第10話 冬木立の月 ⑶

 さっそくロマーヌスがサイコロを転がす。暖炉の中で薪が爆ぜる音がした。

「ルーレットは必ずしも毎回回すわけではないのですね……。ボクはサイコロが二だったので二マス進んで……ダンジョンでゴブリンと遭遇! ルーレットを回して偶数が出たら勝ち……?」

「偶数とは、二で割り切れる数のことです、ロマーヌス様。例えば二、四、六などですね。逆に一、三、五は二で割り切れない奇数となります」

「なるほど。これは勉強になりますね、スヴァンテ公子」

「早くルーレットを回してくれ、ロン」

 待ちきれない様子でローデリヒが急かす。ロマーヌスが回したルーレットを、全員が息を飲んで見守る。

「……三だ! 奇数だから負け、一マス戻る……うわぁ、一マス戻ったら一回休み……」

 がっくりと肩を落としたロマーヌスの背中を叩いて、ローデリヒが豪快に笑う。

「あはは、残念だったな、ロン。次はオレだ……四が出たから……森でエルフから馬をもらう……」

「では、こちらの馬のコマをどうぞ。『一回休み』の指示をパスすることができます」

 説明をしつつ、馬のコマをローデリヒへ渡した。今日はもう、ホスト役に徹することに決めている。

「やった! 面白いな、これ」

「うむ。次はオレだな。六だ! なになに……どうめいこくの王からしえんきんを六百ヴァイツたまわる……。スヴェン、きんかを六枚くれ」

 お、数字も習い始めたのか、それともサボるのをやめたからか。ジークフリードへ金貨を六枚渡したが、どうしても生暖かい目で見てしまう。自分の思い通りにならないとあんなに大暴れしてた子がルールを理解しているよ。ゲームを作ったこと、無駄じゃなかったね。一番年上のバルタザールは以前のジークフリードのダメさ加減を知っているらしく、驚いた表情で見ている。

「次はバルタザールだぞ」

 ジークフリードに急かされて、ようよう、という様子でバルタザールがサイコロを転がす。

「え、ええ……。三が出ました。えっと、リザード族のヒーラーが仲間になった。毒を回避できる……」

 ぼくはリザード族のヒーラーが描かれているカードをバルタザールへ渡した。これもぼくが描いたものだ。販売するものには、画家が描いたものが付く。

「ジーク様の献上品の絵は全部、ぼくが描いたものなんですよ」

「……よく、出来ている」

 カードをまじまじと見つめながら、バルタザールが呟いた。

「お褒めに預かり光栄です。ちなみに勇者を仲間にするとダンジョンに入って一回休みになることを回避できますし、魔法使いを仲間にすると橋のかかっていない川や燃え盛る山を渡ることができて迂回せずに済みます。他にもありますから、都度説明いたしますね」

 ちなみに我らが麗しの偉大なる魔法使い様の絵は、ルクレーシャスさんから何度もダメ出しを食らった。他の誰でもない本人監修なのだから、かなりいい出来になっている、はず。こんなに切実に己が創作を嗜むタイプのヲタクで良かった、と思ったことはない。まぁ、モデルもいいからね。ルクレーシャスさん美人さんだし。

