第61話 はじまりの ⑵

 案の定、汗を掻きながら勉強部屋へやって来たオーベルマイヤーさんは、汗を掻きながらぼくらを星嬰宮せいえいぐうへ案内してくれた。

 意外なことに、星嬰宮への入口は断崖絶壁の海側への出口になっている扉だった。まさか皇太子宮への入口が断崖絶壁に繋がるだろう場所にあるとは誰も考えないだろう。扉を空けて一歩中へ踏み出すと、そこは海ではなく緑の生垣に囲まれた庭だった。分かっていても変な気分だ。

「メシの前にみんなで風呂で遊ぼうぜ! 今日はスヴェンちのコックが料理すんだろ?」

「ええ。料理長のダニーを連れて来ていますよ、リヒ様」

 ジークフリードがダニーの料理を食べたがったのもあるが、珍しくフレートが強くダニーの同行を希望したのだ。

「ベステル・ヘクセ様がご一緒してくださるので安心とはいえ、スヴァンテ様にとっては敵となる人間の出入りも可能な場所です。どうか、ダニーもお連れください。ハンス、命に代えてもスヴァンテ様をお守りしろ」

「はい」

「――!」

 至極真面目に腰を折ったハンスの腰へ横から抱きつき、ぼくは首を左右へ激しく振った。

「ダメですよ、命に代えちゃ。ぼくのせいでハンスやラルクやフレートが死んじゃうくらいなら、ぼくが死んだ方がマシです」

「……っ、そんなこと、言わないでください、スヴァンテ様」

「そんなこと言うもんじゃないよ、スヴァンくん」

 ハンスとルクレーシャスさん、同時に諫められてぼくは唇をへの字に曲げた。これだけは譲れない。

「いいえ。言います。ぼくのために死ぬなんて絶対にダメです。そんな忠誠心は要りません。ぼくのために、何が何でも生きてください。生きて、傍に居てくれなくちゃダメです。その方が難しいでしょう? ぼくは横暴な主ですから、困難なことを命じます。誰も、ぼくのために死んではいけません」

「スヴェンならそう言うにきまってんじゃん。フレートが悪いよ。な、スヴェン」

 ラルクがぼくの頭を撫でた。小さな手から仄かに、お日様と土の匂いがした。

「オレはいつだって、スヴェンのところに戻ることだけ考えてる。だって、じゃないとスヴェンが泣いちゃうもんな?」

「そうだよ、泣いちゃうんだからね。みんなちゃんとぼくのところに戻って来てくれなくちゃダメ」

 人生はおとぎ話ではない。だからおとぎ話のように「それからみんなは幸せに暮らしました」なんてのは、無理だと分かっている。けれど。

 ラルクに抱きついて、ハンスのリヴレアの裾を握り締める。フレートがその場へ膝をついて頭を下げた。

「私の心得違いでございました、スヴァンテ様」

「私も、もう二度と命に代えてなどとは申しませんスヴァンテ様」

「オレが一番、スヴェンのこと分かってるだろ?」

「……うん」

 お日様の匂いがぼくの頭を撫でる。命を懸ける忠義など要らない。ぼくの幸せを願ってくれるように、ぼくもぼくの大切な人たちの幸せを願っている。誰一人、欠けることなく。だから。

「もう二度と、誰にもそんなこと言わないで、フレート」

「はい、スヴァンテ様。精霊に誓って」

 ぼくは勝手に込み上げて来る涙を必死で我慢した。その後、ぼくはハンスとフレートにかわるがわる抱っこされることで二人を許したのだった。

 出かける前の一悶着を思い出していると、ラルクがぼくの手へ触れた。

「?」

 視線だけで問いかけると、ラルクは首を軽く横へ振って笑って見せる。

「ラルクが一番、ぼくのことを分かってるんだよ?」

 ラルクの手を握って揺らす。ラルクは頷いてにっこりと笑みを浮かべた。

 侍従は身分の高い人間に囲まれている中で、勝手に発言したりしない。ラルクはすっかり、侍従としての作法が身に付いている。近いうちにラルクもリヴレアを着る日が来るだろう。それはラルクが、対外的に「兄弟のように育ったラルク」ではいられなくなった証だ。

