第30話 災禍渦巻く宴 ⑵

 すごく下らないと思うんだけど、他の貴族たちはジークフリードの誕生祝の宴に合わせて、何カ月も前から衣装を作っている。この世界にはミシンなんてないので、手縫いで衣装を作るからだ。早く来ないかな産業革命。まぁそれは置いといて。

 ぼくとイェレミーアス一家の衣装は、無事に揃えられた。ルカ様と衣装を合わせるのは日が迫り過ぎていて無理だったので、ぼくらの衣装はガンツェ・ヴェルトゲボイデ剣と世界樹の紋章をボタンに刺繍してもらうことになった。あとは馬車とか、従者とか、細々したものが必要であるとフレートから聞かされて連日マウロさんと顔を合わせることとなった。何もかもが突然だったからね。宴まで日もなかったし。マウロさんにも大分、無理を言うことになってしまった。何かお礼を考えておかないと。

 実は、ぼくもジークフリードの誕生祝いの宴用に衣装を作ってあった。イェレミーアスたちもそうだったのだろう。けれどイェレミーアスたちは当然、そんなものを持ち出す暇などなかっただろう。いや、ルクレーシャスさんに頼んで取りに行ってもらってもいいんだけど。できれば簡単にラウシェンバッハと皇都を行き来できることを、ハンスイェルクやシェルケ、ミレッカーに知られたくない。

 だからとにかく、伯爵夫人とベアトリクス嬢のドレスは見本用のものだと分からないよう、できるだけ宝石や刺繍を施すようにお願いしたし、イェレミーアスとぼく、ルクレーシャスさんの服はなるべく似たようなものを選んだ。宴のために作ってあった、ぼくとルクレーシャスさんの衣装はそっとクローゼットの奥へ仕舞い込まれた。

 十一歳。ローデリヒと仲が良いことからも、たびたび皇都を訪れていたイェレミーアスがそのことを知らないはずがない。

 だから宴へ着て行く衣装が届けられ、ぼくらが屋敷で顔を合わせた時、イェレミーアスはじっとぼくを見つめ、それから泣きそうな表情でぼくを抱き寄せた。ぼくはされるがままになっていた。お互い謝るのも、謝罪の代わりに「ありがとう」ばかりを口にするのももうおしまいにしましょうね、と約束したからだ。

「私は本当に、あなたが大好きです。スヴァンテ様」

 その代わり、イェレミーアスはそう口にするようになった。それがありがとうの代わりなのなら、つべこべ言うのは無粋というものだ。

「ぼくもイェレ様が大好きですよ」

 これはほんと。だって男のぼくから見ても、イェレミーアスはとっても美少年だもん。美しいものは目と心にいいんだ。美しい人が、幸せそうに笑ってくれたらもっといいに決まっている。

「君たちは、どこか似ているね。性格の穏やかさとか、利発で大人しいところとか」

 子供嫌いなのかと思っていたルクレーシャスさんも、イェレミーアスやベアトリクスには寛容だ。つまり、失礼なことをしなければ嫌われないのである。初めの頃の、ジークフリードみたいに……。

 宴へ向かうためマウロさんが準備してくれたのは、四頭引きの六人乗れる大きな馬車だ。四頭引きとは、読んで字の如く馬四頭で馬車を引く。

 ぼくらは早朝に着替えを済ませて馬車に乗った。タウンハウスがある西の外れから、皇宮はそれなりに遠い。貴族の居住区は、広大な土地を持つ貴族の邸宅が立ち並んでいる。高い爵位を持つ貴族の数は限られているとはいえ、広い敷地を持つ邸宅が建てられるだけの土地があるということだ。当然、皇宮までも長い道のりになるわけである。それに馬だって長距離を走りっぱなしってわけにはいかない。遠距離の移動となれば、馬を休ませなければならないのだ。

 何より以前も触れたけど、馬車ってすごく速度が遅いんだ。まぁそれはぼくが前世の記憶を持っていて、どうしても車と比べてしまうからなんだろうけど。ああ、車が恋しい。あと馬車の乗り心地すごい悪い。めっちゃ揺れるし、お尻痛い。二つに割れちゃう。

