうか分からない、恐怖と焦燥を常に感じているのだ。
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