第52話 穂刈月の幽霊騒動 ⑴

 ぼくはいつローデリヒが来てもいいように多めに作ったお菓子が、ルクレーシャスさんの口へ吸い込まれて行くのを少々複雑な気持ちで眺めていた。来たら来たで騒がしいが、来ないなら来ないで気を揉ませる。

 ぼくは意地になって毎日多めのお菓子を作り続けた。別に寂しくなんて、ないんだからね! けどさ、あれだけ毎日のように通って来てたんだから、連絡くらい寄越したっていいんじゃない?

 マウロさん宛ての計画書をしたためながら、ぼくは何度も窓の外へ目をやった。イェレミーアスは、そんなぼくを苦笑いで見ている。

 競馬事業は細かい部分が決定し、後は土地を買うだけ。ジークフリードと週三回の悪巧みは順調、本邸は工事も終盤に差し掛かっている。ブラウンシュバイクはイェレミーアスを「ディートハルト様」と呼び、尋ねたことに素直に答えるだけの廃人になってしまった。ラウシェンバッハに入り込んだミレッカー側の密偵は、いつでも確保できるようオルデンベルグ卿やリース卿へ連絡済み。そんな目が回る忙しさの最中だった。

「スヴェン、肝試しに行くぞ!」

「肝試し、ですか? リヒ様」

 ローデリヒが再びタウンハウスへやって来たのは、日本で言う九月。穂刈月の初めだった。

 二週間近く顔を見ないだけで随分と久しぶりだと感じるほど、以前が通い詰めだったのだと苦笑いをする。同時にほっとした。ルクレーシャスさんはどら焼きの皮にカスタードクリームを挟んだものがてんこ盛りになった皿を、自分の前へ片手で寄せたが、ローデリヒは難なくどら焼きへ手を伸ばした。

「そうだ。肝試し、だ。そんでゼクレス子爵のタウンハウスは今すぐ買え。だけど、買うだけでしばらくは土地に手を付ける予定はないって言うんだ。いいな?」

「……分かりました。ウルリーカ、フレートを呼んでくれる?」

「フレート様は、外出中です」

「そっか。じゃあ、ハンスにパトリッツィ商会のマウロさんを呼んでもらうよう、伝えてくれるかな?」

「かしこまりました」

 侍女のウルリーカがコモンルームから出て行くのを眺めながら、顔を仰向ける。ハンスは、フレートが教育中の執事見習いだ。ハンスはフレートの甥だ、と紹介された。フレートのように鋭いイメージではなく、明るく整った顔立ちの青年である。

 平民区域の孤児院も運営が始まるとなると、ハンスとフレートだけで手が足りないだろう。やはりもう一人執事がほしい。眉間に皺を寄せたぼくの頭を、イェレミーアスが撫でた。ローデリヒが立ち上がってコモンルームの扉へ鍵をかける。扉へ背を向けたまま、静かに切り出した。

「ゼクレス子爵の息子、生きてるかもしんねぇ」

「えっ?」

「……確かか? リヒ」

 こくり、と頷いてソファへ腰をかけローデリヒは身を乗り出した。イェレミーアスも前のめりになり、その膝に座っていたぼくも当然、押し出される。ルクレーシャスさんもどら焼きを頬張ったままゆっくりと身を乗り出す。四人で顔を突き合わせ、声を潜めた。

「あれはオレくらいの年の子供だった。ゼクレス子爵の三男は、今年九つになるはずだ。捕まえようとしたんだけど、逃げられたんだ。だから、スヴェンの協力が必要だと思って」

「リヒ様……『オレにしかできないこと』って……」

「スヴェンがオレにどんな小さな噂でも集めろって言っただろ? んで、退屈だから収穫祭の夜に肝試しをしようと思ってて、話を聞きたいって噂を集めてたんだよ。そしたら噂の発生元が三つに絞られたんだ。全員オレの知ってるヤツだった。二つは実際に肝試しに行った騎士たち。これは別々の小隊の騎士たちだったよ。最後の一つが、スラムの浮浪児ガキたちだ」

 ローデリヒはぼくの眼前へ、指を三本立てて見せた。親指、中指。一つ一つ折りながら、最後の一つ、人差し指を立てニヤリと笑う。そんなところまで行ったのか。公爵令息なのに。まったく、ローデリヒには敵わない。

「スラムのガキンチョどもとは、前から時々遊んでたからさ。ゼクレス子爵一家が死んですぐ、ボロは着てるけど身綺麗なジイさんが噂を流せって食いモンをくれたらしいんだ。それと、噂を流した直後に身なりのいい明らかに貴族って男がやって来て、誰に噂を流せと言われたか教えろと脅されたって」

「子供たちは無事だったんですか?」

「スヴェン、スラムのガキをなめんなよ。貴族なんか簡単にまいちまうよ、あいつらは」

「そうですか」

 ほっと胸を撫で下ろす。コモンルームの扉をノックする音が聞こえた。ぼくらはびくっと体を強張らせ、扉へ目を向ける。

「スヴァンテ様、ご報告がございます」

 フレートだ。ルクレーシャスさんが立ち上がって鍵を開けた。珍しい。ルクレーシャスさんが動くだなんて。ぼくが目を丸くしている間に、フレートはテーブルの横へ進み出た。

「事後承諾になってしまいましたが、私の独断でゼクレス子爵邸を買い付けました」

「!」

 さすがフレート、できる執事! ぼくが喜色を浮かべたのを見て、フレートはローデリヒへ視線を流した。

「リヒ様から、ゼクレス子爵邸の話を聞いていたところなんです」

「これは……私が一歩出遅れてしまいましたね」

「リヒ様もフレートもすごいです。フレートの話を聞きましょう」

「はい」

 二人の話の共通点はこうだ。ゼクレス子爵邸に鬼火が現れる。頻度は三日から四日おきで、場所はまちまちだ。目撃者は全員、子供の笑い声を聞いたという。邸内の別々の場所に居た人間が、同時に別々の場所で鬼火を目撃している。

「室内にも、室外にも目撃談があるんですね」

「ああ。だが、一つだけスラムのガキどもがジイさんに頼まれて流した、実際は誰も目撃者がいない噂がある」

「?」

「裏の森にある、枯れ井戸に出るゼクレス子爵の幽霊だ」

「……?」

 ローデリヒの勿体ぶった笑みに首を傾げる。ぼくの素振りを見て、ローデリヒは瞳をきらりと輝かせた。

「『シェーファー男爵令息は、枯れ井戸でゼクレス子爵の幽霊を見て呪われたから亡くなった』。これが、スラムのガキどもが流したウソの噂だ。生きたまま皮膚は腐れ落ち、歯は零れ目が溶けて今際の際まで苦しみ抜いて死んだ、だから井戸ではゼクレス子爵とシェーファー男爵が次の犠牲者を待っている、と」

 覚えているかな? 皇国の騎士は皆、デ・ランダル神教の神官騎士である。デ・ランダル神教では輪廻転生を信じていて、輪廻の輪から外れることは何よりも恐ろしいことだと考えられている。つまりデ・ランダル神教に於いて、幽霊とは輪廻の輪から外れた存在なのだ。だから騎士たちは、幽霊をモンスターよりも畏れる。魔族がいなくなって久しいこの世界の、RPGゲームでいうところの「始まりの街」周辺にしか居ないような、ザコモンスターよりも幽霊の方が怖いのだ。

 輪廻から外れた幽霊に触れると、自分も輪廻転生できなくなると信じられている。らしい。

「でも、シェーファー男爵のご令息はシェルケ辺境伯の中隊長だったんですよね?」

「ああ。亡くなった神渡り月まで、シェルケ辺境伯領に居たはずだ」

「ゼクレス子爵が亡くなったのは、いつですか?」

「確か、風花の月です。スヴァンテ様の喜ぶような情報はないかと思ったのに、亡くなったと聞いて誕生日プレゼントにならないとがっかりした覚えがありますので」

 神渡り月は一月。風花の月は二月だ。一月に亡くなった人が、二月に呪いを受けるわけがない。ただのこじつけか、それとも「シェーファー男爵令息」の名前を出すことに意味があるのか。

「計算が合わない……」

「そ、それもおかしいんだけどさ。おかしいのはそれだけじゃないんだ。枯れ井戸の噂はウソの噂だ。だけど枯れ井戸で幽霊を見たっていう騎士がいたんだ。で、知り合いだったから話を聞いて来た。そしたらさ、そいつ、本当は井戸へ行く前に後ろから誰かに殴られて気絶してたから、ゼクレス子爵の幽霊は見てないって言うんだ」

「それが、何か不審なのですか?」

「騎士が肝試しっていうか、度胸試しに使ってたんだぞ? 枯れ井戸へ行ったヤツに他の騎士は同情してたワケ。金とか、高い護符とかかなりもらってた。他に井戸まで行ったヤツはいない。だから大分調子に乗って、あることないこと自慢して大きなホラ吹いてたんだよ」

「……はぁ」

「……あのな、スヴェン。騎士にとっちゃ、輪廻の輪から外れるって神から見放されたも同然なの。騎士は全員、戦いの前に必ず神へ祈る。戦場で命を落としても、勇猛に戦う騎士は必ず来世でいい地位に転生できると約束されているから死をも名誉と恐れずに戦えるんだ」

「……」

 うう~んと、日本人にとって鳥居を汚すのは憚られるのと似た感じなんだろうか。つまりデ・ランダル神教徒にとって、幽霊に触れるというのはかなり強い忌避感がある、ということか。

「それに他の場所は目撃談が複数あった。井戸の近くだけはそいつ以外、誰も行ってない」

 そういうものなのか。ぼくはデ・ランダル神教の敬虔な信徒ではないので、イマイチ輪廻転生できないことの重大性が理解できない。ぼくはきっと、何とも言えない顔をしていたのだろう。ローデリヒはため息を吐いて、哀れなものを見る目でぼくを一瞥した。地味に腹が立つ。

「英雄扱いされてはいるが、本人は輪廻の輪から外れるって大分気に病んでた。それで、ベステル・ヘクセ様を紹介してくれって泣き付かれたんだよ。本当は井戸の幽霊なんて見てない、ベステル・ヘクセ様の魔法で輪廻転生できるようにしてもらえないかって」

 思い悩んでウソだとローデリヒに告白するほど、輪廻の輪から外れるのは恐ろしいことなのだろう。つまり。

「……! 怖いもの知らずの騎士ですら幽霊は恐ろしい。他の人間も実際に井戸へは行っていない。ならば後ろから殴った人間は、肝試し目的ではない。ましてや幽霊が、後ろから殴るわけがない。だから殴ったのは井戸に近づかれると困る人間、井戸に近寄らせたくない何者か、もしくは噂を流した張本人、というわけですか?」

「そう! ガキどもに噂を流せって言った、ジイさんじゃねぇかな、ってオレは思うわけ。ど? 一緒に肝試し、行きたくなって来ただろ?」

「リヒ様、えらーい!」

 ぼくは手を叩いてローデリヒを讃えた。イェレミーアスは何故か、ぼくのお腹へ置いた手へ力を込めた。

「だろ? もっと褒めていいぞ、スヴェン!」

「私も、ゼクレス子爵が亡くなった後も敷地へ何者かが出入りしている痕跡があるのでこれ以上立ち入らせないために土地を購入して来たのです、スヴァンテ様」

「フレートもえらいっ! さすがです、二人ともお手柄ですよ!」

 手放しで二人を褒め千切る。そうと決まれば、やることは一つだ。

「ルチ様! ルチ様! ゼクレス子爵邸に、ぼくら以外は入れないようにしてください!」

 ぼくが大きな声で呼ばうと、すぐにコモンルームへ藍色のベールが降りる。耳元へ、吐息がかかった。長い指が、ぼくの頬を撫でる。勿忘草色の瞳はねだるように拗ねた色をしている。

『……分かった。けど、ご褒美』

「……」

 久しぶりのダダを捏ねられた。まぁ、最近はイェレミーアス優先でルチ様を構ってあげられなかったから仕方ない。

「ご褒美、何がいいですか」

『今夜は、二人きり』

「……」

 振り返ってイェレミーアスを見つめる。こつん、と側頭部におでこが当たる感触がした。

「……仕方ないね。今夜は譲ろう」

『……』

 むっ、と唇を突き出してルチ様は体ごと傾いて消えた。コモンルームに色が戻る。

「ヴァン。私とあの精霊、どっちが大事?」

「え……? えっと、え~っと、……どっちも大事、ですよ……?」

 何その「私と仕事どっちが大事なの」みたいな質問。前世でもそんな状況になったことない現世六歳児にする質問かな。そもそも、誰のためにルチ様へあんなお願いしたと思ってるの……。と頭に浮かんだけれど飲み込んだ。言葉に詰まったぼくを、イェレミーアスは強く抱きしめた。

「ヴァンは、悪い子だね」

「……」

 なんだろうな、何なのこの変な雰囲気。これぼくが悪いのかな。目を閉じて両手でこめかみを揉んだ。イェレミーアスがぼくを抱き込んで拗ねているのが、背中から伝わって来る。

「イ、イェレ兄さま?」

「自業自得だねぇ、スヴァンくん」

「なんだろうな……寵愛も、あんま羨ましくねぇや……」

 ローデリヒの呟きに、ルクレーシャスさんが頷きながらどら焼きに齧りついていた。

「……フレート、シェーファー男爵令息についても情報を集めてください」

「かしこまりました。ゼクレス子爵邸へは、いつ参られますか」

 だって今日このままここに居たって、イェレミーアスと変な雰囲気になって拗ねたルチ様を相手にしなくちゃなんないんでしょ。それならもう、忙しくて帰りが遅かったことにした方がいいじゃんか! ゼクレス子爵邸へ行くとなれば、ルチ様も付いて来るだろうし。フレートの顔を見ながら、ぼくはどこでもいいから出かけたい気分で答えた。

「……今夜。今夜、行きます。フレートも同行してください。ぼくと、ルカ様と、イェレ兄さまと」

「オレも行くぜ! 置いて行くとか言わねぇよな!」

 完全に今夜もぼくんちで夕飯を食べる気だよね、ローデリヒはね。君、ちゃんと自宅に帰ってるんだろうな。エステン公爵に申し訳ないよ。

「……リヒ様も、です。ゼクレス子爵邸から離れたところへ馬車を置いて、歩いて行きましょう」

「かしこまりました」

 フレートが腰を折ると、コモンルームを出て行く。待ってほしい。ぼくを置いて行かないでほしい。でも特に用はないのでフレートを呼び止めることもできない。

「……皆様も、よろしいですね?」

「ああ」

「よっしゃ!」

「わたくしの魔法で行けばいいじゃないか」

「ルカ様の魔法は目立つでしょ」

 魔法陣は光るから、ルクレーシャスさんがここにいると大声で叫んでいるようなものである。それに魔法が使える人間からすれば、魔法陣を見れば誰の魔法なのか一目瞭然らしい。そもそも幽霊を装っている人間を待ち伏せしたいのに目立ってどうする。ルクレーシャスさんは何か言いたげにぼくを睨みながら、どら焼きを口いっぱいに詰め込んだ。

「ヴァンのことは私が抱っこして行くから、心配しなくていいよ」

 にっこり微笑むイェレミーアスを見つめる。イェレミーアスは今日も、完璧に美少年である。

「心配、した方がいいぞスヴェン。心配、するべきだ。抱っことかそんなんじゃなくてなんていうかこう、人生的な何かをだな……」

「わたくしのクソ鈍い弟子には何を言っても無駄だよ、皇太子」

 クソ鈍くて悪かったな。頼れるけど過分に失礼な師匠を睨む。けれど頼れる師匠はお耳をつーんと立てたまま、無心でどら焼きを口へ詰め込んでいる。ローデリヒへ視線を流すと、にこにこしたまま首を横へ振られた。

「……」

 やっぱ肝試しといえば夏だよね。うん。もう夏の終わりだけれども。頷いて胸の前で手を打つ。

 ぼくは考えることを放棄した。

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