第32話 辺境伯 ⑴

 皇国には五つの公爵家と五つの侯爵家、それから八つの伯爵家が存在する。

 その中でも、皇国の南にある大国レンツィイェネラとの境目である最南端の国境に領地を持ち、最重要な国境防衛の任務を担うのはシュレーデルハイゲン公爵家である。シュレーデルハイゲンに次ぐ国境警備を担う四家が東南のシェルケ辺境伯、西南のヴァルター辺境伯、北西のアイゼンシュタット辺境伯、そして北東のラウシェンバッハ辺境伯だ。この五つの家門は現皇王に忠実な腹心と言えるだろう。

 現皇王が即位して真っ先に行ったのが、腐敗して周辺国と癒着し各所に反乱の火種を抱えていた辺境伯家の総入れ替えであった。このことからも他国を侵略して国土を拡大して来たこの国に於いて、国防が最優先であることは明らかだ。

 だからこそ、ぼくは侵略による国土拡大は割に合わないと思うんだけど、まぁ今さら止めますと言ってもそうは行かないのが世の常だ。変革は緩やかに行うか、多くの血を流して一気に行うかのどちらかになりがちだ。そしてそのどちらにも反発は必至である。

 現皇王はその辺の使い分けが上手い。そういう意味でも、鶺鴒せきれい皇は無能ではないとぼくは思う。ただ何事も机上で考えた通りに運ぶとは限らない。そう、ぼくの両親の件のように。

 周囲を見回しつつ、思考を巡らせる。

 ルクレーシャスさんと挨拶をしようと群がる貴族たちから逃れ、少し離れたところでローデリヒ、イェレミーアス、ぼくと並んで人だかりを眺めていた。

 ヨゼフィーネ伯爵夫人とベアトリクスは同派閥のご婦人方と別室へ移動して行った。社交場では、女性には女性の戦場がある、らしい。ちょっと怖い。できれば関わり合いになりたくないなぁ。

「わたくしは今日、弟子に付き添ったに過ぎない。それなのにわたくしのかわいい弟子へは挨拶もしないような者と、話す口は持ち合わせていない」

 ぴしゃりと言い放ったルクレーシャスさんの前へ、日に当たって劣化してしまったプラスチックみたいなちょっときたな……薄い色の金髪と、レーズンのように暗い紫色の瞳の男が這い出た。媚びへつらうように笑い、下からわざと上目遣いでルクレーシャスさんを仰ぐ様は卑屈そのものだ。

 男は揉み手をしそうな勢いで、しかし周りに聞こえるよう大きくゆっくりと放った。

「これは、これはベステル・ヘクセ様。ではそちらに居るのが、あの『離宮の亡霊』ですか? なるほど、実に草の民らしい青白い肌です……な……?」

 「離宮の亡霊」というのは歌劇「椿の咲くころ」で、宴の際に誤って離宮の池へ落ち死んでしまう、「悪妻レーヴェ」の幼い息子「セヴァステ」がその後悪霊となって現れた時の呼び名である。

 そう、ぼくだ。ちなみに「草の民」というのは、薬草に精通しているフリュクレフの民を揶揄する呼び方である。

「えっと、どこかでお会いしましたでしょうか?」

 悪意が丸見えすぎやしないか。誰だよ、こいつ。ぼくが経年劣化したプラスチックみたいな薄い金髪を見上げると、劣化プラスチックはぽかんと口を開けたまま動きを止めた。ぼくの顔を見つめたままの男が、何か言葉を続けるのを待つ。

「?」

 ぼくが首を傾けると、オダマキの花がぼろん、と零れ落ちた。妖精たちが一斉に舌を突き出し、威嚇したり嫌悪感を露わにしている。さらに首を傾げていると、イェレミーアスがしゃがんでぼくの耳へ囁く。

「スヴァンテ様、リヒテンベルク子爵です」

「!」

 ああ、こいつがリヒテンベルク子爵かぁ! 