 だからこそ、ぼくはぼくの大切な人たちを守らなくてはならない。望まない貴族の作法を使ってでも、寂しくて心苦しくても、それがこの世界のやり方ならば全力で。

 そのためにも、うちの子たちをうんと着飾らせなければなるまい。フレート、ハンス、ラルクに似合うリヴレアを一揃え。ルクレーシャスさんの象徴色である青を使い、最高級の布で、細部まで凝った作りにしようじゃないか。

 ぼくが一人で頷いている間に、ぼくらは星嬰宮に辿り着いた。

「スヴェンはまたなんか考え事してただろう」

「えへへ。ラルクにお仕着せのリヴレアを作るなら、最高に凝ったものを作らなくちゃなぁって考えてました、ジーク様」

 イェレミーアスが吐き出した音吐は、ため息のようにぼくの耳朶を掠めた。

「ヴァンはラルクに甘いから」

「そうだな、スヴェンが分かりやすく甘やかしてるのってラルクくらいだよな」

「だって、ラルクは素直で無邪気で子供らしくてかわいいですもん」

 ぼくとラルクは主従だ。それでも、ぼくとラルクは乳兄弟だ。永遠に、それはぼくらの中で変わることなどない。

「……」

「……」

「……オレも素直で無邪気で子供らしいぞ、スヴェン」

 その割には完全なる無の顔を向けたローデリヒへ、ぼくは頷いて見せた。

「そうですね、リヒ様も素直で無邪気で子供らしいから、好きですよ?」

「……だってよ。つまりお前は素直じゃなくて邪気があって、子供らしくないんだよ、アス」

「……うるさい、リヒ」

「リヒ様。イェレ兄さまは思慮深く、落ち着きがあって、穏やかで優しいから好きなんです。かわいいとは別です」

「ヴァン……私も、かわいくて綺麗で、優しいヴァンが好きだよ」

 抱っこされたまま、頬ずりされる。ぎゅっと抱きしめられて、ラルクと繋いでいた手がぽろんと外れてしまった。手が離れてしまったせいか、顔を上げたラルクはぼくの後ろへ視線を流し、少しだけ眉を顰めた。

