第24話 円滑洒脱、で行きたいよね……? ⑴
ほっぺちゅーされてご機嫌のルチ様にぼくがぐったりしている間に、事は意外にも早く進んだ。エステン公爵からの返事が、翌日には来たのだ。
離宮へ好きなように出入りできるのは皇王、皇后、ジークフリードのみ。だからローデリヒは、当然ジークフリードと共にやって来た。
「フリュクレフ公子、父上から全面的に支援するとお答えいただいた!」
気安く「オレもスヴェンと呼んでいいか」なんて言ってたのに、ローデリヒはぼくのことを「フリュクレフ公子」と呼ぶことに決めたらしい。ちょっと現金だなと思ってしまった。
昨日はよほど、イェレミーアスの身を案じ悩んでいたのだろう。今日は打って変わって半年前に初めて会った時のように、闊達な様子だ。ローデリヒの深い緑の虹彩は明るい。
「それはようございました。そうと決まればイェレミーアス様にお知らせせねばなりません。手紙を書くのはぼくからと、リヒ様と、ジーク様はサインだけでいいです。これで信じてもらえるでしょう。これはお迎えの時に直接、ルカ様からイェレミーアス様へ渡してもらいます。できれば、エステン公爵からラウシェンバッハ領を任せる人宛てへの書状もいただければ完璧です」
「父上はブラウンシュバイク卿にお任せするのがいいのではないかとおっしゃっておられた」
さて、エステン公爵とイェレミーアスと、ルチ様の見立てが合致するかどうか。
「う~ん、ブラウンシュバイク卿は元々ラウシェンバッハの出身ではなく他領の子爵だったところ、亡くなられた伯爵に取り立てられて今の地位に付いたと聞いております。ブラウンシュバイク卿自身に後ろ盾がなければ厳しいでしょう。そちらもエステン公爵にお任せできるでしょうか」
力がなければ伯爵家に連なる貴族たちに潰されてしまうだろう。その場合はエステン公爵に権力を揮ってもらわねばならない。
「分かった。父上に頼んでおく」
「はい。お願いします。あ、イェレミーアス様への手紙と一緒に送る書状はブラウンシュバイク卿宛てにせず、とりあえず名指しはしないでください。後日、ハンスイェルク卿とラウシェンバッハ伯爵家関係貴族宛てに名指しで送っていただきたい。そちらも準備したらイェレミーアス様をルカ様にお迎えに行ってもらった時に渡します」
「ブラウンシュバイク卿へ領地を任せるとはまだ決まらぬから、だな? スヴェン」
ジークフリードは随分と勘が良くなってきた。やっぱり地頭がいいんだよね。
「ええ。くれぐれも今はまだ、リヒ様からイェレミーアス様へこのことを知らせる手紙などは送りませんようにお願いします。リヒ様、ラウシェンバッハ辺境伯がどういった経緯でお亡くなりになったか、詳細をご存知ですか?」
まだ誰が敵か味方か決めるのは時期尚早である。ぼくは新聞で訃報を知っただけなのだ。権力が絡むと暗殺なんてのも珍しいことではない。その辺りは、イェレミーアスにも聞くとして、一応こちらでも情報を探っておくのがいいかもしれない。
「ご病気だったと聞いている。父も不審なところはないとおっしゃっていた」
「持病でもおありだったのですか?」
「いや。父上と同じくらいお元気な方だった。ラウシェンバッハではこの春、伝染病が発生してな。対応の陣頭に立っておられたので、伝染病にかかったと聞いたが」
「伝染病……ああ、ザネルラ熱ですか……」
ザネルラ共和国で、今年の正月頃に発生した熱病だ。皇都の北はランゲルシュタット湾で、その北東の端は半島になっている。その半島に位置するのがザネルラ共和国だ。ラウシェンバッハはザネルラと国境を接している。
ザネルラ熱はおそらく前世でいうインフルエンザみたいなものなのだろうが、この世界では未だ医学も発達していない。医学書でも、何でもかんでも
「あとで、アイスラー先生にお会いしたいのでお帰りの際に皇宮までご一緒してもいいですか、ジーク様」
「アイスラーか。確か、今日は母上の診察に来ているから引き留めておくようにしよう」
ジークフリードは、言うなり立ち上がって外へ出て行く。今日も護衛はテラスの外、庭の芝生で整列している。ジークフリードが何か告げると、護衛騎士が一人、庭の向こうへ駆け出した。テラスから戻って来て、窓を閉めたジークフリードへ尋ねる。
