第20話 ひととせ明けの咲く花月の終わり ⑴

「というわけで、ジーク様はぼくが離宮を出てもお付き合いくださると思うんですよね」

「……あの小倅、目の付け所はいいよね。勘もいいから、あれだけで君が皇王には内緒で離宮を出るつもりだと悟っただろう」

 キャラメルを大量に頬張りながらルクレーシャスさんが頷く。あれから一週間ほど経つが、連日キャラメルを作れと詰め寄られてぼくはとうとう、料理人のダニーにキャラメルの作り方を教えた。キャラメルって牛乳と砂糖とバターを火にかけながら混ぜるだけだから作り方は簡単なんだけど、腕力が要る。だって、ずっと鍋の中を掻き混ぜるの腕がつらいんだもん。

 ぼくがキャラメル作りを投げ出したせいで、ダニーは大量のキャラメルを作らされる羽目になった。ごめんよ。

「ルカ様、ぼくお願いがあるんですけど」

「うん?」

 頬袋に詰め込んだキャラメルを堪能するルクレーシャスさんの腕を軽く押さえる。いつも通りぼくはルクレーシャスさんのお膝の上だ。もうすぐ日本で言う六月、雨水月である。日本のようにたくさん降るというよりパラパラ毎日降る感じで、午前中は雨だったけど午後は晴れなんて日が続く。暖かくなってきたので、最近はテラスで過ごすことが多い。

「ぼくらが暮らすおうちの孤児院の、孤児たちの後見人もお願いしたいんです。その場合、孤児になった貴族子息が相続するべき財産や爵位を一時凍結できますか?」

「できるよ。わたくしはどの国の法律にも縛られないからね」

 ルクレーシャスさんの存在自体がもうチートな気がする。こんな権限持っていたらいくらでも悪いことができそうだ。ルクレーシャスさんがいい人で良かった。

「君は、君と似た境遇の子を助けるつもりかい?」

「そんな立派なものではありません。ぼくと似た境遇の貴族子息を助ければ、後に自分に有利になるだろうという打算に満ちた企みなんです」

「本当に君は損な物言いしかできない子だね」

「事実、ですから……」

 皇国では女性への爵位継承を認めていない。幼い子供を抱えた寡婦は、権力を求める親類たちへの対抗手段を持たないことがほとんどだ。実家がよほどの高位貴族か資産を持たない限り、搾取されてしまうのが関の山だろう。そういう母親と共に、追いやられてしまう子供は少なくないのではないだろうか。例えば子供が男児なら、まだ浮かぶ瀬もあるかもしれない。女児ならば下手をすれば母の実家にすら、見向きもされないだろう。こうして不自由なく生きているだけ、まだぼくはマシな方なのだろう。

 庭へ目を向けると目に柔らかな新緑の中、ラルクが駆けて来るのが見えた。

「スヴェェェェェェン! フリューやろうぜ!」

 小心者のぼくはバドミントンをバドミントンの名称のまま使うのは憚られて、皇国語で「羽」とか「飛ばす」という意味のある言葉を混ぜて名付けたんだ。ラルクはこのフリューが気に入ったらしく、暇さえあれば誘いに来る。ぼくとラルクがフリューをしているのを見たジークフリードも、気分転換などと言ってぼくらを誘いに来るようになった。元々ジークフリードもラルクも、体を動かすことが得意な者同士だ。あっという間にぼくより上達してしまった。おまけに「体力作りと、体重管理に効果的」と説明したらジークフリードがそのまま伝えたらしく、皇后が強く興味を示したらしい。

 というわけで今日は、皇后が離宮にやって来るのだ。

 まったりいつも通りお茶しているように見えて、実は緊迫している。ぼくとルクレーシャスさん以外が。フレートとベッテが忙しいから、せめて迷惑をかけないようにテラスで大人しくしているというわけである。

