第42話 お茶会の終わり ⑴

 お茶会の招待客が帰り支度を始める頃、ローデリヒに誘われて公爵邸へ向かって、庭を歩き出す。前日に不自然にならないよう、打ち合わせしたのだ。

 ローデリヒとイェレミーアスは以前からの親友同士。そこにイェレミーアスが今日一日、がっちりと抱えて離さなかったぼくが同行しても不自然ではない。そのままお泊りしたとしても、別に不思議はないだろう。現にローデリヒはぼくのタウンハウスに何度も泊まっている。もし誰かが、ミレッカーやシェルケへ話したとしても、エステン公爵とぼくらが密会したと考える人間は少ないだろう。どれほど小賢しくともぼくはまだ六歳の子供だから。

 ぼくの動向を注視するのは、皇王とミレッカー親子くらいだろう。その皇王とミレッカー親子が厄介なのだが。

 ローデリヒの部屋へ向かうぼくたちに、何故かロマーヌスとイルゼが付いて来た。まぁ、子供は子供同士で遊べというのは貴族も庶民も同じなのかも知れない。ふと、ミレッカー宮中伯の妻は現メッテルニヒ伯爵の姉である、という話が過ぎった。何でも疑うのはぼくの悪い癖だが、この世界では疑い深いくらいがちょうどいい。

「みんなリヒの部屋に何をしに行くの?」

「ああ、スヴェンが考えたフリューって遊びの道具を取りに行くんだ」

「フリュー?」

「そう。見れば分かるぜ。ドレスを着ててもできるから、みんなでやろうぜ」

「なんですの、それは?」

「まぁいいや。ラケットと羽を取って来るから。もうちょっと先の、開けた場所でやろうぜ。ロンとイルゼはそこで待ってろよ」

 フリューを売り込むチャンスだ! ぼくは素早くフレートへ視線を送った。

「ラケットが足りないでしょう、リヒ様。フレート、取って来てくれる?」

「かしこまりました」

 ラルクへ何か耳打ちして、フレートが立ち去る。馬車の中に後からエステン公爵夫人に渡すための商品をいくつか準備してあるのだ。ひょっとして、とフリューのセットを持って来ておいて良かった。

「じゃあ私もここで待ってるよ。リヒ、早く行って来い」

「ちょ、つめてぇなアス。……スヴェンはオレに付いて来るよな?」

「行くわけないだろ。お前みたいに粗野なヤツに、ヴァンを抱っこさせるなんてとんでもない」

「……抱っこ前提かよアス……。お前、過保護だぞ……」

 そう、過保護である。過保護であるが、下りようにもがっちり両手で足を掴まれていては下りられないのだ。

「イェレミーアス様は、スヴァンテ様のことを『ヴァン』とお呼びになっておられるのですね」

「ええ。ヴァンが私をイェレ兄さまと呼んでくれるので、かわいい弟が出来たような気持ちなのです」

「まぁ、何て麗しい兄弟かしら! 素敵ですわ」

 これは……恋の予感というか、イェレミーアスが婿候補として狙われているのか。うちの子ちゃんと伯爵位が取り戻せれば、顔よし性格よし家柄よしおまけに剣の腕もよしで有望株だもんねぇ。なかなかお目が高いぞ、イルゼ嬢。ぼくはお見合いをセッティングした仲人よろしく、「あとはお若い二人で」みたいな顔で見守る。

「そうですね。こんなに美しい弟ですと、色々心配で目が離せません」

「?」

 ぼくが首を傾げると、イェレミーアスは苦笑いのような表情をした。ぼくのことをそんな風に言うのは恩人の欲目だと思う。イェレミーアスは「うちの子世界一かわいい。自分にとっては」状態なんだろうな。水を差すのも野暮なので、大人しく抱っこされておく。

「分かりますわ……これだけ麗しいと、張り合う気も起こりませんもの……」

 イルゼはほう、とため息を吐いて頬へ手を当て遠くを見るような素振りでぼくへ顔を向けた。分かる。イェレミーアスを直視できないんだよね。ぼくも時々、麗し過ぎて直視できない。知ってる? 美少年の微笑みってね、本当に眩しいんだよ。目を開けていられないんだ。本気で発光するんだよ。美少年怖い。 

「ヴァン? 喉が渇いた? お水をもらおうか?」

「ううん。大丈夫です」

 ぼくは少しでも負担にならないよう、しっかりとイェレミーアスの首へ手を回した。そうすると必然的に顔を寄せることになる。勿忘草色の虹彩は、縁がほんのりとピンク色に見える。その勿忘草色が優しくぼくを覗き込む。イェレミーアスは下瞼の目頭辺りに笑い皺ができるんだなぁ。ぼんやり眺めていると、おでこを押し当てられた。

