第46話 罪に向き合う者 ⑶
実のところ、ロマーヌスが屋敷に居ようが居まいが関係なかった。ぼくらが遊びに行った、という事実さえあればよかったのだ。それが噂になればなおいい。
ローデリヒと一緒に
「スヴァンテ様、わたくしの友人がぜひお会いしたいと申しておりますの。お時間があれば、ぜひお茶を」
「すみません。ロン様もお留守のようですし、あまりリヒ様を引き留めすぎるとエステン公爵に申し訳ないので本日はここで失礼させていただきたく存じます」
「ごめんなぁ、オレ勉強が進んでないって母上に怒られててさぁ。スヴェンとこで勉強するって約束で遊びに来てるんだよ」
「まぁ、ローデリヒ様……。スヴァンテ様に教わっているのですね……」
「なんでみんなオレがスヴェンから勉強を教わってることが前提で話を進めるんだよ。その通りだけど」
ここにロマーヌスが居たらきっと爆笑していただろう。だが生憎、ロマーヌスはエンケ侯爵家に遊びに行ってしまったらしい。そう、ジークフリードの侍従候補だった、ティモ・エンケ侯爵令息のところだ。
「イリー? どなたがいらっしゃったの?」
「あ、ビルケ。ローデリヒ様はご存知でしょう? こちらはイェレミーアス・ラウシェンバッハ様と、スヴァンテ・スタンレイ様よ」
「初めまして、スヴァンテ・スタンレイと申します」
「初めまして、イェレミーアス・ラウシェンバッハです」
薔薇の生垣の向こうから現れた、冬の空気に冷えた白磁のように冴え冴えとした青白い肌、夜の影のように黒い髪、闇から零れ落ちたように深い藍色の瞳。見覚えのあるその少女へ、ぼくは深々と頭を下げた。目を合わせたくなかったのだ。
「……ああ……うふふ、あなたが。あははっ、ああ、あの愚か者どもが色めき立つわけですわ……ふふっ」
容姿は整っている。だが、なぜかこの少女を表す言葉として「病的」という表現が浮かんでしまうのだ。まるで血のような深紅のドレスを翻し、青白い少女は猫のように鋭く大きな目ばかりを、ギラギラさせて優雅にカーテシーをして見せた。
「……はじめまして。ビルギット・ミレッカーと申します。お会いできてうれしく思いますわ、スヴァンテ公子」
ナイフで傷つけたように細い、真っ赤な唇が笑みの形に歪んだ。
「キヒッ」
青白い肌は細い指を顎へ当て、まるで奇妙な生き物の鳴き声のようにひしゃげた音を吐き出して笑った。イルゼ嬢が体をびくりと強張らせた。イェレミーアスがぼくを庇うように抱き上げた。が、イェレミーアスが抱き上げたことでビルギットと目線が近くなった。ずい、と顔を寄せられて無意識に体を引いてしまう。
「間違いない。……けどおかしいわ。色が違う」
「……っ」
「ねぇ、あなたはどう思う?」
問いは確かに、イェレミーアスへ放たれたものだ。だがビルギットの瞳はぼくだけを捉えている。
おそらく、だけれど。この子も普通ではない。ぼくを見つめる異様に粘ついた瞳がミレッカーの血を語るようだ。その瞳に囚われてしまうような焦燥感に目眩を覚えて額を押さえる。ぼくをビルギットから遠ざけるため、イェレミーアスは体を翻した。
「ヴァンの体調がよくないみたいだ。失礼するよ、レディ・イルゼ。ご挨拶のみで辞することをお許しください、レディ・ビルギット」
「何だよ、スヴェン。具合悪いなら早く言えよな。オレんちで少し休んで行けよ。じゃーな、イルゼ。ロンによろしく」
イェレミーアスとローデリヒの機転に支えられ、メッテルニヒ伯爵家を後にする。馬車に乗り込んだ途端、ローデリヒがぼそりと呟いた。
「なんだあれ、おっかねぇ目。バルティの姉ちゃんってあんなだったっけ……」
「あの一族は、スヴァンくんを見る目がおかしいんだよ。気持ち悪いったらありゃしない」
馬車の中で待っていたルクレーシャスさんが吐き捨てる。エステン公爵家へ向けて走り出した馬車に揺られまだばくばく言っている心臓を押さえながら、ルクレーシャスさんへ茫洋とぶつける。
「ルカ様、フリュクレフ王家には何か秘密があります。絶対です。何か、フリュクレフ王家だけに伝わる秘密と、それを持つ人間が一目で分かる外見的特徴があるはずです……それが分かれば、彼らがぼくへ異様に興味を示す理由が分かるのに……」
「……外見的、特徴ね……」
至って真剣な話をしているというのに、ルクレーシャスさんはいつもの残念な子を見る目でぼくを見た。
「……オレ、それ分かるぜ。スヴェン」
「ええっ? 本当ですか、リヒ様」
「うん……。っていうか、君以外の人間には多分、分かってると思うよ……スヴァンくん」
「えっ? なんだろう、なんですか、ルカ様。あっ、ほくろ?」
だからみんなぼくの唇の左下のほくろを見てたのかな。でもほくろって珍しいけどなくはないじゃない?
