第6話 芽吹き月

 いつもならテラスでお茶の時間だが、今日は皇太子殿下にもご遠慮いただいて応接室で客人の対応をしている。ボードゲームとフローエ卿を皇宮へ貸し出した。それほどにフローエ卿と皇太子殿下には聞かれたくない話をするのだ。

 パトリッツィ商会の、マウロさん。その横にとても萎縮した様子で立つ白髪頭の初老の男性に見せながら、紙へペンを走らせる。

「ですので、こういう感じの金具があれば同じ大きさの板をこう、重ねて収納できて、引き出すと広い面を確保できます。これを二枚作って、こことここを蝶番で繋げて、折り畳んで金具で止められるようにして取っ手を付けるとほら、小さくまとまるでしょう? すると子供でも持ち運びしやすくなるんですよ。だから板はある程度薄い方がいいんです」

 この世界にスライドステーという金具が既に存在すればいいのに。ないらしいから説明がめんどくさい。ぱたんぱたんぱたーんって折り畳みテーブルとかみたいにステーで繋いだ板が二つ折りにできて重なって収納できて平面になるんだよぉ! 蝶番とはまた違うの! 蝶番で繋げた部分を中心にこう、Wみたいになるようにね、金具をね、ああもうどう説明したらいいの! のでいつも通りにぼくは紙に図面を書いている。

「おお、そういうことですか! ぼっちゃんは本当に賢くていらっしゃる……」

 図面を覗き込んだ白髪頭のおじいちゃんは、マウロさんのところのお抱え職人であるリナルドさんだ。マウロさんが故郷から連れて来たというくらいだから、腕は確かなのだろう。

「で、こう……広げた時にコインやサイコロがゲーム盤の上から外へ出ないよう、縁を囲むように高さが欲しいんです」

「ふむふむ」

 リナルドさんはぼくが説明を始めると、緊張より興味が勝った様子で手元を覗き込んで来る。でもやっぱ緊張しているのか、くたびれた毛糸の帽子を絞るようにして両手で握り締めたままだ。

「それで、ゲーム内で使う人形のコマですが、これは彩色で別々の色を付けて区別ができるようにしてほしいんです。贅沢を言えば、この人形を乗せられる馬や馬車なんかもあるとゲームの指示に幅が出て面白いですね」

「それは簡単にできるでしょう。分かりました、作ってみます」

「わぁい、お願いします。それから、試作品は細工を作ってもらったらぼくが絵付けをして仕上げをします。コマに書く指示はぼくが考えます。その試作品をぜひ、職人さんたちで試してみて欲しいんです」

「わ、わしらで、ですか?」

 千切れそうに帽子を絞って、リナルドさんは体を真っ直ぐにしてしまった。苦笑いをして、皺だらけの手に触れる。

「そうです。職人さんだからこそ、実際に遊んでみて改善した方がいいところがあったら教えて欲しいのです。お願いできますか」

「へ、へい」

 マウロさんをちらりと見やる。職人たちにゲームをさせるとなると、おそらく指示が書いてある文字を読み上げる役が必要になる。ぼくの考えが理解できたのか、マウロさんは小さく頷いた。

「それまで何度かご足労いただくことになると思いますが、よろしくお願いします」

 ことさらあどけなく笑って見せる。ぼくは皇国で一番有名な子供だろう。『悪女レーヴェ』シーヴ・フリュクレフ公爵令嬢の息子。悲劇の恋人たちを引き裂いた証。それは皇国の民ならば、子供でも知っている。だからぼくは、誰よりも腰が低くなければならない。親切でいなければならない。善人のふりをしなくてはならない。隙を見せてはならない。先入観というのは恐ろしいものだ。悪役令嬢の息子という先入観があるというだけで、ぼくにとってはたった一つのミスでさえ命取りになりかねない。

 心配を他所に、リナルドさんは目論み通りあっさりとぼくの笑顔に騙されてくれたようだ。噂など当てにならない。そんな表情でぼくを見て、握り締めていた帽子を離した。

「こちらこそ、よろしくお願いします。お坊ちゃま」

「はい。こちらこそ」

 にっこり笑って足を揺らす。この世の椅子という椅子が全部ぼくサイズではないので仕方ない。なんていうか、単純にこの世界は贅沢っていうと食、服、家、らしくその他の技術は発達していない。服もそうなんだけど、家具も子供向けのものがない。誰も作ろうとしないらしい。子供向け玩具がいい例だ。

 この世界の玩具って、何故か最終形態がテーブルと一体型になるんだよね。テーブル一体型でやたらと豪華な装飾を施されたチェスボードを見て、ああこりゃ子供向けではないなって思ったんだ。そういえばビリヤードとかもテーブル一体型の室内遊具だよね。子供向けの、室外で遊べる玩具を考えるのもいいかもしれない。この世界にまだないスポーツとか、広めたら儲かるんじゃないだろうか。サッカーくじみたいに賭けをするのだ。一応、この世界にも馬場競技はあるし、競馬みたいなものもある。戦士たちに戦わせて賭ける闘技もあるから、スポーツマンシップを謳った競技を提唱するのもいいかもしれない。考慮しておこう。