 そんなことを考えながら窓の外を見る。皇宮から真っ直ぐ伸びている大通りは既に、貴族たちの馬車で込み合っている。だが、馬車に描かれた家門が自分より上の馬車には道を譲るのがマナーである。この馬車には当然、ぼくとイェレミーアスの後見人であるルクレーシャスさんの紋章が描かれている。ゆえに不躾な好奇心丸出しで、道を譲る馬車越しにこの馬車を覗くヤツまでいる有様だ。

「知ってますか、ルカ様。窓ガラスって、ビードロみたいに鉄の棒の先に付いたガラスの玉を吹いて、吹き口と逆の部分に切れ込みを入れて円形に平らに伸ばして行ったものをアイロンみたいな形した鉄の塊で伸ばして作ってるんですよ。すんごい手間がかかるし、熟練の職人さんでもたくさん作れないんです」

「君はほんと、色んなことを知ってるねぇ」

「ヲタクは無駄知識を喜々として脳内へ入れたがる病を患っているんです」

「……ヲタ、ク?」

 ルクレーシャスさんの小さな疑問を無視して、ぼくは再び窓の外へ目を向ける。

 用途や窓に合わせて切っていない状態のこの世界のガラス板は、初めみんな丸い。おそらくだけど、前世の世界でも中世ヨーロッパ辺りは同じような作り方だったはず。中心に丸い模様のある小さなガラスの嵌った古い建物とか、見たことない? かわいいなと思って見てたけど、あれはおしゃれじゃなくて製法上の止むえない模様だったわけだ。

 だからこの世界のガラスの透明度は高くないし、それでもガラスはべらぼうに高価だ。ゆえに庶民の家の窓は木戸が付いてるだけのものなわけ。

「……ルカ様、もうミルフィーユをお食べになるのは止めてください」

「ほうひて?」

 どうして、と言いたいのだろう。ルクレーシャスさんはぼくが作ったエプロンを装着したまま、野イチゴのミルフィーユを食べている。当然、ぼくが作ったものだ。ジークフリードの誕生祝いに、パイ生地の間にカスタードクリームと野イチゴを挟んで重ねた小さなケーキを作って持って来たんだ。お菓子大好き、甘いものから片時も離れないルクレーシャスさんが、見逃すわけがない。

「皇宮に着く前に、お召し物が汚れてしまったらどうするんです」

「そのために君がこの、えぷろんとかいうものを作ってくれたんじゃない」

「もう! こんなにお口にも手にもカスタードクリームを付けて! 今日くらいはきちんとしてください、おうちでなら何をしてても何も言わないので! それにね、ぼくがせっかく見た目もかわいくしようととっても貴重な粉砂糖を振りかけて飾ったのに一口で飲み込んでしまって! なんて可哀想なミルフィーユ! 見た目の愛らしさを愛でてもらえないなんて! ルカ様のバカ!」

「スヴァンくんの作るお菓子が美味しいのがいけないんだよぉ! 皇宮の料理なんてスヴァンくんの料理を口にしたらもう、味気なくて食べられたものじゃない」

「ほんとうに、スヴェン様のお食事はおいしいのですわ」

「そのおかげでトリクシィがこんなに元気になったのだもの。嬉しいことだわ」

「お元気になられて、よかったです」

 ヨゼフィーネ伯爵夫人も、ベアトリクスも随分顔色が良くなった。ここ数週間でこの様子だと、二人にも毒が盛られていた可能性があるんじゃないだろうかと、当然疑うよね。ルチ様に調べてもらったら、案の定だった。本人たちにも、イェレミーアスにもまだ伝えてない。だから今は、毒を盛っていた人間が分かるまで知らせるつもりはない。

「とにかくルカ様。今日は何としても、ちゃんとしていてください。黙ってしっかりと直立していてくださればいいので。誰にもケンカを売ったり、買ったりしてはいけません。分かりましたね?」

