第26話 円滑洒脱、で行きたいよね……? ⑶
ぼくが感慨に耽っていると、少し先にエステン公爵の紋章が入った馬車が西へ駆けて行くのが見えた。マウロさんとぼくの乗った馬車も続く。ぼくらが乗っているのは、タウンコーチと呼ばれる四人掛けのボックスタイプのキャビンがあるものだ。貴族、馬車と言われて真っ先に思い浮かべた、その想像通りの馬車で間違いない。皇宮の外にも堀が巡らされているのか。皇宮の外は意外にもしばらく森が続いていた。塀に囲まれているが、中は窺えない。おそらく高位貴族の屋敷だろう。エステン公爵のタウンハウスもこの辺りにあるはずだ。エステン公爵の馬車を追って、ぼくらの乗った馬車も西へと道を曲がる。
頭では理解していたけど、貴族の屋敷は広大だ。前世の住宅地のイメージなど、全くない。塀に囲まれた森、森、森、どこを見回しても大きくて豪華な森林公園みたいなものがずーっと続いている。この辺りは高位貴族の邸宅だからだろう。当然だが、爵位が上であればあるほど、皇宮の近くへ居を構えることが許される。だからぼくが購入した土地は、地方に領地を持つ伯爵の別荘であったと聞いている。つまり、「そこそこ」の場所にある。それが重要だ。皇宮にも、平民の居住区域にも近い、貴族の居住区の中でも中間地点。そう、動きやすい場所だ。
「スヴァンテ様、間もなくお屋敷に着く頃でございます」
「皇王の不興を買うかも知れないことに巻き込んですみません、マウロさん。手引きをしたのがマウロさんだという証拠は残していないので、知らぬ存ぜぬを通していただけるとありがたいです」
「大丈夫です、スヴァンテ様。本日はわたくし、皇后陛下のご友人方へフリューの説明をしにたまたま皇宮へ居合わせただけでございますよ」
ふくよかなお腹を揺らしてマウロさんが笑った。出会いは不思議だ。マウロさんがいい人でよかった。
「ありがとうございます」
お礼を言いながら外へ目を向ける。広大な森が途切れ、森に囲まれていない建物がちらほらと見え始めた。何の店かは分からないが、おそらく衣装を仕立てるテーラーなのだろう。皇国ははっきりとした封建社会なので、
そんなわけで、
しばらく行くと、小さな川を渡った。その先は小高い丘になっている。その丘の上に、アイアンの飾りがついた塀が見えて来た。
「あちらが、スヴァンテ様のお屋敷にございます」
「うわぁ……」
思わず窓に貼り付いて眺める。前世狭い国土に小さな家で暮らす平凡な日本人、今世生まれた時から離宮で監禁生活だったぼくには、見渡す限り森と丘しかない風景が珍しい。こんな広々としてるものなの? 周囲に他の邸宅も見えないじゃん? 塀が見えてからもなかなか屋敷どころか塀に辿り着かない。馬車の中から見るに、屋敷の中をさっき見た小川が流れているようだ。馬車の揺れってどこか牧歌的だよね。それでね、多分みんなが想像してるよりも速度が遅い。おっそ! ってびっくりして涙が引っ込んだくらい遅い。歩いた方が早いんじゃない? って思うくらい遅い。速度も揺れも、実に快適な眠りを誘うリズムであるが、諸々に興奮してそれどころじゃない。そしてなにこれまだ塀に辿り着かないんですけど。
しばらく草原を行くと、ようやく塀が近くに見えて来た。門のところに門番らしき騎士が立っているのが見える。マウロさんが窓を開け、懐中時計みたいなものを見せると、門番がアイアンに上のところに痛そうなトゲトゲの付いた門を開けてくれた。思わず門番のお兄さんへ向け、ぺこりと頭を下げると微笑まれた。
「今はわたくしの家紋で開けてもらえましたが、今後はスヴァンテ様の許可がないものはお通ししないようになっております」
「はい。何から何までお手数をおかけしました。ありがとうございます」
「いいえ。今後ともよしなにお願いいたします」
マウロさんを通じてボーレンダー公爵ともお近づきになれるといいな。ボーレンダー公爵家は、皇弟であった初代ボーレンダー公が自ら立太子を辞し爵位を賜ったことに始まる家門である。皇王ですら意見を無視できない貴族なのだ。