「?」

 ぼくが首を傾げると、ラルクはにっこり笑って首を横へ振る。

「……アス、お前さぁ」

「リヒさん」

 ローデリヒが何か言いかけたが、ラルクが遮って再び頭を左右へ振った。なんだろう。よく分からない。胸へ手を置き、少し体を離してイェレミーアスの顔を見る。

「なぁに? ヴァン」

 イェレミーアスのいつもと同じ、甘い声と虹彩を眺める。考えても分からないことは、ひとまず置いておこう。

 何気なく黙ったままのジークフリードへ視線をやると、目を逸らして頬を膨らませている。

「ジーク様は、素直で明敏で大胆なところがかっこいいですよ」

「かっこいい……ふん。なら、まぁ、許そう」

 ぷい、と顔を背けて前を行く背中を眺める。褒められ待ちだったんだねぇ。ジークフリードのそういうとこ、嫌いじゃない。

 その日、ぼくらはお風呂で遊んでくたくたになって食事をして、それからみんなで一緒にベッドへぎゅう詰めになって眠ってしまった。もちろん、ラルクも一緒に、だ。

 それから三日、ローデリヒは皇宮に留まっていた。三日目にエステン公爵家から迎えが来て帰る時、頬を膨らませてこう言った。

「ちぇっ。ジークの気持ち、よく分かるぜ。オレだけ仲間外れで寂しいじゃん?」

「はは、そうだろう、そうだろう。さっさと勉強を進めてまた来い」

「おう」

 その後はロマーヌスを招いて一緒に遊んだり、ロマーヌスと一緒に来たティモ・エンケ公爵令息と遊んだりもした。

 一週間ほど、ぼくらはよく遊び、よく学び、実に子供らしく過ごした。

 そう。表向きは。

 ぼくはなるべくジークフリードやイェレミーアスと一緒に行動した。その実、勉強の時間にぼくだけは薬学典範を読み漁った。元々、ぼくが一番勉強が進んでいるから問題ない。

 リトホルムと長時間接するのは危険を伴う。短い時間で的確に情報を得るため、質問を絞る必要がある。薬学典範を読み、疑問をリトホルムへ尋ねる。実に濃い一週間であった。薬学士には食物アレルギーという概念が、知識として存在している。だが、薬学典範にはそれらの記載は今のところない。できればリトホルム以外の薬学士にも確認したいところだ。ジークフリードへも、そのことは報告した。

「ふふん。こちらに都合よくことが進んでいるじゃないか、スヴェン」

 この子、段々皇王に似て来たな。太々しい表情で笑ったジークフリードを、覚えずじっくり眺めてしまった。

 とりあえず、それ以降は薬学典範を全部読破することに専念すると決まったのだが。

 それよりも重大なことが、ウードさんから剣術を習っている最中に起こったのである。

「……これも精霊の加護の一種だね……」

 勉強部屋でお菓子を貪っていたところを、オーベルマイヤーさんに呼び出されたルクレーシャスさんは、頭を抱えながら修練場へしゃがみ込んだ。剣術の鍛錬に合流していたローデリヒが朗らかに呟く。

「へぇ~、スヴェンが掴んで武器と認識したものには全部、毒・麻痺・魔法詠唱禁止・石化・魅了・幻覚・硬直・即死の効果が付与されるなんて、無敵じゃん。その上スヴェン自身への物理攻撃も魔法攻撃も毒とかも無効なんだろ? ちょっとでも武器が掠れば勝ちじゃんか」

「即死は物騒だから引っ込めてほしいです、ルチ様」

『……』

 不満そうな顔をしたルチ様にもう一度、繰り返す。

「即死はダメです、ルチ様。生かして尋問したい時、不便なので」

『……分かった』

「即死がダメな理由が怖ぇ。さすがスヴェン」

 ローデリヒがからからと笑う後ろでウードさんが、ルクレーシャスさんの治療魔法を浴びながら体を起こした。

「いやはや、即死に当たらなくて幸いでしたじゃ」

「本当にごめんなさい。精霊様にはよく言い聞かせておきますので……」

 そう。剣術の稽古をつけてくれていたウードさんに、ぼくの木剣が当たった瞬間、麻痺状態になって倒れたことから今回の加護が発覚したのだ。ほんと、毒とか石化とか即死とかじゃなくて良かった。

「付与効果が自分の意志で選べるとなおいいね、スヴァンくん」

「そうですね。どんな効果を付与するか、付与せず戦うか選べるように、できますか? ルチ様」

『……できる』

 できるのか。ルクレーシャスさんもだけど、ルチ様もチートが過ぎないか。

「試してみたいけど、物騒過ぎるからなぁ……」

 ぼやいたぼくへ、ウードさんが真剣な面持ちで告げる。

「しかしそうとなれば、スヴァンテ様には殿下やイェレミーアスとは違った剣術をお教えしなくてはなりますまい。そろそろ各々に合った武器での戦い方を教えるつもりでありましたので、よい機会でしょう。スヴァンテ様は軽くて素早い動きができるレイピアを使って、急所を突くのではなく一撃でも相手に『掠ればいい』剣術に変えた方がいいでしょう。殿下、わしの弟子をスヴァンテ様の剣術指南に呼んでもよいでしょうか?」

「許す。誰だ?」

「今は爵位を返上しましたが……、オリバー・シェーファー元男爵です」

「!」

 何という偶然。シェーファー男爵をタウンハウスへ招くお膳立てもできる。ウードさんの推薦となれば、ミレッカーもこれがぼくの計画のうちか否か、判断に迷うだろう。ぼくらは互いに顔を見合わせ、頷いた。

「体幹がしっかりしていて体力と腕力がおありになるリヒ様には槍術使いのクーノ・ヴェッセリー、身体能力が高く器用で素早いイェレミーアス様には双剣使いのインゴ・クレンゲルを紹介することにしましょう」

