第63話 反間苦肉の舞踏曲 ⑴
ぼくが一人懊悩している間に、ローデリヒの誕生日がやって来た。
日本で言う八月。穂刈月の二十九日がローデリヒの誕生日だ。エステン公爵家が招待状を送って来たお茶会は二十九日当日だった。
「ヴェルンヘル、久しいな」
「ジークフリード殿下、お久しぶりでございます」
「毎日皇宮に居るはずなのに、お互い顔を合わせる暇がないな」
「まことでございますな、殿下」
「ここ最近はぼくらと勉強か剣術の鍛錬をしておられるので、決まった場所にしか行かないからでしょうね」
ぼくらはジークフリードと一緒に、
「アス、スヴェン君、いらっしゃい。ベステル・ヘクセ様、本日はお越しいただきありがとうございます」
「ヴェルンヘル様、お招きいただきありがとうございます」
「来たくなくとも、わたくしはスヴァンくんがかわいくて心配で付いて行きたくなるのだから仕方ないね」
「ルカ様、そんな言い方しちゃメッ! ですよ」
「ほら見なさい。生意気でかわいいだろう?」
ルクレーシャスさんはめんどくさそうに杖を揺らしてぼくの頭を撫でた。言葉はぞんざいでも、頭を撫でて行く手は優しい。
「あ! ジーク、アス、スヴェン! こっち、こっち」
すっかりぼくらが仲良し四人組で固まっているというイメージが付いたのか、ローデリヒがさっさと部屋へ招く様子を誰も気に留めない。この機会にエステン公爵家と関わりを持ちたい貴族の令息令嬢たちが親に前へと押し出されていたが、イェレミーアスが振り返った後、何故かぴたりと動きが止まった。何だったんだろう。
ローデリヒの部屋へ通される。アイボリーとマホガニーブラウンで統一された内装は、ローデリヒの活発なイメージとは真逆に落ち着いている。その代わり、リネンやソファの座面が明るいミントグリーンの刺し色が置かれており、上品なで洗練された雰囲気である。エステン公爵夫人の趣味だろうか。
部屋へ入ってそれぞれが思い思いにソファへ座る。ローデリヒの左隣はジークフリード、反対側にルクレーシャスさん、その右手にぼくを抱っこしたイェレミーアス。いつもこの並びだ。早速、持参したシフォンケーキをテーブルへ置く。シフォンケーキの型はマウロさんに頼んでパトリッツィ商会で特注した。シフォンケーキに添えるジャムやバタークリームやカスタードクリームも作って来た。当たり前のようにルクレーシャスさんがシフォンケーキを頬袋へ詰め込む。
「ゼクレス子爵邸をうちで買ったって、来た客に話しておいたぞ、スヴェン」
「さすがリヒ様、行動がお早い」
「えっへん」
メイドがお茶を出すと、ローデリヒは片手を上げた。メイドたちが部屋を出て行く。いつもの顔ぶれだけになった気安さで、誕生日プレゼントを広げる。
「リヒ様は騎馬が得意で力があるので馬上からの攻撃に向いている
「おお、うわぁ……! すっげぇ……!」
淡く燐光を放つミスリル銀の
「あんがとな、スヴェン!」
「ええ。ウード公が槍を、とおっしゃる以前からリヒ様には戦斧や槍のような重量のある武器が合うのではないかと思っておりましたので」
「うん。槍に変えたら手が二倍に伸びたみたいで、性に合ってる」
ローデリヒは己をイェレミーアスやラルクより弱いと言っていたが、単純に得意武器の違いなのではないかと思ったのはあながち間違いではなかったようだ。素直に視野が広がったことを喜べるローデリヒを、羨ましくも好ましく思う。
「うむ。騎馬上手のハルバード使い、炎の魔法を操る希代の天才双剣使い、レイピア使いの策士。中々に充実した腹心ではないか。なぁ、スヴェン?」
「ジーク様の人徳ですね」
「と、いうわけで。オレからはワイバーン革のブーツだ」
「ワイバーンって、二百年前の魔王討伐で滅んだんだろ?」
そう、ルクレーシャスさんが勇者と一緒に魔王を討ち取ったので、この世界にはザコモンスターしか存在しない。ゴブリンなんか見つかったら軍隊が出撃する一大事なのである。よって、ワイバーンのような強い魔物は今では伝説上の生き物なのだ。
ルクレーシャスさんは静かにティーカップを仰いで、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「わたくしの家で埋もれてた革をあげたんだよ。ワイバーンの革だったんだね、アレ」
「……ベステル・ヘクセ様って、本物のベステル・ヘクセ様なんだな……」
「……そうだな。オレも今回、改めて認識した」
「失礼だな、君たちは!」
この三人が揃うと俄然、気の抜けた会話になる。皇太子と、魔王を倒した偉大なる魔法使いと、公爵令息というすごい面々なのに。