「フリューは後で、皇后陛下にお見せする時にやってもらうよ? ラルク」

「うん。でも今やろうぜ、スヴェン」

 大型犬が飼い主とボール遊びしてもらうのを待っているみたいだ。体力がないへっぽこのぼくを相手にするより、ジークフリードの方がラリーも続くし楽しいだろうに、それでもラルクはぼくに遊んでほしいらしい。かわいい。癒し。となれば主人としては応えねばなるまい。

「じゃあ、少しだけ付き合ってもらおうかな」

「うんっ!」

 そんなわけで今日は、皇后の前でフリューをやって見せるためという名目で少しラフな格好をしている。いつものブリーチズにジレやジュストコールではなく、淡いブルーの半ズボンに白いスタンドカラーのドレスシャツなのだが。

 シャツの襟は顔を縁取るようにレースとフリルが付いているし、たっぷり幅広のボウタイが付いていてふんわり大きくリボンを結ぶようになっている。そのボウタイの縁にもフリルが付いているし、シャツの前はボタンに沿ってフリルがこれでもかと付いている。普段はジレだのジュストコールだの着てしまうから気にしてなかったけど、ベッテの選ぶシャツって全部襟とか袖とかフリル付きなんだよね。

 いくらヨーロッパ系の彫りの深い顔立ちだからって、やり過ぎるとちょっと間抜けじゃない? でもベッテが「お似合いです、スヴァンテ様。絶対にこれです。これでなくてはいけません」って譲らなかったんだよ。普段から服装はベッテに任せきりだから嫌だとは言えなくて、仕方なく着ているけどどうにも前世日本人には恥ずかしい。

 分かるよ。宗教画の天使みたいな欧米系の子供がこういうの着てたらかわいいよね。ステキ。でもぼくじゃなくて良かったんじゃないかな。例えばラルクで良かったんじゃない? 控えめに抗議はしてみた。

「ラルクがこっちで、ぼくはもう少し質素なものが……」

「いいえ、お坊っちゃまがこちらで。それともこちらのセーラーカラーの愛らしいお洋服はいかがでしょうか」

 ベッテが指をさしたスケッチを見る。半ズボンとAラインの腰が隠れる長さのセーラー服だ。おまけにプリムっていう、ツバの部分が上へ反り返ってるタイプのセーラー・ハットが揃いになっている。

 ああ~、分かるぅ。こういうの小さい子が着てるとかわいいよね。でもぼくじゃない。ぼくは着たくない。だけどベッテと仕立て屋テーラーの女性は笑みを崩さぬまま、デザインのスケッチをぼくの眼前へ広げてみせた。

「お色はピンクなどいかがでしょう。今の髪の色にもよくお似合いです」

「……こっちのひらひらしたシャツでいいです……」

 何故だか分からないけど、迫力に押し負けた。ピンクに襟へ赤のワンポイントが入ったセーラー服よりはヒラヒラの方がまだマシだ。

 以前は皇后が衣装を作る時、ついでに声をかけてもらって一緒にぼくの服を作ってもらっていたんだ。この世界って貴族の服は基本、屋敷に呼んで仕立ててもらうんだよね。自分で店へ出向いたり、選んだりしない。ぼくが三歳くらいまでは皇后が仕立て屋を離宮へ連れて来て、服を選んでくれてたんだ。ぼくが大きくなって、サイズを計るのも頻度が増してしまったから「次に仕立て屋さんが来る時は離宮にもお声かけてください」って連絡して離宮で注文して終わり、になってた。だから皇后と最後に顔を合わせたのは半年くらい前だ。

 テラスと噴水の間にある、芝生の上でバドミント……フリューを始める。マウロさんにお願いしたラケットもいい仕上がりだ。羽の付いたシャトルをラルクへ渡して距離を取る。今日は皇后へ見せるために、女性用の運動着も準備してあるから、後で着替えなければならない。そう。ベッテは忙しいし、ラルクに着せるのはさすがに気が引けたのでぼくが着るのだ。女性用の運動着を。このひらひらしたシャツと、ズボンの腰回りにスカートを付けて足の形を隠した運動着と、どちらが恥ずかしいだろう。

