第11話 張氷月
「つまりね、君の名義で土地を買うと親とか親とか親に言いくるめられて取り上げられてしまうと困るだろう? だからわたくしの名義で買うといい。そうすればその土地は、戦争中でも誰も干渉できない完全な中立区になる」
「それってすごいことなんじゃ……」
「言っただろ。わたくしというコネを最大限に使いなさいと」
ルクレーシャスさんが、パンケーキを貪りながら言い放つ。テラスでお茶を飲むには完全に適さない気温になって来たので、先々月頃からは庭の噴水が見えるテラスに続くコモンルームでお茶を飲んでいる。ここはテラスへ出る窓が広く大きく取られていて明るく、庭が良く見える。数日前には雪が積もった。まだ溶け残る雪を抱いた木々を眺める。
「ありがとうございます……」
ボードゲームは発売一ヵ月で貴族に売れに売れた。他国からも注文が殺到しているらしく、予約待ちなのだが、待ちきれない貴族が平民向け版の方を買っているらしい。お陰でどちらも初回製作分は完売である。
そのため当初の予定通りに孤児院経営をしようというわけである。それにはまず、土地を買わねばならない。元々そのための土地をぼくの名義で買うつもりはなかった。フレートの名前で買おうかなと思っていたんだ。
ボードゲームは早々に皇国で有名な劇の演目である、デ・ランダル神話をモチーフにした『聖アヒム伝』とのコラボレーションが決まっていて、続々と他の演目や物語の作者から打診が来ている。順調である。
同時にマウロさんへラケットの製作を依頼しているので、出来上がったらバドミントンを広めようと思っている。ターゲットは女性と子供だ。運動不足の解消、ダイエット効果を謳ったら売れると思うんだ。あと単純に、ぼくの体力がなさすぎるのでバドミントンで体力づくりのための運動をしようと思っている。
貴族女性の服は運動には適さないから、スカート付きのブリーチズみたいな専用のウェアも一緒に作ればいい。女性が体の線が出るような服を着ることを忌避する文化なんだよね。だからただのズボンじゃなくて、体型を隠すようにスカートやレースを付けたらいいんじゃないかなって。でもこればっかりは女性にも意見を聞かないと分からない。でもぼくの身近な女性って、ベッテしか居ないんだよなぁ。
新しい玩具や、ラケットの作成の相談をするためにマウロさんを呼んでいたから、しばらくジークフリードの来訪も断っている。理由はぼくが風邪を引いたことにした。まぁ、フローエ卿から仮病だって話は皇王には伝わっているだろうが。
引きこもって色々やっていたので、髪を切るのが面倒になって伸ばし始めた。今までは月に一回、皇后の贔屓にしている職人が髪を切りに来ていた。これも多分、皇后のスパイというか、監視だろうなと思っているので来ないなら来ないに越したことはない。前髪くらいならベッテに切ってもらえばいいんだし。
「スヴェン、あとでゆきだるま、作ろうぜっ!」
テラスの窓から入って来たラルクの長靴は雪だらけ泥だらけだ。ベッテが慌てて雑巾を持って来て足元を拭いている。
「こんな日まで庭の手入れを手伝っていたの? お疲れさま。さ、こっちで温かいミルクでも飲んで」
暖炉側のソファを空けて、ラルクへ手を伸ばす。雪が降るようになってから昼食前の一時間ほど、ラルクに字を教えている。木の板へ白いペンキを塗った上に漆を重ねたものへ、木炭で字を書いて練習している。これなら面を布で拭けば、何度でも使える。紙は高価だから作ってみたのだが、マウロがいたく気に入って商品化したいと言っていた。黒板ならぬ白板だ。
新しい玩具の方は、同サイズの直方体……要は細長い積み木を交互に積み重ねてタワーを作り、崩さないように積み木を抜いて行くおなじみのアレを作ろうと思っている。皆さんおなじみのアレの名前の由来は「組み立てる」というスワヒリ語なので、デ・ランダル語で「組み立て」という意味のある「モンタージェ」という名前で売り出すつもりだ。実はもう、試作品はいくつか作成済みで先日、ジークフリードへ献上品を納めさせたばかりだ。ジークフリードへの献上品は珊瑚と琥珀で作った。貴族向けは象牙で作られた直方体の、小口部分にのみ装飾彫りと宝石をあしらう予定だ。平民向けはもちろん、前世にもあったのと同じ木製だ。
あと、ラルクへ字を教えるためにぼくが作った絵本をマウロさんが商品化しようとしている。この世界、子供向けの絵本が少ないんだよね。紙が貴重だから、子供に与えるのはもったいないってわけ。だから絵本も貴族向けに販売することになると思う。
あと、印刷技術がないから大人向けの本は基本、手書きの写本だ。でも子供向けの簡単な絵を載せた絵本なら、木版印刷が可能ではないかと思ってマウロさんに話をした。リナルドさんを初め、木工職人の人たちは面白がってくれて、多色刷りの木版印刷が進みそうだ。
