第55話 穂刈月の幽霊騒動 ⑷

 朝食後、コモンルームでお茶を飲みながらディーターさんとギュンターさんへ挨拶をした。ニクラウスさんとディーターさんは、ハンスと共にフレートの元で執事の仕事を手伝うようだ。とはいえ、ニクラウスさんはすでにゼクレス子爵家で長年の執事経験があり、ディーターさんも見習い八年目だという。だからニクラウスもディーターさんも、実質ハンスの教育に回ってくれるだろう。できる執事、ゲットだぜ! というわけである。

 ギュンターさんはダニーと共に、厨房で働いてもらうことにした。故郷に帰ってしまった元ゼクレス子爵家の使用人たちを呼び戻すには、しばらく時間が必要だろう。

 ギーナは緊張が解けたのか、寝込んでしまった。今はイェレミーアスが様子を見ている。

 ぼくの髪はかなり伸びた。最近は緩く編み込んで、肩から前へ垂らすのが妖精たちのお気に入りだ。胸の辺りまで垂れた緩く編み込まれた髪へ、花だの宝石だのが挿し込まれて行くのがぼくにも見える。見るとはなしにその光景を目に入れながら、ぼくはさも思い出しました、という素振りで指を立てる。

「そうだ、リヒ様」

「ん? 今日はそのおやつを食べたら、ヴェルンヘル様へお手紙を届けてくださいね。お返事も必ずもらって来てください。大事ですよ」

「分かった。でも父上、今日は皇宮に出仕してっから返事は明日だぞ?」

「じゃあ、明日一番でお返事をもらって来てください」

「ええ……夕飯は自分ちかよ……」

 普通、毎食ご飯は自分ちで食べるんだよローデリヒ。ここは君の別荘じゃないんだぞローデリヒ。君がここに来た時は、ぼくらと一緒に勉強をすることを条件に好きなだけうちに入り浸る許可を得ているんだぞ、ローデリヒ。

 言いたいことはたくさんあるが、ぼくは生温い瞳をローデリヒへ向けた。今はどうしても、ローデリヒを帰らせなければならない理由があるのだ。

「そういえば、一番初めにゼクレス子爵家へ肝試しに行こうと言い出した方は、どなたですか?」

「ん? どうだっけ……レームケじゃなかったっけ……気になるのか?」

「レームケ卿、ですか。お聞きしたことのない家名ですね……」

「ああ、レームケは平民だ。今はメスナー伯爵家所属ってことになってるはずだ」

「レームケ卿と、井戸で幽霊に殴られた方とは同一人物ですか?」

「いんや。別のヤツだよ」

 平民で皇宮の警備を担う皇宮騎士団へ入るには、いずれかの貴族の騎士として所属する必要がある。その貴族が平民の騎士の、身元引受人になるのだ。だから、平民の騎士が問題を起こした場合は所属している家門も罰を受ける。

 ゆえに平民から騎士になるのは、相当に難しい。まず、身元引受人になる貴族を探すのが難しいからだ。それでも平民が騎士団に入れるということは、それほどの実力がある、ということでもある。

「そうなのですね。平民で皇宮騎士団の小隊勤務とは、大出世ですね」

「そうだな。なかなか腕が立つみてぇだぞ。オレより弱いけど。レームケがどうかしたのか?」

 大出世の小隊勤務でも、十歳のローデリヒより弱いのか。腕が立つという言葉がゲシュタルト崩壊しそう。ローデリヒが十歳にして強すぎるのか。だとすれば、そのローデリヒが勝てないイェレミーアスとラルクは一体。ぼくは一瞬、真顔になってしまった。

