第33話 辺境伯 ⑵

「……お戯れはほどほどになさいませんと、誤解されてしまいますよ。アイゼンシュタット伯」

 須臾しゅゆ、視線を交わす。紛う方なき狂気を浮かべた後、アイゼンシュタットは額へ手を当て、体を折り曲げて笑った。

「……あっはっは。君、本当に面白いな。私の城においで。養子にならないか? うちの娘の婿でもいい」

「ご冗談を。ルカ様に怒られてしまいます」

「スヴァンくんはうちの子だよ。それからわたくしはこの国では名誉公爵の爵位を有している。身分で言えば、皇族の外戚であるボーレンダーよりも上だ。スヴァンくんのことはわたくしを敬うのと同等、最大限に敬ってスタンレイ公子と呼べ。アイゼンシュタット。貴様も外へ叩き出すぞ」

 えっ。うちの師匠ほんとにチートすぎやしないか。おそらく各国で高位の爵位を持っているのだろう。そりゃそうだ、魔王を倒した偉大なる魔法使い様だもんね。

「あっはっは、いや悔しい。ベステル・ヘクセ殿より先に君に会いたかった。遊びに行くよ、遊びにおいで。絶対だよ? 来ないなら使いをやるからね? 友達になろう、スタンレイ公子。友達なんだ、スヴェンと呼んでもいいだろう?」

「……考えておきます」

「勝手にわたくしの子を愛称で呼ぶな」

 不機嫌なルクレーシャスさんを後目に、アイゼンシュタットは続ける。何だろうな、この人。妙に胆が据わっていて扱いづらい。

「絶対だよ、おいでスヴェン。パパって呼んでもいいよ?」

 害意がないのは分かってたんだよ。害意があったら、血がどうの言い出した時点でルチ様に処されてる。本人、というか本精霊? は隠れてるつもりだろうけど、心配だったのか付いて来ているのが丸分かりだもの。

「ええ、ええ。アイゼンシュタット伯から招待状が来たら考えておきます」

「よし、招待状を出そう。だからおいでね。ではね、スヴェン。ベステル・ヘクセ殿、シュレーデルハイゲン閣下も失礼いたします。いやたまには皇都にも来てみるものだね。愉快、愉快」

 二つ名の如く、風どころ嵐のような人だった。アイゼンシュタットが手を振ってホールから出て行く。ぼくがため息を吐き出すと、イェレミーアスはようやく体から力を抜いた。ちょっと感動しちゃった。イェレミーアス、ぼくを守るつもりだったんだなぁ。君もまだ、子供だというのに。

「イェレ様?」

「はい」

「ありがとう」

「……はい」

 礼を言うと、イェレミーアスはまるで祈りを捧げた十字架へ口づけるような敬虔さでぼくの額へ自分の額を押し付けた。

 とりあえず、シュレーデルハイゲンとアイゼンシュタットに害意はなさそうだし、ハンスイェルクと共謀している可能性もなさそうだ。残りはシェルケ辺境伯、そしてヴァルター辺境伯である。ぼくはミレッカー宮中伯と話をしている、眉間に深く皺を刻んだプラチナブロンドの男と、ライオンのたてがみみたいに髭を伸ばした赤毛の男へ目を向けた。

 慎重にミレッカー宮中伯の周囲を観察しながら、シュレーデルハイゲンへ問いかける。

「シュレーデルハイゲン閣下、来年の社交シーズンにぼくがご招待したら、おうちへ遊びに来ていただけますか?」

 無邪気な子供を装っておねだりしてみた。社交シーズンが終われば宮中伯のような、皇都の外に領地を持たない貴族以外は皆、領地へ戻ってしまう。そして長い冬を領地で暮らす。だからシュレーデルハイゲンたちも、遅くとも前世の九月ごろに当たる穂刈月前には国境へ戻ってしまう。今は前世で言うところの七月である芽吹き月。今年の社交シーズンは長くともあと一ヵ月ほどだから、招待するには急で失礼に当たる。

 イェレミーアスのことを考えると、すぐにでも味方に引き入れておきたいところだが、礼を欠いて機会を失することの方が痛い。急いてはならない。だから今から約束を取り付けておこうというのだ。