 想像してたのとちょっと違う。もう少し狡猾そうな人間かと思っていたが、口を開いたまま固まっている姿は滑稽なくらいだ。ぼくはにっこりと微笑んで、左足を少し後ろへ引き、胸へ手を当てた。

「ご紹介に預かりました、離宮の亡霊です。はじめまして、リヒテンベルク子爵」

「挨拶なんかしなくていいよ、スヴァンくん。不愉快極まりないな、失せるがいい」

「あ、う……っ」

 口を開いて何か言いかけたリヒテンベルク子爵は、ぼくらの目の前から消えた。杖を掲げて満足そうなルクレーシャスさんを仰ぐ。

「気にしなくていいよ。ちょっと堀の外へ飛ばしただけだからね」

「ああ……それはルカ様、大分配慮なさいましたね……?」

 エーベルハルトを豚にするとか言ってたことを考えれば、ルクレーシャスさんにしてはものすごい譲歩だ。ぼくの師匠、我慢出来てすごい。

「さ、こっちへおいでスヴァンくん」

 人の垣根を越えて、ぼくを手招きしたルクレーシャスさんへ歩み寄る。壁際へ立つルクレーシャスさんを目指して歩き出したぼくに付き添いながら、イェレミーアスはすれ違った給仕係へ何かを言づてた。給仕は頷いて離れて行く。再び戻った給仕は、いくつかのグラスが乗ったトレイをイェレミーアスへ差し出した。トレイの上のグラスを一つ、掴んでイェレミーアスは屈みながら前髪を耳へかけた。さら、と甘やかなピンクブロンドが流れる。

「スヴァンテ様。スヴァンテ様がホールを出ている間に、ミレッカー宮中伯とご子息が入場しておいでになられましたよ」

「……そうですか」

 そう囁いてぼくへ果実水の入ったグラスを差し出した、イェレミーアスを仰ぐ。こういう気づかいができるところがすごくポイント高いと思うんだよ。イェレミーアスは「デキる」男だ。なるほど、これがモテる男の技巧か。

「ありがとうございます、イェレ様」

「どういたしまして。スヴァンテ様」

 ぼくがにっこり微笑んで見上げると、イェレミーアスもぼくへ微笑みかけて少し顔を傾けた。イェレミーアスは話しやすいし穏やかだし、何となく馬が合うというか、生きているテンポが同じ気がする。

 しゃがもうとするイェレミーアスへにっこり笑って首を横へ振る。残念そうにぼくへ手を差し出したイェレミーアスの所作は優美だ。軽く首を横へ振る。だって手を繋いでもらうの、なんだか照れくさいんだもん。

 周囲からため息と感嘆の声が聞こえた。

「……」

 ローデリヒはぼくとイェレミーアスを眺め、それから周囲を見渡した。

「……こりゃ明日から大変だぜ? さっきうちの母上に散々お前のこと聞かれまくったし。うちの母上、明日からお茶会だのなんだのでお前らのこと聞かれまくるだろうなぁ」

「ええ。イェレ様は聖アヒムの化身が如く麗しさですもの」

 えっへん。うちの子、美少年。ぼくが頷くと、ローデリヒは残念な子を見る目をした。イェレミーアスはおっとりとした仕草でぼくへ囁く。

「知っていますか、スヴァンテ様。妖精や精霊は美しいものが好きで、美しいものへ寵愛を授けるのですよ」

「なるほど。だからイェレ様には、妖精が見えるのですね」

 納得してぼくが頷くと、ローデリヒは大げさに肩を落として見せた。イェレミーアスはにこにこしている。なんだよう。

 ローデリヒは諦めたように首を左右に振ると空になったグラスを給仕係へ渡し、頭の後ろで腕を組んだ。

「なぁ、スヴェン。帰りはお前んちの馬車に乗せてもらっていいか? ここのメシお前んちのメシより不味いんだもん。腹減っちまった」

「スヴァンテ様のお屋敷はリヒの食堂じゃないんだぞ?」

「いーじゃんか。な、スヴェン?」

「うーん、うちの馬車は六人乗りなのでリヒ様が乗ると窮屈だと思いますよ?」

「大丈夫だよ、スヴェンはアスの膝に乗ればいいじゃん」

「リヒ!」

 例えぼくの後見人が唯一無二の偉大なる魔法使いだとしても、辺境伯家のご令息を侍従扱いはできないし、してはいけないってことくらい分かる。

「それはさすがにイェレ様もお嫌でしょう? ね、イェレ様」

 眉を情けなく下げて首を傾けると、イェレミーアスは体ごとぼくの方を向いた。頬を染めて胸へ手を当てたイェレミーアスに、その場で跪かれた。

「いえ、……スヴァンテ様がお嫌でなければ、ぜひ……」

 なに、そんなはにかんで頬を染められたらぼくだって勘違いしちゃいそうじゃないやめてよ、この無自覚魔性美少年め! 顔がいいって怖いッ! 全て許して何でも「はい」って答えちゃいそう。現にぼく、上を向けて差し出された手につい重ねちゃったもんね、手を! あまりに所作が優美だから、そうしなくちゃいけない気持ちになってしまったもん美少年怖い。前世凡顔ド庶民はキラキラに弱いんだっ!