 今後は適正のある武器の稽古を増やそうというのだ。これはいわゆるジョブチェンジ的なアレではないだろうか。ヲタクとしては胸熱展開ではないか。

「オレは?」

 ワクワクが止まらない様子ダダ漏れで尋ねたジークフリードへ、ウードさんは破顔して答えた。

「殿下はこのまま、わしがお教えいたします」

「……」

 あからさまにがっかりした様子のジークフリードの肩へ、手を置く。

「ジーク様、ジーク様には剣が相応しいということです。ウード公がおっしゃるのですから、確かでしょう。片手剣であれば、盾を使った戦い方などもこれから習うことになるのでしょうね、騎士の王道ではありませんか。さすがです」

「そ、そうだなっ? うむ」

 ジークフリードのこういう単純なとこ、嫌いじゃない。微笑ましく見守っていると、ルクレーシャスさんが手を叩いた。

「丁度よかったね、スヴァンくん。リヒくんの誕生日のお茶会に呼ばれているから、一旦タウンハウスへ戻らなければならないだろう? その間に剣術の指南役を呼ぶことができる」

「そうですね。一週間後、シェーファー元男爵へご挨拶できれば幸いです、ウード公」

「ふむ。手配しておくとしましょう。それでは本日はこれにて」

「うむ。ご苦労だった」

 侍従から受け取ったタオルで汗を拭きながら、ジークフリードが労う。

「じゃーな、ウード。とーちゃんには、オレがこれから槍を習うってウードから言っといてくれよ」

 そう、ウードさんはエステン公爵の師匠でもある。以前から付き合いがあるのだろう。まぁ、ローデリヒは誰に対してもこんな調子ではあるが。

「ご指導、ありがとうございました。ウード公」

 イェレミーアスは実にイェレミーアスらしく、礼儀正しく挨拶をした。頭を下げた瞬間、ぽたりと地面へ落ちた汗へ何となく目を向ける。ウードさんが修練場を出て行くと、イェレミーアスはぼくの汗を拭いながら当たり前のようにぼくを抱っこした。

 修練場の中と周囲は人払いされている。しかし、皇宮の中庭へさしかかると貴族たちの姿がちらほらと見受けられた。

「あっちぃ! なぁ、ジーク、早く風呂入ろうぜ!」

 シャツの裾で汗を拭いていたローデリヒが、面倒になったのかシャツを脱いだ。丸めたシャツで汗を拭きながら歩き出したローデリヒは、上半身裸だ。

 皇宮と政宮を繋ぐ吹き抜けの回廊に居たご令嬢方が、「きゃ~っ!」と声を上げたのを横目に皇宮へ向けて歩き出す。ジークフリードは言うに及ばず、ローデリヒ、イェレミーアスはいずれも見目麗しく将来性の高い貴族令息だ。おまけに偉大なる魔法使いを一目見ようとする皇宮付きの魔法使いまで、遠巻きにルクレーシャスさんを眺めている。

「ラウシェンバッハ伯、お久しぶりです」

 皇宮付きの魔法使いたちがイェレミーアスへ挨拶する。顔見知りなのだろうか。

 ぼくが疑問をそのまま顔へ貼り付けていると、ローデリヒがにかっと笑った。

「各辺境領地の騎士と、皇宮騎士団と、宮廷魔法士は夏になると合同で軍事演習するんだよ」

「私は炎の魔法も使えるんだ。炎は数ある魔法属性の中でも攻撃に特化した魔法だからね」

「そうだぞ、スヴェン。アスは魔法だけでも十分強い。宮廷魔法士ですら苦戦するんだ。模擬戦を見たことあっけど、おっかねぇぞ。普通、炎の魔法を使えても火の玉を飛ばせるだけで十分なのに、アスは広範囲を燃やし尽くす魔法が使えるからな」