 少し赤みがかった茶色の髪と、胸まで届く長い髭の男は五十代後半と言ったところか。雰囲気が鶺鴒せきれい皇に似ている。

「ふふ、わしを口説いておるのか。困った妖精だな」

「そうです、閣下を口説いているのです。口説かれて、くれませんか?」

 トパーズのような虹彩は、鋭く、しかし優しい色味でぼくへ注がれている。あざとく見えてくれ、頼む! 強く願いながら、首をこてん、と傾けてはにかむ。

「おじい、さま?」

 本物の祖父にはすげなくあしらわれたけどね。渾身のあどけなさを乗せた一撃は、意外にも効いたらしい。

「ふぉ、ふぉーっほっほ! 聞いたか、アス! おじい様だと! 何とも知恵の回るいじらしい妖精だな? よしよし、このジジイをどう口説く、妖精フェーよ」

「おじいさまと、仲良くなりたいです!」

 無邪気に笑うとライオンの鬣みたいに髭を生やした、まさに燃え盛る炎のように鮮やかな赤い髪の男が、ぼくらの方へ向かって来た。ちょっと失礼だけどもみ上げから繋がる髭のせいで、まるで火の点いた丸太が移動しているようだ。

「シュレーデルハイゲン閣下、お孫様ですか」

「おお、今できたばかりの孫だ。かわいかろう?」

「ええ、本当に。妖精のように愛らしく美しい。紹介していただけますか」

「スヴァンテ・スタンレイと申します。勇猛果敢と高名な『西南のアステリオス牛頭神』にお目にかかれて光栄です、ヴァルター伯爵」

「なんと賢い。おいくつですかな、妖精様?」

 なんだろうな、今日は皆ぼくのことを妖精と呼ぶことにしたらしい。この国の大人が考えることはよく分からない。ま、穿いてない子扱いよりマシだ。ぼくは片手を広げ、もう片方で指を一本立てた。

「六つです!」

「はっはっは。これはこれは、しっかりしておられる。驚いた」

「お久しぶりです、ヴァルター伯。父の葬儀の際にはお世話になりました」

 相変わらずイェレミーアスに抱え上げられたままなので、胸へ手を当て頭を下げる。イェレミーアスも騎士の敬礼をして、ヴァルターから差し伸べられた手を握り締めた。待って。今この子ぼくのこと片手で抱えてるね? 力強すぎない?

「おおイェレミーアス。大変だったな。お母君もお元気か」

「はい」

 やはり辺境伯同士はそれなりに交流があるのだろう。イェレミーアスはヴァルターとも顔見知りであるのだ、と納得する。

『ヴァン』

 耳元でルチ様が囁く。視線を巡らせると、バルタザールによく似た黒髪の男とバルタザール、それからプラチナブロンドの男がこちらへ向かって来るところだった。イェレミーアスが半歩下がり、ぼくを庇うような体勢でシュレーデルハイゲンの方へ少し移動した。

「閣下、そちらの方々をわたくしにもご紹介いただけますかな?」

 バルタザールによく似た黒髪、凍てつく冬の夜空のようなネイビーブルーの瞳の三十代前半と思しき男性が口を開く。フリュクレフの民特有の青白い肌。おそらく彼が、ミレッカー宮中伯だろう。その隣に立つバルタザールは歩み寄って来た時から、ぼくを視線で捉えたままだ。

「お久しぶりです、ミレッカー宮中伯。父の葬儀に花をいただいたようで、お気遣い痛み入ります」

「ああ、イェレミーアス卿。皇都にいらしたのですな。今はどちらへ身を寄せていらっしゃるのですか?」

 この親子は本当によく似ている。言外にイェレミーアスはもう、ラウシェンバッハの第一継承者ではないと「伯」ではなく「卿」で呼んだ。「卿」とは、爵位継承権のない第二子、第三子、もしくは相手が嫡男かどうかが分からない場合の敬称だ。

「イェレ様の現在の後見人はルカ様です。だからイェレ様より上には皇族と、ルカ様しか居ません。ご理解いただいた方がよろしいですよ、ミレッカー宮中伯」

 にっこりと微笑む。ミレッカーはぼんやりとぼくを見つめ、それからバルタザールを振り返った。バルタザールは父親の目を見つめ頷く。再びぼくへ視線を戻したミレッカーの虹彩には、あの妙に湿度の高い粘付きが含まれていた。

「ね、おじいさま?」

「おう、おう。わしがさっきそう言ったんだ。賢いのう、妖精フェーは」

 シュレーデルハイゲン閣下がそう言いました! ぼくが言ったんじゃありませんから! でもお前が失礼なのはシュレーデルハイゲン閣下の言う通りだよ!