「ほらな。決まり! じゃあ、オレ親父に帰りはスヴェンとこの馬車に乗るって言って来る!」

 言うが早いかエステン公爵の元へ駆け出したローデリヒの背中を見送る。視線を向けたついでに、見るとはなしにエステン公爵の周囲を観察する。そうしてエステン公爵周辺を注視しているとシュレーデルハイゲン公爵と他の辺境伯が皆、同じ人物と挨拶をしていることに気づいた。

「イェレ様」

 手招くと、イェレミーアスは視線を合わせるため屈んでぼくへ顔を寄せた。イェレミーアスの耳へ手を当てて、声が漏れぬようにする。

「辺境伯が皆、ミレッカー宮中伯と挨拶をしているようですが、なぜでしょう?」

 こくんと頷き、イェレミーアスは自然な動きでぼくを抱え上げ、微笑む。美少年なのに男前ぇぇぇ。こんなん惚れてまうやろ。うっかり目の高さに迫る美貌に見惚れてしまうところだった。はわわ。あかん、尻子玉抜かれてしまいそう。

「辺境伯領では、魔物の討伐や街道警備も行います。ゆえに怪我人が多い。ですから、どこの領も医師や薬学士を数人常駐させているのです。医師は皇王直轄ですが、薬学士の派遣を担っているのはミレッカー宮中伯です」

 なるほど。ミレッカー宮中伯は、薬剤師さんの元締めみたいなことをやってるわけね。王女の血筋は薬学と薬学士に関わることを禁じられ、裏切者の宮中伯一族は薬学士を束ねる役職を授けられた。何という皮肉だろう。ミレッカー宮中伯家の税収が謎に高かった理由が分かった。

 ふとイェレミーアスの説明で引っかかるところがあり、尋ねる。

「宮中伯が担っているのは、薬学士の派遣だけ、ですか?」

「はい。薬学の知識は薬学士同士の口伝のみ、書として纏めて保存、閲覧できるのは皇族のみだったはずです」

 鶺鴒皇が考えそうな手だ。実務は宮中伯に任せ、知識は皇族で独占する。つまり薬学士を実際、管轄しているのはミレッカー宮中伯。薬学士に関しては、実質ミレッカー宮中伯家の独占状態だ。

「……辺境領の者は、宮中伯をよく思わぬ者も多いのです」

 なるほど、辺境伯領としてはどれほど吹っかけられても下手に出るしかない。それなりに辛酸を舐めさせられて来た、ということだろうか。

「父は……伯を嫌っておりました。私もあまり、彼らのことが好きではありません」

 伏せた睫毛を震わせたイェレミーアスの、頬へ手を当て覗き込む。それから首へ手を回しておでこを押し付けた。

「じゃあ、お返ししちゃいましょう。偶然なんですけど、ぼくも彼らがあまり好きではないんです。ほんとぼくとイェレ様は気が合いますね」

「ふふっ……。そうですね。スヴァンテ様と気が合って、嬉しいです」

 イェレミーアスと額をくっつけ笑う。つまり辺境伯たちは、大なり小なりミレッカー宮中伯をよく思わぬ者たちということだ。さて、それでは誰から味方に付けようか。ホールを見回すフリでミレッカーの方へ視線をやると、山のように揺るがず佇む男と目が合った。山が動く。意外と素早い。ぼくの目の前へ悠然と移動した山は、イェレミーアスの肩を掴むと破顔した。

「久しぶりだな、アス」

「お久しぶりです、シュレーデルハイゲン閣下」

 剣を掲げ、胸へ引き寄せる動作をして騎士の最敬礼をしたイェレミーアスの肩を叩き、シュレーデルハイゲン公爵は頷いた。それだけで威厳を感じる。武人の迫力とは斯様なものかと圧倒された。

「お初にお目にかかります、シュレーデルハイゲン公爵閣下。スヴァンテ・スタンレイと申します」

 下りた方がいいよね、と思ってイェレミーアスを見たが、がっちりと抱えられたままびくともしない。なんだろう。いくらイェレミーアスが騎士の子で、今も毎日剣術の練習を欠かさないとしてもぼくの周りの子供たち、怪力過ぎやしないか。ぼくは諦めて笑みを作った。

