第55話 末広町振興計画
「まぁ、高弁さんじゃないですか、お久しぶりね、相変わらずお忙しそうですね」
「ぼちぼちですよ」
「高弁さんと会うのは何年ぶりかしら」
「僕が最後に子鶴に行ったのは、子鶴が閉店する1か月くらい前です」
「ちょっと待ってね、すぐに分かりますから」と言って徳子はパラパラと大学ノートを捲り「高弁さんが最後に子鶴に来たのは2年前の4月15日よ」と、日付けまで正確に言った。
クラブ子鶴の復活計画に乗り出した高弁は、末広町で最もホステス事情に詳しいといわれる徳子に意見を聞くために、伊吹という小料理にやってきた。
徳子という人は、麟の目のオープンの日からホステスとして勤務した。その後滝沢修一に請われて、クラブ子鶴のホステスとなった。以来、閉店の日まで、定休日以外は1日も休まずに務めた。彼女はその間の出来事を克明に大学ノートに記録していて、積み上げると1メートル以上になった。
そのノートには客やホステスの動きもきっちりと記録されていて、徳子の大学ノートは末広町の人事記録簿と呼ばれていた。
高弁はクラブ子鶴に行くようになったころはまだ駆け出しの弁護士で、子鶴の客の中ではガキ扱いをされていた。だが徳子のノートの中には高弁の当時の振る舞いがきっちりと記録されていて、高弁にとってこのノートはある意味で、過去を暴かれる爆弾のようなものであった。
「高弁さんは今、何を調べているのですか?」
「僕は今、クラブ子鶴の店舗を生かして、新しい店を作ろうと思っています。
それでホステスさんを紹介していただきたいと思って参りました」
「新しい店を作るのですか、どういう種類の店を考えているのですか?」
「金を掛けた豪華な設備がそのまま残っていますので、それを生かして名前も子鶴を復活させたいと思っています」と高弁は自信をもって答えた。
「子鶴を復活するとおっしゃいましたが、ママの千鶴さんの了解はもらっているのですか?」
「いいえ、それはまだしていません」
「そうですか、それなら私は協力は出来ません!」とぴしゃりと言った。
「どうしてですか?」と高弁が尋ねると徳子は、
「あなたはクラブ子鶴は滝沢先生の店だと思っているようですね、でもそうではありませんよ」
「でもそれは事実だと思いますが……」
「確かにお金を出したのは滝沢先生です。器はお金を出せば作れます。
でもそれではどこにでもあるただの入れ物です。
入れ物に魂を吹き込んで初めて工芸品になるのです。
滝沢先生が作った器に魂を吹き込んだのはママの千鶴さんです。クラブ子鶴という店は、千鶴さんそのものなのです。千鶴さんがいない店は小鶴ではないのです」
「でも、先生を頼って来た人はいっぱいいましたよ」
「あの店には滝沢先生の店と知った上で、様子を見に来た人がたくさんいました。
でもその人たちは必ずしも先生の味方ばかりではありません。むしろ敵の方が多かったと思います。それらの人たちは先生の弱点を探すために来るのです。政界にいる限り、政敵がいなくなることはありません。
先生が仕事をしやすくするためには、敵を懐に引き込んでしまうことが必要でした。クラブ子鶴という店は、それを実践するもう一つの永田町だったのです。
ホステスもそうです。ホステスを採用するときは、千鶴さんが最も信頼していた菊池順子さんが先ず会って、そのあと先生が面接を行っていました。
そこまでして信頼できる人を周りに置いたのです。ですからクラブ子鶴のホステスは誰でもなれるわけではないのです。
私は先生と千鶴さんに認めてもらったことに、誇りをもっています。
クラブ子鶴は復活させるのではなく、記憶の中に生きていてほしいと思います」
と、徳子は高弁に深々と頭を下げて懇願した。
菊池順子が滝沢にもママの千鶴にも信頼されていたのは、高弁自身がよく知るところであった。末広町の人事記録簿と言われる人にそこまで言われるともう、反論はできなかった。
「分かりました。徳子さんがおっしゃる通リです。別の方法を考えてみます」と言って店をでた。しかし、一番の目的であった末広町を復活させる計画の第1号はできなくなって、慎太郎との約束も果たせなくなった。
やむを得ずクラブ子鶴の復活計画は置いといて、復活計画第2号の幽霊が出そうなBARに取り掛かることにした。
高弁がビルのオーナーの隅田の事務所に行くと、隅田の妻が出て来て「あの店のせいで、2階の店子も契約満了と同時に更新を断ってきました。今は3階の麻雀屋さんだけが残っています。でもいつ出ていくか分かりません。主人は悩みすぎて、円形脱毛症になってしまいました。
いくらでもいいですから、店子を探してください」と言ってポロポロと涙を落した。
高弁が現場を見ると、1階の元高級BARアイビーは、面影はわずかに残るものの、荒れ果てた無残な姿になっていた。2階に上がってみると、蜘蛛の巣だらけで、
元和風スナックと言われなければ、何を商売にしていたのか見当もつかない状態になっていた。
さすがにこれは改築してイメージを一新しなければ、入居希望者は現れないだろうと思った。1号も2号もダメになって、慎太郎にどう報告しようと思っていたら、㋖北村の土地問題で境界石を埋めた土地の元持ち主で、昔「ごくつぶし」という食堂をやっていていたが、今は妻の実家のシャラクサ屋という居酒屋をやっている徳野与太郎から電話があって「高弁さん、あんたに頼みたいことがあるんだけど、いいかな。俺は今末広町に支店を出そうと思ってんだけど、ボロでもいいから、安い店を探してんだ。あんたなら事故物件を持ってんじゃないかなと思うんだけど、あったら電話くれや」と言ってきた。
まさか脅しと詐欺まがいの方法で、2,000平米の土地を10万円でぶん取った、あの
与太郎が、空き店舗を斡旋してくれとは、思ってもみないことだった。
翌日高弁と与太郎は心中事件の起きた店舗で会うと「高弁さん、あんた、たいしたもんだね見直したよ、俺はこんなのを探してたんだ。このまんま明日から商売ができるんだから、みっけもんだな」ということで即決で契約が成立した。
後で家主に聞いたところ、1階は「ホラーレストラン・シャラクサ亭」という名前の店で、2階は「ごくつぶし怪奇食堂」という名前で1週間後から営業を始め、大入り満員の盛況ということであった。
翌日、またも思いがけない事態が起きた。
クラブ子鶴の件で相談に行った小料理屋、伊吹の徳子さんが電話で「高弁さん、この前の話を子鶴のビルのオーナに話したら、あのビルを改築して他人に貸さずに自社でキャバクラを開業することになったので、『記念になりそうなものだけどこかへ移動してもらえませんか、後の処理はこちらでやります』と言っています。高弁さん一度、来てもらえませんか」と言ってきた。
改築してキャバクラにすると、少なくとも何十人かのホステスが必要となるので、子鶴に代わるネオンが灯ることになって、末広町の灯を守る意義は達成できる。
問題はクラブ子鶴の備品をどこへ持っていくかに絞られた。
そこで慎太郎に事態を話すと「そんなことは簡単だ。甚弥と里奈が住んでる米町の洋館の敷地がたっぷりあって今はヤギが2頭いるはずだ。あそこに別棟を建てて、1階は子鶴の店をそっくりそのままにつくり、2階に客室を作れば迎賓館として使えるだろ。すぐに建築屋を呼んで図面を書かせろ」
「しかし、あの洋館は歴史遺産ですよ、手は加えられません」
「だから別棟にするんだろ、繫がってなかったらいいってことじゃないのか」
「歴史遺産は景観も含まりますから、別棟もダメですよ」
「よし分かった。甚弥と里奈は寿町のマンションが気に入ってるみたいだから、あいつらを追い出して、あの洋館の1階に小鶴をそっくりそのまま持ってきて、2階は客間にすれば、迎賓館として使えるだろ」
ということで、甚弥と里奈は追い出されたが、クラブ子鶴の店は港が見える丘に、ヤギと遊べる迎賓館となって、永久に残ることとなった。
残る課題はBAR楡に絞られた。だが楡は倒産したわけではない。だけど放っておけば間違いなく倒産する。倒産してもホステスもバーテンダーもそのまま残っているので、倒産したあと、債権者から㋥佐々木流の方法で安くかい叩くことになった。
問題は「リヤホールの女」と呼ばれた楡のママを、タクシーの運転手が見れなくなることであった。
しかし、末広町の振興のため、タクシー業界には泣いてもらうこととなった。
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