 シュレーデルハイゲンを盾に、ぼくは嫌味を返した。

「うふふっ」

 ぼくが動くたびに、流したままの伸びた髪がさらさらと靡く。バルタザールはその流れを、うっとりと見上げている。正直、恐怖である。バルタザールは少しおかしい。そのバルタザールを育てたミレッカー宮中伯も、正気ではないと考えるのが順当だろう。ぼくの放った嫌味に反応せず、ミレッカー親子はぼんやりとぼくを眺めているだけなのだ。すごく気持ち悪い。

 ぼくの怯えが伝わったのか、イェレミーアスはぼくの耳へ唇を寄せた。

「スヴァンテ様、離れますか?」

「ううん。イェレ様、ぼくがんばれます」

「……ほんとうですか?」

 心配そうにぼくを覗き込んで、イェレミーアスがおでこをくっつけた。ぐ、と軽くおでこを押し付け笑う。

「だって、イェレ様がついてますもん」

「……はい。私が絶対にお守りしますね」

 美少年な上に優しい。大丈夫、イェレミーアスのことはお兄さんが守ってあげるからね! ぼくはイェレミーアスへ体を預け、それから顔を上げた。

「おじいさま、ヴァルター伯。ぜひ来年の社交シーズンになったら、ぼくのおうちに遊びに来てください。ご招待、してもいいですか?」

「おう、呼んでくれ妖精フェーよ。妖精が招待してくれるのだ。明日でもいいぞ。わしは恵み月の末まで皇都におる。必ず呼ぶがいい」

 シュレーデルハイゲンが大きな手を上げ、ぼくの手を人差し指で掬った。握手をするように揺らして優しく笑うシュレーデルハイゲンの手は、ごつごつした武人の手だ。

「私もぜひ、閣下ともヴァルター伯ともお話がしたいです」

「ああ、ぜひ。ヨゼフィーネ伯爵夫人にもお会いしたいと伝えてくれ、イェレミーアス」

 ヴァルターはイェレミーアスの手を握り、気遣うように頷いた。

『ヴァン』

 プラチナブロンドの男の後ろで、ルチ様が静かに首を横へ振った。よし、知りたいことは分かった。イェレミーアスの胸へ、手を置く。

「……!」

「ではぼくらはジーク様にご挨拶して参りますね。おじいさま、ヴァルター伯、ミレッカー宮中伯、シェルケ伯。ごきげんよう」

 プラチナブロンドの男は、最後に名前を呼ぶとぼくへ上目遣いに視線を寄越しすぐに顔を背けた。シェルケ領は東南。北東のラウシェンバッハ領の隣である。

「うむ。またな、妖精フェー

 シュレーデルハイゲンが手を上げたのを合図に、その場を離れる。ルクレーシャスさんがぼくへ顔を近づけた。

「どうだったんだい、スヴァンくん」

「クロです。シェルケ伯とミレッカー宮中伯は、何かを知っている」

「……、他に、することはありますか。スヴァンテ様」

「いいえ、収穫はあった。長居は無用です。ジーク様に挨拶して、帰りましょう。イェレ様」

 ぼくらがこそこそと内緒話をしていると、後ろから声がかかった。

「スヴァンテ公子」

 その声の主を知っているぼくは、どんな嫌味も跳ね返すつもりで笑みを貼り付け振り返った。ところが声をかけた本人は、ぼくを見ずに隣に立つ父親へ何かを耳打ちしている。

「父上、お伝えした通りでしょう?」

「ああ……我らの、本当の王だ……」

「ええ。我らの王が還って来たのです……」

「だが色が違う」

「ええ、おかしいですね……」

 親子で何やら囁き合って、湿度の高い視線をぼくへ送っている。粘着質な何かを含んだ視線が、まとわり付く。

「何かご用でしたか、バルタザール伯」

「ええ。離宮をお出になられたとか。今度ぜひ、我が屋敷へご招待したい」

「……まだ本邸も建設中の仮住まいですので、しばらくはご遠慮いたしたいと思います」

 絶対行きたくない。笑みを貼り付けたまま答える。ルクレーシャスさんがずい、と前に出てバルタザールとぼくの間へ割り込んだ。

「スヴァンくんはわたくしの大事な弟子で、スタンレイの籍に入っている。分かるか。スヴァンくんはわたくしの子だ。その子を敬わぬような人間のところへ、何故行かねばならない?」

「……」

 うっすらと笑みを浮かべてはいるが、バルタザールの瞳にはルクレーシャスさんが映っていないようだ。三日月のように撓った瞳が、執拗にぼくを追いかけているのが分かる。イェレミーアスがルクレーシャスさんの後ろへ、ぼくを庇って隠れた。

「――っ」

 バルタザールはぼくを庇ったイェレミーアスへ、まるで凍えた湖を覆う氷のように冷たい眼差しを向けた。ルクレーシャスさんはミレッカー親子の視線を遮るように、一歩前に出た。

