第8話 状差しの中のラブレター

 9月 釧路の短い夏も終わり、阿寒連山から吹き降ろす風はもう、冬の気配いがする。街にはちらほらと、コート姿も見える季節となった。

 健治が仕事を終え、キャバレー銀の目から川上町のアパートに戻ると、玄関前に男が立っていた。

 男は健治に「俺だ、久しぶりだな」と言った。

「ヌマか?」と聞くと、「そうだ、今日泊めてくれ、電車が終わってしまってな」

「まあ、入れよ」と沼倉を部屋に入れた。

「案外綺麗にしてるんだな、彼女が来てるのか」と部屋の中を見回していた。


 沼倉は健治が厚岸に住んでいた小学校の5年生まで、同じクラスの同級生だった。

 沼倉は国鉄の官舎にいて、名前も字も健治と同じ健治といった。

 同級生の皆は柿崎健治を「ザキ」、沼倉健治を「ヌマ」と呼んでいた。


 沼倉は「俺は今、帯広の畜産大学に行ってるんだ、厚岸に行った帰りに釧路に寄ってみたんだけど、お前を思い出してな、来てみたよ」と、健治を訪ねて来た理由を言った。

 厚岸にいたころ、健治と沼倉は、仲がいいとはいえる間柄ではなかった。


 むしろ沼倉は貧乏だった健治をバカにして、仲間外れにするグループの一人だった。

 健治が釧路に来ることになった時「お前に恵んでやる、大事に使え」と言って、履き古した汚れたズック靴を鞄に詰め込まれた。


 あれから6年経っていた。そんなこと、とうに忘れていたのに、ただ嫌な思い出を蘇らせた。

「飯は食ったのか」と聞くと、「昼から何も食っていない腹ペコだ」と言った。

 川上町の「10円寿司」という店に行き、「好きなだけ食べれよ、100個食っても千円だ」と昔のことを忘れて、沼倉に寿司の他ビールも振舞った。


 翌朝、沼倉が「剣𠮷って子を知ってるか」と聞いた。ケンヨシとは聞いたことがあるような気がしたが、思い出せなかった。

「知らない」と言うと「あ、そうだったな、剣吉とは厚岸水産高校の時代だからな、お前は知らないよな」と、一人で納得していた。


 ☆☆☆


 釧路の太平洋岸に興津海岸というところがある。荒波が防波堤を打ち付け、白い波の飛沫が飛ぶ。

 空を飛ぶカモメの鳴く声が「ククウ、ククウ」と、騒がしくなった。

 押し寄せる波の上に、うつ伏せの女が浮いていた。

 遠くからパトカーが「ピーポゥ、ピーポゥ」と、サイレンを鳴らしてやってきた。

 救急車も追ってきた。


 浮いていたのは白い夏物のワンピースを着た若い女であった。バッグも波に流されたのだろうか。発見できなかった。首を絞められた跡があり、絞殺後、海に突き落としたと考えられた。


