第21話 ひととせ明けの咲く花月の終わり ⑵
「皇后陛下、よろしければ軽食とお茶をお楽しみいただければとご用意いたしております、こちらへどうぞ」
本日のぼく渾身の一品である、シェルデというリンゴみたいな果実で作った天然酵母を使った全粒粉のふわふわパンのローストビーフのサンドウィッチと温かいカボチャのポタージュスープがテーブルへセットされて行く。紅茶は少し味が濃い目の、ララガ産ブロークンリーフをミルクティーで準備した。ぼくはストレートティーよりミルクティーが好きなんだ。口の中がさっぱりしなくても別にいい。美味しいは正義だ。
「まぁ美味しい! これふわふわだわ、ヴェンやジークからスヴァンテちゃんのお料理はとっても美味しいって聞いてずっと羨ましかったのよ」
「お褒めに預かり光栄です、皇后陛下」
「リズって呼んでちょうだい?」
「……ツェツィーリエ陛下、本日は皇后陛下へささやかな贈り物も準備してございます」
ベッテが細かい意匠の施されたポット型の瓶を差し出す。皇后は一瞬、皇族の顔をした。ああ、あの皇王の妃なだけある。この人も為政者なのだとその表情で思い知らされた。
「これは?」
「ぼくがパトリッツィ商会と開発した、化粧水で肌を整えた後に使用する保湿クリームでございます」
「ジークから聞いているわ。スヴァンちゃんは多方面に広く知識を持っていて、それを活かしていると。これもその一つね?」
「はい。お肌に合わない場合もございますので、その時は使用をお止めください。ベッテはこの冬使用していたのですが、肌が明るくなって皺が減ったと申しております」
「! ベッテ、そうよどうしてお肌がそんなにもぷるぷるツヤツヤになったか聞こうと思っていたの! そうなの、これが!」
「左様にございます、皇后陛下。小じわが減ってこれ、このように」
「んまああああああ! ありがたくいただくわ、スヴァンテちゃん!」
ベッテは平民だって聞いてるんだけど、妙に皇后と仲が良いし一体何者なんだろう。ふと浮かんだ疑問を脇へ押しやり、ぼくはセールストークに集中することにした。
「よろしければ、化粧水もセットでお試しください。こちらの商品はパトリッツィ商会より、今年の夏に発売予定でございます」
「夏、ね?」
「はい」
本当はもっと発売を前倒ししたいけど、焦ってはいけない。玩具と絵本の売り上げも上々だし、フリューを先に広めることで玩具関係だけがぼくの市場だと思わせておきたいという思惑もある。夏に噂が広まり、肌が乾燥する冬が長い皇国だからこそ、冬の間に需要が伸びると見越しているのである。皇后の皿へ目を向けると、すでに空になりかけていた。
「皇后陛下、サンドウィッチのおかわりはよろしいでしょうか。お済みでしたら、デザートを準備させますが」
「おかわりをいただくわ」
サンドウィッチは気に入ってもらえたようで何よりだ。噴水の向こうから、人のやって来る気配がした。誰だろう。フレートへ目をやると、頷いて庭へ出て行く。フレートに先導されて噴水の向こうから現れたのはジークフリードだった。
「スヴェン、いきなり来てすまんな。母上がいらっしゃると聞いたのでな。オレも同席してもよいか」
「ジーク様。いつでもお越しください。さ、こちらで軽食をご用意いたしますよ」
「うむ! 今日も美味そうなものが並んでおるな」
鷹揚にしているが、ぼくを気遣ってくれたのかもしれない。ジークフリードは皇后とぼくの間へ座った。
「そうそう、スヴァンテちゃんの絵本でジークも随分スペルを覚えて最近はあれだけ嫌っていた読書を夜遅くまでしているのよ」
「ジーク様は元々、両陛下に似て観察眼が鋭く
「ヴェンが苦い顔をするわけね。スヴァンテちゃんは非凡すぎる。けれど感謝しているわ。ジークはあなたに触発されて己の立場を自覚しつつある」
