第3話 咲く花月 ⑶

 魔法使いは一週間後、良く晴れた初夏の気持ちよい風が吹く日にやって来た。テラスでラルクと、ぼくお手製のボードゲームをしている所だった。案内されて来た、いかにも魔法使い! と言う感じの刺繍が入ったフードを被った人物を見て、椅子から下りる。

「はじめまして。わたくしはルクレーシャス・スタンレイと申します」

 中肉中背……よりは少し細身の男性はフードを取って丁寧にお辞儀をした。ルクレーシャスさんの頭には、金色で三角の耳がある。それがぴくぴくぱたぱた、と動いた。

 ケ、ケ、ケ、ケモ耳だあぁ――――――!

 俄然、興奮してまいりました! やっぱり異世界転生と言ったらケモ耳ですよね! ああ、尻尾が見たいけど失礼かな。失礼だよね。何の獣人か聞いたらダメかな。うずうずするのを堪えて、握手を求める。

「初めまして、スヴァンテ・フリュクレフです。よろしくお願いします、スタンレイ様」

 魔法使いとは、剣技を使用せず魔法のみを極める者の総称である。魔法使いはどの国でも皆、公的に身分が保証されている。デ・ランダ皇国では魔法使いは能力の区別なく子爵と同等の扱いである。ましてや皇王が自ら呼び、離宮への出入りを許可したとなればルクレーシャスさんは名の通った魔法使いである可能性が高い。そしてぼくが文字を読むヲタクのヲタク力を存分に発揮して必死に叩き込んだこの世界の知識の中から、獣人でルクレーシャス・スタンレイという名前の魔法使いに該当する人物はただ一人だ。

 生ける伝説、大魔法使い。かつて勇者と共に魔王を倒した、最高の魔法使いベステル・ヘクセのルクレーシャス・スタンレイ。

 ちらり、とルクレーシャスさんが手にした杖に付けられたアクセサリーへ目を向ける。杖に結ばれた青いリボンと、宝石がはめ込まれた金細工の装飾には、盾の中に世界樹と、その根元に剣が刺さっている紋章がある。これはこの世界で唯一、最高の魔法使いの称号を与えられたルクレーシャスさんにのみ許された紋章「ガンツェ・ヴェルトゲボイデ」である。つまり、間違いなくご本人だ。

「汝に命じるもの、この世界におらず。汝の命とあらば何を於いても叶えよう。偉大なる英雄たちに今後千年の謝意を表す」

 人間の国々の王は手を組んで魔王討伐に乗り出したが、敵わなかった。その魔王を倒した英雄たちは、国を問わず尊重されることとなった。

 『汝に命じるもの、この世界におらず。汝の命とあらば何を於いても叶えよう。偉大なる英雄たちに今後千年の謝意を表す』とは魔王を倒すために手を携えた国々を取りまとめたかつて東にあった王国の王が、勇者一行に国を越えて最大の身分を約束するとした誓約の言葉である。

 ぼくが胸に手を当て左足を僅かに後ろへ引くと、ルクレーシャスさんはよく見慣れた表情をした。

「……フリュクレフ公子は随分と昔話に詳しいようですね」

 そりゃ、暇だから離宮にある本は片っ端から読み漁ったもの。読書ヲタクは説明書や原材料欄ですら読み込む性を持って生まれているんですよ!

「偉大なる魔法使い様に拝謁できて光栄です」

 できるだけ愛想よく微笑んだぼくを見て、ルクレーシャスさんはちょっとだけ目を丸くした。なんだかぼくに初めて会う大人はみんなこんな表情をする。ぼく、皇国語の発音がおかしいのかなぁ。舌っ足らずとかなのかも。