「喧嘩は売られたら買うでしょ、普通」

「ルカ様に売られたケンカは買ってもいいですよ。でも、ぼくに売られたケンカはルカ様が買ってはダメです。いいですね?」

 ルクレーシャスさんは、ミルフィーユを一口齧って動きを止めた。

「スヴァンくんに売られた喧嘩は、わたくしに喧嘩を売ったのと同義だよね?」

「今日に限ってはぼくが買うので大人しくしていてください」

「……そんな、わたくしにかわいい弟子がいじめられるのをただ見ていろというのかい!」

 違うでしょ、喧嘩を買いたくて買いたくて仕方ないだけでしょ。だってまずルクレーシャスさんが喧嘩を売られるなんてこと、有り得ないもんね。だから面白がっているだけ。あとは、本気でぼくを心配してくれてるんだっていうのは分かってるんだ。

「……ルカ様、ぼくね、昨日ミルクジャムというものを作ったんですよ」

「みるく……じゃむ……?」

「皇宮でケンカしたら、なしです」

「酷いよ、スヴァンくん! わたくしは君の師匠ですよ!?」

 カスタードクリームまみれの手で掴まれそうになって、思わず手を引く。エプロンの裾で包んで、ルクレーシャスさんの手を叩いた。

「師匠らしくしていてください! でなきゃミルクジャムも、キャラメルも、ミルフィーユもナシですっ!」

「酷い、見たかい? イェレミーくん。なんて横暴な弟子だろう……よよよ」

「ふふふ……。ルクレーシャス様、スヴァンテ様はとても優しくていらっしゃるので意地悪など、なさいませんよ」

 泣きまねをする二百歳を、十一歳が慰める。何度も言うけどこの人、すごい人なんだよ。ぼくにとってはただのすごい食いしん坊なケモ耳っ子だけど。

「ルカ様。今日はぼく、ルカ様が後見人だということを最大限使って両親と縁を切りますから、ちゃんとしてもらわないと困るんです」

「……えっ?」

 ルクレーシャスさんは、天と地がひっくり返っても落としたりするはずのないお菓子を手から落とした。よほどびっくりしたらしい。

「ああっ! わたくしのミルフィーユ! 最後の一つだったのに! スヴァンくんのせいだよ! 代わりにキャラメルを作ってくれなくちゃいけない!」

 まったく締まらない師匠である。ルクレーシャスさんのカスタードクリーム塗れの手を、拭いながら頷く。

「……ラングドシャクッキーに」

「……え?」

「ミルクジャムを挟みます」

「えええええ」

「キャラメルソースもいいですね」

 まぁ、ミルクジャムもキャラメルソースも似たような作り方なので、大きな違いは砂糖を入れた牛乳を煮詰めるか砂糖を入れた水を煮詰めるかの違いだけだが。

 本当はね、甜菜糖じゃなくてグラニュー糖を使うレシピが一般的なんだよ。さらにいえばキャラメルソースには生クリームを加えるといいんだけど、生クリームがないからぼくは常温に戻したバターを加えたんだ。中々の出来である。

「ふわああああ! スヴァンくん、もう帰ろう。すぐ帰ろう」

 拭い終わったルクレーシャスさんの両手をつかねて顔を寄せ、言い聞かせる。

「今日は、皇宮で、ケンカをしてはいけません。いいですね、ルカ様」

「……うん♥」

 語尾にハートマークが見えた気がする。扱いやすい師匠でありがたいが、それでいいんだろうか。ヨゼフィーネ伯爵夫人とベアトリクスはぽかんとしてルクレーシャスさんとぼくを見ているが、イェレミーアスは口元を隠してくすくすと笑っている。

 ルクレーシャスさんの手と口を拭っている間に、公爵家であるエステン公爵からも道を譲られ、ぼくらは意外にも早く政宮へ到着したのであった。

「おはようございます、ベステル・ヘクセ殿。アス、ラウシェンバッハ伯爵夫人、ベアトリクス嬢も不自由ないか」

 政宮の広場へ馬車が着くなり、ジークフリードが駆け寄って来た。馬車を下りて胸へ手を当て、左足を後ろへ下げる。ぼくに近づいて来ると、ジークフリードは眉間に皺を寄せて叫ぶ。

