第31話 災禍渦巻く宴 ⑶

 ぼくは一応、フリュクレフ公爵の孫である。その上ルクレーシャスさんの同行者であり、ジークフリードの唯一決定している侍従でもある。だから必然的に、ルクレーシャスさんの次にジークフリードへ祝いの言葉を述べることになった。

「ベステル・ヘクセ殿、よく参られた。スヴェンを連れて来てくれたこと、礼を言う」

「仕方ないね、なんせわたくしの弟子は君の侍従だから。さ、スヴァンくん」

 改めて皇太子の誕生日の宴でこの態度が許されるのは、ルクレーシャスさんがそれほどに偉大な魔法使いだからだ。この人、ほんとお菓子を限界まで口に詰め込んでいなければ美形だしきりっとして見えるのに。ぼくは頭を下げ、胸へ手を当て左足を後ろへ引いた。

「偉大なる皇国の幼き獅子へ、お祝いを述べる栄誉をいただき恐悦至極にございます。ささやかですが、わたくしから殿下への贈り物でございます。お納めください」

 ラルクが捧げ持つのは勇者の剣を鍛えた刀匠の弟子、ドワーフの名工が打った剣である。持つべきものは勇者と共に戦った、偉大なる魔法使いの師匠である。

「うむ。ベステル・ヘクセ殿が頼んでくださったという、名工オルランドの剣だな! ありがとう、スヴェン。また遊びに行く」

「はい、お待ちしております。ジーク様」

 ジークフリードの「ぼくら、親しいです」アピールにぼくは全力で乗っかった。こうなったらもう、避けようがない。ぼくは腹を括ったのだ。

「スヴァンテちゃん、さっきスヴァンテちゃんの作ったケーキをね、ジークとちょこっといただいてしまったの。美味しかったわ! また作ってね?」

 手を打って微笑んだ皇后は、少しふっくらした気がする。そういえば、妊娠したかもしれないとジークフリードが言っていたもんな。これは懐妊確定なのかもしれない。

「はい、皇后陛下。ぜひ」

「……ふん。面白いものがあったら、真っ先に余へ見せよ。ジークではなく、余へ、だ! よいな、スヴァンテ」

「はい、皇王陛下」

「下がれ」

 手を振って追い払う仕草をした皇王へジークフリードがにやにやと笑みを浮かべて言い放つ。

「父上、スヴェンはオレの侍従です。いずれはオレの家臣になる。命じていいのは、オレだけですよ」

「ふん! 生意気になりおって。貴様が悪知恵を吹き込むからだぞ」

「え、えへへ……? それでは、御前を失礼させていただきます」

「アス。どうせベステル・ヘクセ殿の横に居るのだ。今、挨拶してくれ」

 ジークフリードが呼ばう。ハンスイェルクよりも、先にイェレミーアスへ挨拶をさせようというのだ。ホールが一瞬、ざわめいた。

「……それでは、お許しをいただきましたのでご挨拶させていただきます、皇太子殿下。未来の皇国を担う若獅子の、ますますのご健勝を願います」

 イェレミーアスへ付けた侍従が、贈り物を捧げ持つ。皇王の侍従が贈り物を受け取るのを見て、ジークフリードは頷いた。

「ラウシェンバッハ辺境伯のことは残念だ。だがこうしてベステル・ヘクセ殿の庇護下で皇都に暮らすことになったのも何かの縁だろう。今後もオレの剣の稽古に付き合ってくれ」

「は。身に余る光栄でございます。殿下のご高配に応えられますよう、一層精進いたします」

 これでぼくもイェレミーアスも、ジークフリードに目をかけてもらっている、と知らしめることができた。しばらくは攻撃的な動きを封じられるだろう。ハンスイェルクにとってはおもしろくないだろうが、他の有象無象まで相手にしている余裕がないのが正直なところだ。できるだけ使える威光に縋っておきたい。

 ここから先は、伯爵位まで直接の挨拶が許され、それ以下の爵位の者はジークフリードへの贈り物を皇宮の侍従へ預けることになる。だから、アンブロス子爵を捕まえるなら今だ。