 どっちもだ。だってスカート部分はレースだのフリルだのリボンだのがこれでもかってほど付いているから、フリフリのシャツと何ら変わりがない。だがこれも、皇后にバドミントンと女性用運動着を広めてもらうためだ仕方ない。だって皇后は社交界のまさにトップ。その皇后が広めてくれれば、どんな宣伝より効果抜群だ。

 ラルクと軽く何セットか打ち合って、少し汗ばんで来たところでベッテが冷たい紅茶を持って来てくれた。テラスの縁、地べたへ座り込んでラルクと一緒にグラスを仰ぐ。

「ベッテ、汗をかいたのでもう、女性用運動着に着替えようかと思うんですが」

「ダメです。いけません。皇后陛下にもぜひ、妖精のように可憐なスヴァンテ様を見ていただかなければなりません」

 いや妖精て。確かに前世の平ぺったい日本人顔から考えればそうかも知れないけど、ベッテは愛情ゆえに目が曇っているのではないだろうか。

「……いや、それはベッテの乳母の欲目というか、気のせいなので」

「なりません。デザインを見て皇后陛下は大変楽しみになさっておりましたので、お見えになるまでそのままで」

「……うん?」

 デザインを見て? このフリフリひらひらのシャツの? 何で? 疑問符を頭に浮かべたまま固まったぼくの頬を、ラルクが撫でた。

「スヴェンがいっちばんかわいく見える服を選んだって、かあちゃんが言ってた!」

 うわん、親バカならぬ乳母バカ! ぼくはこの世界じゃ至って凡顔ですよ! 凡顔なのに身内にはかわいいかわいいってちやほやされてるなんて一番イタい子じゃないですかやだぁ。でもラルクかわいいな。かわいいラルクにかわいいって言われちゃったので悪い気はしない。汗を拭いて、皇后を迎える準備をするために立ち上がる。ラルクもぼくの従童として同席させるつもりなので、庭仕事用のサロペットのままでは困るのだ。着替えさせなければならない。

 皇后を交えての早めの軽い昼食を兼ねたブランチだから、ローストビーフとレタスをパンに挟んだサンドウィッチを出そうと思っている。レタスって西洋の野菜かと思うじゃない? 意外にも平安時代から存在するんだよ。萵苣ちしゃって呼ばれてたんだって。というわけで、この世界にレタスに似た植物は存在する。元フリュクレフ王国領ではよく食べられていたんだって。この世界ではレタスって名前ではないけど、ぼくも混乱するのでレタスと呼ぶことにしている。フレートもベッテもラルクもダニーも、慣れっ子なのか気にしないし。

 ところでこの世界にはサンドウィッチなんてものはない。いや、あるかも知れないけどサンドウィッチなんて呼び名ではないことは確かだ。前世の世界で名づけの由来になった伯爵なんて居ないし、所説あるけど一説にはそもそもサンドウィッチ伯爵はサンドウィッチが好物でも何でもなく、発明したわけでも推奨したわけでもないという。謎だね。そもそもこの世界のパンってみんなぺったんこのただの小麦粉を捏ねたものを焼いただけの物なんだよ。だから! ぼくはなんと、ついに天然酵母を作ることに成功したんだよね。ふっふっふ。豆も腐らせる島国出身転生者を舐めてはいけない。離宮ではすでにふわふわのパンを日常的に食べているのだ。とにかくどれでもいいから皇后の目に止まったものを全部宣伝してもらうつもりでいる。もちろん、化粧水と保湿クリームも準備してある。

 小春日和の穏やかな陽射しの中、皇后がやって来るのを待つ。ラルクが摘んで来た花で花冠を作ってくれた。それを被って遊んでいると、柔らかい声が降り注いで来た。

「あらまぁ、スヴァンテちゃん。少し見ない間にやだなにこれ天使かしら美の女神マルグリートの寵愛を一身に受けてしまったのかしらパラディースが地上に具現化されてしまっているわどうしましょうこんなにフリルの似合う六歳児なんて他に存在しないわよむしろフリルがスヴァンテちゃんのために存在していると言っても過言ではないのではないかしら」

