第2話 咲く花月 ⑵
離宮と皇宮の境目までゆっくりと散策に付き合い、庭に植えられた木々が高山のものから温暖な地域のものへと変わった辺りで立ち止まる。フローエ卿と、執事のフレート、メイドのベッテが少し後ろに付いて来ているのを背中で確認して、皇王へ手を振った。
「お忙しい中、お時間を割いていただきありがとう存じます。陛下のご健勝と皇国の繁栄をお祈りいたしております」
「見たかカルス。こんな挨拶をする五歳児などおるまい。うちの大臣より
フローエ卿はカルステン・フローエという名前である。皇王が愛称で呼ぶほどの仲というわけで、つまりフローエ卿はぼくの監視役なのだ。皇族怖い。五歳児相手にも監視を付けるとか、ドロドロしている。
「……スヴァンテ様は大変聡明なお方です。あとメシが美味いので離宮の勤務は嬉しいです」
「そうなのか? だからゲーデルが離宮の護衛になりたいと申し出て来たのか?」
「ああ……ゲーデルはたまたま私を呼びに来て、ここで食事をいただいたので……」
「どうせ料理人の腕がいいのではなく、おぬしが考えた料理が美味いのであろ……」
「料理も、気が向いた時はぼくが作るので……」
ドライイーストなんてものはないから、パンも硬いしお菓子も素朴なものしかない。小麦も精製技術が良くないので全粒粉に近い。それについてはまぁ、好みの問題かなとも思う。
味のうっすい野菜スープ、硬いパン、チーズ、肉。そのローテーション。そもそも毎食、温かい食事をする文化がないらしい。これには絶望した。この国、乾燥してるけど結構寒いのよ。夏が涼しくて冬は厳しいのに、なんで温かいもの食べる習慣がないのか意味が分からない。どうも保存の問題らしい。魔法はあるけど、生活魔法には使われていないのだ。当然冷蔵車なんてないから長距離輸送はできないし、冷蔵庫もないから長期保存もできない。温かい食事をする文化がないのも、どうやら長期保存が最優先になった結果っぽい。国土が広く流通に時間がかかるからだろうか。
まぁ何にせよ、美味しいもの食べたいって欲求は人間を貪欲にする
「……今度、余をおぬしが作った夕食に招待せよ」
「かしこまりました、陛下」
その時は何を強請ろうかな。クックック。いけない。ちょっとだけ五歳児にあるまじき悪い顔しちゃった。皇王の姿が見えなくなるまで待って、振り返る。
「フレート、部屋まで連れて行ってください。フローエ卿、ぼくは部屋に戻りますね」
「かしこまりました」
黒曜石のような黒い髪、抜け目なさそうな新緑色の瞳が慇懃に胸へ手を当てて頭を垂れる。フレートは、物心ついた頃からぼくの世話をしてくれている。
フレートに抱き上げてもらって、テラスを目指して噴水の脇を通り過ぎる。五歳児の足だから広大な庭から部屋まで移動しようとすると時間がかかる。一歩の歩幅が小さいんだよね。だから長距離移動する時は、大体フレートが抱っこしてくれる。視点が高くなった分、空が近い。
「ベッテもご苦労さまでした」
ベッテは戻ってテラスの片づけをするだろう。その間にフレートに貸金庫の開設とか商人を離宮に呼ぶ準備をしてもらわなければ。
ベッテはこのサーベア離宮のメイド長だ。元々離宮のメイド長だったわけではなく、ぼくの母であるシーヴ・フリュクレフ公爵令嬢が嫁入りと共に連れて来たフリュクレフ公爵家のメイドでもある。
つまりフローエ卿と他のメイドはみんな皇王の部下なわけ。やりにくいだろうなぁって前世社畜は同情を禁じ得ない。純粋にぼくの味方かなぁって言えるのはベッテと、ベッテの夫の庭師って紹介されたけど絶対に庭師なんかじゃないだろう庭師のヴィノさん、ベッテとヴィノさんの息子のラルク。それから執事のフレート、料理人のダニーだけである。
「スヴェン! ヒマならあそぼーぜっ」
モッコウバラが陽射しを浴びて咲く
「いいよ。でもぼく、これから部屋に戻るから部屋の中でできる遊びでいいかな」
「ええ~。せっかくキンピカのおっさんが帰ったのに?」
「これっ! ラルク! 陛下に対しておっさんだなんて!」
「……っ!」
フローエ卿が笑いを堪えているが、普通の七歳ってこんなもんだよね。ラルクを見ると普通のご両親に普通に育てられた感があって安心するもん。
「ラルク、お坊ちゃまと遊ぶのは午後からにしなさい。スヴァンテお坊ちゃま、おはようございます」