「申し訳ないのですが、しばらくは頻繁にお呼びすることになるかもしれません。ぼく、離宮の外で生活するのは初めてなので必要なものがさっぱり分からないんです」
「承知致しておりますよ。ぜひ、遠慮なくお申し付けください」
話をするうちに広大な庭を通り抜け、屋敷に辿り着く。外を覗くと、ピンクブロンドの少年とローデリヒ、フレートとベッテ、それから元気よく飛び跳ねてぼくへ手を振るラルクが見えた。
「みんな、お疲れ様でした。ルカ様は?」
「アスをオレに引き渡すなり、菓子を食いに行ったよ……」
「ああ……ごめんなさい……」
「いや……何となく、そんな気はしてたんだ。気にすんなよ、スヴェン」
頭を抱えて俯く。ローデリヒの横に立つ、背の高いピンクブロンドの美少年へ向き直る。胸へ手を当て、左足を少し後ろへ引いて頭を下げた。
「お初にお目にかかります、イェレミーアス様。スヴァンテ・フリュクレフと申します。お疲れでしょうにお出迎えまでさせてしまい申し訳ございません。何かとご不自由でしょうが、ご用の際はこちらのフレートへ何なりとお申し付けくださいね」
顔を上げてにっこりと微笑む。イェレミーアスはぼんやりとぼくを眺めている。疲れてるのかな。まぁ、大変だったよね、きっと。ぼくが一人で納得していると、ローデリヒがイェレミーアスのことを肘でつつく。
「おい、アス。見すぎ。気持ちは分かるけど、礼くらい言っとけ。こいつがお前を助けてくれたスヴェンだ」
「……! 失礼いたしました、今回のご助力に対し、どんな形であろうとも必ずお返しする所存です。イェレミーアス・ラウシェンバッハと申します、フリュクレフ公子……」
『ヴァン』
イェレミーアスが挨拶するなり、どこからともなく現れたルチ様に抱き上げられた。頬ずりされ、耳元へ唇を寄せられた。甘い声にゾクゾクして覚えず顔を傾ける。
「ルチ様、ルカ様と仲良く出来ましたか?」
『……ようやく、生まれた。ヴァン。もう離れない』
「……生まれた? 何の話ですか、ルチ様」
『……精霊は発生が確定した時点で現在過去未来全ての瞬間に存在する』
「……?」
『でも発生地点に干渉してはいけない。だから干渉しない』
「……うーんと……?」
『でもヴァンは約束があるから、大丈夫』
「そう、なんですか……?」
何の話なのか全く分からん。
うっとりするほどの笑みを浮かべ、ルチ様は軽く首を横へ振った。相変わらず、ルチ様の返事はちょっとズレているというか、いつでも言いたいことを言うだけなので気にしてはいけない。妖精たちや精霊たちも、遠慮なく飛び回ってぼくへキスしたり、髪を風で吹き上げたりして嬉しそうにしている。
ちらりと視線をやると、少し離れたところでマウロさんがひっくり返っていた。フレートが駆け寄って助け起こしている。あちゃあ、やってしまった。後で謝っておかなくちゃ。
「……なんじゃこりゃ!」
ローデリヒが素っ頓狂な声を上げて後退った。
「うわぁ、ごめんなさい、リヒ様、イェレミーアス様。あの、多分、これからずっとこうだと思うので申し訳ないのですが慣れていただけるとありがたいのです」
「……精霊、ですか」
「精霊?! 精霊ってこんななのか? おい、アス、スヴェン!」
「! イェレミーアス様、見えるのですか?」
「ぼんやりと、ですが……フリュクレフ公子の周りに光が集まっているのが見えます」
「フリュクレフ公子はおやめください。ぼくの方がうんと年下ですし、どうかリヒ様のように気軽にお呼びください」
「では、スヴァンテ様も私のことはお好きに呼んでください」
胸へ手を当て微笑んだイェレミーアスはピンクブロンド、勿忘草色の瞳で印象が柔らかい。その上アイドルみたいに甘い美貌。綺麗なアーモンド形の瞳は大き過ぎず高い鼻梁も嫌味のないバランスで、唇だって薄すぎずしかしいやらしくない程度にぽってりとしていて完璧だ。