「そうでございましょう、そうでございましょう、皇后陛下。わたくし、いい仕事をしたと自負しております」

「ほんとうね、ベッテ。そなた良い仕事をなさいましたわ。ジークもかわいいのだけれど、やんちゃさが顔に出てしまっていてこういうお洋服は似合わないのよね。スヴァンテちゃんは儚い系中性的美少年ですものきっとドレスも良く似合うわ」

「左様でございます、皇后陛下。実はパトリッツィ商会のカタログにあったセーラーカラーの一揃えをお勧めしたのですが叶わず」

「まぁまぁ、きっとあれもかわいいのにぃ」

 突然ベッテと熱く語り出した皇后に、ぼくは戸惑いを隠せない。

 皇后ってこんな人だったっけ……? とりあえずぼくは、いつも通りに胸へ手を当て左足を後ろへ引いて挨拶をした。

「……ご無沙汰しております、ご機嫌麗しゅう、皇后陛下。ご健勝そうでなによりです……?」

「んまぁぁ! お声までかわいいわ。妖精が奏でるハープのように優しくて穏やかね」

 両手を胸の前で握り締めて打ち震える皇后にたじろいでいると、そのまま距離を詰められて抱っこされてしまった。

「んまぁぁ、まるで羽のように軽いわ。ジークより体が柔らかくてまだ赤ちゃんって感じだわぁ」

 赤ちゃん……。多分、筋力の差なんだろうな。ぼくが両手で自分の頬を覆って、皇后へ訴えた声は消え入りそうだった。

「下してくださいませ、皇后陛下」

「あらあら、リズと呼んでちょうだい、スヴァンテちゃん」

「ツェツィーリエ陛下、恐れ多いことでございます」

「賢くて美しい上に礼儀正しく品が良いだなんて、スヴァンテちゃんは本当に天使なのではないかしら。ねぇ、ベッテ」

「はい。スヴァンテ様は生まれた時からそれはそれは大変に美しい赤子でございました」

 そんなわけないよ、赤ちゃんはみんな大体おさるさんかゴリラかみたいな感じだよ。困り果てているぼくを、ルクレーシャスさんがようやく助けてくれた。

「リズ、スヴァンくんが困っているでしょう」

 皇后の腕からぼくを救出して、抱っこしてくれたルクレーシャスさんに凭れる。皇后に凭れるわけにはいかないから、緊張してたんだよね。けれど皇后はぷう、と頬を膨らませた。

「ズルいわ、ベステル・ヘクセ様。そうやってスヴァンテちゃんを独り占めしてるんでしょう。スヴァンテちゃんは赤ちゃん独特の甘い香りとはまた違う、花のような香りがするものね。ジークはもう、汗臭い男の子の臭いがするのよ……」

 そんなわけないでしょう、可哀想だよジークフリードが。極々至って普通の七歳児だよジークフリードは。

「抱っこは恥ずかしいです、皇后陛下。それにぼく、体力がないのでできるだけ抱っこしてもらわないように、練習中なんです」

「ダメよスヴァンテちゃん。運動して筋肉を付けてヴェンやジークみたいにならないで。あなたは儚い美少年のままでいて」

「ジーク様も皇后陛下に似て大変に美形であらせられますよ」

 ぼくの言葉に皇后は遠い空の向こう側へ目を泳がせながら呻いた。

「違うのよ……ジークとスヴァンテちゃんは系統が違うのよ……」

「分かります、皇后陛下。皇太子殿下は正統派の美形にお育ちあそばす片鱗を見せておられる将来性のある美少年なれど、スヴァンテ様は永遠に中性的美少年のまま育ってほしい美少年なのでございます……」

「分かるわ、ベッテ。その通りよ」

 分からない。どの通りだろう。気を取り直してテラスのテーブルへ皇后を案内する。

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