「だからお前のところへは絶対にやらない。覚えておくといい」

「……それは、……先日は失礼いたしました。どうかお許しいただきたい」

 全く感情の籠っていない謝罪を口にしたが、バルタザールの目は笑いを形作っている。それが余計に不気味だ。

「先日どころか、お前はずっとわたくしとスヴァンくんに失礼を働いている。ゆえに二度と近寄らせない。分かったらね」

「……失礼いたしました」

 どれほど無表情に徹していても、感情は瞳に映る。じりじりと、肌を焦がし揺らめくそれ。

 バルタザールの虹彩に浮かんでいるのは、見紛うことなき仄暗い苛立ちだった。

「息子が失礼をしたようです、ベステル・ヘクセ殿。どうか、謝罪の意味も込めて我が家へ招待したい」

「お断りだよ。何度も同じことを言わせるな」

「……残念です、スヴァンテ公子」

 ほんとこの親子はそっくりだな、人の話を聞かないところが! 笑みを貼り付けたまま、頭を下げてイェレミーアスの首へ手を回す。イェレミーアスは察して歩き出した。ルクレーシャスさんはミレッカー親子を目で射抜いて、ぼくらの後ろを付いて来る。

「スヴァンテ様、大丈夫ですよ。ほら、私に凭れて。もうあちらは見ないでください」

 ぼくを安心させようとしてくれるイェレミーアスに甘え、頭を寄せる。優しくていい子だ。懸命に「お兄ちゃん」しようとしてくれている。実際年齢三十一歳としては、あまりのいい子っぷりに母性ならぬ兄性がダダ漏れそうである。

 さり気なくジークフリードへ群がる人々の陰へ入り、ミレッカー親子の視線を遮る位置へ移動したイェレミーアスは本当によく気のつく子だ。金糸のように細やかな髪の隙間から窺うと、バルタザールが炎を噴くかと思うほどの瞳でイェレミーアスを睨め付けていた。

 何なの、怖すぎるでしょ。イェレミーアスが何したって言うんだよ、ずっと失礼なことをしてるのはそっちだぞ。

「……女王の愛用の品もございます。ぜひ、お見せしたい。スヴァンテ公子」

 ミレッカーの声が追いかけて来た。肖像画、愛用の品。裏切った側の人間が何故、そんなものを今の今まで後生大事に保管しているのか。それを家を捨てた、捨てざるを得なかった、スヴァンテ・フリュクレフへ伝える意味は何なのか。

 ――この、親子は。

 少々憤慨しつつ、嫌味の一つでも言ってやろうかとミレッカーへ目を向ける。ぽっかりと空いた虚のように感情の抜け落ちた虹彩が、ぼくを見ていた。口元はうっすら笑みの形のままだ。

「――っ!」

 覚えずイェレミーアスへ抱きついた。理解不能の恐怖だけがそこにある。底の見えない深い井戸を覗き込んでいるような、拭えない不安が背中を撫で上げる。覗き込んでも闇しか見えない暗い井戸の底から這い上がる、湿度と冷気が頬へ触れた気がして身震いする。

「スヴァンテ様?」

 抱えたぼくの背を撫で、イェレミーアスが心配そうに問う。それに気づいたジークフリードが人の輪から離れてこちらへ手を伸ばす。ほぼ同時にルクレーシャスさんが手を振って杖を仕舞うと、屈んでぼくを覗き込む。

「どうした、スヴェン?」

「どしたの、スヴァンくん」

 少し離れたところから、ローデリヒが器用に人を避けながら近づいて来た。心配そうにぼくを取り囲む面々を見て、ローデリヒはぼくの前髪を払う。

「なんだよ、具合悪いのか? スヴェン」

 相変わらず、ぼくの味方は少ない。けれど、その少ない味方の、なんて頼もしいことか。

「大丈夫です、ジーク様。ぼく、もうそろそろお暇しようかと思います。また屋敷の方へお越しください。待っていますね」

「うん。またすぐに遊びに行く。オレの幼なじみはスヴェンだけだからな」

 そりゃそうだ。離宮で暮らすことになる貴族令息など、ぼく以外になかなか居ないだろう。ぼくは思わず笑ってしまった。

「うふふ、そうですね。ぼくの幼なじみは、ジーク様だけです」

「なのに何だか、アスとは妙に仲良くなってるし、リヒもオレより入り浸っているようだし、おもしろくないぞ。オレだけ仲間はずれは寂しいから、悪巧みをする時はお前やリヒやアスだけで進めてしまうなよ?」