好きに呼べというけど、前世日本人のぼくにはこの世界の愛称の法則というか、横文字名前の略し方が全然分からない。ローデリヒに倣って「アス」と呼ぶべきなんだろうか。でもイェレミーアスは「アス」って雰囲気じゃなくない? だって「スヴァンテ」なのに愛称は「スヴェン」とかさ。何でそうなるのか全く分からん。
「えっと、では……イェレ、様?」
「はい。スヴァンテ様」
じんわりと、花が開くように表情を綻ばせたイェレミーアスに思わず見惚れてしまった。やばい、美少年やばい。確かイェレミーアスは十一歳になったばかりのはず。十一歳が出していい色気じゃない半端ないすごい、美少年怖い。頬染めないで、何かが持って行かれそう怖い。じっと見つめられると困る、すごい何でも言うこと聞いちゃいそう。ダメだ、このまま見つめられ続けたらぼく、彼に家一軒くらい買っちゃいそう困る。ぼくは両手で頬を覆って、体を傾けた。
「イェレ様、あの、あまり見つめられると恥ずかしいです……」
「あっ、あの、すみません……!」
『ヴァン』
不機嫌丸出しでルチ様は体を横にずらした。ぼくはイェレミーアスやローデリヒへ背を向けて浮いている状態である。イェレミーアスは少し体を引いていたので、ルチ様のことも見えているっぽい。
「あっ、そうだルチ様。ありがとうございます。あとでお歌を歌いますね。とりあえず、お疲れ様でした」
子供のようにぼくの腰へ抱きついて、歌ってくれとせがむルチ様を思い浮かべる。時々、幼い素振りを見せるんだよね。だから僕以外の人間へ塩対応していても、怒りにくいという部分があるにはある。
『歌、好きだ。ヴァン、またあの歌、歌って。でも今は、褒めて』
ルチ様が少し頭を下げてぼくを上目遣いに見る。その髪を撫で、労う。よすよす。お利口さんでしたね。全力でよしよししておく。ご機嫌が直ったようだ。
「えっと……まぁ、スヴェンだから精霊に好かれるとかもアリか……」
何だよその納得の仕方は。ローデリヒが一人うんうんと頷いている。
「さぁ、ここで立ち話もなんですので、皆さん中へどうぞ。とはいっても、ぼくもこの屋敷を見るのは今日が初めてなんですが。よろしければマウロさんもお茶をどうぞ……」
振り返るとマウロは、まだ気絶したままのようで体格のいい侍従たちに運ばれて行った。これでお付き合いが切れるとかないよね? お願い! どうにか慣れてください!
頭を撫でられ満足したからか、ルチ様はぼくを下してくれた。屋敷に向かって歩き出す。
「皆様、ご案内いたします」
フレートが頭を垂れ、手で屋敷の中を指し示した。いつの間にか、馬丁が御者に近づき、案内している。そうか、これから外で暮らすとこういう人も雇わなくちゃならないんだ。感心しながら屋敷の中へ入る。ホールに使用人がずらりと並んで頭を下げていた。メイドだけでも二十人くらい居そうだ。メイドの先頭にベッテを見つけて少々安堵した。侍従らしき男性も並んでいる中に、ヴィノさんとダニーも見つけた。
「おかえりなさいませ、主様」
さすがはフレートとマウロさん。短期間でここまで使用人を揃えるとは。おまけにルチ様の魔法もあるから、ひとまずは使用人に寝首を掻かれるとかの心配もなさそうだ。頭を下げる使用人の奥で、いかにも儚い美人と、ぼくより少し年上と言った感じの女の子がこちらを見ている。
「はじめまして。スヴァンテ・フリュクレフと申します。ラウシェンバッハ辺境伯夫人、ベアトリクス様」
にっこり微笑んで頭を傾ける。ベアトリクスはぽかんと口を開けたまま、ぼくの頭の動きを目で追った。苦笑いでベアトリクスの頭を撫でたイェレミーアスが促す。
「トリクシィ、スヴァンテ様にご挨拶は?」
「……あっ! はじめましてスヴァンテ公子、ベアトリクス・ラウシェンバッハです……」
ベアトリクスはもじもじしながらもドレスの端を持ち上げ、カーテシーをして見せた。んまぁ、おませさん。かわいいなぁ。年が近いと妙に気恥ずかしいよね。分かるよ。
「このたびはご助力いただき誠にありがとう存じます、フリュクレフ公子。ヨゼフィーネ・ラウシェンバッハと申します」
