第28話 懸念も芽吹く、芽吹き月 ⑵
「ともかくだ。ひとまずスヴェンが諸々やらかしていることは脇へ置くぞ。妖精が情報を集めてくれるのならば、我々にとってもありがたいことだ。イェレミーアスも、ラウシェンバッハの死の真相は知りたいだろう」
両膝へ肘をつき、頭を抱えてジークフリードが吐き出す。それからジークフリードはちらり、とイェレミーアスへ上目遣いに視線を向けた。イェレミーアスも真剣な面持ちで頷く。
「はい」
「というわけで、スヴェンへの妖精と精霊の寵愛についてはひとまず今は考えたくない」
「分かる。他言無用だよ、ジークくん。特にヴェンには」
「承知しております、ベステル・ヘクセ殿」
ジークフリードとルクレーシャスさんが、全く同じ表情で宙へ視線を漂わせている。静寂を破り、ノックの音が響いた。
「スヴァンテ様、ローデリヒ様がお越しになられました」
「よお、スヴェン! お、なんだジークも居るのか! 久しぶりだな!」
現在この屋敷で、叩きつけんばかりの勢いで扉を開く人間はローデリヒだけだ。ラルクですら、もう返事を待ってからしか扉を開けないというのに。本当に君は公爵令息か。
「こんにちは、リヒ様。お越しいただき、ありがとうございます」
「おう、リヒ。こっちへ座れ。ほら、イェレミーアスの隣だ」
「いらっしゃい、リヒ。今日は早かったんだね」
「おう、元気そうだなジーク、アス。なんだよ、スヴェンは相変わらず堅苦しいな。フレート、オレにも紅茶とお菓子をくれ」
「かしこまりました」
まるで我が家のように振る舞うローデリヒの登場を、ほんの少しだけありがたいと思うだなんて。ベッテは今、正しくメイド長の仕事をしているので、お茶とお菓子の載ったワゴンを運んで来たのは新しく雇ったメイドたちだ。一応、イェレミーアスに気を遣ってお茶を給仕するメイドは三人付けている。それでも多分、少ない方だ。
イェレミーアスからすれば暮らしぶりは落ちぶれた、ということになるだろう。申し訳ない限りであるが、ぼくは前世がド庶民日本人なので落ち着かないのだ。だって朝の着替えですら、部屋を暖める係と着替える服を持って来る係と寝間着を脱がす係と服を着せる係が、四人一遍に押し寄せて来るんだよ。正気じゃない。本来なら上衣を着せる係と下衣を着せる係と、靴下を履かせる係と、靴を履かせる係も別なんだって。聞いた時に倒れそうになったもん。そんなに大人数に毎朝、囲まれたくない。
なので、イェレミーアスたちには好きなだけメイドや侍従を増やしてもらって構わないと伝えてある。ただ、居候の上にお金も多分、満足に持ち出せてないだろうイェレミーアスたちが我儘を言えるわけもなく。その辺の事情は察するので、イェレミーアスたちへ付けたメイドや侍従の数はぼくより多い。フレートが手配してくれたんだ。
しかもこの世界さ、魔法があるからメイドや侍従は採用する際に、仕えるお家で見聞きしたことは口外できない魔法をかけられるんだって。破ったら罰金か一生喋れなくなるだとか、酷いところは命を賭けて誓わされるそうだ。怖い。まぁ、階級社会って身分が下の人間の人権なんてないに等しい扱いだよね。話を聞いてびっくりしちゃったから、うちの使用人たちは強制労働で罰金を
罰則は重くないと、己の身を守れませんとフレートに諭されてしまった。ノブレスオブリージュと己の身を守ることは別に考えなければならず、けれどどちらもおろそかにしてはならない。フレートはそう言った。その考え自体に反論はないし、理解もしているんだ。ただ、平和な日本で庶民として育ったぼくには少し受け入れがたいのだ。それでもどうしても人の尊厳を奪ってはならない、という考えは捨てられない。ぼくはヘタレで構わない。人を踏み躙ってまで何かを為したいとは思えない。
「ジーク様、イェレ様、おかわりはいかがですか? ルカ様は?」