「おはよう、ヴィノさん。庭の手入れですか」
「はい」
ヴィノさんは何ていうか、美形なんだけど鋭いイメージだし寡黙なんだよなぁ。背が高くて手足が長いんだ。そんで細いけどすごい隙がないの。絶対フローエ卿より強いと思う。なんとなく。カッコイイ。
「ラルクはお父さんのお手伝いをしていてちょうだい。いいわね?」
ベッテが両手を腰に当てて眉を寄せた。従わないとゲンコツを食らってしまうことを知っているラルクは肩を竦めてキャスケットを被り直した。
「ちぇ~っ。じゃああとであそぼうぜ、スヴェン」
「うん。ヴィノさんのお手伝いがんばってね、ラルク」
「おう!」
子供らしく元気いっぱい手を振って、ぽーんとひとっ飛びで
離宮の一番奥、
呪われた公子爆誕というわけである。実に厨二心が疼く。
母親に捨てられた上に呪われているとあれば、ベッテ以外のメイドも近寄らない。
呪われているから母に捨てられたのだと噂される始末である。というわけでぼくの部屋はもっぱらベッテとフレートの管轄で、信頼している者しか入らない。というかぼくに近づかない。だがフレートをはじめベッテやラルク、料理人のダニーという生まれた時から仕えているメンバーはこの怪奇現象に慣れてしまったのか、特に気にした様子はない。ヴィノさんはぼくの部屋というか、日中は室内に入って来ること自体が稀である。
「……ま、ま、ま、またドアの立て付けが悪くなってますね……?」
フローエ卿が呟いた声は震えている。うん。この反応が普通なんだよね、多分。
「ラルクがいつも、叩きつける勢いで開けるからですかねぇ……」
柱に取り縋って震えているフローエ卿のフォローをした。この世界には妖精や精霊もいる。ぼくの周りにいるのがそうだ。だけど周りの人には見えないらしい。だからちょっと、皇王が呼んでくれる魔法使いには期待している。魔法使いなら精霊や妖精が見えるんじゃないかなって思うんだ。でも普通の人には精霊や妖精は見えないので、ぼくの周りで精霊や妖精が起こす出来事は全て怪奇現象と思われているのだろう。厨二心が満たされまくる。
護衛騎士という名目で遣わされている皇王の密偵であるだろうフローエ卿も、幽霊とか怪談の類いが大の苦手らしく鍵星の間へは近づきたがらない。秘密の話をするにはうってつけである。密偵なのに幽霊が怖くて使命を果たせないとか本末転倒な気がするが、ぼく的には都合がいいので別にいいや。
「よろしければフローエ卿、ぼくがコモンルームへ戻るまでお茶をいただいていてください」
「ありがとうございます! では失礼します!」
ものすごい速さで廊下を去って行くフローエ卿を見送る。いいのか。それでいいのか密偵よ。ぼくはありがたいけど。
部屋に入ると精霊がぼくの書いたメモを持って飛び回っている。フローエ卿は初日にこの光景を目にして気絶してしまった。平然としているフレートたちが特殊なのである。
「みんな、紙を机へ戻してもらえるかな?」
声をかけると精霊たちはメモを机へ戻してぼくの周りに寄って来る。机へ手をかけるとフレートはぼくを抱え上げ、椅子へ座らせた。新しい紙を出してフレートへの指示を書く。
「そうだな、玩具を作らせる商会はパトリッツィ商会がいいかな……。本部は他国にあるから、皇王も口を出しにくいだろう。それから貸金庫は聖ガリアルド教会で作ってください。ここも皇室が信奉しているデ・ランダル神教とは関わりがないはずですからね」
「かしこまりました」
「あと、商会を呼ぶのはぼくの名前で構いませんが、貸金庫はフレートとベッテ、それからぼくの名前の三つ作ってください。できれば三つとも、作る時期を少しずつずらした方がいいですね。一番初めはぼくの名前で作ってください。本当は全然関係なさそうな別人の名前で、それぞれ別のところに貸金庫を作れたらいいんですけど……」
隠し口座はもちろん、バレない方がいいからね。フレートは一瞬、目を丸くしてから手を胸へ当て、恭しく頭を下げた。
「承知いたしました。偽名で作れるかどうかも含めてお調べいたします」
「はい。よろしくお願いします。あとは陛下が呼んでくれる魔法使い様のお部屋を準備しておいてください」
