第64話 反間苦肉の舞踏曲 ⑵
きゃあっ。
あははっ。
わぁっ。
ぼくらが子供らしい歓声を上げて笑うたび、通りがかる大人たちは微笑ましいものを見る形に瞳を撓らせる。
きつね、きつね、ずるがしこいぞ。
ちゅーちゅー、ねずみをおいこむぞ。
にげろ、にげろ、つかまったら、まるやき。
きつね、きつね、ずるがしこいぞ。
ちゅーちゅー、ねずみをおいこむぞ。
にげろ、にげろ、つかまったら、なべでにこんでスープにするぞ。
きつね、きつね、ずるがしこいぞ。
ちゅーちゅー、ねずみをおいこむぞ。
にげろ、にげろ、つかまったら、たたいてつぶしてソーセージ。
しかし海外の子供向け絵本とか、童謡とかってなんでこんなに物騒なのか。子供向けだよ? 丸焼きとか鍋で煮込むとか怖すぎ。
個人的に思うところのある童謡を歌いながら大縄跳びをするぼくらへ、皇宮警備の騎士たちも手を振ってくれる。おかげで大分、騎士の顔も覚えたし向こうもぼくらの顔を覚えている様子だ。
ロマーヌスが来た日は、皇宮の庭でかくれんぼをしたり、影踏み鬼やフリューをしたりする。皇国の西側地域で行われるかくれんぼは缶蹴りみたいな遊びだが、缶の代わりに木の幹にタッチして木の精霊ヴィーザの名を叫ぶのだ。木の精霊の名を叫び忘れたり、間違えたりしてはいけない。身体能力が高いローデリヒやイェレミーアスが加わると、この遊びは途端に難しいものになる。
皇国では「木の精霊の加護」という遊びである。フリュクレフではこれを、「
戦略や駆け引きといった要素もあるからか、イェレミーアスも珍しく真剣に遊びへ参加している。この時ばかりはイェレミーアスも年相応に子供らしい表情を覗かせることが多い。人数が多ければ多いほど難しくなり面白いので、ラルクやフローエ卿も強制参加させられている。
「ヴァン、捕まえた」
「あはは、捕まってしまいました」
柔らかく背中から抱き上げられ、頬擦りされて体を預ける。ローデリヒを捕まえた時には、足元へスライディングしていたのは親友の身体能力を知っている故だろうか。ローデリヒは見事、後頭部から倒れ込んでいたがさすがの身体能力で受け身を取っていた。つまりどっちも身体能力が高い。
「アスはスヴェンに甘いよぉ!」
かくれんぼ開始直後に捕まってしまったロマーヌスが、不満そうに頬を膨らませた。ジークフリードがロマーヌスの肩へ手を置いて首を横へ振った。
「諦めろ。アスはスヴェン以外には容赦ない」
「次はロンが鬼だぜっ!」
誰よりも全力で遊んでいるローデリヒは、陽も短くなり肌寒くなって来たというのに、外で遊びすぎて日に焼けている有様だ。ロマーヌスから話を聞き出せるからか、ミレッカー親子もぼくらに接触して来ない。
ジークフリードの侍従候補から完全に外されてしまったバルタザールは宮中伯家の仕事を引き継ぐべく、後継者教育を受けている、とロマーヌスが教えてくれた。ロマーヌスはおそらく、従兄であるバルタザールもジークフリードも自分と遊んでくれなくなったのが寂しかったのだろう。年の近いエンケ侯爵令息が今年から、冬の間は領地に戻ることになったのも一因のようだ。まだ幼いロマーヌスは、ただただ仲良しの友達が忙しくなって寂しい、としか感じていない。その子供らしさに、安堵に似た感情を覚える。
皇宮は今日も、平穏そのものだ。
「知ってっか? スヴェン。ロンが来た日は目立つように遊んでるから、お前のこと『赤毛で鳶茶色の瞳で、美しいだけのただの子供』って言ってるヤツがいるんだぜ」
何故かジークフリードは、ローデリヒの言葉を聞いた瞬間盛大に吹き出した。ソファに置かれたクッションへ顔を押し付け、まるで発作でも起こしたかのように体を跳ねさせ笑っている。