「うむ。オレはいただこう。相変わらずスヴェンの作るお菓子は美味いな」
「ありがとう存じます、スヴァンテ様。私はこれで、ご遠慮いたします」
「わたくしは自分でおかわりするから、ティーポットごと置いて行っておくれ」
三者三様だ。こういうのは困るけど、できないと貴族のメイドは務まらない。
「カローネ、ジーク様のお茶は少し冷まして差し上げて。マルガ、リヒ様は砂糖を入れるのも掻き混ぜるのもご自分でなさるので先にお菓子を用意して差し上げてください。ハイディは後で別のティーポットと、お湯と茶葉をワゴンで運んで来てください。ぼくの焼いたスコーンが厨房にあるはずだから、ダニーから受け取って一緒に持って来てね」
「かしこまりました」
メイドたちはてきぱきとお茶を準備して行く。イェレミーアスは元々小食なのだろうか。それとも世の十一歳はこんなものだろうか。ガブガブお茶を飲みお菓子を食べる大人がすぐ側にいるので、よく分からない。
「イェレ様、よろしければこちらをどうぞ。色んな花の砂糖漬けです。お口直しになりますよ」
「ありがとうございます、スヴァンテ様」
美少年と花の砂糖漬け。正直、すごく絵になる。素敵。うふふ。
イェレミーアスは甘いものが得意ではないのかもしれない。甘くないお菓子もいいよね。例えばチーズパイとか、ミートパイとかさ。あ、どうしよう。カレーパンが食べたくなって来た。焼きそばパンとか、ホットドッグもいいよね。コロッケパンとか、カツサンドとかさ。ホットドッグなら、パンの部分をパイ生地で作っても美味しいよね。
「よし、まずホットドッグかな」
「新しいお菓子かい? 新しいお菓子だね? スヴァンくん!」
ほんとこの人はお菓子のことに関してのみ、耳聡いな。ぼくの耳元でうきうきしているルクレーシャスさんのほっぺを手のひらで全力を込め押して、遠ざける。
「甘くないお菓子を考えていました。イェレ様は甘いものがあまり得意ではないようなので」
「あ……いえ、そんなことは。私にそこまで良くしていただかなくてもよろしいのです、スヴァンテ様」
「ぼく、みんなで楽しくお茶を飲みたいんです。できれば美味しいものを食べたいし、みんなが幸せでいてほしい。そのために好き好んでやっていることなので、これはイェレ様のためではなく、ぼくのためですよ」
ラベンダーの砂糖漬けを口にして、その華やかな香りが口中へ広がるのを楽しむ。
「だからイェレ様も、イェレ様のご家族もぼくへ必要以上に
「ん~?」
行儀悪く足を組んで、その上に肘をついたローデリヒが何かを考え込むように虹彩を上へ向けた。それから指を鳴らしてぼくを指す。
「難しいこと言ってっけど、つまりスヴェンは『気にすんな』って言いてぇんだろ! だってさ、アス!」
「ふふっ。そうですね。結構、ぼくは単純なんですよ。イェレ様。それにね、小さな楽しみは、たくさんあった方がいい。悲しいことがあった時、心の慰めがたくさんになるから」
「心の慰め、ですか」
「ええ。今はまだ不安で悲しくてそんな気持ちにはなれないかもしれません。でもイェレ様。少しずつ解決していきましょう。だから、その前にイェレ様のお心が悲しみで潰れてしまわないよう、ここで少しずつ、小さな楽しみを増やして行ってほしいのです。日常の小さな楽しみを感じることに、罪悪感を覚えないでいただきたいのです。それは心の傷を癒す手段です。心はそうして治療しなければ、いつか折れてしまう。悔しさも憎しみも復讐も、忘れなくともよいでしょう。けれど幸せでいてください。そうして強くなって、立ちましょう。堂々と、ラウシェンバッハへ。そのためのお手伝いをいたしますよ」
「……っ、ありがとう、ございます……」
イェレミーアスはきっと、押さえて堪えて我慢して、ここで暮らそうとしているのだろう。けれどぼくは、それでは心が長く持たないことを身を以て知っている。だからそんな風に過ごしてほしくないのだ。