「うわぁ、なぁスヴェン! じゅうじんだ! オレじゅうじんはじめてみる!」

 ラルクが無邪気に言い放つ。ベッテが凍り付いてラルクの口を塞ぎながら後ろへ下がる。

「躾が行き届かず申し訳ありません」

 平謝りするベッテを後ろへ庇い、できるだけおっとりと微笑んで見せた。

「すみません。ぼくの乳兄弟なんです」

「いえいえ、お気になさらず。おいくつですか?」

「ラルクは七つで、ぼくの二つ上です」

「えっ?! ということは、フリュクレフ公子はまだ五歳なのですか!」

 ぼくが答えるとルクレーシャスさんは短く呟き、笑顔のまま固まった。なんだろうこの反応。ぼくごちゃい。中身は二十五歳だからプラス五年で実年齢は三十歳だけどね。

「どうぞ、お掛けください。ルクレーシャス様は苦手な食べ物はございますか。いくつかデザートを用意いたしましたのでお楽しみいただければ幸いです」

 ラルクを庭へ放って、ベッテは準備していたデザートの乗ったハイティースタンドをテーブルへ設置していく。あれだ。ヤギを放牧するのに似てる。新緑の庭へ消えて行くラルクの後ろ姿はあっという間に見えなくなった。ねぇほんとラルクの脚力すごくない? 何なの忍者なの?

 ベッテがティーカップへ注いだ紅茶をルクレーシャスさんの手元へ運ぶのを見計らって、紅茶を勧める。

「本日はアルゼンルブラ産のファーストフラッシュを用意させていただきました。水色は淡いのですが、香りが高く味は爽やかなのでお口に合うといいのですが」

「……アルゼンルブラ産の茶葉は初めて口にします。恥ずかしながら紅茶の産地とは知りませんでした。おっしゃる通り、香りが華やかでとても美味しいです」

 ルクレーシャスさんの返事から、元々貴族階級の出身ではないかと推察する。ならばおそらく、ぼくの両親の話やぼくの社交界での立ち位置などはある程度知っているだろう。貴族的な会話はまどろっこしいけど、相手の背景を探るにはうってつけではある。

「早速で申し訳ありません。皇王陛下から聞き及んでおられるかとは思いますが、ぼくの髪色を魔法で変えていただきたいのです。濡れたり拭いたりしても決して色が戻らないように。それからぼくが望めば髪の色を戻したり、変えたりできるように。お願いできますか」

 もうワクワクが止まらないよね! 何がどこまで魔法で出来るか、己の肉体で試してみたい! ひゃっほーい!

「ええ……。どのようなお色にいたしましょうか」

「できればエーリヒ・アンブロス子爵に似た、赤毛に変えていただけるとありがたいのですが」

 異世界転生の醍醐味といえば、地球では有り得ない色の髪でしょうそうでしょう? 緑とか青とかは毎日鏡で見ることを考えると目に優しくない。ならばここは限りなく現実に寄せた赤髪はどうだ! 燃えるような赤い髪とか、厨ニ心がくすぐられるよね! 父親云々はもちろん口実だよ!

 ルクレーシャスさんは、一瞬動きを止めてそれから視線を少し落として口を引き結んだ。

「……分かりました。あの、フリュクレフ公子?」

「はい。何でしょう」

「差し支えなければ、何故髪の色をお変えになるのか伺ってもよろしいでしょうか」

 ヘイ! 待ってました。断りにくいように考えに考え抜いた言い訳を脳内で再び再生する。皇王へ同じ言い訳をしたばかりだから、スラスラと言えるよ!

「ご存知でしょうが、ぼくは難しい立場にあります。悲劇の恋人同士を引き裂いた悪女シーヴ・フリュクレフの息子であり、しかしながら今なお元フリュクレフ王国民に愛されるエステル・フリュクレフの玄孫げんそんであり、悲劇の恋人同士の片割れ英雄エーリヒ・アンブロス子爵の存在さえ無視された息子でもある」

 一気に吐き出すと、ルクレーシャスさんはさらに目を丸くさせ、耳をぴくぴくと細かく動かした。ルクレーシャスさんはブリッジを押し上げ、忙しなく眼鏡をかちゃかちゃいわせている。耳に目が行ってしまって眼鏡に気づかなかった。ケモ耳メガネっ子で属性盛り盛りだ。

「それは世捨て人のように暮らしているわたくしでも存じておりますよ。『椿の咲くころ』で有名ですね。英雄エーリヒ・アンブロス子爵と皇国の椿ヘンリエッタ・リヒテンベルク子爵令嬢との悲恋。王命に引き裂かれた悲劇の恋人たち。冷たい本妻レーヴェがまぁ、憎たらしく描かれておりますよね」