「……愚か者はいくつになっても愚かだという証拠だな」
冷ややかに放ったイェレミーアスの台詞が、ぼくの耳の裏を撫でて行った。
「計画通りではないか、スヴェン」
ぶはははは、ひーひひ。笑い声の合間に呟き、ジークフリードさらに腹を抱えてソファの座面へ仰向けに倒れ込んだ。
「ええ。これでミレッカーが油断してくれればありがたいのですが」
ロマーヌスの居ない日は薬学典範を読破することに集中し、ロマーヌスが居る日は遊ぶ。遊ぶ場所は主に、東の庭である。東の庭には落葉樹が多い。ぼくらは色づき始めた木々の間を駆け回る。東の庭は誰でも入れる政宮に近いから、人が多い。目撃され噂になるのに打って付けだ。
今日は庭で遊ばずに星嬰宮へ戻って来た。勉強部屋で勉強をしているフリをして、剣術を習った後は早々に星嬰宮へ引きこもるのが、ロマーヌスの居ない日の定番となっている。
「シェーファー男爵令息の噂も囁かれ始めたようですね」
「ああ。今日はシェーファーが少々上の空だったな」
「噂を耳にしたのかもしれませんね」
「独自に噂の真偽を確かめるかもしれません。フレートにしっかり見張るように伝えておかなくちゃ」
リーツ子爵令息に直接問いただすような行動を起こすかもしれない。それはそれでシェルケを揺さぶれるので構わないが、シェーファーが剣の師となった今では、被害に遭ってほしくないという思いもある。
「慎重な人物のようだから、ヴァンが懸念しているようなことはしないと思うよ」
「どうしてそう思うんだ、アス」
「あれは私と同じタイプの人間ですよ、殿下」
イェレミーアスの答えがぼくの背中に響く。背中が温かいから、ちょっと眠くなって来ちゃった。
「……なるほど」
片眉を上げたジークフリードが答える。イェレミーアスも思慮深いからね。納得して頷くと、ジークフリードはぼくへ残念な子を見る目を向けた。なんだよぅ。
扉をノックする音にジークフリードが答えた。扉を開けて入って来たのは、オーベルマイヤーさんだ。
「エステン公爵令息、馬車の準備が整いました」
「ちぇっ。オレの居ない時に面白そうな話を進めるなよ、スヴェン。じゃあな」
「リヒ様も勉強を進めれば、悪巧みに参加する時間が増えるのですよ?」
「ちっ! わかってら!」
最近、ローデリヒは毎日きちんとエステン公爵家へ戻る。勉強がぼくらの誰よりも遅れているから、楽しそうな企みに参加できない。それが悔しいから勉強をする。という、良い循環が生まれているらしい。
ローデリヒを見送ると、星嬰宮の応接室へ戻った。その道中に、ハンスがぼくへ顔を寄せ耳打ちをする。
「スヴァンテ様。例の騎士が、接触して来たようです」
「……ああ、例の平民騎士か」
ジークフリードが、ハンスへ頷き応接室の扉を開く。それから手を振って侍女たちを扉の外へ下がらせた。扉が閉まるのを確認して、ぼくも頷く。
「そうですか。何と言って来ましたか?」
「『呪いを解いてくれたら、何でも話す』と泣き付かれたそうです」
「こちらへ接触して来る前に、ミレッカーと接触した形跡はありましたか?」
「はい。何度か連絡を取り合ったようです」
小刻みに頷く。思った通りになったようだ。
「では、フレートに伝えてください。ゼクレス子爵邸の井戸で、レームケを匿うように、と」
「井戸って……」
「ええ。例の隠し牢です」
先にソファへ腰を下ろしたジークフリードへ答えて、ぼくはイェレミーアスが先に座るのを待った。
「……お前は本当に、夢見るように美しい顔で容赦ないな」
「……匿うことに変わりはありませんよ。むしろ感謝してほしいくらいです」
イェレミーアスが座った気配に背を向け、少し両脇を空ける。脇へ手を入れられ、抱え上げられイェレミーアスの膝に収まる。