「私からは鞍だ。今使っている鞍がしっくり来ないと言っていただろう?」
「おう! アスんとこの馬に付いてた鞍がケツ痛くなんなくて良かったんだよ。あんがとな!」
「また遠駆けに行こう」
「おう」
大事そうにぼくらの贈り物を部屋の真ん中へ置いて眺めていたローデリヒは、ノックの音に立ち上がった。
「お坊ちゃま、そろそろ広間へご移動ください」
ローデリヒ、公爵家では「お坊ちゃま」って呼ばれてるんだ。そうだよね、今日でようやく十一歳だもんね。ほっこり。
「分かった! 行こうぜ、ジーク、アス、スヴェン」
「おう」
「ああ」
「はい」
ぼくらが続けてソファから立ち上がると、ルクレーシャスさんは片手に持っていたシフォンケーキを口へ押し込んだ。
「……はぁ……めんどくさい……」
「別に無理してぼくに付いて来なくていいんですよ、ルカ様」
「わたくしが付いて行かなかったら誰が君を権力から守るんだい?」
「ヴェルンヘル様が」
ここはエステン公爵家である。その上エステン公爵は人望もあり、権力もあり、何と武力まであるんだよ。頬袋にお菓子を詰め込むのを主な仕事にしているぼくの師匠とは、一味違う。
「あ~! そういうこと言っちゃうんだね、スヴァンくん! どうせね、わたくし権力しか持ってませんよ!」
「そうですね。ルカ様はこの世界で唯一無二の権力をお持ちですね」
「そうだよッ! もっとわたくしを敬いたまえよ、スヴァンくん!」
「ルカ様すごぉい」
「もっと尊敬の念を込めたまえ!」
めんどくさくなったぼくは、ポケットに隠し持っていたキャラメルをルクレーシャスさんの口へ押し込んだ。偉大なる師匠は、途端に静かになった。
「ベステル・ヘクセ様がさぁ、スヴェンに餌付けされたお菓子大好きな威厳とか皆無のダメな人だと、思わないじゃん?」
「……まぁ、な」
ローデリヒとジークフリードの会話を完全に無視しながら階下へ降りる。広間の扉が開くと一瞬の静寂ののち、一斉に視線が注がれた。主役と共に広間へ入ったぼくらへ、意識が集中するのが分かった。ざわめきと打算が広がって行く。悠然と広間を突っ切ったローデリヒが、エステン公爵の横へ立つと会話が止まる。
「本日は我が息子の誕生日を祝うささやかな茶会へお越しいただき、感謝する。存分に楽しんでいただきたい」
エステン公爵の挨拶を合図に、再び広間は打算と姦しさに包まれた。嫡男の誕生日祝いとはいえ、周囲が狙っているのは何とかエステン公爵との繋がりが持てないかどうかだ。大人たちから形ばかりのローデリヒへの挨拶が済むと、小さな人影が近づいて来て手を振った。
「リヒ! ジーク様、アス、スヴェン!」
「よお、ロン」
「ロン様、こんにちは」
ハニーイエローの丸っこい瞳、鮮やかなエメラルドグリーンの髪へ体ごと向き直る。ちょこちょこと歩み寄って来たロマーヌスがローデリヒの腕を掴んだ。
「ティモが領地に帰っちゃって、つまんないんだよぉ。冬の間、ボクも皇宮に遊びに行っていいですか、ジーク様」
ジークフリードがちら、とぼくへ視線を送った。ジークフリードが返事をする前に、ぼくが口を開く。
「いいですね。最近はほぼ毎日、ぼくらは皇宮で勉強や剣術を習っていますのでぜひ」
ロマーヌスはバルタザールと従兄弟同士だ。ぼくらの遊び相手にロマーヌスが混じっても、疚しいことがないとアピールするのもいいだろう。
「バルティとは遊ばないのかよ、ロン」
突然ローデリヒが口にした。ジークフリードもぼくも尋ねる機会を窺っていたのだが、これだからローデリヒは侮れない。
「バルティはね、後継者教育で忙しいんだって」
「ふぅん。大変だな」
自分が尋ねたくせに、興味なさげに頭の後ろで手を組んだローデリヒにロマーヌスも呆れ気味の表情を見せた。
「ふうんって。リヒが聞いたんじゃないか」
「もうさ、『教育』って聞いた時点で興味がうせたぜ」
「リヒはあいかわらずだね……」
ロマーヌスに全面同意である。エステン公爵が不憫になった。
「……リヒ様も、しっかり後継者教育を受けなくてはいけないはずですよ?」
「オレにそれを期待すんなよ。むずかしーことはスヴェンに聞くからいーの!」
「……リヒ……。ヴァンにあまり、迷惑をかけるなよ……」
「いーじゃん、いいよな? スヴェン! オレたち仲良しだもんな!」
「オレはエステン公爵家の未来が不安になってきたぞ……」
「ぼくもです、ジーク様」
「あはははは」
ぼくがジークフリードと顔を見合わせ、ため息を吐くとロマーヌスは屈託なく笑い声を上げた。ここまでずっと、ぼくはイェレミーアスに抱っこされたままなのだが慣れたのか誰も何も言わない。だが、ロマーヌスの姉であるイルゼ嬢が友人と思しき令嬢たちと、扇で顔を隠しながら遠くからこちらを眺めているのが視界の端に入った。