親と皇族、両方の顔を覗かせて皇后がティーカップを傾けた。だからぼくも、貴族としての顔で答える。
「そうですね。ぼくには基盤がありません。今後ジーク様をお支えするためにも、ぼくの基盤をしっかりと固めてジーク様の弱点とならぬようにいたします、陛下」
「あら。あらあら、そうなの?」
「本当か、スヴェン」
ジークフリードが喜びと心配がないまぜになった表情でぼくを覗き込む。覚えず眉尻が下がっていたのだろう。首を傾げて微笑むと、ジークフリードは優しく目を撓らせてぼくの手を握った。
「こんなに慕ってくださるジーク様を無下にするほど、ぼくは薄情ではございませんよ?」
「そうか。ふふ、そうか。嬉しいぞ」
自分に素直で嫌いになれないんだよな、ジークフリードのこと。握られたままの手を揺らすと、ジークフリードは頬を染めて目を逸らす。
「……っ、お前は本当に質が悪い」
「?」
首を傾げると、ジークフリードとぼくの間にラルクの手が割り込んで来た。手にはローストビーフのサンドウィッチが載った皿を持っている。
「いらっしゃいませ、ジークフリード殿下。こちらはローストビーフのサンドウィッチでございます。ごゆっくりご賞味くださいませ」
元々美形のベッテとヴィノさんの息子だから、優美な所作が身に付けばラルクとて皇宮の侍童に見劣りしない。皇后もにっこりと微笑みながらラルクを湿度の高い瞳で観察しているのが分かった。
「うむ。いやラルク、さすがスヴェンの教育だな。見違えたぞ」
「あとでフリューをご一緒いただけますか」
「ああ、もちろん。負けぬぞ」
「楽しみにしております」
そうだ、フリューだ。今日は皇后にスポーツウェアとフリューを売り込むつもりだったのだ。しかしなんというタイミングで来てしまったんだジークフリード。ぼくは苦々しい思いでフレートへ声をかけた。
「フレート、皇后陛下とジーク様のおもてなしを頼みます。皇后陛下、ジーク様、ぼくは少し着替えて参りますので席を辞させていただきますね」
「……? 着替え、るのか?」
「はい。ちょっと皇后陛下にお見せしたい衣装がございまして」
口の中でもごもご言いながら、指をもじもじさせて席を下りる。ルクレーシャスさんに抱っこしてもらって、コモンルームを出た。廊下ではベッテが満面の笑みで待ち構えている。
「……ベッテ、なんかすごくやる気だね?」
「はい。最高に可愛くして差し上げますので、ご心配なく。スヴァンテ様」
「かわいくなくてもいいです、心配しかないです……」
とはいえこれは商売のため。着替え終わっても念入りに髪を整えるベッテの執念は、一体どこから来るのか。ルクレーシャスさんに連れられてコモンルームへ戻る。テラスへ出ると、皇后は一際甲高い声で何やら鳴いたけど早口で聞き取れない。
「なにこれ最高じゃないさすがベッテねかわいいと美しいのちょうどいいせめぎ合いが少年と言う危うい美をさらに消化してなにこれ妖精が具現化してるわ妖精というより精霊ね儚さの精霊よ尊い」
「……スヴェン……」
じっくり見なくていいんだよジークフリード。視線が居た堪れないから見つめないでくれないかなジークフリード。ブリーチズよりゆったりとしたズボンに付いた、短いスカートのフリルを指で弄りながら俯き加減で説明する。素材はシルクだから、光沢があるし動きやすい。
でも、なんせ布地が薄いから皇国ではちょっと不道徳だと言われるかもしれない。だからこそ、自分で着て見せる必要があったんだけど。
「違うんです、違うんです、これは女性が運動をするのに邪魔にならない衣装として考えたんですけど、着てくれる人がいなくて考えたぼくが着るのが順当かなぁってだから断じてぼくにこういう趣味があるとかじゃなくて」
「似合うね、スヴァンくん」
「うううう……」
