第7話 実り月の終わり ~長い冬の始まり~

 誰も信用できない。本当の意味で心を許してはならない。そうしてようやく五年経った。初めの三年はほぼ何もできない幼児だったので歯がゆい思いで過ごした。いや、過ごすしかなかった。寝たきりの赤ん坊があれだけちょっとしたことで泣くの、すごい分かる。すぐ眠くなる、すぐお腹が空く、体の感覚が鈍い、体が思うように動かせない。超ヒマ。全てが不愉快。なんもやることない。言葉を話せるようになって、転生チートで文字が読める! とかもなかったから文字を習って、そこから死に物狂いで離宮にある書物を読み漁った。その次はこの国の現状を知るためにありとあらゆる新聞を読み漁った。とはいえ、貴族階級しか読み書きができないので、皇国に存在する新聞社は四社のみ。しかも全てが貴族の所有である。もちろん、記者も貴族だ。だって平民は文字が書けないから。そんなわけで所謂ゴシップ誌なんてものはない。紙は高価だから、当然新聞の価格も高い。皇国の公文書ですら一部は木簡である。

 というわけで、貴族はお茶会を催す。サロンを運営する。横の繋がりで、情報を収集する。それが一番手っ取り早いからだ。だが所詮は玉石混交ぎょくせきこんこう。人の噂話の域を出ないものもある。だから離宮から出られないことはかなり痛い。

 未だぼくは、この世界がどんな物語の中なのか分からないでいる。だってこんな設定のいい加減な世界、日本人の考えるエセ中世ヨーロッパしか有り得ないもん。いい加減なとこ、本当にいい加減だなってびっくりする。

「新しいスポーツを、広めようと思うんです」

 いつも通りテラスでのアフタヌーンティーの時間。そろそろテラスでお茶を飲むのは寒い季節になって来た。マウロさんにボードゲームの製作を頼んでから、四カ月ほど経つ。ラルクはヴィノさんの手伝いで落ち葉を集めたり、寒さに弱い樹木への世話で忙しい。

 大陸の西に位置する聖テステュイエ神国の古代遺跡で発見された碑文の解読文が発表されたので、その内容について一通り話し合った後、切り出した。

 ルクレーシャスさんは目を丸くして、それから紅茶を一口含んでティーカップを揺らした。それからにやりと笑う。

「スポーツ、とは?」

「メサムのような競技ですね」

 この世界にも一応スポーツはある。フットボールに似た「メサム」という競技だ。他にも乗馬、水泳、弓や投石器による射撃、やり投げ、狩猟や重量挙げなどがある。しかしそれらは主に、騎士たちが鍛錬の一環として行っている。レスリングや闘技は平民にも浸透していて、賭けも行われているがスポーツという感じではない。闘技場で賭けや賞金目的で剣闘士になる平民も存在している。だが純粋に娯楽のためだけのスポーツというものが存在しないのだ。

 ぼくが目指すのはフェアプレイを掲げた、血生臭くない娯楽としてのスポーツである。

「例えばですね、こういう風に木の枠を作って、そこにこう、蔓とか糸とか……ヴァイオリンの弦って、確か羊の腸でできてるんでしたっけ。ならそれをこう、交互に張ってですね。ボール……は再現が難しいか。えっと、じゃあこういう羽を付けて先に錘を布で包んだ物を打つんです。できるだけ落とさないように。先に羽を落とした方が負け。これなら力のない子供やご婦人でも楽しめる。どうでしょう?」

「まったく、スヴァンくんはいつも面白いことを思いつきますねぇ」

「ぼく、なるべく早く資金を貯めて離宮を出て行きたいんです」

 五本指の先だけをちょいちょい、と動かして付けたり離したりを繰り返す。こんな仕草が癖の探偵を演じる役者が居たな。これ、賢い坊ちゃんが神経質に思考を巡らせてる感が出ていい。こういう子供っぽさは必要だろう。自分の発言が子供らしくないことには自覚がある。

「……それはどうしてか、聞いてもいいかい?」

「さすがにここで民の血税を使い続けるのも気が引けるので。あと、ここで長く過ごせば過ごすほど、皇王陛下に借りが積み重なり続けるじゃないですか。得策ではないと思うんです」