あんな感じの人たち、ぼく知ってる。あれだ。野鳥を見る会の人みたいだ。
イェレミーアスの肩越しに周囲を見回す。冬を皇都で過ごす貴族は少ない。だから今日、お茶会に出席している貴族たちは大まかに三通りに分類できる。
領地経営を家令に任せ、皇都で通年過ごせるだけの財力がある者。
地方に領地を持たず、皇都にのみ屋敷を持つ者。
ローデリヒの誕生祝のお茶会に出席するため、領地へ戻るのを遅らせた者。
あとは皇都の学校に通う、貴族の子息たち。貴族の子供たちは大抵、十五才になると三年間くらい、学校へ通う。そこは小さな社交界だ。
大人も子供もエステン公爵家と繋がりを持ちたい貴族は多い。わざわざ領地への出発を遅らせた者が多いのではないだろうか、という印象だ。メッテルニヒ伯爵家のように、代々当主が重要な文官の座に就いている家柄は珍しい。ロマーヌスの父、現メッテルニヒ伯爵は宰相である。
残るはリヒテンベルク子爵のような、税収が安定している領地を持つ者、である。どんぶり勘定で多少家令が懐に入れてしまっても、当主が皇都で過ごせる財力がある者。そう、皇都で暮らすのはある種のステイタスなのである。だがこれも多くはない。
そう考えると、さすがエステン公爵家の嫡男の誕生を祝うお茶会。人が多い。
エステン公爵家に着いてから、ずっと気になっていたことをロマーヌスへ聞いてみる。
「イルゼ様は、今日はご友人とお過ごしですか?」
「うん」
「ではイルゼ様は本日、ビルギット様とご一緒ですか?」
「ううん。今日はビルケ姉は来てないみたいだよ」
ちょっとだけほっとした。ぼくはほっとしたことを悟られないように当たり障りのない返事をしようとしたが、ローデリヒがばっさりとぶった切るような言葉を吐く。
「おう。ビルケは呼んでねぇもん。別に仲良くないしさ。呼ぶ理由ねぇじゃん?」
「……リヒ……」
「リヒ、お前……」
「リヒ様……」
「あっはっはっは、リヒってそういうとこあるよね!」
ロマーヌスが腹を抱えて笑ったが、やはり誰もが思うところなのだと納得した。
ローデリヒはそういうとこ、ある。
「まぁ……そういう、公爵令息らしからぬところがリヒ様のいいところですよ……」
「おう。知ってる」
貴族なんて本音を隠して付き合ってなんぼの世界だ。本音を隠せない率直さを好ましいと思う人間を、ローデリヒ自身も無意識に選んで付き合っているのだろう。
にかっと笑ったローデリヒの頭を、無言で撫でた。イェレミーアスがほんの少しだけ眉を寄せ、ぼくをローデリヒから遠ざけた。
「甘やかしてはいけないよ、ヴァン。リヒは調子に乗るからね」
「はい、イェレ兄さま」
「オレはこの先、むずかしーことはスヴェンに聞いて槍と騎馬の腕だけを磨くことにしたんだよ」
「いっそ清々しいな」
「ほんとだねぇ」
ジークフリードの言葉へロマーヌスが頷く。クスクスと笑っていたロマーヌスが、ちらちらとぼくらへ視線を送っていることに気づいた。
「退屈ですか、ロン様」
「あっ、いや……。あのさ、スヴェンたち、今日はリヒのところでお泊りなの……?」
「ええ。ロン様も他にご予定がなければいかがですか?」
「何でスヴェンが誘うんだよ」
「ぼくんちにほぼ毎日入り浸りだったリヒ様に言われたくないです」
ぼくがぴしゃりと言い放つと、ジークフリードも頷く。
「明日からスヴェンたちは皇宮へ泊まるから、帰りはオレの馬車でメッテルニヒ邸まで送るぞ? ロン」
「いいんですか、ジーク様!」
ぱぁっ、と明るい表情になったロマーヌスを目路に入れる。おそらく、去年までは親しくしていたジークフリードとローデリヒが遊んでくれなくなって寂しいのではないだろうか。純粋にそれだけで、他意はないのだろう。
「じゃあボク、ちょっと姉さまに言づてて来ます!」
遠巻きにぼくらを見ていたイルゼ嬢のところへ駆けて行くロマーヌスを見送りながら、顔を寄せ囁き合う。
「ロンは隠れみのだな?」
「バルタザールともやり取りがあるようだし、都合がいいね。ヴァン?」
「ええ。ぼくらは遊んでますよ、というお芝居を全力でいたしましょう」
「つまりオレは全力で遊んでおけばいいな? スヴェン」
「ええ、リヒ様はそれでいいですよ」
「りょーかい!」
ぼくらは短い作戦会議を済ませ、笑顔でロマーヌスを迎えた。
もうすぐ長く厳しい皇国の冬が始まる。
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