ミルクの入った木のコップを持つ、ラルクの手を見る。七歳児の手だが、ヴィノさんと庭の手入れをしているだけあって荒れている。この寒さならいずれあかぎれにもなるだろう。ラルクの小さな手が、痛々しい様子になるのはあまり嬉しくない。そこまで考えて思い付く。
「うん。ハンドクリームを作ろう」
「はんど、くりーむ? 新しいお菓子かい?」
わくわくした様子で目を輝かせたルクレーシャスさんへ、苦笑いで首を横へ振る。
「いいえ。手の保護クリームです。蜜蝋と、オイルと少量の水で作れるんですよ。何だったっけなぁ、ラベンダーとか、ゼラニウム、カモミールのアロマオイルは確か傷に効くんだったはず……」
アロマオイルは一応、主に香水の原料としてこの世界にも流通している。アロマオイルと言えば確か、ハンガリアンウォーターというどこかの女王が若返ってどこだかの王に求婚されたという組み合わせがあったはずだ。
「ベッテ」
「はい、スヴァンテ様」
「ベッテって、化粧水使ってる?」
「……あ、ええ。はい。あの……?」
そうだよね。五歳児に化粧水何使ってる? とか聞かれても困るよね。ベッテはまだ三十代前半。それでも冬になると肌がかさつくと言っていたような気がする。愛嬌のある丸い目を見開き、戸惑いがちに答えるベッテは美人だし、お肌も綺麗な方だと思う。元気いっぱい、愛嬌たっぷりのラルクはベッテ似である。
「化粧水塗った後、何かクリーム的なものを塗る? オイルとか」
「いいえ……」
「うーん、今度マウロさんに見せてもらおう。ハンガリアンウォーターのレシピは確か、ローズマリーと、ミント、ローズ、レモンピールだったはず……。いくつかアロマオイルも準備してもらって……」
マウロさんが次に来た時、持って来てもらうものを紙に書き出す。妖精たちがぼくの周りで楽しそうに飛び回る。
「上手にできたら、みんなにもあげるね」
妖精たちはきゃっきゃと声を上げた。
「食べ物じゃ、ないんだね……」
がっかりした様子のルクレーシャスさんには、何か新しいお菓子を作ろう。あとでルクレーシャスさんが好きなパイ生地を使ってパルミエパイでも作ってあげよう。パイ生地も結構簡単に作れるし、パルミエパイも生地を広げてその上に砂糖を振って、綿棒で伸ばして両端から真ん中へ向けて折り畳んだものをある程度の厚みに切って、焼くだけだ。見た目がハート型でかわいいし、ルクレーシャスさんもきっと喜ぶ。寒くなって来たから、シチューを入れた器にパイ生地を被せて焼いてもいい。忙しいぞ。
「よし。この冬はぼく、ハンドクリームや化粧水や保湿クリームを作ることにします。玩具や絵本は継続して一定の利益を得るには向きませんし、やはり消耗品を作らないと」
どうせ離宮から出られないのだし、雪が降る間はジークフリードもそうそう離宮へ遊びに来ないはずだ。それならとことん引きこもってやろうじゃないか。
「ほどほどにね……」
作ると言い出したら聞かないと諦めたのか、ルクレーシャスさんはぼくが作ったクッキーをもぐもぐと口に詰め込んだ。
そんなぼくの予想を裏切り、冬の良く晴れた日に、彼らはやって来たのだ。
「スヴェン! かぜはもうよくなったか!」
「はい、ジーク様。先日はお見舞いに高価な蜂蜜をいただき、ありがとうございます」
お見舞いでもらった蜂蜜には本気で感謝している。あれすっごく美味しかったんだ。お菓子作りに使わせてもらったし、果実を蜂蜜漬けにした。今、ルクレーシャスさんが紅茶に入れたリンゴもジークフリードからお見舞いにもらった蜂蜜で漬けたものだ。
ジークフリードはね、分かるんだよ。何かにつけて勉強をサボってはここへ来るから。でも今日は、見たくなかった顔がジークフリードの隣にある。
「久しぶりだ、スヴァンテ公子。体調はもういいのか」
「ええ、おかげさまですっかり治りました。バルタザール伯」
「バルティでいい」
「……バルティ様」
愛称で呼ぶような雰囲気で、前回お別れしましたっけ。何でこの子、わざわざ来たの。フレートはぼくの視線を察知し、朝から作り続けていたハンドクリームや保湿クリームをさり気なくベッテが紅茶を運んで来たワゴンへ載せて出て行く。
くんくん、と鼻を鳴らしてジークフリードが眉を顰める。
「何だスヴェン、こうすいのちょうこうでも始めるのか」
「ええ、まぁ。似たようなものです」
勉強が嫌いなだけでバカではないんだよな、ジークフリードは。皇后の部屋で化粧水や香水の匂いを嗅いだことがあるからだろうか。しかし香水の調香と勘違いしてくれて助かった。
「君は多才だな」