上はパフスリーブのこれまたゆったりとしたオーバーサイズ気味のトップスで、襟はV字に空いている。トップスの裾はリボンが通してあって、腰のところで結べるようになっている。V字に空いた襟から紗布のフリルを付け、体のラインが露わにならないようにしている。皇国の貴族女性は、とにかく体の線がはっきりと表れる服は着てはいけないという習慣なのだ。
「女性用の運動着、なのね?」
「はい。貴族女性はとにかく運動するようなことははしたないとされておりますので、どうしても体がふくよかになりやすいです。しかし皇国の食事は炭水化物や小麦中心で太りやすい。なので、こうした運動用の衣装があればと思いまして。貴族女性の運動不足解消には、ぼくが考案したフリューという遊びが最適かと皇后陛下にご紹介いたしたいと思います。ラルク」
「はい」
ラルクの持って来たラケットとシャトルを皇后へ見せる。実際に手に取ってもらい、目の前で使い方を示す。
「遊び方を実践いたしますので、ぜひご覧ください」
ラルクが少し距離を取るように芝生の上を離れて行く。ぼくを見て頷いたラルクへ、シャトルをラケットで軽く打ち出す。風で少し噴水の方へ流れたシャトルをラルクが打ち返す。何度目かのラリーのあと、追い付けなかったぼくのラケットを逃れて芝生へシャトルが落ちた。
「素晴らしいわ、見ているだけでも興奮したわ。楽しそうね!」
皇后の警備に付いて来た騎士や、侍女たちまで「わぁ」っと声を上げて手を叩いている。興味を持ってもらえたみたいだ。
「本日はこちらのフリューのラケットとシャトルのセットを、ジーク様と皇后陛下へ献上いたしますのでぜひ、お二人で遊ばれてはいかがでしょうか。もしよろしければ、今ぼくが着ている運動着もお申し付けいただければパトリッツィ商会に納めさせていただきます」
「ええ、よろしく頼みますわ。ジークと遊ぶのは、久しぶりね?」
「そうですね、母上」
皇国の文化上どうしても子供と母親の関わりというと、本を読むとかお茶を飲むとかそういうものになりがちだ。女児ならいいが、男児には物足りない。そうして母親との関わりが少なくなって行くのだが、ジークフリードはもっと皇后との時間を過ごしたいと思っているのではないかとぼくは思う。だから、二人がフリューを通して一緒に過ごせるといいなって考えたんだ。
ジークフリードの視線を感じて首を傾げて見せた。聞きたいことがあるようだが、何故か赤くなってもじもじしている。
「ジーク様、何かご質問でも?」
「あ、ああ。うん……」
手招きされて、顔を近づける。耳へ手を当てられ、くすぐったさに我慢しながら待つ。
「……その、それ……下着は、どうなっている?」
「……」
ぼくの脳裏にルクレーシャスさんの言葉が過った。ジークフリードまでぼくがぱんつ穿かないと思ってんのかな。何でみんな揃いも揃ってぼくをド変態だと思ってんの、大変に遺憾ですよ。ぼくは断固として誤解を解かねばなるまいと熱弁した。
「……今はぼく、ブレーを穿いてますよ。ちゃんと」
今はって言うのはですね、よそ行きのブリーチズにジレにジュストコールを着る時は、中に来たシャツを下着代わりにするからです。でもだって、それはこの世界の風習だから仕方なくない? ぼくだけじゃないじゃん。皇宮に来てる貴族、全員ある意味ノーパンじゃん? 何なら今、ブリーチズにジレでここへ来たジークフリードだってノーパンだよね? 穿いてないのは君の方じゃない。
「……う……うん……だが、その、……」
何で黙るの。最後まで言いなよ。何が言いたいのさ。何で俯くの。
「穿いてますってば、ほら」
はしたないって分かってるけどぼくは男の子だからまだ許されるだろう。ぼくはジークフリードの横で、腰紐を解いてズボンを少し下した。
「……っ! なん、なんで、脱ぐ……っ!」
椅子から勢いよく飛び退いたジークフリードを回り込んで追いかける。だから何で顔を背けるんだよ。見ろ! ちゃんと穿いてるってば!