「うん? ……アンブロスではないのか」

「アンブロスでも、フリュクレフでもなくなりました。爵位も持たない、ただのルカ様の弟子でございます」

 ぼくがそう言って首を傾けると、シュレーデルハイゲンは鼓膜が破れるかと思うほど大きな声で笑った。

「ぶわっはっはっは! そうか! それはすごいぞ、爵位などなくともこの世界のどの国であろうと、お主の上にはベステル・ヘクセ殿と王族しかおらぬな!」

 今度はぼくが目を丸くする番だった。なんだ、この人は随分と友好的じゃないか。

「そうですね、そうでした。偉大な師を持ってぼくは幸せです」

「うむ。お前も、心強い後見人を得て何よりだ、アス」

「はい、閣下。私は良き友に恵まれ、良き出会いに恵まれ、スヴァンテ様に巡り合うことが叶い、ベステル・ヘクセ殿の庇護を得ることができました。この出会いは私の人生に於いて、最も幸運な出来事となるでしょう」

 そんなうっとり見惚れるような笑みで見つめられたら、勘違いしちゃいそうで怖い。こんな間近で美少年を浴びたことがないから、ぼくなんだかよく分からないホルモンが過多に分泌されそう。眩しい。

「わたくしはわたくしの初弟子がかわいくて仕方ないんだ。このわたくしが養子にして、どんな願い事も聞いてしまうほどにね。その弟子にイェレミーくんの後見人になってくれと頼まれたのだ、聞かないわけにいかないだろう?」

 ざわ、と周囲がどよめく。ルクレーシャスさんはベステル・ヘクセの称号を受けた時に「婚姻も、子供を儲けることも、一切しない。人はすぐに死んでしまうし、獣人を増やすのも悲劇の元となるから」と宣言したことはあまりに有名だ。

 獣人は人間による獣人狩りで極端に人口を減らされてしまった。その際に獣人は、多くが奴隷として苦難の道を歩んだという。ルクレーシャスさんの厭世的な考えは、そんな来歴からなるのかもしれない。

 そのルクレーシャスさんが宣言を破ってぼくを養子にした。そのことはぼくが考えるより一大事なのかもしれない。てかいつの間にぼくはルクレーシャスさんの養子になっていたんだろう。聞いてないですよ、師匠さま。

「ああ、失礼いたしました。お初にお目にかかりますベステル・ヘクセ殿。南の国境地域を任されているフェリクス・シュレーデルハイゲンと申します。以後、お見知りおきを」

 ルクレーシャスさんは軽く会釈をし、ぼくの髪を撫でた。なぜかイェレミーアスは、まだぼくを下す気はないらしい。がっちりと抱えられたまま一切、力が緩まない。

「確かに。まだ幼いというのに女神もかくやというまばゆい美貌の持ち主ですな」

「?」

 いや、よく見てシュレーデルハイゲン閣下。どう考えてもぼくよりイェレミーアスの方が美少年でしょうが。

「美しいだけではないよ。わたくしの弟子はわたくしより優秀だ。だからわたくしがわたくしの名で保護せねば、この才能を悪用しようとする輩は後を絶たないだろう。何より面白くて、かわいい子なんだ」

 ルクレーシャスさんを仰ぎ見ると、優しい金色の瞳がぼくへ注がれていた。ぼくの師匠は、自慢の師匠だ。

「ベステル・ヘクセ殿がそれほどまでに寵愛なさっておいでとは」

「花を纏ってホールへ現れたので、早くも花と春の女神イングヒルトの化身と呼ばれておりますよ」

 ルクレーシャスさんとシュレーデルハイゲンの会話へ割って入り後ろから現れたのは、いかにも童話の騎士、という風貌の金髪に青い目の三十代前半の男性だった。シュレーデルハイゲンが半身になり、騎士の背中を叩く。

「ルーヘン、久しいな。元気そうでなによりだ」

 ルーヘン。シュレーデルハイゲンが呼んだ名を、貴族名鑑の中から早急に叩き出す。シュレーデルハイゲンと交流のある、ルーヘンという名の貴族と言えばただ、一人。

 この人が、北西の覇者。元フリュクレフ王国を領地に持つ、鬼神が如く騎士。

 ルーヘン・アイゼンシュタット辺境伯――。

「お久しぶりです、閣下。そちらの美しい妖精を、ご紹介いただいても?」

 ここで「何言ってんだコイツ」って顔をしてはいけない。にっこり笑みを貼り付けてイェレミーアスへ頬を寄せる。子供っぽく見えるといいな。心の底から子供好き、という笑みでぼくの手を優しく持ち上げたアイゼンシュタットへ渾身の笑顔を向ける。無邪気な子供の演技にもね、慣れて来ましたよ。