「ですよね、あれよくあんなに憎たらしく演出できるなって感心しちゃうんですけど」

 悪役令嬢モノとか、よくもまぁあんな歪んだ考えとか陰湿などんでん返しとか思いつくもんだよね。ぼくはまず、深読みとかフラグとか伏線を織り込んだ意地悪からして考えつかない。単純だから……。

「……無理に笑わないでください……」

 この件で正面から謝罪を受けたのは初めてだ。皇国公然の醜聞。誰も触れない公爵家の子息。それがぼくだ。まぁ、元々ぼくはあまりそういうことに敏感ではなくて、気にしたことはないんだけども。

「これに関してはリヒテンベルク子爵が上手だったと言わざるを得ません。貴族としての知略に長けた子爵は娘と家名を守るため、物語を使ってフリュクレフ公爵令嬢を悪女に貶めた。箱入り娘のフリュクレフ公爵令嬢はなす術もなかったでしょうね」

 ルクレーシャスさんは痛みを堪えるような表情で俯いた。いや、気にしてないので申し訳無さそうにしないでほしい。ぼくはできるだけ明るい声で顔を上げる。

「執事にお願いして絵姿を見たところ、ぼくはどうやら高祖母のエステル・フリュクレフに似ているようです。これでは王命により悲劇の恋人同士を引き裂いてまでシーヴ・フリュクレフと英雄エーリヒ・アンブロスを結婚させた意味がない」

 フレートが遠慮がちに見せてくれた曽祖母の肖像画には、ぼくとそっくりの銀髪にフリュクレフの国旗にも使われている松虫草色あおむらさきの瞳の女性が微笑んでいた。残念ながらとびきりの美人、ではない。だがどこか愛嬌のあるその女性は、いたずらっ子の目をしていた。

 静かにティーカップを傾け、ルクレーシャスさんは紅茶を含んだ。ゆったりと味わうように喉仏が上下する。

「……なぜ、そうお思いになられるのですか? フリュクレフ公子」

「シーヴ・フリュクレフを英雄に嫁がせたのは、未だ王国復興を願うフリュクレフ解放戦線の反乱軍に旗印として利用されぬようにでしょう。それなのに英雄に存在を否定されたその息子がエステル・フリュクレフに似ていては、デ・ランダ皇国としては都合が悪いのではないかとぼくは考えます」

 だからぼくは、ひょっとしたらこの世界は悪役令嬢が退場した後の世界なんじゃないかって思っているんだ。そう。ぼくの母、シーヴ・フリュクレフが悪役令嬢だ。

 そうして恋人たちは幸せになりました、のその後の世界。この確率が一番高い気がしている。というか、そうであってほしい。もう本編が終わってるなら、ぼくに死亡フラグとか破滅フラグとか立たないじゃん? 切にそう願う。

 ベッテは複雑な面持ちでルクレーシャスさんのティーカップへおかわりの紅茶を注いだ。ルクレーシャスさんは紅茶にも気づかない様子で、ぼくを見つめている。眼鏡がずり落ちても気にしていないようだ。

「ぼく、これでも一応長生きしたいんです」

 てへへ、と笑ってティーカップを手のひらで包むと、少し前のめりになっていたルクレーシャスさんは深く背を凭れた。そう、ぼくの目標は難しいことではない。平穏な人生と長生きである。それ以上を望めるほど、ぼくに知能はないッ!

「君は、とても賢い子ですね」

「そうでしょうか」

 まぁ、本物の五歳児よりは賢いというか、知恵は回る。だって中身はにじゅうごちゃいだし。

「そうです。普通、五歳児は反乱軍に利用されるから髪色を変えたいなどと考えません」

 それはどうしても魔法を体験したいがための口実なんですが。そんなこと言って、ルクレーシャスさんに帰られても困る。魔法! 体験したいんです! チート能力が備わってない上に自分に魔力が一切ないなら、他人に魔法をかけてもらうしかないじゃないの! ヲタクとして! そこは譲れないでしょ!