「広範囲……」

 広範囲と言っても、一メートル四方くらいかな。ぼくがイェレミーアスを見上げると、ローデリヒはまるで嫌いな食べ物でも含まされたみたいな表情で押し出した。

「三十ツッカーレーデンくらいを一瞬で燃やしつくすんだぜ……」

 一メートルは、この世界でいう大体一ツッカーである。レーデンは範囲、要は三十ツッカーレーデンとは、おおよそ三十メートル四方だと考えていい。三十メートルってどれくらい? って思うでしょ。大体、マンションの十階までくらいだよ。……えげつない。ぼくの考えを見透かしたように、イェレミーアスが普段通りに美しく微笑んだ。

「……何だか、普段の穏やかで優しいイェレ兄さまが炎の魔法の使い手と言われても、ピンと来ないです……」

「アスは確かに優しいヤツだけど、スヴェンには特別優しいからそう思うだけで結構こいつ、短気なとこあるぜ?」

「うそだぁ。イェレ様が怖い顔したとこ、ぼく一度も見たことないですよ?」

 ぼくが声を上げて笑うと、ローデリヒは目を逸らして口の中で何やらゴニョゴニョと転がした。

「うん……そりゃそうだろうよ、スヴェンから見えないとこでしかしねぇもん……」

「リヒ」

「お?」

「ヴァンが誤解するようなことを言わないでくれないか」

「ほらぁ! ほらほら、スヴェン見ろ! これが本性だぞ!」

「?」

 イェレミーアスの顔を覗き込む。いつも通りに優しい笑みを浮かべている。口を開けたままぼくが首を横に振ると、ローデリヒはがっくりと肩を落とした。

「ヴァン、お口を開けていると埃が入ってしまうよ? ごらん、そんなことも気にせずに大口を開けていると、リヒみたいになってしまう」

「はい」

 慌てて片手で自分の口を覆う。ローデリヒが拳を振り上げて抗議した。

「オレみたいってなんだよ、どういう意味だよ! おい、アス!」

「ヴァンがあんな風になるわけがないけど、あの通り下品だからね。真似をしてはいけないよ?」

「はい、イェレ兄さま」

 ぼくは素直にこくん、と頷いた。イェレミーアスがぼくへ頬を寄せる。頬を合わせたまま、二人でローデリヒをじっと見つめる。

「ちょ、おい、スヴェン!」

 まぁそれにしても、見学のご令嬢のみならず宮廷魔法士まで。うちの子たち、大人気だぁ。みんな美形だもんね。分かるぅ。

 ちょっとだけドヤ顔をしたぼくへ、イェレミーアスが囁く。

「さ、早く汗を流しに行こう。ヴァン」

 いつもなら服を着崩したりしないイェレミーアスも、暑いのかシャツの前を肌蹴ている。美少年乱舞である。ぼくは脱がないよ。貧弱な体を見られたくないからね。それにさっき、シャツのボタンへ手をかけたらイェレミーアスに手を押さえられ、静かに頭を振られてしまった。

「はい。でもイェレ兄さま、ぼく一人で歩けます」

 イェレミーアスの胸へ手を置いて突っ張り、気持ち体を遠ざける。汗に濡れた前髪を耳へかけながら、眩しいくらいの笑顔で尋ねられた。

「どうして?」

 もじもじと胸の前へ垂らした己の髪を指で弄る。妖精たちが、編み込んだぼくの髪へ花を挿した。

「……だって、ぼく今とっても汗臭いですもん」

「大丈夫だ。ヴァンはいつだって花蜜のいい匂いしかしないよ」

「そんなはずないですよ……?」

 完全無欠の美少年であるイェレミーアスだって、多少汗の匂いはしている。全然臭くないし、爽やかだけども! ぼくくらいの年頃の子供は体温高いし、汗をたくさん掻くからね! やっぱそこはデリケートでセンシティブな問題を孕んでいるんじゃああるまいかッ!

「本当だよ? 私はヴァンに嘘をつかない」

 普段と同じにこつん、と額を押し当てられる。視界の端で回廊に居たご令嬢たちが、何人も倒れて行くのを捉える。なるほど美しいとは罪深いことだ。

 その中に、冬空の下で青白く仄かに光を跳ね返す白磁のような容貌を見かけたが、ぼくは目を逸らした。

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