「うあっ! 何だこの甘い匂いは!」

「ルカ様が道中に食べたお菓子の匂いです……」

「……そうか。ご苦労だったな、スヴェン」

「いいえ、ジーク様。帝国の幼き獅子のお誕生日を寿ぐ宴へご招待いただき、恐悦至極に存じます」

 イェレミーアス一家もジークフリードへ挨拶を済ませ、ルクレーシャスさんも馬車を下りる。ここで立ち止まっているわけにはいかないので、広場の端へ歩きながら籐の籠をジークフリードへ差し出す。

「これはジーク様のお祝いに作った新作のお菓子です。どうぞ、ご家族でお召し上がりください」

「おお! ありがたくいただくとしよう。すまんな、オレはまた後で」

「お忙しいところ、お時間を割いていただき光栄です」

 手を振って皇宮へと歩いて行くジークフリードを見送る。誕生祝いの宴なのだから、主役は貴族たちが揃ってから登場する。だがジークフリードは、わざわざぼくらを待っていてくれたのだ。今日の宴は皇宮の一階にある大ホールで行われる。貴族たちは政宮側からの入場となるから、まずは政宮へ入らなければならない。政宮へ入ろうと振り返ると、人々がこちらを見ているのが分かった。

 そりゃそうだよね。ルクレーシャスさんとイェレミーアスたちはともかく、おそらくぼくのことを初めて見る人たちも混じっている。そして何よりルクレーシャスさんもイェレミーアス一家も麗しい。ぼくだってガン見する。だからぼくは、一応挨拶だけはしておこうと、こちらを見ている人たちへ、胸へ手を当て左足を後ろへ下げ、お辞儀をして見せた。

 ほう、とざわめきともため息とも付かぬ声が一斉に漏れ聞こえる。そうでしょう、そうでしょう。美しいでしょう、うちの子たち。あげません。ぼくが大事に囲っちゃうもんね。いいでしょう!

 ふふん、と自慢げな顔をして、ルクレーシャスさんたちを振り返る。

「さ、行きましょう。ルカ様、イェレ様、伯爵夫人、ベアトリクス様」

 ルクレーシャスはぼくへ杖を寄越した。

「持っていなさい。さ、みんな手を繋ぎますよ」

 そう言うとルクレーシャスさんは、必死に杖を抱えるぼくの手を右手で、左手でイェレミーアスの手を繋ぎ、目で伯爵夫人を促した。伯爵夫人はイェレミーアスとベアトリクスの手を取る。五人手を繋ぎ、並んで政宮へ入る。もちろんその後ろには、フレートやラルク、侍従たちが続く。フレートが騎士へ招待状を差し出す。確認のために招待状とぼくらを見比べた騎士は、上目遣いでルクレーシャスさんを怖々と言った様子で仰ぐ。

「スヴァンテ・フリュクレフ、イェレミーアス・ラウシェンバッハ、両名このわたくし、ベステル・ヘクセのルクレーシャス・スタンレイが後見人となった。これ以上の身分の保証があるならば申してみよ」

「はっ! 偉大なる魔法使い、ルクレーシャス・スタンレイ様、スヴァンテ・フリュクレフ様、イェレミーアス・ラウシェンバッハ様、ヨゼフィーネ・ラウシェンバッハ様、ベアトリクス・ラウシェンバッハ様ご入場です」

 高らかにぼくらの名前を読み上げた騎士の声に、再び周囲がざわめく。これでイェレミーアスたちがルクレーシャスさんの庇護下にあることを知らしめることができただろう。

 ルクレーシャスさんは、お菓子を頬袋に詰め込むだけのケモ耳っ子じゃなかったんだ。ざわめく周囲を意に介さず、悠然と歩き出す。その姿は堂々としていて、権力を使い慣れた大人の態度だった。ちょっとだけ見直して微笑みかける。