「何かまた、面白いことを考えてるね? スヴァンくん」

「えへへ」

 ここは笑ってごまかしておこう。ルクレーシャスさんとは、後で個別に悪巧みをすることにしておく。

「マウロさんには、もう少し詳しいお願いがありまして。さ、お二人ともどうぞお座りください」

「はい。伺います、スヴァンテ様」

 二人はぼくの向かいに座って、テーブル越しに身を乗り出した。ベッテが二人の前にティーカップを置いたがマウロさんは気づかないで真剣な面持ちだ。リナルドさんはぼくの書いた図面とにらめっこしている。

「『偉大な物語グロースゲシヒテ』の貴族向けは、十個だけ限定品を作ります。ルカ様のサイン入りです」

「限定、ですか」

「ええ。金額は同じで、ルカ様のサインが入ったものを先着で販売するんです」

「金額は同じで? ……! 話題作りと宣伝を兼ねている、のですね? やはりスヴァンテ様の発想は素晴らしい!」

 前世の知識だから、ぼくが賢い訳ではないんだよね。目を輝かせてメモをしているマウロさんを見ると罪悪感が半端ない。でも緊張は解けたようだ。初日は大分、緊張していたんだろうな。マウロさんとは長い付き合いをしたいから、できれば信頼関係をゆっくり築いて行きたい。

「そうです。それとは別に、皇王への献上品として特製の物をそれぞれ二つ、作っていただきたいのです」

「と、申しますと?」

 メモの手を止めて顔を上げたマウロさんに、眉を下げて見せる。

「皇王陛下用と、皇太子殿下用です。貴族向けよりさらに豪華な素材で製作していただけますか」

「ああ、皇太子殿下が床に転がって駄々を捏ねてたもんね……」

 ルクレーシャスさんがため息を吐いた。ため息を吐いた後、スティックパイを頬張ったのでそれ以上は喋れずもごもごしている。

「献上しないと、多分お拗ねになりますね……。ですので、献上品のコマ用の人形の青いもののみに王冠を被せてください。皇太子殿下専用です」

「皇太子殿下は、青がお好きなのですか?」

「ええ。いつも青いコマを選ばれるので、ぼくの作ったボードゲームでは青は皇太子殿下専用になっています……」

 そう。皇太子殿下はいたくボードゲームがお気に召したようで、皇太子用の様々な授業をサボってまで離宮へやって来てゲームをしていくのだ。おかげで皇太子殿下とラルクはすっかり仲良しである。商品化するなら自分に献上せよと昨日、床に転がって大暴れしたばかりだ。

「なんと! よいことを聞きました。謳い文句は『皇太子殿下もお気に入り』! これは売れますぞ!」

 マウロは飛び上がって揉み手をした。さすが商人、商機は見逃さない。

「それで、平民向けの木製ボードゲームの試作品から本採用が決まったら、貴族用は適当に高い材料で作成してください。ボード本体の素材は象牙とか、コマ用の人形を色違いの宝石で作るとかでいいんじゃないでしょうか」

「……そうですね、宝石職人にも声をかけます」

 適当になったぼくの口調に、マウロさんはメモを取る手を止め顔を上げた。気にせずさらに続ける。

「下らないけど、ゲーム内で使うコインを金や宝石で作るとかもいいと思います。貴族用の馬車をガラスや水晶で作ったり、馬を革張りにしたり、とりあえず平民向けと差別化を図ってください。でないと納得しない人が居るでしょうから」

「貴族って、見栄を張るのが好きだからねぇ」

 呆れたようにルクレーシャスさんが呟いたけど、スティックパイを口いっぱいに頬張っているから、もごもごとしか聞こえない。一方、マウロさんのメモをする手の速度は加速するばかりだ。情熱がすごい。

「まぁ、貴族向けは貴族の虚栄心さえ満たせそうなら木の板に大理石を貼り込むとかでもいいんですけど。その辺りは職人さんにお任せします。どちらかといえば、ぼくは平民にこそこの商品を手にして欲しいんです。今はまだ、理想ですけど。いつか平民もみんな読み書きができるようになって、このゲームで遊んでほしい。ぼくは、そう願っているんです。けど今はまだ無理でしょう。だから、少しでもこのゲームで読み書きや計算に興味を持ってもらえたらと思うんです」

「……その、何故だかお伺いしてもよろしいでしょうか、スヴァンテ様」

 マウロさんの疑問ににっこりと微笑む。それからゆっくり、頭を傾けた。

「ボードゲームの売り上げが貯まったら、孤児院を作ろうと思います。そこの子供たちには読み書きはもちろん、計算や色んな知識を教えようと思っています。そうすれば理不尽に搾取される子が減ります。人は国の宝です。民が居ない国でどれだけ王だ、貴族だとふんぞり返っても何の意味もありません。国民の知性が底上げされれば、国の力も底上げされます。これはそのための、第一歩なんです」