「じゃあ次はおれだね……いち……」

「あはははは、しょっぱなから一回休みかよティモ!」

「うわぁん、ひどいよリヒのいじわる」

 ローデリヒはどうやら、ムードメーカー的な存在らしい。やんちゃな兄貴分といったところか。

「じゃあ、つぎはオレが」

 ラルクは慣れた手つきでサイコロを転がす。七だ。ぼくが説明せずとも、七つマスを進めて、ぼくを振り返る。文字はまだ習っている途中だから、読めないんだよね。

「炎の山を越える。魔法使いがいなければ、迂回しなければならないから次はこっちへ進んでね」

「わかっ……りました」

 遊びに気が回っているせいか、敬語が怪しくなって来てるぞラルク。大丈夫か。もうちょっとだ、がんばれ。

「君の侍従は数字は分かるのだな」

 バルタザールがぼそりと呟く。独り言ということにしてもいいが、ぼくはきちんとその問いに答えた。

「元々このゲームは、ぼくがラルクに数字を教えるために作ったものです。それと、ラルクはぼくの乳兄弟で侍従ではありません」

 ラルクは侍従ではない。そう伝えた瞬間、バルタザールは驚いた顔をした。そりゃそうだ。金のない名前ばかりの公爵家であるフリュクレフ家が、貴族の令嬢をメイドや乳母に雇えるわけがない。つまりベッテもヴィノさんも下級貴族ですらない平民である。だから勉強を教えるとしたら、ぼくが教えるしかないのだ。

「……そう、か。マスの指示も、君が考えたのか」

 いつの間にか、バルタザールはぼくの隣に座っていた。なんだよう。さっきあからさまに喧嘩売ってたのに。

「そうですね。マスの指示を考えたのも、この献上品に限って、指示を書いたのもぼくです」

「これは君の字か」

「ええ。力がなくてちょっと情けない文字しか書けないのですが」

「そんなことはない。細いが……綺麗な字だ」

「お褒めいただくと気恥しいですね」

 ゲームが白熱して来たのか、みんなラグの上へ寝そべったり胡坐をかいたりして、少し打ち解けて来たようだ。主にローデリヒとラルクが大きく声を上げて笑ったり、大げさに悔しがったりして回りを和ませているようだ。ラルクがマスを進めると、誰ともなくマスの指示を読み上げている。いずれも後継者教育を受けている令息たちだ、ルールを理解するのも早い。ぼくがつきっきりになる必要もなくなって来た。そのせいか、バルタザールは何かとぼくに話しかけて来る。

「川や火の山を渡るのに、魔法使いが仲間になっていないと迂回しないといけないのはおもしろい」

「困難な旅ほど、ゴールが楽しみになるものでございましょう?」

「そうだな。みな夢中になっている。常にルーレットを回すのではないところもいい。私はまだ、ルーレットを回せていないが」

「これからジーク様にゲームで遊ぼうとお誘いがあることと存じます。そのうちルーレットを回す機会も訪れましょう」

 目はゲームの盤面を見つめ、バルタザールはゲーム用の金貨を手の中で転がしながら続ける。

「ベステル・ヘクセ様が君を弟子だと言っていたな。魔法を習っているのか」

「いいえ。ぼくには魔力が一切ないので、魔法理論や魔法陣式展開学を習っています」

「魔法理論? ファビエン・バーゼルト氏の新しく発表した論文は読んだか?」

「ええ、大変興味深いものでしたね。先日もルカ様と、あの理論を元にすると魔力の系統や量、才能が遺伝しない理由が説明できるという話をしていました」

「君もそう思うか」

「ええ。そうなるとやはり、能力の高さは偶発的な要素が否めないので魔法使いは国で保護するべきでしょうね。鍛錬でどこまで能力が上がるか、という問題についてはぼくは魔力がないので何とも言えませんが」

「……薬学についてはどうだ?」

 やっぱり腹の探り合いだったか。笑みを崩さない。動揺した様子など見せてはいけない。フリュクレフ女王の末裔である、フリュクレフ公爵家は薬学に関わることを禁じられている。つまり、フリュクレフの姓を名乗る以上、ぼくは薬学に関わることはできない。

「……それはぼくには許されておりませんので」

「……」

 簡潔に答えて、ラルクへ金貨を渡す。ゲームに夢中で、ぼくとバルタザールの会話を誰も気にしていないようだ。

「ただ、花を愛でるのは好きですよ。ぼくには許されていることが少ないので、できるのはそれくらいですが」

 金貨を弄っていた手を押さえられ、顔を上げた。バルタザールと目が合う。彼は少しだけ瞳を揺らし、それから目を逸らす。虹彩は最後にぼくの唇の左下へ流れた。

「君は……殿下にはもったいない」

「買いかぶりすぎでは?」

 目を伏せて笑って見せる。バルタザールが何を考えているか分からない。ゲームを始めるまではあんなに敵意剥き出しだったのに。慎重に対応しなければ。離宮を出る前に怪しまれることは避けたい。