「ルカ様、ぼくちょっとアンブロス子爵のところへ行って来ます。ルカ様はここで、イェレ様たちを守ってください」

「……一人で行っては、ダメだよスヴァンくん」

「大丈夫、フレートも一緒です」

 フレートがただの執事ではない、と思っているのはぼくだけではないだろう。ルクレーシャスさんは金色の虹彩をきょろん、と上へ動かし頷いた。

「……まぁ、君には寵愛があるから大丈夫か……。いいかい、何かあったらすぐにわたくしを呼ぶんだ。離れていてもちゃんと聞こえるから、わたくしの名を呼ぶんだよ? いいね」

「はい。では、行って来ます」

 淡い藍色のベールが付いて来る。ルクレーシャスさんも、それを察したのだろう。目で頷いて視線でぼくを見送っている。ホールの入口付近に居るはずの、赤毛を探す。

「スヴァンテ様。あちらがアンブロス子爵にございます」

「ありがとう」

 赤毛で青みがかった緑の瞳の立派な体躯の二十代後半と思しき男性と、三歳くらいの子供を連れた金髪緑眼の美しい女性が並んでいる。子供は女性にそっくりの金髪と翡翠色の瞳をしていた。皇国のヴァイスカメーリエ白椿。間違いない、女性はヘンリエッタ・リヒテンベルク子爵令嬢だろう。

「少々よろしいですか、アンブロス子爵」

 声をかけると赤毛の男は怪訝な表情をした。女性の方は軽く首を傾げてぼくへ目を向ける。胸へ手を当て、左足を後ろへ引いて頭を下げて見せる。

「はじめまして。ぼくはスヴァンテ・フリュクレフと申します。お話がありますので、少々お時間いただけますでしょうか、アンブロス子爵」

「……っ、あの女の子か……!」

 子供の前で、子供に向かってなんて言い方だ。名乗った途端、女性は扇子で顔を隠してぼくを睨み付けた。だがそれは一瞬のことで、実に貴族らしい作り笑いを薄く浮かべたが目は笑っていない。どうやらリヒテンベルク子爵令嬢は、正しく貴族としての振る舞いが身に付いているらしい。彼女に時間を与えるのは得策じゃなさそうだ。

「部屋を準備してありますので、お付き合い願えますか」

「……貴様と話すことなど、何もない」

「ここで話しても構いませんよ。ぼくはアンブロス子爵の爵位や継承権を放棄します。そのための書類へ記入をお願いしたかったのですか、仕方ありませんね」

「……! リック、私たちが殿下へお祝いを述べるまで、時間があります。ご一緒してはどうかしら?」

「……ヘティー……分かった。案内しろ」

「ではこちらへ」

 なるほど、貴族としての知識も素養もないアンブロス子爵はヘンリエッタの言いなりか。そしておそらく、ヘンリエッタは父であるリヒテンベルク子爵の言いなりなのであろう。分かりやすくてありがたい。

「レニーを見ていてちょうだい」

 侍女へ子供を預け、フレートへ付いて行く二人の後を追う。母親と離れた途端、レニーと呼ばれた子供は泣き出した。

「あーしゃん、あーしゃん……!」

「あらあら、お坊ちゃま。母君はご用事があるのです、わたくしとお待ちしましょうね」

 亜麻色の髪に、人参色の瞳。そばかすがかわいい侍女が泣き出した子供をあやす。しかし子供はぷい、と顔を背けた。

「や! あーしゃん!」

 大きな瞳から大粒の涙が零れ落ちた。ヘンリエッタが立ち止まり、振り返る。

「フレート、抱っこしてください」

「はい。かしこまりました」

 目線が同じ高さになったその子へ、手を広げて見せる。

「……?」

「見ていて?」

 その子の目の前で、手を握った。それからそうっと手を開く。そこには妖精が魔法で持って来た、鮮やかな赤色のダリアが載っている。

「!」

「まぁ! 不思議ですね、レニーお坊ちゃま」

 子供の大きな目が、さらに大きくまん丸になった。侍女も一緒になって声を上げる。乳母にしては随分と若いというか、幼い印象だ。

 ダリアの載った手を再び握り締め、拳へ息を吹きかける。ゆっくりと手を開くと、解けて消えて行くダリアと入れ替わりでブルーデイジーの花が一輪、手の中に残った。ブルーデイジーを子供へ差し出す。小さな手は、迷わず花を掴んだ。