「で? そのレームケが、どうしたって?」
ジークフリードがにやりと笑いながら自分の顎を撫でた。頷いて残っていた紅茶へ口を付ける。
「ちょっと脅してみたんです」
「脅し?」
「妖精たちにレームケのところでいたずらするようにお願いしてあったんです。ほら、リヒ様が騎士でも幽霊は畏れると言ってたじゃないですか。ゼクレス子爵の『呪い』だと勝手に思ってくれたんでしょうね」
「……」
ジークフリードは何とも言えない表情でぼくへ視線を向けた。それから自分の膝へ肘をつき、首を傾げる。
「それが、どうしてフレートに泣き付くんだ?」
「リヒ様からレームケの名前を確認した直後に情報を買う、と声をかけてあったんです。ぼくならこの時点でミレッカーへぼくが接触して来たと告げて金をせしめます。その後、部屋の物が勝手に動いたり、誰も居ないのに扉が開いたりしたら、どうするでしょう?」
「ゼクレス子爵の霊に呪われたと思うだろうね」
耳元でイェレミーアスが答える。ジークフリードが頷いて呟く。
「……それで『呪いを解いてくれたら』か」
ぼくはぱちん、と両手を合わせた。ジークフリードが目を丸くして顔を上げる。
「ジーク様がミレッカーだとして、ぼくが接触を計って来た、と言った直後に『呪われた』と泣き付いて来るような情報源へ、どう対応します?」
「……おかしくなったと判断して切り捨てる、だろうな」
「そう。レームケは追い込まれたのでしょう。だからフレートへ泣き付いた。もうミレッカーに頼ろうとは、しないでしょうね」
「あっはは。本当にヴァンは悪い子だな」
イェレミーアスが楽しそうに体を揺らして笑うのが、背中越しに伝わる。ジークフリードはソファへ凭れ、天井へ吐き出す。
「レームケに同情するぞ。相手が悪すぎる」
「ちょうど
「……」
ジークフリードはぼくを指さし、ルクレーシャスさんを見つめた。ルクレーシャスさんは大きなため息を吐き出し、首を横へ振る。
「スヴァンくんが我々の味方で良かったね。ジークくん」
それだけ呟くと、偉大なる師匠はぼく渾身のシュークリームを頬張った。
シュークリームはね、ベーキングパウダーとか要らないんだよ。意外にもバターと薄力粉と卵だけで、十分膨らむんだ。何故膨らむかというと、生地に含まれる水分が一気に蒸発することで膨らむんだよ。つまり大切なのはオーブンの温度管理だ。でも皇国のオーブンって薪とか木炭を使った石窯オーブンなので温度管理が難しいんだ。置く場所で温度が違ったりする。
というわけで、シュークリーム作りで肝心なのは高温で焼き上げることことなのだ。もちろん、失敗しない秘密のレシピで成功率が上がっていることも一因である。生地に水と油を加えるんだ。
ぼくは満足して、ルクレーシャスさんの口の中へ消えて行くシュークリームたちを眺めた。
「エステン公爵がゼクレス子爵邸を買い上げた。ゼクレス子爵邸を調べさせていたレームケは『呪われた』などと言い出した。シェーファー元男爵令息の死は暗殺だなどという噂も出回っている。ミレッカーは頭が痛いことだろう」
耳元に落ちて来た声は、どこかしら空虚で低い。覚えずぼくは、イェレミーアスの手へ己の手を重ねた。
「一番疑わしいぼくらはここ一カ月ほど、のん気に皇宮で遊んでいる。ぼくらの謀か、ギーナ様か、はたまた他の誰かか。その全ての可能性を調べなくては安心できない。シェーファー元男爵も黙ってはいないだろうことは、想像に難くない。ミレッカーは歯噛みしていることでしょう」
ルクレーシャスさんの口へ吸い込まれるシュークリームの出来を確認しながら、ぼくが呟くとジークフリードは心底楽しそうに笑い声を上げた。
「まったく、お前は大した奴だよ。スヴェン」
「お褒めに預かり光栄でございます、ジーク様」