「ええ。ちょっと。それだけ好奇心の強い方なら、他にも何か噂をご存知かと思って」

「情報源にするのもよいのではないかと、私が進言いたしました」

 フレートがぶどうを皿に乗せてローデリヒへ差し出す。ローデリヒはさして気にした様子も見せず、ぶどうへ手を伸ばして頷いた。

「今度会ったら聞いとくよ。他になんかあるか?」

「そうですね、レームケ卿へお声をかけるより前に、エステン公爵家でゼクレス子爵邸を購入したと噂を流してください。必ず、です。じゃあ、お願いしますね。リヒ様」

「おう。じゃ、ゼクレス子爵んとこを買ったってハナシは明日親父に付いて皇宮へ行って、他の家の騎士たちに話して来るよ。オレは一旦家に帰るわ」

「お気を付けて。フレート」

「はい。馬車が整いましたらお呼びいたします」

 ローデリヒが乗る馬車を準備するため、フレートがコモンルームを出て行く。入れ違いでイェレミーアスがコモンルームへ入って来た。

「ギーナ様のお加減はどうでした? イェレ兄さま」

 尋ねると、イェレミーアスは当たり前のようにぼくを抱えてソファへ座った。ぼくを抱えたままソファへ深く凭れられてしまい、ぼくはほぼ、寝そべった状態になった。

「疲れが出たのだろうね。二、三日休めば大丈夫だとディハニッヒ先生がおっしゃっていたよ」

 クラーラ・ディハニッヒはアイスラーから紹介してもらった女性医師である。とにかく人が増えたし、ローデリヒやイェレミーアスが剣の稽古で怪我をするので、住み込みで働いてもらっているのだ。完全なる封建社会の皇国では、女性医師は嫌厭されがちである。だからぼくが雇用を打診したら、二つ返事でタウンハウスへ来てくれた。

「クラーラ先生に後でお茶をご用意してね」

 侍女へ伝えると、見習いらしき少女が頭を下げて出て行った。フレートが顔を覗かせる。

「ローデリヒ様、馬車の準備が整いました」

「あんがと! じゃあな、アス、スヴェン、ベステル・ヘクセ様。また明日!」

「明日も来るのか、リヒ」

「あんだよ、来ちゃいけねぇのか? アス」

「君の家はどこだったか、覚えているか? リヒ」

「仕方ねぇだろ、スヴェンちが居心地いいんだもん」

 侍女までがくすくすと笑っている。まったくローデリヒは、こういうところが憎めないのだ。

 手を振って出て行くローデリヒを見送る。窓へ目を向けると、しばらくして馬車に乗り込むローデリヒと、それを見送るフレートが見えた。ローデリヒの見送りを終え、戻って来たフレートと入れ替わりで侍女が出て行くと、ルクレーシャスさんが口を開く。

「それで? 君が意味もなく、騎士の名を確かめるとは思えないね、わたくしは」

「……肝試しを始めた騎士は、ミレッカーの密偵という可能性があるかと思いまして」

「なるほど。肝試しなら疑われにくい。その上、敷地内をくまなく動き回っても不審がられない」

 イェレミーアスが身を乗り出した。ぼくも押し出されて、身を乗り出す格好になる。

「はい。幽霊が出るとの噂を、ミレッカーが放置しておくとは思えませんし、噂を流した意図に気づかないわけがありません。邸内を調べたければゼクレス子爵邸を買い取ればよかったのに、それもしなかった。関与を一切、疑われたくなかったからでしょう。そこまで慎重なミレッカーが、何も手を打たなかったとは考えにくい」

 ならば初めに、肝試しをしようと言い出した者が怪しいのではないだろうか。

 ルクレーシャスさんもイェレミーアスも、同じ考えに至ったらしい。

「捕らえたいな、その騎士」

「ええ。リヒ様のお話ですと平民のようですし。そもそも本当にミレッカーが関わっているなら、居なくなったら誰かが探しそうな人間に接触するとは思えません。そういう意味でも居なくなっても誰もさして気にしないでしょう。……ミレッカー以外は」

 ぼくは自分の顔の前で、人差し指を立てて見せた。イェレミーアスが楽しそうに喉を鳴らすのが伝わった。

「……本当にわたくしの弟子は、恐ろしいことをさらっと言うね……」

 ルクレーシャスさんが、ぼくをじっくり見つめている。

「まぁ確かにリヒくんが動き回って、エステン公爵の関与が疑わしい今回はミレッカーもおいそれとは手出しできないだろうね」

「今なら、証人を確保するのに絶好の時期です。そう思いませんか、フレート?」

「……かしこまりました」

 少々変わった主ににっこりと微笑まれたフレートは、困惑することなく腰を折った。

「ですがこの話は、リヒ様には内緒です」

「リヒが嘘を吐けるとは思えないからね」

「はい」

 ローデリヒには悪いが、顔見知りの騎士がミレッカーの密偵だなんて知った上で相手を問いただすことなどできないだろう。真っ直ぐで素直な子だ。だからぼくは、その正直さを逆に利用させてもらう。