「あーと!」

「どういたしまして。少しだけ、待っていてくれるかな?」

「……ん」

 こくん、と頷いた子供へ手を振る。ヘンリエッタは不快感を隠しもせず、ぼくを睨んだ。

「彼のためにも手早く済ませたいので、参りましょうか」

「……」

 元よりこちらも、あなたたちと長時間接したいとは思っていません。ぼくの言葉を察したのか、ヘンリエッタは扇に隠して無言でぼくを睨み付けた。

 下ろすのが面倒だったのか、フレートはぼくを抱えたまま歩き出した。高くなった目線で失礼にならない程度に視界の端へ捉えつつ、ヘンリエッタを観察する。首も腕も随分と細い。心なしか顔色が悪い気がする。美人だから儚い印象がある、とかそういう感じではない。どこか体の具合でも悪いのだろうか。

 ヘンリエッタ個人や、アンブロス子爵がどうなろうと別に気にならないが、そのことでぼくの異母弟であろうあの子が不幸になるのは望まない。でもきっと、心配を口にしてもこの人たちは嫌味としか受け取らないだろう。ぼくは口を噤んで前を向いた。

 ジークフリードが準備してくれていた、ホールの近くの部屋へ先導する。フレートがぼくを慎重に床へ下してくれた。部屋に入るなり振り向き、切り出す。

「ぼくは一切のアンブロス子爵家の財産、爵位についての権利を放棄することにします。アンブロス子爵家から、籍も抜きます。つきまして、こちらの書類をよくお読みになってサインをいただきたいのです」

「……これは?」

「ぼくがアンブロス子爵家への一切の権利を放棄することを示した書類です。すでにぼくの署名は済ませてあります」

 知恵が回ると思しきリヒテンベルク子爵が出て来る前に、片付けたい。テーブルを指し示し、促す。

「ご署名、いただけますか?」

 ぼくの手から書類を奪うように掴んで、アンブロス子爵はヘンリエッタへ尋ねた。

「……どうする?」

「……悪く、ないと思うわ」

 二人で書類を覗き込んでいたが、手を下し顔を上げアンブロス子爵はぼくへ放った。

「……サインしてやろう」

「では、今後は皇宮での催し以外で顔を合わせぬように配慮いたします」

 見た目は実に美しい二人だが、その美しさも人間性までは隠してくれない。醜悪な二人を眺めて待つ。書類へサインをしたアンブロス子爵はぼくの胸へ押し付けるように、紙の束を差し出した。

「……ふん。よかろう。ほれ、これを持って出ていけ!」

 この部屋を準備したのはこっちだ。出て行くのはアンブロス子爵とヘンリエッタの方だが、言っても無駄だろう。

「ありがとうございます。こちらがアンブロス子爵の控えです。書類には魔法がかかっておりますので、改ざんすることも破くことも燃やすこともできません。アンブロス子爵へ一部、ぼくが一部、陛下への提出用で一部、計三部となります。陛下への書類提出もこちらで行っておきます。よろしいですか」

 元より魔力なしのぼくが、書類を改ざんすることもできない。ヘンリエッタは自分たちの手元へ残った書類の魔法式を確認し、アンブロスへ頷いて見せた。アンブロスはヘンリエッタと目配せをして、頭を縦へ振った。

「分かった」

「では、これで失礼いたします。行きましょう、フレート」

 しばらく無言でホールへ向かう廊下を行く。フレートが遠慮がちにぼくの手を引いた。

「スヴァンテ様、お疲れではありませんか?」

「……大丈夫です。予想はしていましたけど、他人より他人でしたね」

 あはは、と笑うとフレートは一層悲痛な表情をした。気にしてないってば。少し気疲れはしたけれど。あれだけ分かりやすいと怒る気にもならない。

「あの親に育てられる子は、不幸ですね……」

 一つため息を吐き出す。ぼくの弟であろう、翡翠の瞳のあの子を思い返す。それでもきっと、ぼくのように親から見放されるよりはマシだ。ぼくの手を握るフレートの手に力が籠った。大丈夫だ、と笑って見せる。