「スヴァンくん、わたくしがんばったからラングドシャクッキーにカスタードクリームも準備してくれるよねっ?」

「……せっかくちょっとだけ見直したのに台無しですよ、ルカ様……」

「ふふっ」

 イェレミーアスが小さく笑う。伯爵夫人も、ベアトリクスも笑顔で政宮から大ホールへと移動する。

「見直さなくてもいいから、カスタードクリーム」

「はいはい。おうちに帰ったら、ですよ?」

 妖精たちがぼくらの進む先へ花をまき散らす。いたずら好きな風の妖精がベアトリクスの髪に花冠を載せた。水の妖精が伯爵夫人の胸へスノードロップを挿した。春と花の妖精がイェレミーアスの髪へニゲラを一輪、挿す。すっかり肩より下まで伸びたぼくの髪は、すでに妖精たちが好きなだけ花を編み込んだ後である。これ傍から見たらただのちょっとイタイ子だよね、でも妖精たちは純然たる好意でやってるから止めてとは言えない。とほほ。

 大ホールの扉へ到着すると、皇宮の侍従が扉を開く。緊張した面持ちで息を吸い込む音が聞こえた。

「偉大なる魔法使い、ルクレーシャス・スタンレイ様、その弟子スヴァンテ・フリュクレフ様、ヨゼフィーネ・ラウシェンバッハ様、イェレミーアス・ラウシェンバッハ様、ベアトリクス・ラウシェンバッハ様がお入りになられます」

 事前にジークフリードが伝えておいたのだろうか。だとしたら、何とよく気の回ることだろう。ジークフリードは本当に変わった。きっと良い皇になる。

 けれどぼくらの周りには、誰も近づいて来ない。ルクレーシャスさんに挨拶はしたいが、ぼくやイェレミーアス一家といった、まだどう扱っていいか分からない人間が側に居るからだ。少なくとも、ぼくが両親と挨拶をするかどうか、イェレミーアスを見たハンスイェルク卿がどんな態度を見せるかを確認してから、どちらに付くか考えるつもりだろう。実に貴族らしい様子見である。

 ルクレーシャスさんは堂々と、玉座に一番近いところで立ち止まった。そうだね、ルクレーシャスさんはこの大陸全土の王族から尊重されると決まっている、偉大なる魔法使いだもの。この位置が正しい。前世で言うところの、上座である。

 遠巻きに人々が見守る中、次に現れたのはエステン公爵とローデリヒだ。ローデリヒは大きく手を振って、ぼくたちに駆け寄って来る。

「おーい、アス! スヴェン! 父上、紹介します。彼がスヴァンテ・フリュクレフですよ。父上も天才だと褒めていたでしょう?」

「おお、君が。はじめまして、ヴェルンヘル・エステンだ。君ほど聡明な子はなかなかおるまい。いつもローデリヒが押しかけて済まんな。今度は君とイェレミーアスを我が屋敷へ招待するとしよう。その際にはぜひ、ベステル・ヘクセ殿もいらしてください」

 にっこり微笑んで手を差し伸べたエステン公爵は、ウィンクして見せた。なかなかお茶目な人柄である。ローデリヒの貴族令息らしからぬ性格は父親似のようだ。髪の色や瞳の色は、ローデリヒに似ていない。ミッドナイトブルーの髪、珊瑚のように鮮やかなピンクの瞳はさすがファンタジーな世界、という感じだ。しかし相当にハンサムな部類である。

「ぜひ、おじゃまさせていただこう。ね、スヴァンくん」

「はい、ぜひ。今後とも、よきお付き合いをさせていただければ幸いに存じます」

 胸へ手を当て、頭を下げる。周りからため息が聞こえて来たが、やはりルクレーシャスさんにホールではお菓子禁止を言い渡しておいて良かった。詰め込むだけ詰め込む癖があるんだよね、ルクレーシャスさん。いくら美形だからって、リスみたいに頬いっぱいにお菓子を詰め込んだ姿はあまり格好良くない。お菓子というマイナス要素がなくなったルクレーシャスさんの美貌は留まることを知らないのだ。みんな見惚れろ、ぼくの師匠に! ぼくはドヤ顔をした。