「うわぁ、さすが北壁のヴァイスアドラー白鷲。大きくて強そうな手ですね。ぼくの手が小さく見えます。はじめまして、『進撃神風』の異名を持つアイゼンシュタット伯にお会いできるなんて光栄です。スヴァンテ・スタンレイと申します」

 アイゼンシュタット伯爵は風魔法の使い手だ。この世界の魔法は日常より、主に攻撃や戦闘に使われる。この世界、意外と何でもかんでも魔法で解決、とは行かない。魔法使いというのは貴族の中でもごく一部で、貴重なのだ。特に攻撃魔法を持つものは希少だ。

 だがアイゼンシュタットの二つ名はもう一つある。

 「首狩り血風」のアイゼンシュタット。

 敵のみならず、味方にまでそう呼ばわれるほどの冷酷さも併せ持つ。確実に、そして大量に。首だけを狙って削ぎ落とす彼の戦いを、そう表するのだ。言動に惑わされてはならない。一筋縄ではいかない人物である。

 無邪気に片手を頬へ当て、ゆっくりと頭を傾ける。アイゼンシュタットは青い目を丸くし、ぼくへさらに顔を近づけた。

「美しいだけの者も、愛らしいだけの者も多い。君はどうやら、そうではないようだね。はじめまして、妖精さん。ルーヘン・アイゼンシュタットだ。知ってるかい? 今日は皆、君の愛らしさと美しさに興味津々さ。だから私も、待ちきれずに声をかけに来てしまった。無礼を許してもらえるかな?」

「騎士だからと言って誰もが無骨というわけではありません。イェレ様と出会ってそう強く思いました。ぼくは自分が子供だからと言って、諸卿へ礼儀を欠くことはいたしません。礼には礼で、義には義で、節には節で返します。それが騎士道よりも優先される、人の道ではないでしょうか」

 無礼を許すかどうかは、あなたがどう出るかによって決める。そう答えてできるだけ静かな仕草でおっとりと、唇の端を吊り上げて見せた。

 アイゼンシュタットの視線がぼくの唇の左下へ流れた。そのまま真っ直ぐぼくの瞳を覗き込み、それから表情を緩める。

「いやまったくその通り。失礼いたしました、スヴァンテ公子」

「もう公子ではありません。お気遣いなく、アイゼンシュタット伯」

「なんと。フリュクレフも愚かな選択をしたものだ」

 イェレミーアスに抱えられたままなので、軽く胸へ手を当て頭を下げる。アイゼンシュタットは一瞬、獲物を見つけた獣のように瞳をぎらつかせ、唇へ笑みを刻んだ。

「なんと気高く高貴な花だろう。そう思われませんか、シュレーデルハイゲン閣下」

「子供をおどすでない、ルーヘン」

 シュレーデルハイゲンがまともそうで良かった。何なのこの国、まともじゃない大人多すぎだろ。泣きそう。再びぼくへ顔を寄せ、アイゼンシュタットは囁いた。

「君の血の色が、見てみたくなったよ。美しいひとの血は、この世の何よりも美しいからね」

 無意識なのだろう。上唇から、下唇へ。アイゼンシュタットは自らの唇を舐め、恍惚の表情を浮かべた。

 何この人、見かけは絵本の王子様みたいなのにヤバすぎやしないか。震えるな。怯えを表へ出すな。こういうヤツを悦ばせてはいけない。だから喉を鳴らし、できるだけ生意気に見えるよう笑って見せた。

「返り血ならば、なお美しいかもしれませんね。追い詰められれば鼠も猫を噛むと言います。獲物と侮った相手が、実は捕食者である可能性がないとは言い切れませんよ」

 髪に編み込まれた花を引き抜き、アイゼンシュタットへ向けふう、と吹きつけた。アイゼンシュタットの鼻先に当たったラベンダーは強い香りを残し、床へ落ちた。イェレミーアスが距離を置くためか体を引いたが、見上げて目を合わせ、頷いて見せる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る