「切れてよい縁もあるものですね。さ、次はフリュクレフ公爵です。公爵はあの二人のようには行かないでしょうから、そちらの方が悩ましいです」

 ホールへ戻ると、ルクレーシャスさんの前にローデリヒが立っていた。

「スヴェン!」

「リヒ様。もうしばらくぼくはここを離れるので、イェレ様をお願いします」

「ああ。任せておけ」

「イェレ様、もう少しだけお待ちください」

「いいえ、スヴァンテ様。お気になさらず」

「ありがとうございます。フレート、行きましょうか」

 フリュクレフ公爵家と関わり合いになりたがる貴族など居ない。玉座に近い位置にありながら、所在なさげにグラスを持つシーヴと、フリュクレフ公爵の元へ近づく。再び視線が集まるのが分かった。

「お待たせしました、公爵閣下。こちらへどうぞ」

「案内いたします」

 フレートが再び先導する。フレートの後ろをぼく、少し離れてフリュクレフ公爵とシーヴが横へ並んで付いて来る気配を背中で感じる。先ほどの部屋へ入り、上座を譲る。

「早速ですが、こちらの書類へご署名ください」

 内容はアンブロス子爵へ渡したものと、相手の名前以外は全く同じである。


一、スヴァンテ・フリュクレフ(スヴァンテ・アンブロス)はフリュクレフ公爵家から籍を抜くものとする。

一、上記理由によりスヴァンテ・フリュクレフ(スヴァンテ・アンブロス)はフリュクレフ公爵家に関する一切の権利を放棄するものとする。

一、またフリュクレフ公爵家は上記理由によりスヴァンテ・フリュクレフ(スヴァンテ・アンブロス)への一切の権利を失することとする。

一、この書面を以て、スヴァンテ・フリュクレフ(スヴァンテ・アンブロス)は以後、フリュクレフを名乗ることはなくスヴァンテ・スタンレイとなることとする。


「ふん。よかろう。持って行け」

 乱暴に紙を突き出すと、独特の音がするよね。その音をうんざりと耳で捉えながら、ぼくはぼくの大事な人のために我慢をして口を開いた。

「少々お待ちください、閣下。……フレート、あなたは元々フリュクレフ公爵家の使用人です。あなたが望むのなら、このまま公爵家へ戻ることもできます。公爵家へ戻りますか?」

「……!」

 シーヴが、この部屋に入って初めて顔を上げた。ごくり、と唾を飲み込むのが分かった。

「……いいえ、スヴァンテ様。あなたが例え、フリュクレフの名を捨てても。私の主はあの日から、あなたお一人でございます」

「……」

 フレートの青い瞳を見つめる。ほんとうにそれでいいのだろうか。きっと、この二人の想いを公爵は知らないのだろう。だから敢えて、ぼくは口にした。

「ぼくはね、フレート。あなたがぼくの父なのではないかと、思っていた時期がありました。だからぼくは、あなたに幸せになってほしい。それが、本当にあなたの望みですか?」

 フレートは常ならば感情など完璧に押し隠しているはずの青い瞳に、複雑な揺らぎを浮かべた。いつもは感情を表に出さない完璧な執事は、体の横へ下ろした手をぎゅっと握り締めた。

「フレートの年齢ならば、ぼくくらいの子供がいてもおかしくありません。ぼくのせいで、自分の人生を諦める必要はないんですよ」

「……本当に、後悔などありません。私は私個人の人生を豊かにするより、主へ生涯を捧げることを願ってしまったのです。私の主は、いつかきっと皇国の歴史へ名を刻むと確信しておりますので」

「……」

 隣に立つフレートを見上げ、拳へ触れる。ぼくの手が触れると、拳は解けた。フレートは拳を握っていたことをはにかむような照れたような素振りで、唇を緩めて見せた。それからぼくへ向かって今まで見た、どの表情よりも柔らかく微笑んだ。

「じゃあもう、離してあげません。でも嫌になったら、いつでも言ってくださいね」

「私はね、スヴァンテ様。今日まで一度も、あなたにお仕えして後悔したことなどありませんし、きっとこれからもそんな日は来ないでしょう」

「……話は終わったか」

 不機嫌を隠しもせず、尊大な態度でフリュクレフ公爵が吐き捨てた。まぁ関係ない話を目の前でされては、機嫌も悪くなろうというものだ。いや、ひょっとしたら元より知っていてシーヴを嫁に出す際、フレートを付けたのかもしれない。