「イェレ様はもう少し正直なお気持ちをお聞かせくださって、よいのですよ。正直に、あの、ぼくのこと、不審者だと思ってますよね本当にすみません……」
「ぶはっ! あっはっは! 不審者っていうかさ、妖精かと思ったって言ってたぜ、スヴェン」
「リヒ! 内緒にするって約束したじゃないか!」
慌てた素振りでイェレミーアスがローデリヒの膝を叩いた。ローデリヒとは大きな声で言い合いしたりするんだね。やっぱり、ローデリヒはムードメーカー的な存在でありがたいな。
「妖精……うーん、さすがイェレ様、不審者を上手く言い換えてくださるお気遣い……」
「イェレミーアス、スヴェンにははっきり言わんと通じんぞ。何しろ己に関することには大層鈍いからな」
「そうだよ、これだけあからさまに妖精や精霊に寵愛されていても『まさかぁ』って笑う子だよ。それはもう、ものすごく鈍いんだ」
ルクレーシャスさんまで頷いている。何だろうな、この話題になるとぼくに味方はいない。無理にでも話題を変えなくては。
「そんで、アスの親父さんのことはどうなったんだよ、スヴェン」
ナイスだローデリヒ。空気読まない子でも必要。必要ですよ。
「死因はザネルラ熱ではなさそうです。ぼくに思い当たる症状があるのですが、殺意があってのことか、不幸な偶然なのかの判断が付かないので調べる時間をいただきたいのです」
「……そっか。とにかく、難しいことはスヴェンが考えるからさ。お前はちょっとゆっくりさせてもらえよ、アス」
「……ああ」
「ってことでさ、おねーさん、お茶のおかわりちょうだい」
「かしこまりました」
ローデリヒはちゃんと空気の読める子だ。だからこそ、空気を読まない時はちゃんと空気を読まない。この子も生き賢いというか、頭の回転の速い子だ。
「スヴァンくんにとって、お菓子作りは『心の慰めになる、小さな楽しみ』なんですよ。だから好きにさせておきなさい、イェレミーくん」
「……ルカ様も、微妙な愛称を付けますよね?」
わぁい、横文字名前の愛称付け下手仲間だ。この世界に生まれた人でも愛称付けるの下手なんだから、ぼくも気にしないでおこう。
「……今の話で思うことが、それなのか。スヴェン」
「……」
今の話で、それ以外に思うようなポイントがあっただろうか。目を瞬かせてジークフリードを見つめる。向かいに座ったジークフリードは額に手を当て、大きくため息を吐いて肩を落とした。
「ぶはっ! ぶははっ! スヴェンって頭いいのにちょっと抜けてるよな」
「ふ……ふふっ……スヴァンテ様は、見た目のようにおかわいらしいですね」
なに? 何だよ? ローデリヒだけじゃなくてイェレミーアスまで馬鹿にしてぇぇぇ! 穿いてない子扱いの次は、あほな子認定ですよ納得いかない。しかし悪巧みをした四人全員揃っている時に、やっておかねばならないことがある。ごほん、と咳払いをしてローデリヒ、イェレミーアス、ジークフリードを見回した。
「とにかく、ここに居る皆様揃ってジーク様の生誕祝いの宴へ出席することになるわけです。どこにラウシェンバッハ辺境伯を陥れた人間や、協力者が潜んでいるか、そもそもラウシェンバッハ辺境伯の死自体が事故であったかも分からないので、ぼくたちは口裏合わせをしておく必要があります」
「ふむ。そうだな」
「つまりこうです。『イェレ様と友人であるリヒ様がジーク様へ助けを求め、ちょうど離宮から引っ越すことになっていたぼくがイェレ様ご一家をお預かりすることになった。それ以外のことは知らない』」
「ふむ。その辺りが妥当か」
ジークフリードが頷く。イェレミーアスも同意した。
「そうですね、殿下」
「殿下などと堅苦しい。オレのことはジークと呼んでくれオレもイェレと呼んで……」