「スヴァンくん、少し休憩してはどうだい」

「あ、はい。みなさん、少し休憩しませんか。離宮からお菓子を準備して来たのですよ」

 ルクレーシャスさんが声をかけてくれてほっとした。バルタザールの真意が読めない。少し考えを整理して、落ち着きを取り戻す時間がほしい。

「うむ! スヴェンの作るかしはうまいんだ! 今日はみな、運がよいな!」

「君が、作ったのか?」

 何で喋りかけて来るかな。バルタザールへ、作り笑いで答える。

「ええ。ぼくの趣味なんです」

「菓子作りがか?」

「ええ。料理が趣味なので。錬金術も台所で生まれたと申しますでしょう?」

 答えて立ち上がった。これ以上、話しかけないでほしいな……。どうして急にぼくに興味を持ったんだろう。ルクレーシャスさんが、魔法でしまってあったお菓子を出してくれた。受け取って、皇宮のメイドに渡す。今日は追熟した洋梨のタルトだ。子供たちが食べやすいよう、一口サイズで作ってある。

「うまい! こんなにうまいお菓子、食べたことないぞ」

「本当だ、おいしい!」

「……うん。美味い、な……」

「そうだろう。スヴェンは料理がじょうずなのだ」

「すごいな。スヴァンテ公子をオレの嫁にほしい」

 ローデリヒの感想に、フローエ卿が吹き出した。ほんとこの人もいい加減な仕事してるよな。ぼくはありがたいけど。

「リヒ。スヴァンテ公子に失礼だぞ」

 ゲーム始めるまで散々失礼だったのは君の方だよ、バルタザール。喉まで出かかった言葉を飲み込み、どうにかにっこり笑みを作って紅茶を口へ含む。

「構いませんよ。また機会があれば、腕を揮わせてください。エステン令息」

「リヒでいいぜ、スヴァンテ公子。めんどくさいからオレもスヴェンって呼んでいいか?」

「ええ、どうぞ」

 作り笑いをしすぎて頬が攣りそうだ。しかし笑みを貼り付けておっとりと頷く。

「図々しいぞ、リヒ」

「なんでお前が不機嫌なんだ、バルティ」

 この二人は仲がいいんだな。九歳と十歳で年も近いし、宮廷騎士団の団長と宮中伯だから親同士も交流があるのだろう。当然と言えば当然か。ローデリヒ自身はいいヤツっぽいけど、気を付けるに越したことはないだろう。

「この、洋梨は普段私が食べるものより甘い気がするのだが」

 だからどうしてバルタザールはぼくへこんなに話しかけて来るんだろう。嫌いならほっといてくれればいいのにさぁ。イライラが顔に出ないよう、一層作り笑いを貼り付ける。

「ああ、それは離宮の庭で採れた洋梨を、風通しの良い場所に置いて追熟してあるからですね」

「追熟?」

「ええ。果実によっては温かい場所に置いたり、涼しい場所に置いたりと様々ですが、追熟することによってより甘みが増すものがあると書物で目にしたので試してみたのです」

「……君はそんなことも知っているのか」

「本を読むくらいしかすることがありませんので」

 素直に褒めてくれているのか、それとも何か裏があるのか。貼り付けた笑みが剥がれ落ちそうだ。ああ、早く離宮に戻ってベッテの紅茶が飲みたい。ぼくの考えを察したのか、ルクレーシャスさんがジークフリードへ声をかける。

「殿下。スヴァンくんは少々疲れたようです。もうスヴァンくんがルールを説明しなくても、皆さんゲームは理解なさったようですし、わたくしたちはこれで失礼しようかと思いますが」