「それに、リヒ様があの土地をエステン公爵が買ったと言って回ったら?」

「動揺して、行動を起こす」

「そうしてもらえると、ぼくにとっては実に分かりやすくてありがたいですね。というわけですよ、フレート」

「……承知いたしました。しばらくはレームケの周囲に人を付けておきます」

「?」

 何とも言えない表情でぼくを見ているフレートを仰ぐ。首を傾げると、ルクレーシャスさんがぼそりと零した。

「まったく、君だけは敵に回したくないよ」

「私は、私の主がスヴァンテ様でよかったと思っておりますよ。あなた様が敵対家門の令息だったら、執事を辞めて田舎暮らしをします」

「全く同感だ。だが味方なら、これほど頼もしい者が他に居るだろうか。そう思いませんか。ベステル・ヘクセ様、フレート」

 イェレミーアスの声が背中から響く。同時に、廊下が何やら騒がしくなった。

「オレの居ない時に、何やら楽しそうな相談をしているじゃないか! スヴェン!」

 バーン! と開かれた扉に覚えず目が向く。こんな登場の仕方をする知り合いを、ぼくは二人しか知らない。一人はローデリヒ。しかしローデリヒはぼくがわざわざ用事を作ってお帰りいただいた。ならば、もう一人は。

「……ジーク様、いらっしゃい、ませ……?」

「リヒに聞いたぞ! 肝試しだろう! そんな楽しそうなことに、何故オレを呼ばない! ズルいぞ!」

 わぁ、めんどくさい時にめんどくさい人来ちゃった。ルクレーシャスさんもフレートも、ぼくと似たようなことを考えている顔をしたのを見逃さない。

「ジーク様……ごめんなさい。肝試しは昨夜、終えてしまいまして」

「なにっ!? リヒに聞いて楽しみにして来たのに! 父上にも外泊の許可を取ったのだぞ!」

「うう~ん、では今夜は我が家へお泊りください」

 本気で悔しそうなジークフリードは、案内されるまでもなくぼくの向かいへ歩み寄った。それから、まるで自分の家だとでもいうが如く、寛いだ仕草でソファへ凭れる。

「フレート、お茶だ!」

「かしこまりました」

 うちの使用人たちが何事にも余り動じないの、このせいじゃないかな。皇太子がしょっちゅう前触れもなく遊びに来る家なんて、皇国中探してもここだけだろう。上機嫌でブッセへ齧りついたジークフリードへ、手招きをする。

「その代わり、諸々ご報告がございます」

「……聞こうか」

 ぼくが声を潜めると、ジークフリードはニヤリと笑って身を乗り出した。ゼクレス子爵邸の肝試しから始まり、ギーナを保護したこと、どうやらミレッカーの悪事を暴く証拠がありそうなこと、それからレームケという平民の騎士が怪しいことなどをかいつまんで話す。

「くそう、行きたかったな井戸の中に牢とは。オレだけ仲間はずれで悔しいぞ、スヴェン」

 本気で悔しそうだが、気持ちは分からないではない。肝試しとか夜の井戸とか、仕掛け階段とか聞くだけなら楽しそうだもんね。

「まぁまぁ、ジーク様。ジーク様には大事な役割がございますよ」

「ギーナへの、子爵位返還だな」

「はい」

「約束しよう。父上の説得はオレがする。任せておけ」

「おそらくですが、ゼクレス子爵の死を陛下も怪しいと思っておられるはず。情報は隠さずお話していただいて構いません」

「うむ。焦る必要はない。ギーナも証拠も、世界で一番安全な状態なのだ。精霊が守っているのだからな」

「確かに」

 イェレミーアスの声が体に響く。なんだかくすぐったい。

「ジーク様、よろしければギーナ様のお見舞いをしていただけますか」

「もちろんだ。安心させてやらねばな」

 鷹揚で寛大な態度を見せるジークフリードは、八歳にしてすでに為政者の貫禄が滲み出ている。この子が皇になるならば、この国の未来も悪くはないのかも知れない。ぼくはふと、そう思った。