しばしイェレミーアスの顔を眺めた後、ジークフリードは小さく首を振りながら、頭を抱えた。それから何かを悟った表情で顔を上げると、イェレミーアスへ声をかける。
「オレもリヒに倣ってアスと呼ぼう」
「はい、ジーク様」
イェレミーアスはにっこり微笑んで胸へ手を当てた。なんだろう、いつの間にか二人が仲良くなっている。
「しかしスヴェン、一般貴族に開放された宴の方への出席で本当にいいのか?」
「大丈夫です。ぼくがまだ離宮に居るのならばご遠慮しましたが、今は逃げ場がありますから」
「何だ? 誰かにいじめられてんのか、スヴェン」
「……バルタザール伯と、ちょっとありまして」
「……ミレッカー宮中伯は、フリュクレフ公爵家と因縁のある家門ですからね」
「因縁?」
「知らないのか、リヒ。その……」
言いにくそうにイェレミーアスの視線がぼくへと向けられた。頷いて口を開く。
「ぼくの高祖母が先々代の皇王に捕まったのは、ミレッカー宮中伯の高祖父殿の裏切りがきっかけでしたので」
「あ。悪ぃ……」
「いいんですよ。ぼくは高祖母も、初代ミレッカー宮中伯のことも、知らないので。ただ、そのせいかやたらとぼくに当たってくるのですよ」
とほほ、と眉を下げて笑って見せた。仁義に厚そうなローデリヒより先に声を上げたのは、意外にもイェレミーアスだった。
「なんと卑劣な。高祖父の仕打ちを恥じるどころか、まだスヴァンテ様を陥れようとするとは。ご安心ください。私がスヴァンテ様をお守り申し上げると誓います」
「わたくしも一緒に行くから、大丈夫だよ」
「バルティだけではなく、父上もスヴェンに嫌味の一つも言いたいと思っているだろうから、父上対策としては、一般貴族の宴に出る方が嫌な思いをすることは減るだろうが、それ以外がな。アンブロス子爵も、フリュクレフ公爵も、リヒテンベルク子爵や子爵令嬢も参加するだろう」
そりゃ皇国唯一の王太子の生誕祝いだもの、ラウシェンバッハからも代理で誰かが来るだろうし、よほどの理由がなければ出席を断る貴族など居ないだろう。目を横へやると、ルクレーシャスさんと視線が合った。困ったものだ、と言いたげに肩を竦めた師匠へ、えへへと笑って見せる。
「実はぼく、精霊様の加護があるので物理攻撃も魔法攻撃も毒やらなにやらも効かないんです。なので、ダメージは心の方のみなんですけど、それは帰って来てラルクと一緒にお風呂でアヒルちゃんと遊んでルカ様に抱っこしてもらって皆さんに甘やかしてもらったら復活するので大丈夫ですよ」
部屋の中が静まり返る。フレートとルクレーシャスさんだけがいつも通りである。メイドたちは動揺したのか一瞬動きを止め、それから意味もなくポットを持ち上げたり下ろしたりしている。
「スヴァンテ様、えっと……、アヒルちゃん、ですか……」
この世界、お水は貴重なので貴族でも一人でお風呂に入るのは贅沢である。なので兄弟が居るところでは兄弟二、三人で一緒に入浴なんていうのは普通だ。だからぼくが乳兄弟であるラルクと一緒にお風呂に入るのも、別に不思議はない。なのでイェレミーアスの疑問はアヒルちゃんに集中しているのだろう。ぼくは至極真面目に、アヒルちゃんについて答えた。
「そうです。アヒルちゃんです。ぼくが木で彫ったんですよ。かわいいんです。お風呂でちゃぷちゃぷ浮かぶんですよ。ラルクもお気に入りです」
「ぶわははははは! スヴェンお前、そんなとこだけ子供らしく……っヒッ……腹いてぇ……ブ、ククッ……!」
ローデリヒの大きな笑い声が、タウンハウスに響き渡った。何だよぅ、いいだろアヒルちゃん。かわいいんだぞ、アヒルちゃん。無邪気なラルクとかわいいアヒルちゃんのリラックスバスタイムで癒されたいんだよ、そうでもなきゃやってらんない日もあるんだよ。ふん、だ。
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