 元々、昼食までには離宮へ戻ろうと思ってたんだ。ルクレーシャスさんに付いて来てもらってよかった。

「そうか。スヴェンは体が弱いのであったな。うむ。こんどはオレが会いに行くからな、スヴェン。ようじょうするがよいぞ」

「あ……」

 バルタザールが何か言いたげにぼくを見た。気疲れするからこれ以上、バルタザールと会話したくないぼくは気が付かなかったふりをした。

「そうだな、こんなに細っこいもんな。風邪引くなよ。また遊んでやるからな、スヴェン」

 えっ。いつからぼくは体が弱くなったのだろう。全然覚えはないけども、あれかな、ぼくが知らない間にジークフリードの訪問を断る口実にでもされてたのかな。

「ご配慮ありがとうございます、ジーク様、リヒ様。大変貴重な時間を過ごさせていただきました。後日また、お礼をさせていただきたく存じます。それでは皆様、本日はこれにて失礼させていただきます」

 きっちりと頭を下げてソファから立ち上がる。ルクレーシャスさんがどこからかショールを出して、ぼくを包んで抱き上げた。

「冷えて来たからね。ひょっとしてと思って持って来ておいて良かったよ。あったかいでしょ、スヴァンくん」

「はい」

 わぁ、ぽかぽかだ。ルクレーシャスさんの子供扱いには慣れて来た。ショールから手だけを出して、みんなへ手を振る。その時だけ、みんな自分より年下の子を見る目をした。うん。ぼくこの場の誰より年下なんだよね。バルタザールなんか五つも年下の子供に喧嘩売ったんだぞ、大人げないな。バルタザールは大人じゃないから許すけど。

「オーベルマイヤー、スヴェンたちを送って来い」

「ああ、結構だよ。帰り道は覚えた」

 ルクレーシャスがぴしゃりと言い放って踵を返す。皇宮でここまで好き勝手できるって、やっぱりベステル・ヘクセという称号はすごい。

「……もう二度と来ない……」

 ジークフリードの部屋を出るなり呟くと、ルクレーシャスさんも頷いた。

「そうだね。しかしあのガキほんと生意気だったな」

 ルクレーシャスさんの歩幅が大きい。本気で早く帰りたがっているようだ。警備に当たっている騎士たちが、ショールに包まれたぼくを不思議そうに見ている。

「まぁ、現当主はなかなかのやり手みたいですからね。現当主になってから税収も上がっているし、領地内の流通も良くなっている。それなりの手腕と野心と自制心を持った方のようです」

「そりゃ、自分の息子を殿下の侍従にねじ込むくらいだもん、そうだろうね」

「今回のことで向こうもぼくの動向に気を配るでしょうし、こちらも把握しておいた方がいいでしょうね。……はぁ……疲れた……」

「わたくしは嫌いなガキが増えて行くよ。とっとと離宮を出よう、スヴァンくん。やっぱそれしかない」

 君にはのびのびお菓子を作ってもらわないといけないからね。ルクレーシャスさんが冗談めかしてそう言ったけど、割りと本音じゃないかと思う。

 今回のことでぼくはぼくの立場が難しいということを改めて実感したのだ。フリュクレフ王国が滅んだのは高祖母の代だ。けれどそれは、未だに確実に影響を及ぼしている。その上ぼくはまだ、両親にも会ったことがないのだ。

「問題が山積み……」

 会ったこともない両親、それから公爵家の祖父。フリュクレフ王国復興を願う反乱軍、裏切り者のミレッカー宮中伯家。母を陥れたリヒテンベルク子爵。ぼくの周囲には、火種や敵だらけだ。

「とりあえず、何としてもまず離宮から出なきゃ」

 そう、まず自分の足で立たなければ。話はそこからだ。正月が過ぎれば、ぼくは六歳になる。そうして冬は終わり、春が来る。春になれば、人も物も動きやすくなる。そうすればぼくも、忙しくなるだろう。齢六歳にして、すでに独立を考えなければならない己の人生についてあれこれ考えている暇もない。

 とにもかくにも、生きるために。ぼくはルクレーシャスさんの腕の中、出来るだけ身を縮めてショールに顔を埋めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る