「……違うと思うよ、ヴァン」
「……確実にほくろではないね、スヴァンくん」
イェレミーアスまで言うのだから、ほくろではないのだろう。じゃあ何だろう? ぼくは途方に暮れてしまう。
「とにかく、ミレッカー家にはフリュクレフ王族にのみ現れる何か不思議な力とかそういうものが伝わっているんじゃないでしょうか。ミレッカー家はその見分け方を知っているはずです。一体なんだろう……」
「……それも、君の常識外れな妖精や精霊の加護を見た今のわたくしには分かるよスヴァンくん……。フリュクレフ王国が高山地域にしか国土を持たないのにあれほど豊かで、長年他国からの侵攻を退けていた理由もスヴァンくん並みに精霊の寵愛を受けた王族が居たからだとすれば納得だよ。外見的特徴も君を見れば一目瞭然だから分かりみしかないよ。そりゃ、先々代皇王もヴェンもミレッカーも血眼になるよね……」
さすがルクレーシャスさん。何か分かっているらしい。お菓子ばかり食べているようで、精霊学の第一人者と名乗るだけはある。
「でもさすがに妖精さんや精霊さんの寵愛だけで国が保護できたりはしないですよ、ルカ様ったら」
「……わたくし、このクソ鈍い弟子へ他にどう言えばいいんだろうね?」
「んんっ……そう……ですね……」
ルクレーシャスさんに適当な相槌を打っているイェレミーアスが気の毒だ。
「君にご執心の明星様はなんて言ってるのさ、スヴァンくん」
「ルチ様ですか? ルチ様の言うことって端的で分かりにくいんですよね。精霊は発生地点に深く関わってはいけないらしいんですけど、発生地点を起点にして現在過去未来どの時間にも存在できるんですって。あと、特別な約束をした時以外は人間にはあまり関わっちゃいけないらしいですよ」
「もう完全に話にオチがついたよね? 気づいてないの本人だけでしょ、これ」
「そうですね……」
「ただでさえ薬学士が何をどこまで知っているか調べなくちゃいけないのに、ミレッカー家しか知らないフリュクレフ王家の秘密まであるなんて……。一体どんな秘密なんだろう……」
「なんだろうね、これわざとじゃないなら何か本人に自覚させないように魔法がかかってると思った方が自然だと思えるよ、わたくし」
「……」
「……」
ぼくは至って真剣な話をしているのに。むぅ、と唇を突き出してルクレーシャスさんと睨み合う。膠着状態のルクレーシャスさんとぼくへ、助け舟を出したのはイェレミーアスだ。
「えーっと、ヴァン?」
イェレミーアスに顔を覗き込まれ、勿忘草色の虹彩を見つめる。
「はい」
「とりあえず、バルテルの尋問と、皇宮で薬学士との接触を図ることを今は優先しよう」
「そうですね。考えても仕方のないことは後回しにしましょう」
「いや、君以外には答えが分かってるよスヴァンくん……」
「ベステル・ヘクセ様」
イェレミーアスが静かに首を横へ振って見せた。なんなの、最近ぼくに秘密が多くない?