「皇后陛下はどこかお加減が悪いのですか?」
「ああ、心配ない。オレに弟か妹ができるかもしれぬらしい」
「おや、それはおめでとうございます」
「まぁ、まだ分からぬ。だから今日はアイスラーが診察しておるのだ」
この世界では医学が発達していないから、当然のことながら医療も発達していない。つまりお産も命がけだ。
「ご無事にご懐妊、ご出産なされますよう、お祈りいたします」
「うむ。弟だか妹だかがお前を見ずに育つのは幸いかもしれんな」
「?」
「そうだな。生まれて初めて見る身内以外の人間がフリュクレフ公子だったら、その後会う人間が全て不細工に見えるだろうな……」
「お二人とも、ご冗談が過ぎますよ。お世辞を言わなくても、きちんとイェレミーアス様はお助けしますから」
「……」
「……」
ほんと失礼だな。君らはぼくをどんだけ性格が悪いと思ってんだ。助けるって言ったら助けるよ。約束しちゃったし。ぼくがぷう、と頬を膨らませると、二人は苦笑いをした。
昨日のうちにマウロさんへ、タウンハウスの元々あった屋敷にすぐ住めるよう準備を頼んである。
「とにかくまずは、誰かに悟られる前にイェレミーアス様とご家族の安全を確保することが先決です。慎重に動きましょう」
「うむ」
「恩に着る、フリュクレフ公子」
「もうその口調はおやめください、リヒ様。ぼくのことをフリュクレフ公子と呼ぶ必要もありませんよ。年上の伯爵令息にそう改まれると、ぼくは恐縮してしまいます」
「そうか? 悪いな、スヴェン。どうにもオレは貴族らしい振る舞いが苦手で」
「ぼくもそちらの方がありがたいです」
今日のチーズケーキはね、オーソドックスなスフレチーズケーキです。しかも生クリームの代わりに牛乳を使っているんだ。クリームチーズは割りと簡単に作れるんだよ。だからこの世界の鮮度が高い濃厚なバターと新鮮な卵、挽きたての粉を混ぜて焼くだけの簡単なチーズケーキは、会心の出来である。
ぼくらの会話を聞いているのか聞いていないのか分からないような素振りで、スフレチーズケーキを頬へ詰め込むだけ詰め込んでいたルクレーシャスさんが不意に口を開いた。
「ねぇ、スヴァンくん。ラウシェンバッハってどこら辺なの?」
「……」
場所も知らずに「一瞬で移動できる」とか言っていたのか、この人は。遠慮なしに呆れたと視線を送るぼくへ、頼りになるけど困った師匠はのん気に笑って見せた。ぼくはコモンルームで読書をすることが多いから、ここにも小さな書棚はある。そこから世界地図を取り、ルクレーシャスさんの膝へ広げて指さした。
「いいですか、ルカ様。皇都はここ。皇国の北端にあります。皇都の西はアイゼンシュタット辺境伯領アイゼンシュタット。都を挟んで反対側の東がラウシェンバッハです。皇都の北はかつて魔王が居を構えたシュタイア島のあるエヒレイド海。ここは未だ魔物が出没することから漁を行ったり航行する愚か者はおりませんので、西のアイゼンシュタット、東のラウシェンバッハは皇都防衛の要なんですよ」
そう。ルクレーシャスさんが魔王を倒したとはいえ、この世界には魔物が出没する。とはいえ知能の低い獣型の魔物のみで、知性を持ち言語を解する魔族は勇者が全て倒したそうだ。この百年、魔族の存在は確認されていない。それでも魔物討伐は今も行われていて、冒険者ギルドもあるらしい。ルクレーシャスさんは大陸冒険者ギルドの名誉顧問だ。ギルド。そう、ギルドだ。ヲタク心が疼くよねっ。
元々ラウシェンバッハ伯爵の居城であるラウシェンバッハ城は皇都から馬車で二週間ほどの距離だ。ここが攻め込まれれば皇宮まで馬車で二週間。つまりラウシェンバッハ伯爵は皇王が信頼し、実力を認める部下であるということだ。まぁそれを言うと皇国最南端のシュレーデルハイゲン領は駿馬で休まず駆けても四ヶ月かかる。皇宮から遠ければ遠いほど、他国と組んで謀反の計画が立てやすくなるから、やはり信頼できる家臣を配置することになる。つまり国境地帯を任されている辺境伯というのはいずれも皇王が己を裏切ることはないと判断した、腹心であるということだ。
ましてや皇国は、先代まで他国を侵略することで国土を拡大してきた国である。国境地帯を統治できないのは致命的だ。だから辺境伯にはガチガチの腹心を常に据えておきたいと考えるのが普通だろう。
「なぁんだ、やっぱり近いじゃん。いつでも言ってよ。この距離なら本当にすぐだから」
「ルカ様。『ぼくとイェレミーアス様の後見人になるので、二人に対するありとあらゆる権利を凍結、行使する権利はルカ様にある』と一筆書いていただかないとなりません。その上でラウシェンバッハ伯爵の爵位継承はイェレミーアス様成人まで保留とすると、皇王へ宣言してもらわなければならないので。イェレミーアス様をタウンハウスへ無事にお連れしたらその足でそのまま皇王へ渡しに行ってもらいます。ちゃんと書状には『
「……めんどくさいけど、わたくしを滅多に頼らない弟子のお願いだからねぇ」
「お願いします」
ぼくがルクレーシャスさんへ頭を下げると、ジークフリードも深々と頭を下げた。本当にこの子は変わったとつくづく思う。
「オレからもよろしく頼む、ベステル・ヘクセ殿」
「オレの我儘でスヴェンを巻き込んで申し訳ない、ベステル・ヘクセ様」
胸の前で剣を掲げる仕草で頭を下げたローデリヒも真剣な表情だ。実直と名高い騎士団長、エステン公爵の長男だけはある。貴族らしからぬ愚直さが見て取れる人柄は、嫌いじゃない。
「いいですか、ルカ様。ラウシェンバッハ辺境伯は
「やれやれ、わたくしの弟子が悪い顔をしているよ……」
皇都に近いラウシェンバッハ領を乗っ取りに近い形で手に入れるような人間を重要な地位に付けるのは、皇王とて望まぬだろう。冷酷で狡猾な皇王はこの機会に辺境伯の嫡男であるイェレミーアスに恩を売って、己へ強固な忠誠を誓わせたいと考えるはずだ。だから表向きには、イェレミーアスを救おうとするぼくらの邪魔はできない。
しかし、自分が手を差し伸べる前にぼくらが横からかっさらって行けば面白くないに違いない。表向きは皇王の意に沿ったと言い訳ができるし、嫌がらせにもなるし、実にいい。
「ラウシェンバッハを任せられる人材などそうそうありません。要所を任せるのです、皇王とて慎重になろうというものです。イェレミーアス様は十一歳。成人まで七年あります。大事な国境を守る人間を選ぶのですから、それくらいは待てるでしょう。ねぇ、ジーク様」
にっこり微笑むと、ジークフリードもローデリヒもごくりと喉を鳴らした。
「あとはぼくがどうやって皇宮を抜け出すか、なんですが……。さすがにベッテやヴィノさんやダニーまで連れて出ると目立ちますし」
「執事と料理人は政宮で食材を受け取るとかなんとかごまかせ。マウロを呼んで待機させればよかろう。乳母とラルク、ラルクの父はお前と一緒に政宮を訪れられるよう、当日オレが呼び出したことにしておく。他には何か、オレが手伝うことがあるか? スヴェン」
本当にジークフリードは変わった。思案顔で顎へ手を当てるジークフリードへ、破顔して見せる。
「ありがとうございます、ジーク様。十分です」
「オレは先にスヴェンのタウンハウスへ行き、待機していればいいんだな?」
「ええ。お願いします、リヒ様。近々のうちにパトリッツィ商会の者を侯爵家へ遣わします。詳細はその者を通じてお伝えすることとしましょう。そうですね、確かエステン公爵夫人は皇后陛下とお付き合いがありましたね? 皇后陛下のお茶会でフリューのことを知りお買い求めになられ、パトリッツィ商会と付き合いを始めた、というのはどうでしょう」
「分かった。母上にもお伝えしておく」
「よろしくお願いいたします。お礼としてエステン公爵夫人には、ぼくからささやかな品を贈らせていただきますとお伝えください」
エステン公爵夫人にも化粧水と保湿クリームのセットを贈ったら、発売前からさらに話題にならないかなという野望もある。どうせ皇王にケンカを売るのだ。もうこうなったら全部やるだけやりきってやる。できればろくでもない親どもに全部なすりつけてやるぅぅぅぅ!
笑顔を作りながら、ぼくは心に誓ったのであった。
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