「だって、ジーク様。ぼくが下着を穿いてないみたいに言うから」
しかしここは強調せねばなるまい。常に穿いてない子だと思われたくない。どんな変態だよ、誤解です。この世界ではざっくり男性用下着は皆、ブレイズという。ブレイズとは、腰のところを紐で結ぶショートパンツみたいな感じの下着だ。この世界にはゴムがないから、ゴムの部分が紐で締めるようになってる布製のボクサーパンツみたいなものである。平民の男性はこれにホーズという太腿まである靴下みたいなのを、腰から釣って履いている。股間がスースーするんじゃないかと思うけど、これが平民男性の普通の格好だ。そしてこれの変化形、ブレーという紐パン的なものも存在する。そう、もうどう考えても紐パンとしか言えないヤツがあるんだよ。紐ビキニじゃん! って脳内で叫んだもんね。
対して女性の下着はシュミーズにドロワーズを穿いた上からコルセット、つまり下半身がぴったり体に沿った下着を着ない。ドロワーズは膝丈の、ふんわりした薄手の布で出来たズボンみたいなものだ。そう、パンツなしの直穿き。それがパンツ代わりなのだ。だから下半身がはっきりするような服を着ないのである。
その、多分だけどこの世界の倫理観として、おっぱいより足の方がえっちなので見せちゃいけないことになっているみたいなんだよね。
話を戻すけどぼくが今穿いているのは、そのブレーをさらに立体的に作ったものだ。この世界のパンツ、立体的じゃないからお尻がはみ出るんだよ、どうしてもさ。気持ち悪いんだよね。尻に布が挟まって半ケツ状態になって。だから既にあるブレーのお尻の部分を立体裁断して、縫い目を外にして肌当たりもよいものを作ったんだ。自信作である。これを、女性用運動着と共にこっそり忍ばせて一緒に売れないかなとも思っているのだ。レースとか、色とか、スパンコールとかビーズとか付けたら買ってくれないかなぁって。
「……穿きやすそう、だな?」
「はい。これならお尻の線も出ないし、お尻のお肉がはみ出して気持ち悪いこともないし、快適ですよ」
「尻……、うん……そうか……」
だから何で顔を逸らすんだよ。ぼくは頬を膨らませて、ジークフリードへ詰め寄った。
「ちゃんと見てください、ジーク様。ほら。ルカ様もぼくが下着穿いてない子みたいなこと言うし、心外です」
いつもなら何事にも動じないフレートが「ゲフッ」って咳き込んだけどどうしてだろう。ルクレーシャスさんは、遠慮なくお腹を抱えて大きな声で笑っている。
「それは……ごかいだと思う……。早く服を着てくれ、スヴェン……」
「……はい」
誤解が解けたならいい。しかし皇后とベッテは何故か押し殺しても押し殺せない笑みを堪える表情で、ぼくらを見ている。怖い。
「……んんっ、スヴァンテちゃん、保湿クリームとフリューのセットと運動着、全て五つずつ予約するわ。お願いできるかしら?」
「! はい、かしこまりました! 後日パトリッツィ商会の者を向かわせますので、ご都合の良い日をお教えください!」
やったね。これで皇后の侍女とか派閥の貴族女性で話題になるとありがたい。心の中で小躍りするぼくへ、ジークフリードが咳払いした後、呟いた。
「着替えて来い、スヴェン。目のやり場に困る」
「……? はい……」
ぼくだって好きでこれ着たわけじゃありませんからね。しかしジークフリードの申し出はありがたい。早速着替えに向かう。鍵星の間に向かう間中、ルクレーシャスさんは肩を揺らし続けていた。
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