「お疲れでしょうに挨拶までさせてしまって申し訳ありません。お加減が悪ければ、部屋で休んでいただいて構いません。もしよろしければ、お茶を準備いたします。どうぞ、ゆっくりお過ごしください」
頭を下げた辺境伯夫人の手へ、そっと手を重ねる。イェレミーアスはお母さん似のようだ。微笑みかけると、辺境伯夫人は堪えた様子で唇を笑みの形へ作って見せた。無理をしているのだろう。話すべきことだけを手短に話して休ませた方が良さそうだ。
フレートの案内で応接室へ歩き出す。振り返ると、ラルクが手を振ってヴィノさんに付いて行くところだった。ぼくも手を振る。応接室へ入ると、ぼくの偉大なる師匠が、限界ぎりぎりまでほっぺにパルミエパイを詰め込んでいた。
「……ルカ様……お客様がいらっしゃるというのになんて意地汚い……」
「んぐふっ!」
呆然と呟く。ローデリヒが吹き出した。ルチ様も小さく笑い声を上げたのを聞き逃さない。ルクレーシャスさんは行儀悪くごくごくと紅茶を飲み干して、ぼくへ微笑んだ。口の周りに食べカスを付けたまま。
「おかえり、スヴァンくん。意外と遅かったね?」
「ベッテ、布巾」
「はい」
ベッテの方へ視線もやらずに、手を差し出す。絶妙の間合いで手へ置かれた布巾でルクレーシャスさんの口元を拭った。
「大変お見苦しいところをお見せいたしました。ルカ様、ご挨拶は済んだんですよね?」
「したよ~」
「ほんとですか、イェレ様」
「あ、はい……」
苦笑いのイェレミーアスに直感する。してない。
「してないでしょう、してないでしょう、絶対! すみません、本当に。いきなり不審者が現れて驚きましたよね? 本当にごめんなさい。この人、こんなでも本物のベステル・ヘクセ様なんです、嘘じゃないです本当なんです。ルカ様、きちんとご挨拶してください」
「したってばぁ。杖を見せたから、自己紹介したのと同じだよ、スヴァンくん。わたくしパイを食べるのに忙しいんだよ?」
ほらやっぱりぃぃぃ。きちんと挨拶してないじゃん、杖を見て向こうが紋章から判断してくれただけでしょう、もうこの師匠は。
「ルカ様。ぼくもう、キャラメル作りませんよ」
「どうしてそんなこと言うの、スヴァンくんの意地悪! ベステル・ヘクセのルクレーシャス・スタンレイだよ! スヴァンくんの師匠をやっている。スヴァンくん、キャラメル! キャラメルは!?」
この人段々、幼児退行してないか? お菓子さえ与えておけば大人しい、頼れる大魔法使いの手を握る。
「……明日、作ります。ほら、きちんと座ってください、ルカ様! 皆様もどうぞ、お掛けください……」
なんだろう、屋敷に着いて三十分も経っていないのにぐったりするほど疲れている。ぼくもソファへ座ろうと座面を振り返ったら、先に座ったルチ様が両手を広げていた。
「……」
『ヴァン』
にこにこと、両手を揺すって催促している。諦めてぼくは、ルチ様のお膝に腰かけた。ヨゼフィーネさんも、ベアトリクスもぼくの顔と、ぼくの座っている座面を交互に見ている。そりゃそうだ。そうだよね。いくら魔法がある世界だって言っても、人が浮いてるんだもんびっくりするよね。悲鳴を上げないだけ二人はすごい。淑女教育がしっかり身に付いている証拠だ、とかそんなこと言ってる場合じゃなさそう。二人とも体が弱いんだった。お願い倒れないでね?
「えっと……お疲れのところ申し訳ないのですが、まずお伝えしたいのはぼくは何もないところに話しかけたり何もないところで浮いたりしますが、お気になさらないでください。害はないんです……」
「ぶっは!」
再びローデリヒが吹き出した。さすがラウシェンバッハ辺境伯の嫡男。後継者教育がしっかりなされているのだろう。イェレミーアスは視線をぼくの顔に向けたまま、笑みを崩さない。
改めて口に出してみると何と言うことはない。師匠も不審者なら、弟子も不審者だこれ……。
初めて会った皇宮の外の人へ初めに伝えなくちゃいけないことが、これ。ぼくはぐったりと、体中の力を抜いて項垂れた。
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