馬車がエステン公爵家へ近づくにつれて、誰からともなく会話が途切れる。静まり返った中、単調な揺れと馬の足音がだけが響く。広大なお屋敷の門をくぐる。屋敷の前に、エステン公爵が待っているのが見えた。
「リヒは自室で家庭教師が待っている。上がりなさい」
「えっ、あっ、じゃあな、また後でな、アス、スヴェン」
執事に襟首を掴まれ、玄関ホールの中へ吸い込まれて行くローデリヒを見送る。今日こそは逃さないという、エステン公爵とエステン公爵家執事の強い意志が見えた気がした。
「……君たちはすぐ、離れへ向かうか?」
「ええ。お願いできますか、ヴェルンヘル様」
罪人を入れておく牢は、離れたところにあるのだろう。どこにあるのか、ここからは窺えない。ちょっと考えていると、エステン公爵が立ち止まる。
「ああ。少し歩くが、良ければ馬を用意しよう……スヴァンテ公子。どうした、顔色が悪いようだが」
「ええ。メッテルニヒ伯爵のところへ寄って来たのですが、そこでミレッカー家のご令嬢と顔を合わせてしまいまして」
「ビルギット嬢か。グラーツ高等貴族女子学校の一年で十六歳、だったか。二つ年下のイルゼ嬢と仲がよいと聞いている」
十六歳ならば既に婚約者がいてもおかしくない年頃であるが、ぼくの記憶を浚ってもミレッカー宮中伯令嬢の婚約者の話を聞いたことがない。宮中伯家の立場的にも、難しいのだろう。そういう意味でも、社交が重要な時期なのではないだろうか。エステン公爵夫人のお茶会や、イルゼ嬢のところにいたのは偶然かもしれない。
「従姉妹同士ですものね。実はどんな人物か知りたかったので、収穫はありました」
「ああ。宮中伯夫人が気の病に伏せって長いからな。代わりにビルギット嬢が社交の場に出ているのだろう」
「……気の、病、ですか?」
「ああ……。その、先代夫人から……宮中伯家へ嫁いだ女性は、気の病に伏せる者が多いようだ」
「先代夫人というと、メスナー伯爵から嫁いだという……」
「ああ。確か、一昨年辺りから療養のためにメスナー伯爵家へ戻られたはずだ」
この世界の医学は進んでいない。だから「気の病」、いわゆる精神疾患は、それこそオカルトな治療が横行する未知の病扱いだ。気の病に罹った家族を幽閉してしまう貴族も多い。しかしあんな一族に嫁いだら、おかしくなるのも無理はない気がする。挙動がおかしすぎるんだよ、あの親子。
「ヴァン、乗馬は得意?」
「イェレ兄さま……いいえ。ぼく、乗馬は習ったことがなくて」
「じゃあ、私が乗せて行こう。おいで」
馬上から手を差し伸べるイェレミーアス、想像できるだろうか。リアルな白馬の王子様との乗馬である。課金しないと一緒に乗馬できないイベントかと思った。思わず全財産
イェレミーアスはともかく、ルクレーシャスさんまで乗馬がこなせるとは思わなかった。ぐぬう。乗馬を習うことも検討せねばなるまい。なんか悔しい。
エステン公爵家の屋敷から西へ入った森の中、狩猟小屋の脇に小さな塔が見えて来た。背中に当たるイェレミーアスの体がいつもより熱い。手綱を握る手へ手を重ね、背を凭れる。
「……ヴァン。私の傍にいてくれ」
「はい。イェレ兄さま」
塔の入口に二人、塔の中にも数名の騎士が配備されている。塔の最上階まで案内された。当然、ぼくは途中でバテてイェレミーアスに抱っこしてもらった。最上階の牢に、栗色の髪の男が目隠しされて転がされていた。
「ルカ様」
「はいよ。風の精霊炎の精霊届く音を遮り惑わせ
魔法をかけてもらい、牢の前へ移動する。できるだけ足音を立てないようにするのに、妖精たちに手伝ってもらった。
「んんっ。おい、