「ひぃやぁぁぁん……っ」

「びっくしりた!」

「変な声出さないでよ姉さん、恥ずかしいっ!」

 ローデリヒとロマーヌスが同時に叫んだ。ローデリヒとロマーヌスのコンビは普通の子供って感じで和む。

「そういえばさ、イェレミーアス様がスヴァンテ様と仲が良いとは知らなかった。離宮から出たのも、びっくりしたし」

 ロマーヌスはラウシェンバッハ辺境伯家のことや、ぼくの話を知らないのか。まぁ、まだ七歳だもんね。何と答えようか一瞬、迷ったぼくに先んじてイェレミーアスが答える。

「ヴァンは、私と考えることや好きなものが似ているようで一緒に居て心地よいのです」

「そうですわね、お二人は不思議と雰囲気が似ておられますわ……」

 イルゼ嬢はぼくらの事情を知っているのか、少し顔を俯けた。無邪気な弟の頭を撫でる手が「お姉さん」の手だ。おそらくメッテルニヒ伯爵家は普通の、良い家庭なのだろう。

「そうだね。二人は何だかこう、一緒にいるのがしっくり来るね」

 ロマーヌスも頷いた。覚えずイェレミーアスの胸へ手を置く。当たり前に育つロマーヌス姉弟が、少しだけ眩しい。イェレミーアスは両手で抱えていたぼくの足から離した片手の指の背で、ぼくの頬を撫でた。聡くて優しい子だ。

 イェレミーアスはぼくにとって心地いい距離感を保ってくれる。ものを作る人なら分かってもらえるんじゃないかと思うが、ぼくは一人で何かを作ったり、考えたりする時間が必要なタイプだ。そしてその時間を邪魔されるのが好きではない。

 イェレミーアスはぼくが集中している時は、隣で静かに読書をして待っていてくれる。ぼくが顔を上げれば黙って近づいて来て、次にどうしたいかを尋ねてくれる。自分の体調を顧みず無理をしそうな時は、ストップをかけてくれる。フレートですら遠慮して時々ぼくの暴走を見逃してしまうけど、イェレミーアスはその辺りの気遣いが実にスマートだ。

 ぼくとの関わり方というか、人との関わり方がとても上手いのだ。それは観察眼が優れているゆえなのだろう。その観察眼の鋭さが剣術に於いても、イェレミーアスを天才たらしめているのかも知れない。

「宝石姫とピンクサファイアの王子さま、運命に導かれし二人……麗しいですわ……」

 イルゼ嬢はなんかちょっと独り言の多い子だな。両手を胸の前で握りしめているイルゼ嬢、ちょっと怖い。気を取り直してイェレミーアスの勿忘草色の瞳を覗く。

 全員、生まれた時からこんな生活をしている貴族令息、令嬢だから気にならないのだろうけど、ぼくは前世がド庶民なのでとても気になる。ぼくらがエステン公爵邸に到着した時から、ずっとぼくとイェレミーアスにはルクレーシャスさんが付いて来ている。それだけじゃなくて当然、フレートもラルクも控えている。普通はここに護衛の騎士も二、三人随行する。つまり、ぼくらのこの会話の間中ずっと、人数掛ける五人くらいの大人が付いて来ているのだ。広いはずの公爵邸の庭が狭く感じる。これだけはいつまでも慣れることができそうにない。

 小さな植え込みの迷路や、花のアーチを通り過ぎた辺りで開けた芝の広場に出た。侯爵邸がすぐ側に見える。エステン公爵家に来たことがあるだろうイェレミーアスは、ローデリヒが案内するつもりだった「広い場所」がここだと理解していたのだろう。立ち止まって催促する。

「無駄話してないで早くラケットを取って来い、リヒ」

「ちぇっ。はいはい、行って来ればいいんだろ!」

 言うが早いか駆け出したローデリヒに、護衛が付いて行く。さすがに侍女と侍従は置いて行かれていた。身体能力が高いんだよね、ローデリヒは。イェレミーアスもだけど。これが普通の子供なんだろうか。そうなるとぼくが病弱だと思われるのは当然かもしれない。

「そういえばボク、『偉大な物語グロースゲシヒテ』のゲームを買ったんですよ。姉さんと両親とで遊んでいるんです。ボクの家族はすっかりスヴァンテ様のファンですよ」

「ええ、おかげでお忙しいお父様も近頃はわたくしたちと遊ぶ時間を割いてくださるのよ。ねぇ、ロン?」

「うん! スヴァンテ様のおかげです」

「ありがとうございます、ロマーヌス様、イルゼ様。どうぞ、ぼくのことはスヴェンとお呼びください。ぼくも、ロン様と呼んでも?」

「ええ、ぜひ。仲良くしてください、スヴェン様」

「よろしく、ロン様」

 ぼくとロマーヌスはこの中で一番年が近い二人、のはずである。ぼくの中身が享年二十五歳でなければね。手を伸ばしてロマーヌスと握手をした。何にせよ、今は人脈を広げておくに越したことはない。

 メッテルニヒ伯爵家は代々皇室事務筆頭、通称「書庫番」と呼ばれる皇宮の事務管理を任されている官吏である。簡単に言うと事務総長、といったところだ。権力もあるし、財力も、人脈もある。おまけにロマーヌスの父である現メッテルニヒ伯爵は、事務筆頭から宰相にのし上がった実力者である。

 何より今は、皇都に常駐している領地を持たない貴族との繋がりが欲しい。だから皇都貴族と呼ばれる、皇宮での官職を持つ貴族の筆頭であるメッテルニヒ伯爵家と仲良くして損はない。

