第19話 ひととせ明けの咲く花月 ⑵

「……そうですね。ルーデン伯爵家の兄弟が不仲なことは社交界でも有名なようです。特に次男のフレンツフェン卿とエーベルハルト卿はダールベルク校の教授の座を巡って決闘をしたことがあるほどだそうですよ」

「ダールベルク校? 皇都の名門校だな」

「ええ、十五歳になればジーク様もご入学することになるでしょう。皇国教育機関の最高峰、あのダールベルク校です。初めはエーベルハルト卿へ打診があったそうですが、ルーデン伯爵が次男が無職なのに三男が先に就職しては体裁が悪いから、とフレンツフェン卿を推したのだとか」

 ちなみに皇都にある学校は全て貴族居住区エーデルツォーネにあり、貴族の子息しか通えない上に全寮制である。その中でも歴代皇太子が通うのが、ダールベルク校だ。皇太子在学中にダールベルク校の伝統である栄誉ある生徒エーレンシューラーと呼ばれる成績優秀者は、のちに皇国の要職へ就くことがほとんどである。栄誉ある生徒エーレンシューラーは、他の生徒の模範となり、同じ学年の生徒の指導や取り纏めをする。生徒会役員みたいなことも兼任するらしい。

「それで決闘、か」

「ええ。ダールベルク校の教授といえば、権威も名誉も十分ですから、相当に悔しかったはずです。元々はエーベルハルト卿への打診だったのですよ? フレンツフェン卿より実力は上とダールベルク校側にも認められていたなら、なおさら諦めきれなかったのでしょう」

 ところが運の悪いことに、フレンツフェンは勉強はぱっとしないけれど剣の腕はそこそこだったらしい。そしてさらに運の悪いことに、エーベルハルトは勉強はできるが剣技は貴族の教養として身に付けた程度のレベルだった、というわけである。つまり、エーベルハルトはフレンツフェンに負けた。さすがに三男が不憫と思ったのか、ルーデン伯爵は三男を皇太子の教師にどうにかねじ込んだ、というところだろう。

「ですから例えば隣国イェルペルデの名門、メルネス校の教授候補として試験が受けられるとか言えば喜んでイェルペルデ行きを理由に職を辞したでしょうね。紹介状はルカ様に書いていただけばいいのですし、あくまでも紹介であって採用ではないから試験に落ちても本人の実力の問題ですし」

 ルクレーシャスさんが、スイートポテトを頬いっぱいに詰め込んだ状態で唸る。

「君は本当に、末恐ろしい子だね……」

 ルクレーシャスさんが魔法で出したソファの横へ移動し、腕を組んでジークフリードも頷いた。

「まったくだ……」

 スイートポテトを喉に詰まらせたのか、胸元を叩いているルクレーシャスさんへ、メイドから受け取った紅茶を渡す。最近ぼく、ルクレーシャスさんが食べてる姿しか見たことない気がする。

「遺恨を残すのは良くないって来る時に話したばかりじゃないですか、ルカ様」

「そうだったっけ?」

「ふぉっふぉっふぉ。いや、オーベルマイヤー卿が褒めちぎるわけですな」

「えっ?」

 いや、最後の声、誰? 驚いて入口へ目を向けると、たっぷりとした白髪の口ひげを撫でる老紳士が微笑んでいる。皇王と同じくらい筋骨隆々としているが、笑い声を上げるまで気配に気づけなかった。笑い皺に埋もれるように、笑みの形で閉じたままの目はどこを見ているか分からない。

「えーっと……。ごきげん、よう?」

 こてん、と首を傾げると、老紳士は胸へ手を当ててマントを払う仕草をした。これはある騎士団の中でも、高位の騎士だけが許された礼の作法だ。まぁそういうの、調べちゃうよねヲタクってヤツはね。だってかっこいいじゃない! 調べたらマネしてみたりしちゃうのがヲタク心ってヤツじゃない!

「!」

「はい。御機嫌よう、フリュクレフ公子殿。わたくしはウード・ヤスパースと申します。以後、お見知りおきを」

 ――ウード・ヤスパース!

 皇国は侵略で大きくなった国なので、ゴリゴリの軍事国家である。だから武人の英雄譚が多いし、武人の手柄は大々的に告知される。そう、それはまるであのボールでモンスターをゲットしちゃうゲームとか遊戯の王様なカードゲームのように、図鑑や姿絵を描いた札が出るほどなのである。ちなみにぼくの父親であるエーリヒ・アンブロス子爵がSRだとしたら、ウードさんはSSRである。なので諸君、あえて言わせてもらおう。レア武人、ゲットだぜ! と。

 ウード・ヤスパース。「迅きこと、戦場に轟く雷の如く。これまさに迅雷なり」と、敵の将軍に言わしめた皇国最強の騎士である。厨二心が踊る。こういう時、ワクワクが止まらないのがヲタクってもんでしょう。

「迅雷ウード公……! お目にかかれて大変光栄に存じます。スヴァンテ・フリュクレフと申します」

 両手を祈りるように組み、片膝を付いた。跪いたまま、組んだ手を額へ押し付け頭を下げる。これは皇国の国教ランダル神教の正式な挨拶の方法である。ウードさんはさっきまで開いてなかった目を見開き、しばしの間ぼくを見つめていた。

「なるほど、聡い。殿下が是が非でも参謀に欲しいと仰られるわけですな」

 参謀? そんな話は聞いてないので、ぼくは何も聞かなかったことにすることにします。硬い手のひらが、組んだ手へ触れた。立ち上がれという合図である。ぼくは立ち上がり、今度は胸へ手を当て、左足を少し下げ礼をする。

「剣を持たせれば勇猛果敢、神学を紐解かせれば真理を遍く示すと謳われる聖騎士ウード公にお褒めいただくなど、恐縮するばかりでございます」

 そう、皇国は神の名の元に周辺国を侵略して来た。だから国教であるデ・ランダル教直属の騎士団がある。エファンゲーリウム聖騎士団である。皇宮や皇族の警備をしている騎士たちも、エファンゲーリウム聖騎士団所属だ。貴族令息にとって、一番人気の就職先である。

 覚えてるかな? ボードゲームをした時に侍従候補の中にいた、騎士団長令息のローデリヒ。ウードさんはローデリヒの父、エステン公爵の師匠であったという実力者である。

「ほっほ、いやはや。まだ六歳になったばかりとお聞きしておりますが、まこと末恐ろしゅうございますな」

「小賢しいでしょう。そこがうちのスヴァンくんのかわいいところですよ」

 ルクレーシャスさんと笑い合う姿がとても憎らしい。この二人、知り合いなのか。だがぼくはそれどころではなかった。ウードさんがここにいるってことは、次の授業は神学だよね? ウードさんはね、授業の後、皇族と一部許可された者しか立ち入りが許されない皇室書庫で見ようと思っていた、アルベルナの石板研究の第一人者なんだよ!

「待ってください、待ってください。お二人がお話している間にぼく、ざっとアルベルナの石板へ目を通して来るのでそれからウード公のお話をお聞きしてもいいですか。ウード公、ご面倒をおかけしますがどうかルカ様のお相手をしていていただけますか、すぐ戻って来ますので」

「わたくしの相手をするのが面倒なんてはっきり言うのは、君くらいですよスヴァンくんっ」

「こんな嬉しそうなスヴェンを初めて見るぞ、オレは」

「こんなこともあろうかと今日はぼく、ルカ様が不機嫌になられた時用にキャラメルを作って来たんです。ルカ様、あーん」

「あー」

 素直に口を開いたルクレーシャスさんの口へ、キャラメルを放り込む。ぼくの体温で温まってちょっと柔らかくなってしまっているけど仕方ない。子供って体温高いよね。

「なにこれ、なにこれスヴァンくんんん! わたくしこれ好き。これ大好きだよ、ねぇスヴァンくん聞いてる? まだあるよね? 殿下にあげるとか言わないよね? ねぇ、スヴァンくん!」

「あげます、あげます、はいここね! ずっと手で握り締めてると柔らかくなっちゃうのでなるべく涼しい場所に置いてくださいね! でも今日の分はこれで終わりですから、一気に食べてしまってはいけませんよ。分かりましたか、ルカ様」

「うん」

 言っている傍から頬袋いっぱいにキャラメルを詰め込んでいるルクレーシャスさんへ背を向けて、ぼくは意味もなくウロウロした。

「ああ、急いでフレート卿を呼んでこなきゃ。皇室書庫はどっちですか? オーベルマイヤーさん」

 慌てふためくぼくの頭を、ウードさんは撫でた。

「慌てずともよろしいでしょう。これからいつでも、この老いぼれのところへいらっしゃるがよろしい。そのつもりでワシをお呼びになったのでしょう? 殿下」

「ああ。実はさっきまでウードから剣術を習っていたのだ。だがスヴェンが喜ぶと思って連れて来た。思った通りでよかった」

「迅雷公を師に持つとは、ジーク様はきっと強い剣士になられますね」

「そうかな。まぁ、勉強より性に合っているのは確かだ。せっかく設けた機会だ。ウードに聞きたいことがあれば、何でも聞くといいぞ、スヴェン」

「よろしいのですか!」

 はわわ。どうしよう、あれから聞こうかな、それから聞こうかな。どれから聞こう、聞きたいことがいっぱいだ。あ。ダメだ。目の前に光が見える。

「ルカ様」

「なんだい? 今わたくしはきゃらめるを食すのに忙しいんだよ、スヴァンくん」

「興奮して、目眩がしてきました……」

「君、どれだけ虚弱体質なの……」

「まず……今日は……」

 どうしよう、息切れまでして来た。ぼくはジークフリードと並んで座るように設えられた椅子へ座った。

「ジーク様への授業風景を見学してもいいですか」

「まぁ、そうだろうな。オレが教わっているところなど、スヴェンはすでに知っているだろうとは思っていたから、自由にしてくれ」

「うわぁい、ありがとうございます」

「いいや。これはオレのわがままだ。付き合わせてすまないな、スヴェン」

「いいえ。喜んでお付き合い致しますよ」

 にっこり微笑むと、ジークフリードは屈託なく笑みを見せた。それは子供らしい表情ではなく、自由の先にあるものと、責任を知っている顔だった。

「それにな、これもオレのわがままなのだが、できればスヴェンと一緒ダールベルクへ進学したいと思っているんだ。一緒に授業を受けて、オレの教師が推しょうしてくれれば父上への要求が通りやすいかと思ってな」

「……ジーク様は、思慮深くなられましたね」

 ぼくの目はきっと、まん丸になっているのだろう。ジークフリードは苦笑いをして顔を伏せた。

「スヴェンの言動はみな、先を見すえていると気づいてな」

「……」

 ぼくは前世の記憶がある。だから小賢しいし、年不相応な発言も当たり前だ。だがジークフリードは本当にただの六歳児だ。それなのにこんなことが言えるのだから、実はぼくよりジークフリードの方がうんとずっと、賢いのだ。それを言ってしまえればいいのに。罪悪感ともどかしさが募る。

「いいえ。ジーク様は大変に犀利さいりな方ですよ。ぼくは心から尊敬申し上げているのです。短期間で視野を広げ周囲を見、明敏に判断しておられる」

「そう思うのもまた、お前がオレより聡いからだ。物を知らぬというのは無敵だ。知らぬからそこに恥など初めから存在しない。だから愚かにも尊大でいられる。本当に聡ければ、知らぬを知って恥じ入るものだと、お前を見て思ったのだ」

「無知の知ですね、ジーク様。ぼくと一緒に、少しずつ視野と世界を広げましょう。焦ることも、比べることもないのです。ぼくもあなたも、まだまだ幼いのだから」

 ぼくはジークフリードの手を両手で包んだ。ああ、本当に君は変わった。

「きっとそう遠くない未来に、ジーク様はぼくを軽く越えて行かれますよ。あなたは真に、英明な方です」

「……そうか」

 俯いたまま、しかしジークフリードは微かに笑みを浮かべた。ぼくはジークフリードの手を軽く握った。

「それでは、素晴らしい先生のお話を聞くことにいたしましょう。一人で本を読むより、一人で聞くより、きっと二人なら新しい発見もございましょう」

「うむ! 頼んだぞ、ウード」

「かしこまりました」

 まずは口を挟まず、ジークフリードが今、どの辺りまで知識があるのかを確認する。思った通りジークフリードは一度集中してしまえば、覚えもいいし応用も利く。ランダル教典の五割ほどは理解しており、六歳という年齢を考えればまずまずというところではないだろうか。

「どうだった、スヴェン」

「大変興味深いお話でした。やはりウード卿は教典の読み込みが深いですね」

 皇族と神族同一視に疑問を投じるような解釈をジークフリードへも、遠慮なく説明している。ジークフリードもそのくだりになったらにやりと笑って見せた。そう、ジークフリードの強みはこの素直さ、公平に物事を受け取れる度量だ。

「もし、スヴェンさえよければ」

 ジークフリードの視線がすう、と横へ流れた。ぼくも視線だけで疑問符を投げかける。

「ウード卿から、剣を習うこともできる」

 ぼくが皇宮へ置かれているのは、反乱因子だからだ。ぼくが望むと望まざると、取り込まれてしまえば力のない子供のぼくは為す術もないだろう。皇王が、ぼくが剣技を習うなど許そうはずもない。けれど、ジークフリードはぼくが望むなら、と言うのだ。

「……いつか、必要になったらその時は、ぼくが離宮を出ていたとしても可能でしょうか」

 ジークフリードはぼくを友としたいと言った。ぼくを参謀にすると。ならば、少しだけ預けてみようか。ぼくが顔を向けて答えると、ジークフリードはにやりと笑った。

「……むろんだ」

「……でも困ったな。ぼく、体力にまったく自信がないんですよ、ジーク様」

 たはは、と眉を下げるとジークフリードは大きな口を開け声を上げた。

「ははははは! そうだな、その前にスヴェンは体力を付けた方がいい」

「おっしゃる通りで」

 頬へ手を当て、顔を傾ける。でもだって、ぼくなりに体力作りにいそしんではいるんですよ。口ごもるぼくへ、ルクレーシャスさんが追い打ちをかける。

「とりあえずスヴァンくんは、離宮から皇宮までわたくしに抱えられずに最後まで辿り着けるようにならないとね」

「だな」

「ふむ、確かに少女のように可憐なお姿ですがそこまでとは」

 ウードさんが同意すると、オーベルマイヤーさんまで深々と首を縦へ動かした。

「スヴァンテ様は細くていらっしゃいますので。いつぞやに僭越ながらスヴァンテ様を抱え上げましたら、うちの娘より軽くて驚きました」

「オーベルマイヤーさんの娘さんって確か、今年四歳になられたんですよね……?」

「はい」

 オーベルマイヤーさんが、ゆっくりと頷く。四歳女児より軽いってどうなの。これはマズい。本格的に筋トレしなくてはいけないのではないだろうか。体力がないのも六歳児ならこれくらい、ではなくて本気でぼくに体力がないだけだったのかも。運動? 運動する? それとも筋トレが先? 悩むぼくに、ルクレーシャスさんは真剣な面持ちで告げた。

「不思議だね、スヴァンくん。きゃらめるがあっという間に口の中で消えてしまったんだよ。これは事件だよスヴァンくん……」

「キャラメルは口の中で溶けてなくなるお菓子なんです、ルカ様」

「何て不幸な運命なんだ! でも愛してるよ、きゃらめる!」

 ルクレーシャスさんは、大げさに天を仰いでソファへ倒れ込んだ。ぼくはしばらく、キャラメルを大量生産しろと要求されそうだ。肩を竦めるぼくを目路へ入れ、ウードさんはただでさえ細い目をさらに細くして髭を撫でた。

「これはこれは、随分と楽しくお過ごしのようですな。ベステル・ヘクセ殿」

「楽しいよ。スヴァンくんは賢いし、料理が上手なんだ。さて、ではお暇しようか、スヴァンくん」

「はい」

 ルクレーシャスさんがぼくを抱き上げた。ジークフリードがぼくへ手招きする。身を乗り出すようにして、顔を傾けるとジークフリードはぼくの耳元へ囁いた。

「ここでの話は誰にももらさぬ。お前とオレだけの秘密だ。教師もそういう人間だけを集めた。だからエーベルハルトはどうしても辞めさせたかったんだ。悪いな」

「それは皇王陛下にも、でしょうか」

「友との悪だくみに親など持ち込むヤツはぶすいだ。そうだろう?」

 いたずらっぽく笑ったジークフリードには、床へ大の字になって暴れていた頃の面影はない。精神的成長は、こんなにも人を変えるのだと感心してしまった。いや、おそらく当たり前の子供として癇癪かんしゃくを起こしていたからこそ、成長したのだろう。そう考えるとぼくはどうだろうか。ぼくは、成長しているだろうか。して、行けるだろうか。項へ刃を押し付けられたような、ひやりとした感覚に身震いした。

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