 すう、と息を吸う音が聞こえる。ルクレーシャスさんの言いたいことは聞かなくても分かった。だから小さな手を上げて遮る。

「そう、ぼくが払うべき借りではありません。しかし親が支払わない借りは、子に取り立てが来るのが世の中の常では? それが分かっている負債を積み重ね続けるのがバカらしいのです」

 ぼくを助けるか助けないかを天秤にかけ、助けることで得られる利益を冷静に見極めた上で離宮へ隔離していること、現皇王が為政者として冷酷な人間であることを、ぼくはよく知っている。そして両親はそんな貴族的駆け引きが苦手な人たちだからこそ、利用されてしまったのだということも分かっている。その結果、フリュクレフ公爵令嬢はどうなっただろう。新聞社が少なく閉鎖的な貴族社会に於いて、社交界とは貴重な情報収集の場である。その社交界から実質、追放されてしまった。貴族としては致命的である。ぼくまでそうなるわけには行かない。

 ああ、スヴァンテ・フリュクレフ。ただの五歳児だった君なら、きっと気づいた時には手遅れだっただろう。だが幸運にもぼくは中身が二十五歳成人男子だ。だからやれるだけのことをやる。

 ルクレーシャスさんは耳の横の髪をかき毟り、それから眼鏡を外した。シャツの裾で眼鏡を拭きながら、ぶつぶつと吐き出す。

「ほんと、君の周りの大人は禄でもないヤツばかりで腹が立つ。でも君は、今の時点でわたくしがわたくしの棲み処においでと言っても『うん』とは言わないだろう。本当に……慎重な子だ……」

「ルカ様に甘えるのは、本当に緊急時の最終手段にしたいんです。頼りにしています」

 離宮と皇宮は庭で繋がっている。その境には門があり、そこには門兵が二人見張りをしている。離宮の出入り口はそこしかない。その庭の方から、ぼくを呼ばう声が聞こえて来た。

「スヴェン! スヴェンはいるか! ラルク! 庭にいないのか!」

 護衛騎士三人を連れた皇太子殿下、ジークフリードである。

「うへぇ……」

 ジークフリードが噴水の向こうを歩いて来る姿を見るなり、ルクレーシャスさんはあからさまに嫌そうな声を出した。いつでも逃げ出せるよう、眼鏡をかけ直している。

 ぼくに続けて呼ばれたラルクは、すっかり葉っぱだけになったモッコウバラの日陰棚パーゴラの上からひょい、と顔を出した。

「なんかようか?」

「おお、ラルク。今日はな、スヴェンとお前にしょうたいじょうをもって来たのだ」

 しばらく勉強をサボってまでボードゲームをしに来ていたジークフリードだが、さすがに皇王に咎められたらしく、久しぶりである。しかし招待状とは。文字を習い始めたんだね、ジークフリード。

 ラルクと共にテラスのいつものテーブルへやって来たジークフリードは、自慢げにぼくへ封筒を差し出した。

「こうぐうの、オレのへやへのしょうだいじょうだ。ほんらいなら、めしつかいにもって来させるものだが、お前はゆうじんだからとくべつにオレがみずからもって来てやったのだ。どうだ、ありがたいだろう!」

「誠に光栄の極みでございます、殿下」

 椅子を下り、左足を一歩引いて胸へ手を置き頭を垂れる。ジークフリードはさらに得意満面といった表情で封筒を上下させる。うーん、この皇太子ちゃんとマナー教育を受けているのだろうか。皇国内の貴族は言うに及ばず、よしんば他国の王族にこんな態度取ったら外交問題だが、誰も叱る人がいないのだろうか。心配になってきた。

「殿下、僭越ながら申し上げてもよろしいでしょうか」

「なんだ」

「殿下より直々のお誘い大変に光栄ではございます。もちろん、わたくしと殿下は格別の仲でございますので構いませんが、わたくし以外にこのような所作で招待状をお渡しになってはなりません。大変な失礼に当たります。他国の方にこのようになさっては、殿下の品位、ひいては皇国の品位を疑われてしまいますゆえ」

「……っ!」

 護衛騎士たちに緊張が走る。だってジークフリードは我儘放題のバカ殿下って皇宮の使用人たちの間で有名だもん。離宮から出ないぼくの耳にも入るくらいだ。

 絶対に暴れるだろうなぁ。最悪、殴られるぐらいは覚悟の上だ。正しいことを教えてもらえないのは不幸だ。そうして積み重なった無知というのは、その子の周りの大人の罪である。ジークフリードはちらり、と我関せずとばかりに紅茶を飲むルクレーシャスさんを見た。ルクレーシャスさんは初めに「あの子、嫌い」と言ってから、ジークフリードへ視線を投げかけることすらしない。