わぁ、ほんとに見知らぬおっさんの声が自分から出てる。幼子の高音に慣れていたので中々、シュールである。ブラウンシュバイクを「子熊」と呼んだぼくへ、イェレミーアスは目を丸くして見せた。ブラウンシュバイクは力技の槍で「黒熊」の異名がある。でもまぁ、ぼくみたいに騎士名鑑を隅から隅まで読んで覚えてる人間なんかそう居ないだろうね。徳川歴代将軍は覚えられなくても、ゲットだぜなモンスターなら覚えられるのと一緒なんだけどそれはぼくがヲタクだからだし。
「……? 東部訛り……? 貴様、ハンスイェルクの手の者か……!」
わざと分かりやすく東部訛りで声をかけたけど、ぼくは実際に東部訛りの皇国語を聞いたことはない。ただ、本に書いてあったように訛って見せただけだ。ここまで簡単に引っかかるなんてブラウンシュバイクが心配になる。こんなに単純だから騙されるんだよ。
「オレがわざと東部訛りで喋ってるとは、思わないんだ?」
「――っ! まさか、鼠野郎かっ!」
「!」
イェレミーアスと目を合わせる。初代ミレッカー宮中伯は、主君を裏切った「鼠伯」と死ぬまで揶揄された。皇国に於いて、「鼠野郎」などと詰られる人間は初代ミレッカー宮中伯ヴォルフラム・ミレッカー、ひいてはミレッカー家の人間以外に居ない。つまりブラウンシュバイクは現在、ハンスイェルクとも、ミレッカーとも反目している状態である可能性が高い。
「全部、全部陛下に話してやるっ! 貴様らの企み、全部っ、……っ!」
「話せば? そんでどうやってあの人たちが殺したって証明するんだよ? 実行犯はおっさんだろ、証拠がなきゃ訴え出たって全部アンタ一人の犯行ってことにされて終わりだよ。まぬけの子熊野郎」
「……っ、クソッ! クソォォォ!」
証拠、ないんだなぁ。力のある家門の出でもないし、処理するのは難しくないだろうし。あまり脅威ではないだろうな。だからこそ、主犯として利用されたのだろう。何にせよ、早めに身柄を確保して良かった。
「オレは依頼主におっさんが証拠持ってるかどうか、確かめろって言われただけだから関係ねぇや。『罪の重さに耐えかねて』自殺してもらっても別に構わねぇし、それは依頼主が決めることだからよ」
「卑怯な鼠野郎が考えそうなことだ……人間のクズめ……!」
ミレッカーが関わっていることは間違いなさそうだ。それをブラウンシュバイクも知っている。ならば当然、ハンスイェルクもシェルケも知っているだろう。これ以上、ブラウンシュバイクを揺さぶっても新しい情報は出て来なさそうだ。ぼくの肩へ置かれた、イェレミーアスの手がどんどん熱くなっている。
ぼくはルクレーシャスさんへ視線を向けた。頷いてルクレーシャスさんがパチンと指を弾く。こほん、と咳払いを一つして、エステン公爵へ囁いた。
「目隠しを取ってください」
「……しかし……、いいのか」
エステン公爵の目が、一瞬ぼくの後ろへ流れた。ぼくの肩へ置かれた手はますます熱くなって行く。
「ええ。彼はその愚かしさの罰を受けなければなりません」
エステン公爵家の騎士が、ブラウンシュバイクの目隠しを解いた。ブラウンシュバイクの瞳に積み上がった憎しみは、ぼくの後ろへ立つ人間を捉えた瞬間、音を立てて崩れ落ちて行くのが分かった。
「イェレミーアス、さま……」
「久しいな、バルテル。元気そうでなによりだ」
ぼくは、こんなに冷えたイェレミーアスの声を初めて聞いた。短い付き合いではあるが、こんな風に人を威圧できる子だとは思わなかった。ぼくの肩へ置かれた手は、ちり、と痛んで温度が高いのか低いのか分からなくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます