第31話 洋子を探してトンツートン

 衆議院議員の滝沢修一は次回総選挙に出馬せず、政界を引退することになった。滝沢の選挙区北海道5区の定員は5名で、第30回総選挙で与党自〇党は、かろうじて過半数の3名を確保したものの、トップで当選したのは日本社〇党の岡田〇春であった。岡田は太平洋炭鉱の労組出身で、安定した支持基盤を持っていた。


 自〇党内に限れば最多票を獲得したのは北海のヒグマとか、暴れん坊〇郎と呼ばれ、石原〇太郎、渡部美〇夫と組んで青○会を作った中川〇郎であった。滝沢は中川には遠く及ばず、次点の日本共〇党の候補との票は僅差であった。

 滝沢の支持者の中には、次期北海道知事に推す声もあった。だが滝沢は自からの判断で、政界を引退することとした。


 9月、滝沢は本妻が住む札幌に居を移し、愛人の依田民子は、娘の千鶴と東京で暮らすこととなった。

 滝沢と民子が住んでいた米町の邸宅は㋥佐々木の所有で、滝沢が出た後は慎太郎の部下で、結婚が決まっている湯山甚弥と、里奈が住むこととなった。

 この屋敷は明治時代初期に清水次郎長の命により、清水湊から釧路に派遣された㋥佐々木の初代代表の、佐々木長治によって建てられた歴史的建造物であった。

 白いペンキで塗られた洋館の窓からは、啄木が歌った「しらしらと氷かがやき千鳥なく釧路の海の冬の月かな」と石碑に刻まれた釧路港が一望できた。


 里奈はクラブ小鶴に入ったとき、この屋敷で滝沢の面接を受けた。

 あのとき滝沢から「里奈という名は本名か」と聞かれた。

 どうしてそんなことを聞くのだろうと思っていたが、この屋敷に住む者の資格として、偽名や源氏名は相応しくないと思ったのだろうか。あるいはいずれは里奈がこの屋敷の住人となることを滝沢は、予想していたのだろうか。

 里奈はこの豪華で歴史のある屋敷の第4代目の住人となることに、身震いをする思いがした。


 入居や引っ越しに関する手続きは、㋥佐々木の事務員の菊池のおばさんこと、菊池順子さんが全部やってくれた。里奈はまるでお姫さまである。

 翌日、美津子が結婚祝いに贈った電子レンジが搬入された。

 歴史ある建物に、最新鋭の家電。里奈は贅沢すぎる環境で、新婚生活を迎えることとなった。


 ☆☆☆


 このころ沿岸国では、200海里問題が提起されるようになっていた。

 200海里問題とは自国の沿岸から200海里(約370キロメートル)を自国の排他的経済水域とみなし、その海上、海中、海底に存在する、水産物、鉱物などの資源など一切に、自国の権利を所有することをいう。

 日本はまだ批准していなかったが、国際的な流れとして定着しつつあった。

 この基準に従えば、釧路港を基地とする遠洋漁業の水域の大半はソ連のものとなり、水揚げ量日本一を誇る釧路にとっては大打撃である。


 折しもこのころは東西冷戦下にあり、日本の船団がソ連の排他的経済水域において活動すれば、拿捕されるか、あるいは撃沈されるかも知れない危険な状況になった。

 結果、釧路を基地とする遠洋漁業船団は更に遠い、アラスカ沖までいかなければ、漁ができなくなり、ほとんどの漁業会社は近海の漁に切り替えざるを得なくなった。


 伊藤和夫が務める近藤水産も、遠洋漁業を諦めて、近海漁に切り替えた。

 乗る船がなくなった和夫は近海漁の船に乗るか、漁船員を諦めて再就職先を探すか、決断を迫られた。


 今まで末広町の銀の目などで遊べたのも、収入がいい遠洋漁業船団にいたからである。

 悩みに悩んだ末和夫は、無線通信士の資格を取って、近藤水産に残ることにした。

 3級無線通信士の資格を持っていれば、ほとんどの船は乗ることができ、近海漁の船でも資格保持者は高収入が得られた。また2級通信士の資格を持って地上局勤務になれば、海上ににいる全船との交信も任され、一般サラリーマンよりははるかに高収入が予想できた。

 だが2級通信士の資格を取るのは並大抵なことではない。通信士養成学校に通い、2年目に3級を受験するのが普通である。それでも合格率は10パーセント以下で、3年目に受験して、ようやく30パーセントの合格率となる。不合格となった人は通信士の道を諦めるか、比較的容易な電信級、航空級、電話級をを目指すことになる。


 和夫は2年間だけ地上勤務にしてもらい夜学に通って、最低でも3級を目指すことにした。

 釧路には無線通信士を養成する学校は、北海道立釧路職業訓練所と、釧路私立無線学校の二校があった。どちらも即戦力を養成する学校であるが、夜学は私立無線学校にしかなく、和夫は私立無線学校の夜学部2年コースに入学した。


 だが入学しても、学校に行けるのは2年間だけである。

 人の2倍も3倍も勉強しなければ、目標の3級はおろか、電信級も航空級もおぼつかない。


 当時無線従事者の資格には、電信級、航空級、電話級、3級、2級と、他に無線技術士の資格があった(現在は制度が変わり簡素化されている)


 当時、電話級以上の試験には、電鍵によるモールス信号の送受信、いわゆるトンツートンの実技があった。

 日本には諸外国と違い、イロハのイから始まる和文とABC の欧文の両方を覚えなくてはならない。さらに和文と欧文を区切る。和欧文句読点と濁点、半濁点など、覚えなくてはならない記号が山ほどある。

 和夫は毎日 

 ・-    イロハのイ

 ー・・・  はがきのハ

 ・-・-・ おしまいのン

 ー・  ・・-・・ タに濁点

 ー・・・  ・-・-・・  ハに半濁点

 ・--・・--・  和欧文句読点


 ・-    A

 ー・・・  B

 ー・-・  C 

 ー・・-  X

 ―・--  Y

 ー―・・・ Z


 ーーーーー  0

 ・----  1

 ・・ーーー  2

 ーーー・・  8

 ーーーー・  9

 と、頭の中で繰り返し繰り返し、練習した。 

 筆記試験の方は、電波法、無線機器、電波伝搬、数学 英語が必須であった。


 他にも試験にはないが、船に乗る場合気象予報も無線通信士の仕事である。

 洋上の真っただ中では陸上局が発信する緯度、経度とミリバールを表す数字だけの電波を受信して、自分のいる場所の気象を予報する。


 それだけではない、移動無線局には傍受義務というものがある。

 どこかで遭難信号、・・・---・・・ いわゆるSOSを発信していないか、24時間傍受し続ける。

 一般の漁船では通信士は一人なので、船長や漁労長などが交代で傍受に当たる。受信だけするのは資格が要らないので、もしSOSを受信したら、寝ている通信士を叩き起こして電鍵の前に座らせる。


 いずれにしても、揺れる船の上でこれを行うのである。無線通信士とは大変な仕事だ。それでも和夫はこの試験に受からなければと、必至になって頑張った。

 それはもちろん、胸の内のどこかに、これをやり遂げねば、斉木洋子に会えないような気持になっていた。

 トンツートン「ヨウコドコニイル」トンツートンと、胸の内で電鍵を叩いた。






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