 ぼくから除籍を願い出た今、後継者の居ない公爵家は次の手を考えなくてはならない。フリュクレフ公爵家に金はないから、アンブロス子爵より慰謝料を取れるだけ取る方法を。それはフリュクレフ公爵が考えるべきことで、もうぼくには関係のないことだ。

 笑みを貼り付け、愛想よく答える。

「ええ。お手間を取らせて申し訳ございませんでした」

「今後一切、フリュクレフ公爵家と貴様は無関係だ。当家へあらゆる権利を主張することはまかりならん。よいな!」

「ええ、承知しております。ですので、そちらも同様に」

 元より金も権力もないフリュクレフ公爵家からぼくが、一体何を得ることができるというのだろう。できるだけ、ゆっくりとクリストフェルの顔を眺める。

「……愛し子では……ない、か……」

 ぽつりと呟いて、クリストフェルは目を細めた。そこには肉親を見る感情は含まれていない。

「……?」

 何を今さら。ぼくが誰にも愛されない、離宮の亡霊だったことなどクリストフェルが一番理解しているだろうに。上目遣いに見やると、クリストフェルは顔を逸らした。

 ああ、では本当にこれで終わりだ。もう二度と会うことはないだろう、ぼくの血縁。ゆるりと胸へ手を当て、左足を後ろへ引いて頭を下げる。

「それでは、これにて失礼いたします」

 部屋を出る前に、視線を室内へ巡らせた。フレートを見つめていたのだろう、シーヴと一瞬、目が合う。逸らした視線は、罪悪感か憎しみか、それ以外の何かかぼくには分からない。

 もし、あなたがここでフレートに縋ったのなら。ぼくはあなたに、協力する準備があった。例え他人より他人のような親であろうと、幸せになって欲しかったから。

「さよなら」

 扉が閉まる瞬間、ぼくは小さく別れを告げた。

「意外とあっけないものですね」

 ぼくの呟きに答えず、フレートはぼくの手を握り締めた。あろうことか、ぼくへ生涯を捧げるなどと言った有能な執事は何を想うのだろうか。誰にもそれを知る術はない。

 とはいえ全てがこれで終わった。再びホールへ戻り、皇王へ二枚の書類を渡す。

「今この瞬間より、フリュクレフの名もアンブロスの名も捨て、スヴァンテ・スタンレイと名乗らせていただきます、陛下」

「……そうか」

「これより両家とは一切関わりのない人間となりますので、よろしくお願いいたします」

 つまり今までぼくが離宮で暮らしていた恩は、あのバカ両親から取り立てろと言っているのだ。にっこり微笑み首を傾けると、皇王は忌々しそうに顔を顰めた。

「全てがお前に都合よく収まったな。まこと小賢しいヤツめ」

「小賢しくなくては、ジーク様をお支えできませぬゆえ」

「ふん……。あやつを頼む」

 驚いた顔をしたぼくへ、皇王は唇を尖らせて見せた。六歳児へ向け子供のような態度を平気で見せるこの皇を、ぼくは嫌いではない。

「ジーク様は、愛されておりますね」

 だからこそ際立つのだ。君の親のろくでもなさが。冷酷と評される男にすら、親としての情がある。だが君の親はどうだ。揃って親を捨てるというぼくの前ですら、己の損得しか頭になく、それを隠しもしない。

 だからぼくくらいは、正しく君を不憫に思ってもいいだろう。本来ここに居たはずの君なら、何を思っただろうか。ほんの少しの可能性もついえた今、このぼくには、もう誰にも、どこにも義理はない。

 ことさらにゆうるりと、皇王へ頭を垂れて玉座を離れる。ルクレーシャスさんの元へ戻り、ジュストコールの裾を掴む。

「がんばったね」

 ルクレーシャスさんに頭を撫でられ、ぼくはその背中、と行きたいところだが届かないので足へ張り付いた。

「もう誰に遠慮をする必要もなくなりました。ここからは、好きにやります」

「そうか。そうするといいよ。あいつらは大人なんだから、君が心配してやる必要はないさ」

「はい。では次へ行くとしましょう、ルカ様」

 さて、ぼくの用事は済んだ。次はこの宴の、もう一つの目的を果たさなければならない。

 そう。ハンスイェルクとその周辺の人間関係、協力者の有無や殺意があったかどうか、を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る