皇王の住んでいる皇宮に滞在するのかも知れないが、準備しておくに越したことはない。窓の外へ目をやると、剪定のためかラルクが梯子もなしに高い木に登っているのが見えた。……あれは本当に庭師としてだけの訓練なのだろうか。首を横へ振って浮かんだ疑問を打ち消す。
「分かりました。そちらも併せて準備しておきます」
「お願いします」
ぼくがフレートに命じて紙をペンで叩いて考えていると、土の妖精が肩に乗って耳を引っ張る。
『あたしが預かってあげるわよぅ』
「……ほんと?」
『うん。グノームの金庫よ? 人間には手が出せないわ』
デ・ランダル語だとグノームだけど、つまりはノーム。土の精霊だ。ノームは鉱脈に詳しいっていうし、いいかもしれない。
「それいいね。うん。お願いできるかな?」
『いいわよ! そしたらまた、新しいお菓子をくれる?』
「そんなことでいいの?」
『うん。約束ね!』
「分かった、約束する」
自分の肩へ話しかける主を心配することなく、フレートは頭を下げて部屋を出て行く。傍から見たらぼく、すっごくイタイ子だって分かってる。分かってるんだ。でも無視すると精霊が拗ねるんだよねぇ。そしてペンを隠したり紙を破いたりという、小さなイタズラをするから面倒なんだ。
しかし新しいお菓子か。焼きプリンは素材が手に入りやすいからすぐに作れたけど、この世界じゃ再現が難しいお菓子の方が多い。チーズは既にあるから問題ないけど、生クリームは温度管理や製造過程から再現には魔法が必要だろうし、アイスクリームなんかも魔法がなければ再現は難しいだろう。パンも果実を発酵させた自然酵母すらないから、どちらかというとナンとかみたいなぺたんこのお焼きみたいなものか、重曹を使って膨らませたものだ。ネギ焼きみたいなものを作ってもいいかもしれない。前世で妹によく作ったんだよね。
「まず自然酵母を作るところから始めないとパンはふっくらしたものは難しいかな。ベーキングパウダーを使ったパンならすぐ作れそうだけど……フレートに重曹買って来てもらおう……」
酵母や生クリームが必要ないお菓子かぁ。パイかな。パイ生地なら薄力粉と強力粉を同量、それとバターで作れたはず。伸ばして折って重ねて伸ばして折って、結構力が要るんだよなぁ。でもパイ食べたい。食べたいなぁ。チョコパイ食べたい。お口の恋人さんが恋しい。
「よし、作ろう」
『何作るの?』
『おいしいの?』
『なに?』
精霊や妖精たちがざわめく。
「うん。作ったら持って来るよ」
紙に必要な材料を書き込んで、料理人のダニーの元へ向かう。途中でテラスの片づけを終えたのだろう、ベッテと出会った。
「ベッテ、ちょっと新しいお菓子を作りたいんですが」
紙を見せると、ベッテは軽く目を瞬かせて頷いた。ベッテやフレートは、ぼくのすることに疑問を差し挟まず言う通りにしてくれるからとてもありがたい。普通なら奇行に走る変な五歳児だよね。ごめんね。
「かしこまりました。材料を準備しましたらお呼びいたします」
「はい。お願いします」
初めはシンプルなスティックパイかな。メープルシロップを間に塗って何層かに重ねたものを焼くのもいいな。デ・ランダ皇国は夏が短くて冬が長い。平均気温も低いから、砂糖といえばビートから作る甜菜糖が一般的だ。サトウキビから作る砂糖はものすごく貴重で高い。でも甜菜糖のちょっとクセのある甘みもぼくは好きだな。折り込んで焼いたら美味しいかなぁ。最初から生地に練り込むより、やっぱ折り込みながら重ねるのがいいよね、多分。
考え事をしながら廊下を歩いていると、後ろから元気な足音が追いかけて来た。
「スヴェン、キッチンにいくのか?」
「うん。新しいお菓子を作ろうと思って」
「うまいのか?」
「うん。多分」
「やった~! はやくいこうぜ!」
文字通り飛び上がって喜びを表すラルクを見てると安心する。ああ、普通ってこういうことだよなぁって。さっきまで庭のあんなに遠くの木に登ってたのにもうここまで戻って来たのかとか、七歳児の脚力ってそんなにすごいっけ? とかそういう疑問が頭を過ったけどいいんだ。ラルクは無邪気で幼児らしくてかわいい。癒し癒し。
「ラルクはそのままでいてね」
「おー? うん?」
首を傾げた乳兄弟へ笑みを向け、ぼくはパイ生地を何層にしようかと考えた。
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