「どうせ髪色を偽るなら、離宮の人間以外は誰もぼくを見たことがない今のうちだと思いませんか」

「その通りですね。しかしそれは五歳の子供が到達する考えではありませんよ」

 ルクレーシャスさんの金色の瞳にはそれはもうはっきりと「好奇心」と書いてある。だがぼくはできるだけゆったりと情けない表情で笑って見せた。

「それで、どうでしょうか。お願いを聞いていただけますでしょうか。お礼はもちろん、ルクレーシャスさんの言う通りにお支払いします」

「ふむ……」

 ぴくぴく、とルクレーシャスさんの耳が激しく動く。それからきょろり、と上を見て、顎へ手を当てながら身を前へ乗り出した。

「魔法をかけるのをお受けするに当たって一つ、お願いがあるのですが」

「なんでもどうぞ」

 ルクレーシャスさんは簡単にできると言っていたが、本当は魔法を込めた道具も使わずに任意で髪の色を変えたり戻したりできる魔法使いはいない。だからこそ、皇王は最高の魔法使いベステル・ヘクセの称号を持つ彼を呼んだのだ。お願いくらいお安い御用だ。

「わたくしに君の家庭教師をさせてください。給料は要りません。お金と名誉は腐るほどあるので。どうですか」

「ええと……だってルクレーシャスさんは、ベステル・ヘクセのルクレーシャス・スタンレイ様ですよね……? どんな国も王族もあなたの要請を断ってはいけない、あのかつて大陸に押し寄せた数多の魔物を退けたグロース・パーティー最強の魔法使いルクレーシャス・スタンレイ様ですよね? それを無給はさすがにダメだって、いくらぼくでも分かります……」

 今度はぼくが驚かされる番だった。世界中のお子ちゃまたちの憧れなんだよ、勇者パーティーの魔王討伐譚。拳を握り締め、立ち上がる。いかんせん五歳の体だ。立ち上がった勢いで椅子からすとん、と滑り落ちた。つまりルクレーシャスさんの視界から消えたのだ。テーブルの下へ。子供の体、不便だよう。

 だがルクレーシャスさんは落ち着いた仕草でゆっくりとを組んだ手を膝へ置き、体を傾けるといたずらっぽくテーブルの下を覗き込んだ。

「ええ。だってこんな面白い子にここ五十年会ったことがないですもん。五歳でよくもまぁ、そんな昔話がすらすらと出てくるものです。面白いからわたくしが色々教えてあげましょう。そしたら君、もっと面白くなるかもしれないじゃないですか」

「……おもしろくならなかったら、どうするんですか」

「獣人族ってね、エルフに次ぐ長寿なんですよ」

「……はぁ。確か、五百年は生きるそうですね」

 ぼくが立ったまま答えると、ルクレーシャスさんは楽しそうに耳を激しくぱたぱたと動かした。

「わたくしなんてね、まだまだ二百二十六歳のひよっこなんですけどもね。それでも二百年も生きると飽きてきましてね。ここで君を二十年くらい見守ったって、わたくしにとって大した時間じゃないんですよね」

 それより面白いかもしれないことの方が大事ですよ。そう言って、ルクレーシャスさんは紅茶を一口含んで笑った。

「ではさっさと髪の色は変えてしまいましょう。そうだな、瞳も凡庸な鳶茶とびちゃ色に。利き手はどっち? ああ、右ですね。左手で右手の甲を二回叩いたら元の色に戻せるようにしておきますよ。大気の精霊、光の精霊、我がいとし子に祝福を与えん。変化エンダァン

 杖を振りながら呪文を唱えると、幾重にも重なった魔法陣が空中に現れた。淡く金色に光っていてとても幻想的だ。その魔法陣が的を絞るみたいにある一点から広がり、ある一点へ集約されて行くと消えた。これこれ! こういうのを待ってました!

 ベッテが前もって準備してあったと思しき鏡を、ぼくへ差し出した。受け取って覗き込む。ふおおお。すごくすごい! 一瞬で完全に髪も目も色が変わったし、自然で違和感ゼロ。魔法バンザイ! ぼく大興奮!