 拗ねて頬を膨らませ腕を組んでそっぽを向いたジークフリードは、床に転がって駄々を捏ねていた時と同じ表情をしている。まだまだジークフリードも八歳になったばかりの子供だ。イェレミーアスが少し屈んで、ぼくごとジークフリードへ顔を寄せた。

「かしこまりました。ね、スヴァンテ様」

「仕方ないな、呼んだらすぐ来ないとダメだぜ、ジーク」

「おやおや、いたずらっ子の溜まり場になってしまうね、我が家は」

「一番のいたずらっ子はルカ様なんですからね!」

 なんだろうなぁ、不思議だね。ぼく去年の今頃はジークフリードのことが扱いづらくて仕方なかったのに。

 ジークフリードが連れて来た縁が、今ぼくを慰めている。……もう一つの縁は、完全に悪い方へと向かっているのだけれど。

 イェレミーアスが半身になり、ぼくはジークフリードと向き合う形になった。つまり、イェレミーアスがミレッカー親子の方を向いてくれたのだ。ぼくよりは大きいけれど、まだ少年の柔らかい手がぼくの背を撫でる。イェレミーアスの横から、ジークフリードがぼくの手へ触れた。ローデリヒがぼくの頬をつつく。

「今日は泊まってっていいか、スヴェン」

「図々しいぞ、リヒ」

「君はまた今度泊まりにおいで、ジークくん。ヴェンにはわたくしから、わたくしの魔法の守りがあるから皇宮より安全だと伝えておく」

 珍しくルクレーシャスさんから、ジークフリードへ声をかけた。ジークフリードも目を丸くしている。

「ベステル・ヘクセ殿からお誘いいただいたのだから、断れぬな? スヴェン」

「そうですよ、ジーク様。悪巧みはみんなで、です」

 イェレミーアスに抱えられたまま、ぼくの手へ触れたジークフリードの手を揺らした。

「ヴェンへの挨拶はわたくしがまとめてして来るよ。君たちはここで待っていなさい」

 離れて行くルクレーシャスさんの背中を見送りながら、ジークフリードたちに慰められる。ルクレーシャスさん越しに、皇王と皇后がぼくへ軽く手を上げた。頭を下げて答える。その間もジークフリードはぼくの手へ触れたままだった。分かるよ。何だか寂しいんだ。君とぼくはこれまでずっと、いつでも会える存在だったから。

「ジーク様。遊びに来てください。ぼくも早く、ここへ通えるようにしますね」

「……うん」

 手を伸ばしてジークフリードの頭を撫でた。少しでも、加護が授かりますように。ぼくのいない間も、君を少しでも守れますように。

 ルクレーシャスさんを除けば、本当はぼくが一番お兄さんなんだ。それでも彼らは彼らなりに、ぼくを助けようとしてくれている。それなら、年上としてはそれに報いるべきだろう。

 まずは、ラウシェンバッハ辺境伯を謀殺ぼうさつし、イェレミーアスを陥れることに加担した者全てを炙り出す。ハンスイェルク、ブラウンシュバイク、ミレッカー宮中伯、シェルケ辺境伯。この辺りが関係していると、ルチ様が教えてくれた。謀ったのはこの辺りだとしても、実行役などを考えればラウシェンバッハ城内部にどれほどの協力者がいるのか分からない。

「……小さな芽も確実に摘み取り、敵に回すのは割に合わないと知らしめなければ」

 イェレミーアスに抱っこされたまま、唇へ拳を当てて呟く。

「はい。スヴァンテ様」

「ははっ。スヴェンは本当に、綺麗な顔して怖いこと言うなぁ」

 ローデリヒの苦笑い交じりの言葉に、ジークフリードも頷く。抱っこしたぼくを揺らしてイェレミーアスが笑う。

「ほんとわたくしの弟子はかわいい癖に物騒で困る」

 戻って来たルクレーシャスさんが、イェレミーアスの肩を叩いて出口を視線で指し示す。ジークフリードの手が離れた。

「ではな、スヴェン。また近いうちに遊びに行く」

「はい、お待ちしております」

 片手を上げたジークフリードへ頭を下げてホールの出口を目指す。出口でホールへ目を向ける。ミレッカー親子とシェルケ辺境伯が、ハンスイェルクと何かを話しているのが見えた。

 まだ宴は続く。謀と思惑を乗せて踊る人々に、足を取られぬように、巻き込まれぬように。泳ぎ切って渡り切って。相手の足元を掬わねばならない。水面の下は溺れなければ見えないのだから。表向きは豪華絢爛。その実、陰謀渦巻くきらびやかな湖面の下を、暴かねばならない。

 さぁ、静かな戦が始まる。

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