「父上、オレはスヴェンたちと一緒に居ます」

「そうか。私はちと、他へ挨拶してくる」

 エステン公爵は小さく手を振って離れて行った。こんなところで秘密の話をするわけにも行かないので、後日改めて屋敷へ伺うことになっている。

「アス、まだしばらくここに居るのか?」

「ああ。しばらくはベステル・ヘクセ様のご威光に守ってもらおうと思うよ」

 何しろこの師匠、喧嘩っ早いからね。ルクレーシャスさんの前でイェレミーアスたちに無礼でもしようものなら容赦なく追い返されるだろう。しかも玉座に一番近い場所で。興味津々だが、誰も近寄って来ないわけである。

「クリストフェル・フリュクレフ公爵、シーヴ・フリュクレフ公爵令嬢、お入りになられます」

 ざっ、と一斉に視線が扉へ注がれた。それからちらちらとぼくへ視線が戻って来る。ぼくの祖父に当たる、フリュクレフ公爵はぼくらの反対側、公爵家としては玉座から少し離れた場所へ立った。フリュクレフ王国の民の特徴である、手足の長い細身の体躯。独特の「シュネーフェルベンハウト雪色の肌」と呼ばれる青白い肌、銀色の髪、淡い灰青色の瞳を持つのが、フリュクレフ公爵である。その隣に立つベッテより少し年上くらいの女性も同様に青白い肌に銀色の髪、年代物の葡萄酒に似た、深い赤紫色の瞳をしている。しかしその視線はぼくではなく、フレートを捉え続けていた。

 ああ。彼女が。

 彼女が、シーヴ・フリュクレフ公爵令嬢。

 ぼくは目を閉じ、一つ息を吸い込んだ。それからフレートへ声をかける。

「フレート、行きますよ」

「はい、スヴァンテ様」

 真っ直ぐに顔を上げて、ホールを横切る。全ての人の視線がぼくに集まっているのが分かった。フリュクレフ公爵の前で、ぼくはゆっくりと胸へ手を当て、左足を後ろへ下げた。

「お初にお目にかかります、公爵閣下。スヴァンテ・フリュクレフと申します。初対面で不躾ですが、お話がございますので、後ほどそちらのシーヴ公爵令嬢とご一緒にお時間いただけますでしょうか?」

「……色が……違う、か。まぁよい。髪と瞳は、あやつに似たのだな。……よかろう。後ほど時間を取ろう」

 忌々し気に吐き出したクリストフェルの表情が、アンブロス子爵との関係を物語っている。想定内だから、別段何を思うこともない。慇懃に頭を下げ、はっきりと告げる。

「お部屋はこちらで準備してありますので、宴が始まりましたら執事に案内させます」

「……うむ」

 一言も発さず、フレートだけを睨みつけているシーヴへ視線を流す。こちらを見ていないが、礼を欠いてはこちらが不利になるだけだ。指先まで気を巡らせ頭を下げて、フレートへ声をかける。何となく、予感はあった。

「ルカ様のところへ戻りましょう、フレート」

「……っ、フレート!」

「……」

 振り返ったが、やはりシーヴの視線はフレートのみへ注がれている。輿入れに連れて来た執事だ。信頼していたはずである。けれどフレートは離宮に残り、離宮に残ったフレートにシーヴは二度と公爵家へ戻って来るなと告げた。だから、おそらく、二人は。

「わたくしに、何か言うことはなくて?」

「……ご健勝そうで、何よりでございます。お嬢様」

 フレートはいつも通り、髪の毛の一筋も乱さず腰を折った。表情は窺えない。しかしシーヴは酷く傷ついたといった顔で扇子を握り締め、俯いた。

「……お行きなさい」

「では、失礼いたします」

 最後まで、シーヴはぼくへ一瞥もくれることはなかった。

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