 しかし妖精たちには不評なようで、ぼくの髪を引っ張っては何か抗議している。

「……ありがとうございます」

 これで少なくとも今すぐ反乱軍に利用されて死亡フラグ、なんてこともなくなったと思う。というかそう思いたい。

「それに君、すごく精霊や妖精に好かれてますね。精霊と妖精の加護がすごいんですよ、君怪我とか病気とかあまりしないでしょう。すごいなこれ……こんなに精霊と妖精が集まってるの、エルフの棲み処でも見たことがないです」

「ルクレーシャス様、精霊たちが見えるんですか!」

「うん。わたくし、精霊学の第一人者でもありますからね。それでもこれは……大変稀有な状況ですよ……やはり君は面白いですね、フリュクレフ公子」

 やったあ! やっぱ精霊とか妖精が見える人、いるんだね。とりあえずものすごく何らかの加護は貰っているらしいから、良しとする。

「スヴァンテとお呼びください、ルクレーシャス様。あなたは生ける伝説、世界にたった一人の勇者パーティーの生き残りなのです。王族さえあなたに敬意を払うというのに、幼子のぼくにへりくだる必要がありますでしょうか」

 いやマジすごい人なんだよ、ルクレーシャス様。百年前この世界、エーゲルシアを魔王の侵攻から守った勇者一行の中で、現在まで生きているのはルクレーシャス様だけだ。勇者は人間だったし、魔王討伐の折に行方不明になったとか。他のパーティーメンバーも獣人より寿命の短い亜人種だった。ちなみにこの世界ではエルフはほぼ絶滅したとされており、寿命は二千年を越えると言われている。

「いやスヴァンテくん、君ほんと面白いですね。実は中身が大人だと言われた方が納得できます。聡明すぎる」

「……あはははは」

 中身は二十五歳成人男子ですから、とは言えずに笑ってごまかす。いつの間にかテラスへやって来たフレートがぼくを椅子へ戻してくれた。一人で上れないんだよね、五歳って手足短いね。

「貴族的な会話は抜きにしましょう。スヴァンテくん、精霊たちと会話はできますか?」

「できます。よくお菓子をねだられますよ」

「おお! アグレフリュード大陸史を紐解いても精霊と会話したという人は極僅かです。それも神託のように一方的に精霊からお告げをいただいたというのがほとんどで、日常会話をしたという人はいません。君は大変貴重な存在だと、自覚はありますか?」

「……そうなの、ですか?」

「そうです! 精霊は大変プライドが高く、その眷族である妖精も人間や亜人を嫌っているので君のように好かれているのは珍しい。というか、ここまで精霊たちに好意を持たれている人間をわたくしは見たことがありません」

 転生チートが全く備わってないと思ってました。こんな分かりにくいチート能力があっても、一体何に使えるというんだろう。生き残るため、せっかくのチート能力を何に活かせるかの糸口を掴むためにもルクレーシャスさんの「教師になる」という申し出はありがたい。

「これからぜひ、よろしくお願いします。ルクレーシャス様。お部屋を準備しておりますので、必要なものがありましたらこのフレートとベッテへお申し付けください」

 フレートとベッテが頭を下げる。二人へ目を向けながら、ルクレーシャスさんはティースタンドのスティックパイへと手を伸ばした。それね、実は最近で一番の自信作です。我ながら美味しく出来たんです。どうぞ、どうぞ。

「これからお世話になる身です。わたくしのことは、どうぞルカとお呼びください。あと、もう面倒なので敬語やめてもいいかな、スヴァンくん」

「ええ、どうぞ。ぼくも偉大なる魔法使い様に敬語を使われるのは気が引けます」

「他人行儀だとわたくしも図々しいことを言いづらいし精霊を見せてもらうにも気が引けるので」

「あははっ」

 面白い人だな、ルクレーシャスさん。好奇心の塊と言ったところか。よいしょ、とテーブルへ身を乗り出して手を差し出す。

「それではよろしくお願いします、ルカ様」

「こちらこそ。よろしくね、スヴァンくん。ヴェン……鶺鴒せきれい皇ヴェンデヴェルトにはわたくしから諸々伝えます」

「お手数をおかけしますが、よろしくお願いします」

「ところでスヴァンくん」

「はい」

「このサクサクでほろほろで不思議なお菓子は何ていうの?」

 ぼくが作ったスティックパイを限界まで頬張り、ルクレーシャスさんは眼鏡のブリッジを押し上げた。

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