「わたくしはここにいるよ。大勢で顔を見に行っては却って毒だろう」

「分かりました。ジーク様、参りましょうか」

「うむ」

 イェレミーアスに抱えられたまま、二階の客室へと移動する。ちなみに三階には、ヨゼフィーネとベアトリクスの部屋がある。三階は女性、二階は男性、としたのだ。本邸ができたらどうするかはまだ、考えていない。二階の東、一番奥がギーナの部屋である。

 ノックをすると、侍女が顔を出した。

「ギーナ様のご様子はいかがですか」

「今、目を覚まされて水をお飲みになったところです」

 ベッドの脇で何やら書き物をしていた白衣の女性が立ち上がり、こちらへ振り返る。明るいスカイブルーの髪、好奇心に満ちた栗色の瞳。ぼくと目が合うと、彼女はにっこりと微笑んだ。彼女が住み込みで働いている、医師のクラーラ・ディハニッヒだ。

「おや、スヴァンテ様。お見舞いですか」

「ええ、クラーラ先生。お邪魔しても、よろしいですか」

「どうぞ」

「おお、クラーラ。どうだ、元気にしているか」

「はい。皇太子殿下におかれましては、ご機嫌麗しくご尊顔を拝することができて光栄にございます」

「いい、いい。ここは幼なじみの屋敷だ。気楽にしてくれ」

 ジークフリードは扉から中を覗き、クラーラへ挨拶をするとギーナへ声をかけた。

「ギーナ・ゼクレス。オレはジークフリード・ランド・デ・ランダだ。入ってもいいだろうか」

「……! ジークフリード殿下……! こんな姿で申し訳ありません」

 体を起こそうとするギーナへ歩み寄り、ジークフリードは手で動きを制した。それからベッドの脇できっちりと頭を下げる。

「助けが遅くなったことを、父皇に代わり謝罪する。今後は貴殿とゼクレス子爵家の地位と名誉の回復に協力を惜しまぬと約束しよう。ここに居る、スヴァンテ・スタンレイがオレの代わりだ。信頼のおける人間だとオレが保証する。協力してやってくれ」

 きっぱりと言い切ったジークフリードは、ギーナの目にどう映っただろうか。その答えは、涙に震えたギーナの返事に表れているとぼくは思った。

「……ありがたき、お言葉……」

 震える声で押し出すと、ギーナはベッドの上で平伏した。ジークフリードはギーナの肩へ触れた。ギーナの顔は、涙でぐしゃぐしゃになっていた。

「よい。諸悪の元凶を討った暁には、ゼクレスの爵位を貴殿へ返すとこのオレが約束する」

「ありがとうございます、殿下。ありがとうございます、うう、ううう……」

「やれやれ、ギーナ様。感動しておられるところを恐縮ですが。ジーク様は今、ぼくに丸投げするからよろしくねっておっしゃったんですよ」

「ははっ! さすがはスヴェンだ。よく分かっている」

 ぼくがぼやくと、ギーナは丸い目をさらに丸くして顔を上げた。皇太子であるジークフリードと、こんなに気安く喋るのはぼくかローデリヒくらいだろう。

「改めて、よく生きていてくれた。ギーナ・ゼクレス。これから、オレの幼なじみとアスを守るためにも、力を貸してくれ」

「おさな、なじみ?」

「離宮で暮らしていましたからね」

「そうだな。今は思い付いたら会いに行けるというわけにはいかなくなって、少し寂しいんだ。だからギーナ。オレを信じてくれるのなら、同じようにスヴェンを信じてくれると嬉しい。自分にとって損かどうかより、人の痛みを考えてしまう、本当に、本当にいいヤツなんだ」

 しみじみとそう言ったジークフリードの顔を、覚えず見つめてしまった。君にそんな風に思われていただなんて。イェレミーアスに抱えられたまま、手を伸ばす。ぼくの手を握って、ジークフリードは笑った。

「ヴァンは信頼できるし、とても賢いんだ。これからきっと、君も知ることになるよ。さぁ、もう少し休むといい。ベッドへ横になるんだ」

 イェレミーアスが優しい声音で促す。ギーナは頬を染めてイェレミーアスへ頷いた。分かる。美少年に優しくされるとそうなるよね。きゅんです。ってなる。

 ぼくは目で同意して、ベッドへ横になったギーナへ頷いて見せた。

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