 滅ぼされ、民を取り上げられた王族の末裔が言うのだ。何より重い言葉だろう。

「……スヴァンテ様……」

 マウロさんは瞳を潤ませてメモを取る手を止めた。マウロさんへ顔を向け、不自然なところがないよう、できるだけ子供らしくジュストコールの裾を弄って見せる。

「だから、利益は貴族向けで上げられるだけ上げましょう。貴族の虚栄心を満たすような素材をどんどん使ってとことんやっちゃってください。平民向けはきっと、販売数は見込めないでしょう。けれど、平民向けこそ安い素材で工夫して長く遊びやすく。そんなものをお願いしたいのです」

 ぼくはね、決めたんです。ルクレーシャスさん。

 巣を奪ったカッコウの雛は、自分を我が子だと思って必死に愛情を注ぐ哀れな親鳥に何を想うだろう。我が子を奪われたことすら気づかない、我が子に興味すら抱かない、我が子の顔すら知らない親鳥は一体何を想うだろう。本来ならここに居たはずの、本物のスヴァンテ・フリュクレフなら何を想っただろう。ぼくにできる贖罪は一体、どんなものだろう。

 いずれにせよぼくはこの物語を知らない。だから物語を正しく導くこともできないし、してやる義理もない。

 ならば、より良く幸せにできるだけ長く生きてやる。

 見知らぬ君を幸せにするよ。スヴァンテ・フリュクレフ。それが君という人間の人生を奪った、ぼくというカッコウのできる唯一のことだろう。

 まずは君の名誉を回復する。ぼくがこのままスヴァンテ・フリュクレフとして生きて行くにしても、いつか本物のスヴァンテ・フリュクレフが戻って来るにしても。この先の未来が、より良いものであるように。

「かしこまりました。できるだけスヴァンテ様のご希望に添えられるように努めさせていただきます」

「いいんですか。ぼくは今、ぼくの悪巧みにマウロさんを巻き込もうとしているんですよ?」

 頬に手を当て、おっとりと首を傾げる。マウロさんはふくよかな頬を緩ませ、声を上げて笑った。

「いいじゃありませんか、夢があって。悪巧みを悪巧みと言える悪党はおりませんよ、スヴァンテ様。このマウロ・パトリッツィ、喜んでスヴァンテ様の悪巧みに加担させていただきます。孤児院建設の際も、ぜひこのマウロに御下命ください」

 ぼくの足元へ跪き、マウロさんは胸へ手を当てた。この人は、ルクレーシャスさんと同じくまともな大人かもしれない。

「とにかくぼくは離宮の外に味方がいません。しばらくはマウロさんに無理を言うことになるかもしれませんが、よろしくお願いします」

「承知いたしました」

 ぼくを仰いだマウロさんの瞳は、幼子を愛おしむ色をしている。マウロさんの胸に置かれた手へそっと手を重ね、顔を覗き込むように体を傾ける。

「お願いしますね」

 上半身を起こし、リナルドさんへ顔を向ける。それから明るく無邪気な声を出す。

「リナルドさんも、無理をお願いすることになると思いますが、よろしくお願いしますね」

「はい、お坊ちゃま」

 打ち合わせが終わり、フレートに案内されて応接室を出るマウロさんとリナルドさんを見送ってすっかり冷めた紅茶へ口を付ける。ルクレーシャスさんが口の周りにパイの食べかすを付けたまま、ぼくへ顔を向けた。

「美談にしましたねぇ」

「ええ。ぼくは離宮の外に味方が居ない。だから恩を売って孤児院の子供たちから味方にしていく。未来への投資です。人材は宝だ。口を開けて待っていれば望む人材が向こうからやって来るわけじゃない。だから孤児院を隠れ蓑にして育てるんです。ぼくに忠実で、優秀な人材。裏切りの可能性が限りなく低く、買収される確立の低いぼくの味方。これはぼくがまだ幼いからできることです」

 答えて頷くとルクレーシャスさんは片方の眉を上げ、肩を落とした。

「君は損な性分だね。わざと自分が悪いような言い方をする」

「十分小賢しいと思いますよ。人は自分を悪党だ悪党だと宣う人間をその通り疑うことには罪悪感を覚えて躊躇う。だからぼくは、善意に満ちた疑いにくい悪党でなければなりません。やり過ぎず、しかし確実に進めなければなりません。ぼくの立場はいつだって危うい」

 生存確率を上げるためなら何だってするよ、だってじゃないとほんと何があるか分かんないからね。ルクレーシャスさんは眉を寄せてぼくの手を両手で包んだ。

「大人たちが君を、そんな風にしたんだよ。……見ていられない」

「大丈夫ですよ、ルカ様。ぼくはそんなに悲観してはいないんです」

 ぼくは生まれてからもう数えきれないほどの、何度目かの嘘を吐いた。躊躇なんてしていられない。打てる手は全て打たなければいけない。だって、逃げ場なんてどこにもないのだから。

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