「うちにもあるぜ、『偉大な物語』もモンタージェも。発売したばかりのフリューもあるから、オレが一番のスヴェンのファンだな!」

 ローデリヒの部屋がどこかは知らないが、防犯上の理由から家主の家族の部屋は邸内の二階か三階にあることが多い。少なくとも短時間で行き来できる場所ではないだろう。なのに息一つ切らさず戻って来たローデリヒの手には、ラケットが三つ握られている。少し遅れて到着した護衛騎士が少々気の毒になった。その後ろから、こちらもまた顔色一つ変えずに戻って来たフレートがラケットを差し出す。

「あ、ラケットが来ましたよ。ロン様、まずはイェレ兄さまとリヒ様を見学してから、みんなで遊びましょう?」

「うん!」

 軽い気持ちでイェレミーアスとローデリヒの試合を見ようと提案したのだが、運動神経のいい二人の試合だ。プロ選手もかくやという見事なラリー、白熱する心理戦、どちらにも死角なしという打ち合いに気づいたら相当な数のギャラリーが湧いていた。

「すごいよ、これがフリュー? スヴェン様、ボクにも教えて!」

 ラケットはフレートが持って来たものを入れて六つ。初めはぼくとイェレミーアス、ローデリヒ、ロマーヌス、イルゼ、ラルクを含めて大きな輪になり軽い打ち合いを楽しんだ。

「あはは、これ楽しいねぇ! スヴェン様、ボクこれほしいな、どこで買えるの?」

「パトリッツィ商会にて販売いたしておりますが、ロン様には後日ぼくから贈らせていただきますね」

「ありがとう、うれしい! これならお母様や姉さんとも一緒に遊べるね!」

 実際に打ち合いをしているところを見て、興味が湧いたようだ。誰からともなく、質問が飛び話しかけられる。

「フリュー? スヴァンテ様が考案なさったのですか?」

「これはどこで手に入れられますか?」

「パトリッツィ商会? ぜひわたくしにも紹介していただけますかしら?」

「もう発売しているのですか? ぜひ欲しいわ」

 気が付くとローデリヒとイェレミーアスが教えながらかわるがわるにフリューを試し、いつの間にかエステン公爵や公爵夫人も加わっての大遊戯会になっていた。ぼくは久々にフレートに抱っこされて、次々と投げかけられる質問へ答えた。

 その中に、一人気になる少女がいた。年齢的にはイルゼと同じか、年上だろう。

 冬の日、覚えず触れた白磁のように冷えた肌。夜の帳に似た漆黒の髪。闇から零れ落ちたように深い藍色の瞳は、ここ数日で見慣れた湿度を含んで瞬きもせずぼくだけを捉えている。

 フレートの肩を叩いて、下してもらう。フリューをしているローデリヒとロマーヌスをぼくのすぐ横で見ていたイルゼへ声をかけた。

「イルゼ嬢、彼女をご存知ですか?」

 ぼくが視線で示す先を、実に貴族らしい仕草で直視を避けて見た後、イルゼは広げた扇で口元を隠しながら答えた。

「彼女はミレッカー家のご令嬢、ビルギット様ですわ」

 ミレッカー。

 その名を聞いた瞬間、血の気が引いた。指先が冷えて行く。

「そういえば、イルゼ嬢と彼女は従姉妹、でしたね……」

「ええ、ビルケは二歳年上ですのよ。年も近いので来年はビルケと同じグラーツ高等貴族女子学校へ通う予定ですわ」

 人だかりのせいか、何だか空気が薄い。ふらついたぼくを、大きな手が支える。

「こら。君は自分の体に無頓着すぎる」

「ルカ様……ふわふわします……」

「なんだよ、スヴェン。目ぇ回しちまったのか?」

「悪いね、リヒくん。スヴァンくんを少し休ませてもらえるかい?」

「いいよ。いいだろ、かーちゃん。スヴェンをうちに泊めても」

「ええ、ぜひそうして。ではわたくしはヨゼフィーネ様とベアトリクスも今日はうちに泊まるように伝えて来るわ」

「ああ、そうしなさい。ベステル・ヘクセ殿を我が家へお泊めできるなんて名誉なことだ」

 そういうつもりではあったけど、こういう流れで話しを出すつもりではなかった。ぼくはルクレーシャスさんに抱えられながら、力なく呟いた。

「よろしくお願いします……」

「しかたねぇな。スヴェンは弱っちいからな。好きなだけ泊まって行けよ」

 これでぼくの病弱設定はおそらく、皇国中に知れ渡ってしまうことだろう。ぼくは認識を改めなければならないかもしれない。ぼく、本当に病弱かも。だがこれだけは絶対に忘れてはならない。ふわふわと定まらない視界の中、ぼくはフレートに伝えた。

「フレート、マウロさんにフリューを増産するように伝えて……!」

「スヴァンテ様、今はそれどころではありません……!」

「ダメです、今じゃなきゃ。商機は逃しちゃいけません……っ」

 忠実な執事は首を横へ振りながら大きなため息を一つ、吐き出した。

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