大げさに広げた片手を胸へ当て、ぺこりと頭を下げた。
「これは序曲です。この後も、上手く奏でることができればいいのですが」
「……序曲、なのか」
「ええ。この後が肝心なのですよ、ジーク様」
ぼくはシュークリームを一つ、手に取ってその丸みを愛でた。それから一口、齧り付く。イェレミーアスの指がぼくの唇を拭って行った。
「甘いな。美味しいね、ヴァン」
「……そう、ですね」
甘いものは好きじゃないはずなのに。上半身を捻ってイェレミーアスの顔を目路へ入れる。触れようと持ち上げた手を束ねられ、誘導するみたいに頬へ当てられた。
「大丈夫だ」
シューの中に詰め込んだカスタードクリームもかくやとばかりの、蕩ける甘い笑みでぼくの懸念は封じ込められてしまう。少し顔をずらし、ぼくの手のひらへ口づけたイェレミーアスは再び囁く。
「大丈夫だよ、ヴァン。きっと上手く行く。彼らはもう、ヴァンが奏でた曲に乗って踊らされるしかないさ」
唇だけで笑って見せると、イェレミーアスの虹彩はぼくの唇の左下へ動いた。イェレミーアスの視線から逃れるため、ぼくはその肩へ頭を預ける。
「上手くいくと、いいなぁ……」
「まぁ、様子を見るとしようじゃないか」
ジークフリードが手を打った。もこもこと丸く膨らんだシュークリーム。その実、中身は空洞だ。
シュークリームはぼくに似ている。ぼくは賢くもないし、先が見通せるわけでもないし、自信があるわけでもない。未だにこの世界がどんな物語の中なのか、さっぱり分からない。不安で仕方ないのに、取り繕い立派に膨らんで見せることにだけは長けたぼく。だから油断はできない。
「薬学典範ももう少しで全て読み終わりますし、冬が来てたくさん雪が降ったら動きが取れない日も増えます。そうなる前に、こちらも備えておきたいですね……」
「母上は神渡り月に出産予定だし、冬木立の月の終わり辺りになったらまた皇宮へ泊まりに来い。その方がいいだろう?」
ジークフリードが上機嫌で提案する。よほど自分が仲間外れになるのが寂しかったようだ。そういうところはまだまだ子供である。
「そうですね。リヒ様にも声をかけておきましょう。ヴェルンヘル様にもお手紙を書かなくちゃ……」
イェレミーアスの高めな体温は、食事も入浴も済ませた幼児には心地よい。眠りに誘う温かさに思考が鈍化する。
ぼくが目を擦ろうとすると、イェレミーアスに手を遮られた。
「擦ってはダメだよ、ヴァン。もうおねむなのかな?」
「ううん。イェレ兄さまのお胸が温かくて、ちょっとうとうとしただけですよ……」
「心配ないよ、ヴァン。全て上手く行く。安心しておやすみ。私の太陽」
額に口づけされ、抱きしめられた。イェレミーアスの腕に守られ、体温に包み込まれる。口を開くことすら酷く難しい。瞼が重い。反して体はよく知る浮遊感に侵食されて軽くなり、蕩けて行く。
おやすみなさい、イェレ兄さま。
音にできたかすら、覚えがない。遠のく意識の中、ぼんやりと考える。
真実、踊らされているのは誰だろう。誰かの望み通り踊って見せる人生は、果たして不幸だろうか。ぼくはこの見知らぬ世界で、上手に踊れているのだろうか。音楽を無視して踊る、道化は果たしてどこへ行きつくのか。その果てには何があるのか、何もないのか。何一つ分からない。
おぼろな意識の向こう側から、誰かがぼくへ囁いた気がした。
踊れ、
泣きたくなるような不安を抱えた、反間苦肉の
――人生とはそんなものだろう?
次の更新予定
まったく知らない世界に転生したようです。 吉川 箱 @yuki_nisiyama
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