「……そうか。スヴェンがいうのなら、そうであろう。すまなかった」

 意外にもジークフリードはあっさり頷いた。びっくりして一瞬固まってしまったよ。どうしたんだ、どんな心境の変化があったんだ。

「いいえ。招待状はありがたく頂戴いたしますね」

 ことさら大げさに両手のひらを上へ向け、ジークフリードが差し出した封筒を受け取る。するとジークフリードは、ぼくへ向けてもう一度空いた手を差し出した。

「どのようにわたすのがよいか、スヴェンがやって見せよ」

「そうですね、自国の貴族ならばこうして、受け取りやすいように差し出せばよいでしょう。先ほどのように、受け取ることを催促していると捉えられるような上下させる行動は失礼に当たります」

 片手で受け取りやすい位置へ差し出す。ただそれだけでいい。なのにわざわざ相手の気を悪くさせるような行動をしたのだと、誰もこの皇太子に教えていないのだ。

「うむ。かんたんではないか」

「そうですね。例え目下の者が相手でも、失礼なことをしてはいけません。殿下はいずれ、皇になられるのですから。皇といえど、貴族の支えなくして国を動かすことはできません」

「……なぜだ」

 あおい瞳が真っ直ぐにぼくへ問いかけた。この子は、決して愚かではない。そんな気がして、ぼくも彼へ向き合うことにした。

「殿下お一人で、全ての国務を担うことはできませんね?」

「お……うむ」

「殿下が腕を見込んで大臣に採用しようとした貴族に、失礼な態度を取り続けていたらどうなりますか」

「……きらわれる、か?」

「殿下は殿下へ失礼な態度を取る者の言葉を、お聞き入れになられますか?」

 ジークフリードは顎の下へ手を置き、しばし沈黙した。碧の瞳が真っ直ぐに、ぼくを見つめ返す。

「……スヴェンのいいたいことはわかった。気をつける」

 少し項垂れたジークフリードに言いすぎただろうかと心配する。ちょっと前まで床に大の字になって暴れていたのが嘘みたいだ。

「お分かりいただけたのなら幸いです」

「うむ」

 素直に頷いたジークフリードに、護衛騎士も安心したようだ。体の力を抜いたのが見て取れた。テラスに置かれたテーブルセットの椅子を引いて、手で指し示す。

「よろしければ殿下、お茶を用意させますがいかがですか」

「うむ。茶が来るまでのあいだに、つづきをおしえよ」

「続き、ですか」

「うむ。あいてがたこくの王族であったら、どうする」

「お相手が他国の王族であった場合はこことここに両手を添えてお渡しするか、侍従がトレイに載せて準備した場合はトレイを両手で掴んで差し出すのがよいでしょう。大抵の場合はトレイに書状を載せて差し出すことになりましょう」

「ふむ。そういえばちちうえがそうしておったな」

「さらに殿下、お相手が他国の姫君であった場合は、あえて殿下が膝をついてお渡しすると姫君も早くお心を開いてくださるでしょう。その時に『麗しの○○姫、お受け取りください』などとお声を添えるのもよろしいかと。女性には、少し大げさなくらい親切に優しくするのがコツでございます」

 姫君の話をし始めた途端、ジークフリードはもじもじし出した。頬を赤くして、顔を逸らしている。

「……それをすれば、モテるのか」

「はい。殿下の評判が上がります」

 お、おませさんめ。ぼくは至極真面目な表情を作って頷いた。

「ブッ」

 ルクレーシャスさんが笑いを堪えて横を向いたが、間違ったことは言っていない。皇族だから、ジークフリードは他国の姫と結婚する可能性だってある。優しくしておくに越したことはないだろう。護衛騎士たちも笑いを堪えて肩を揺らしている。テラスの入口から、ワゴンが移動する音がした。ベッテが茶を運んで来たのだろう。振り返るとベッテが一礼するところだった。フレートへ視線を送る。脇へ移動して来たフレートへ招待状を渡した。これでぼくの部屋へ招待状を置いて来てくれるだろう。