バルタザールが会話に加わって来る。何だろう、一体何の目的があってここへ来たのだろうか。警戒するに越したことはないだろう。
「行動力がある気まぐれなだけですよ。ジーク様、モンタージェは楽しんでいただけましたか」
「ああ。シンプルだが、人数をふやしてもへらしてもできるのがいい。特にリヒがスヴェンのことを天才だとぜっさんしていたぞ」
「そうですか。気恥ずかしいです」
前世で実在の玩具をパクっただけなので、褒められたものではない。でもぼくは特に使えるチートな能力があるわけではないので許してほしい。しかし何をしに来たんだこの二人。
「今日はな、スヴェンが絵本を作るのだと話したらバルティがぜひ、実物を見たいと言うのでつれて来たのだ」
まだ、木版印刷も紙漉きで作る紙のことも誰にも知らせる気はないので、ぼくがラルク用に手描きで作った和綴じ本を見せる。麻の葉綴じ、亀甲綴じなど種類はあるが、バルタザールに渡したのは一番シンプルな四つ目綴じである。内容はデ・ランダル神話風にアレンジした桃太郎とか、浦島太郎とか、なるべく著作権の問われないものを選んだ。せめてもの良心だ。ちなみにラルクのお気に入りはちょっと長編のスサノオノミコトのヤマタノオロチ退治をデ・ランダル神話風にアレンジしたものである。
「この……糸で綴じてあるのは君のアイデアか、スヴェン公子」
「ええ。ぼくは裁縫が趣味でして」
ねぇ! いつぼくらは愛称で呼び合う仲になったんだろう誰か教えて。いくつかラルク用に作った絵本をしばらく眺めていたバルタザールは、一番薄い和綴じ本を手に取り、食い入るように中を眺めていた。突然、顔を上げてぼくを見た瞳は、何となく興奮というか、熱を帯びている。
「君は魔法陣にも詳しいのか」
「あ、いや。それも趣味程度に思い付いた展開図を描いたものなのですが……」
この世界には魔法がある。あると聞いたら、使ってみたいじゃないか。でもぼくには魔力が一切ない。そして魔法はある種の体系化された学問としても研究されている。魔力の成り立ちや原理を追及する魔法理論や、魔法の効率を上げるために魔法陣の分析をする魔法陣式展開学である。魔法はつかえなくても、理論や魔法陣についてだけでも知りたいと考えるのがヲタクの性というものではないだろうか。そう、これは厨二な黒歴史の証である。だから恥ずかしいんだってば。
「これは趣味の範疇を越えている。これなどは風の精霊特有の魔法回路を完全に理解していなければ描けないものだ。過ぎる謙遜はむしろ嫌味なくらいだぞ」
「……ぼくは魔力が一切ないので、魔法に憧れているんです。だから理論や展開図だけでも理解できたらな、と思って……」
「……そうか。悪かった。しかし十分すごい。謙遜しないでくれ。これなどはとても美しい火炎魔法の展開図だ……いや、これは君オリジナルか? すごいな、少ない魔力でより効率的に、より強力になるように考えた、のか?」
「魔力がなくてもひょっとしたら、なんて……えへへ……」
「とにかく、これは素晴らしい。発表したら魔法の常識が覆るほどのものだ。ぜひ、世に出すべきだ」
力説するバルタザールを、ルクレーシャスさんが杖で遮った。
「世に出すかどうかはわたくしが決めるよ。スヴァンくんはわたくしの弟子だからね。彼の才能を見染めたから、わたくしはスヴァンくんの先生を買って出たんだ」
バルタザールは少しだけ我に返ったという表情をし、赤く染まった頬を拳で拭った。
「そう……そう、ですか。そうですね。私はただ……彼がすごいのだと、自信を持ってほしいと、そう……言いたかったのです」
「その意見についてはわたくしも同意だよ。だがスヴァンくんの才能を世に知らしめるのは今ではない。彼は天才だが、まだ幼い。この子を傀儡にしようなんて大人はいくらでも現れる。この子に手を出せぬような十分な後ろ盾が必要だ。そして彼の後ろ盾はわたくしだ。彼の才能をいつ知らしめるかはわたくしが決める」
「……そうですね……。彼という才能を、守らなければ」
「……」
どうしちゃったの、この子。なんかちょっと怖い。この子も魔力が少ないのだろうか。貴族の令息は剣術か魔法が優れていれば優れているほどいいと考えられている。コンプレックスでもあるのかなぁ。
「それに君は、所作も容姿も美しい。その上その年で数々の知識に精通している。自分を卑下してはいけない」
突然、両手で手を握り締められ、混乱のあまり固まった。いや、君が喧嘩売ってたのほんの一ヵ月ちょっと前だよ。中身別人に入れ替わったんじゃないよね。
ぼくの困惑を他所に、バルタザールはこの後も時々、ジークフリードに付いて離宮を訪れるようになったのである。
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