「この仏さんな、BAR の女だべな」と、捜査一課の刑事がつぶやいた。

「おめえにそんなこと分かんのか」


「んだってよ、この格好みてみろ、このくそ寒いのに、薄っぺらい派手な服を着てるべ。こんな派手な服を着るのはBARの女に決まってるべ」


 所持品なし、遺書なし、推定年齢20歳~30歳 、死後約10日、死因絞殺


 釧路警察署に「ホステス殺人事件捜査本部」の看板が立てられた。

 刑事たちは、釧路市内のBARやキャバレーを、虱潰しに捜査した。

 だが手がかりになる情報は1件もなかった。


 捜査本部は釧路市を中心に、半径50キロまで捜査範囲を広げた。

 だが手掛かりは見つからず、捜査は暗礁に乗り上げた。

 捜査陣の中に意見の対立が起きて来た。


 ある刑事は捜査をホステスに限らず、広く行方不明者を捜す必要があるのでは、と、捜査方針を見直す考えを主張した。

 だが警部は、「捜査一課長が決めたことに、口出しをするな!」と、その考えを一蹴した。


 ☆☆☆


 年が明け、伊藤和夫が乗った遠洋魚業の船が、釧路港に帰ってきた。

 和夫は例によってキャバレー麟の目に行った。ステージでは美川憲一が独特の裏声で、「釧路の夜」という歌を歌っていた。

「私ね昨日刑事に調べられたのよ、いなくなったホステスを知らないかってね」と、ホステスが言った。


 いなくなったホステスと聞いて、松浦町で見たあの人を思い出した。あの人も、どこかへ連れて行かれて、泣いているのでは、と。


 健治がビールをプレートに乗せてやってきた。

「6ヶ月ぶりだな、明日どっかで飲もうか」となり、健治と和夫は翌日、炉端という店でホッケの塩焼きでビールを飲んだ。

 炉端という店は「炉端焼き」という名前の元祖で、さんちゃんという名物の婆さんが、一人でやっていた。

 さんちゃんは、末広町の過去何十年もの歴史を、その皺に刻み込んだ三省堂の広辞苑みたいな人である。


「昨日、バカな刑事が来てね、『どっかに夏物の服を着て、いなくなったホステスのことは知らないか』って、言うのよ。だけどね釧路は寒くたって、帯広は35度もあるんだよ。女はみんな、薄っぺらい服を着てるじゃない、その女は帯広から来たかも知んないだろ、刑事ってみんな、バカばっかりだね」


 帯広と聞いて健治は、沼倉のことを思い出した。沼倉は帯広の大学に行っている。

 剣吉と言っていたのも思い出した。

 剣吉とは、厚岸本町の剣𠮷造船所で、15歳くらいの娘がいた。父の慎太郎が手を付けて、生まれた子どもは今では、高校生くらいになっているはずだ。


 健治の話を聞き和夫は㋥佐々木の慎太郎のところへ行った。

 慎太郎は、ひょっとしたら、殺されたのは自分の子どもかも知れない、と思い、黙ってはいられなくなった。


 慎太郎は和夫を連れ厚岸に乗りこんだ。慎太郎が当選させた村上町長の手により、厚岸本町と、真龍を結ぶ厚岸大橋も完成し、車が走っていた。

 国鉄真龍駅は厚岸駅となり、村上町長は2期目も当選し、真龍と厚岸本町の統合した初代町長になっていた。


 村上町長は厚岸警察に指令を出し、剣吉造船所を調べさせた。


 剣吉造船の社長夫婦には昔、金沢泰造の愛人市川梅子の子ども、玲子を剣吉夫婦の子どもとして、籍を入れさせたことがあった。

 市川梅子は48歳で亡くなっていた。慎太郎の子どもではないかと思われていた玲子は36歳となり、吉田利一という男と結婚していた。


 剣吉造船の社長夫婦には、志摩という名の実の娘がいた。志摩は厚岸水産高校を卒業後、釧路教育大学に進学していた。


 釧路警察署の捜査本部は厚岸警察の連絡を受け、帯広警察に捜査を依頼した。

 翌日、沼倉健治は帯広畜産大学の寮で、身柄を確保され、釧路警察署に移送された。


 観念した沼倉は全てを語った。

「俺と志摩は帯広と釧路で遠距離恋愛をしていました。志摩の他に女ができて、志摩とは分かれるつもりでいました。

 去年の9月、釧路の柳町公会堂で、ベンチャーズの公演がありました。

 切符を2枚買い、志摩と一緒に聞きました。その時、新しい彼女に買ってあげたけど、『派手過ぎて着れない』と言われ、渡さずに持っていた洋服を、志摩に持って行きました。


 ラブホテルに入り、着替えた志摩は、凄く喜んでくれて、『厚岸のような海の前で写真を撮りましょう』と言い、二人で興津海岸に行きました。

 そこで、思い切って『別れてくれ』と言いました。志摩は半狂乱になって『どうして!』と言いました。


 このままでは志摩がなにをするか分からないと思ったので、首を絞めました。ぐったりした志摩を海に落とし、バッグをみると、俺宛ての未投函の手紙がありました。

 その中に『健治、愛してる』と書いた便箋がありました。


 そこで柿崎健治を思い出し、あいつの部屋のどこかにこの便箋を置いて、罪をなすりつけようと思い、あいつのアパートの前で待ちました。上手く入ることができ、部屋の中で便箋を挟める本を探しました。だけどあいつの部屋には本が1冊もなく、どこへ置こうかと考えているうちに『10円寿司を食いに行こう』と言われ、仕方なくあいつの部屋にぶら下がっていた、状差しの中にいれました」


 翌日、健治の部屋を調べると、状差しの中に、「健治、愛してる」と書かれた便箋が入っていた。状差しの中に他に入っていたのは、電気とガスの請求書だけだった。
















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