「招待状は、のちほど確認させていただきますね。さ、殿下。お茶をどうぞ。本日はディータムナル産のセカンドフラッシュでございます。味がしっかりしておりますので、ミルクティーでご用意させていただきました」

「ふむ。スヴェンは茶にもくわしいな。なによりここのかしはうまい!」

 ルクレーシャスさんがぼくを椅子に座らせてくれる。ぼくを椅子に座らせると、素早くぼくの向かいに戻って行った。これは観戦の構えだな。ぼくは体ごとジークフリードの方へ向き直って、話を切り出す。ジークフリードがやって来た理由は、本人の口から聞くまでもないからだ。

「殿下、二週間後にボードゲームが発売になります。殿下への献上品を、冬木立の月の七の日にお渡ししたいと思っております」

 デ・ランダ皇国の暦はほぼ日本と同じだ。ただ、正月に当たる月は日本で言う二月になる。夏が短く、八月の中旬にはすでに秋である。代わりに冬が長く、三月頃まで雪が降るし五月はまだ寒い。五月になっても、日本では三月くらいの気温である。違いは月の名前が「花霞の月」とか「雨水の月」など、数字ではないことくらいだ。

 マウロさんとリナルドさんは、あれからたった一ヵ月ほどで試作品を作り、その中から選んだものを三カ月で販売に漕ぎ付けたというわけである。マウロさんにお願いして良かった。

 つまり、発売日よりちょと前に献上品を渡すという話はすでに通っている。通っているのだが、子供らしいジークフリードは念押しにやって来たというわけだ。

「うむ。たのしみにしておる。今日のしょうたいじょうは、そのけんだ」

「ボードゲームの件、ですか?」

「うむ。けんじょうひんのボードゲームを、じじゅうこうほのしそくたちに見せてやろうと思う。その時にスヴェンをしそくたちにしょうかいしてやろう」

 なるほど、献上されたボードゲームをいち早く侍従候補の子息たちに自慢したいというわけだ。なんせジークフリードはぼくの作ったボードゲームを何度も遊んでいる。自分に優位と踏んだのだろうが、それだけでは心配なので製作者のぼくも呼ぶのだろう。

 ジークフリードのこういう子供らしいところは、とっても分かりやすくて嫌いではない。

「わたくしの他にご招待なさっておられる、子息方のお名前を伺ってもよろしいでしょうか」

 ジークフリードの侍従候補だというのだから、皆それなりの爵位を持つ名門貴族の令息だろう。失礼があっては困る。先に名前だけでも頭に入れておかなければならない。

「うむ。あとでオーベルマイヤーにしょうさいをつたえるようにもうし付けておく」

 オーベルマイヤーとは、ジークフリード付きの執事である。オリーブグリーンの瞳がくりんと丸い、愛嬌のある顔立ちをした赤毛の男だ。初めて顔を合わせた時、「公子様と僕は、同じ髪の色ですね」と人懐こい笑みを浮かべていた。

 まだ三十代前半だというのに両耳の上の赤毛が一房、見事に白髪と化しており、苦労が窺えるので何となく声をかけてしまう。そういえば今日は追いかけて来ないんだな。

 なんて考えていたら、噴水の向こうに赤毛がちらちらと見えた。

「殿下ぁ、お戻りください、殿下ぁ~!」

 ああ、やはり何かの授業を抜け出して来ていたのか……。よろよろと駆け寄るオーベルマイヤーさんを眺めながら、ベッテへ声をかけた。

「ベッテ、オーベルマイヤー様にもお茶の準備を」

 なんだろう、よろよろと走るオーベルマイヤーさんは何かに似ている。

「失礼いたしました」

 声に振り返るとルクレーシャスさんのティーカップにおかわりを注いでいたベッテが、ティーポットの注ぎ口へ布巾を当てていた。ベテランメイドのベッテがお茶を零すような失態はしないだろう。零しそうになったから、布巾で防いだのだ。だが布巾を当ててしまったので、ティーポットを変えるようだ。

 何気なく、ティーセットを運んで来たワゴンの縁に置かれた布巾へ目をやる。少しだけ、紅茶が付着して茶色くなっていた。その布を見た瞬間、申し訳なさでまさに落雷を受けたような衝撃を感じてしまった。

 ああそうだ、オーベルマイヤーさん……。どんどんくたびれていく、雑巾に似ている……。

 ぼくはオーベルマイヤーさんに、お菓子も振る舞おうと心に決めた。

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