第54話 運転手の隣に座る女

「お前うちの菊池と結婚するそうだな、いつからそんな仲だったんだ」

「いつからって言われても、説明できませんよ」


「それもそうだな。だけどこれからお前には、もっといい仕事を頼むことになりそうだな」

「ぜひそうして下さい、何でも引き受けますよ」


「じゃあ、顧問契約をするか?」

「もうちょっと待って下さい、考えますから」


「㋥佐々木の顧問になったら、今までたいな半端な仕事じゃなくて、本格的なやつを任せるんだけどな」


「何をおっしゃるんですか、今までだって本格的にやばかったですよ」

「そうかな、今までは序の口だと思うけどな」

「えっ!あれで序の口ですか、㋥佐々木ってほんとうにやばい会社ですね」


「そう言うヤツもたまにはいるけど、本当は真面目なちゃんとした会社だ。

今日はお前と菊池の結婚祝と思って、特にいい話を持ってきたつもりだけど、聞いてみたくないか?」


「お願いします。聞かせて下さい」

「滝沢の親父が死んでから、娘の千鶴がやっていた店は借り手がなくて、あのまま

だ。もったいないと思わないか」

「そうですね、場所もいいし、豪華な設備もそのままですからね、もったいないですね」

「そこでだ、お前があの店をやってみる気はないか?」

「私がですか?無理ですよ、私は素人ですから」


「お前は無理でも、お前には料理研究家の可乃子って女がいるだろ」

「なーんだ社長、知ってたんですか、順子には内緒ですよ」


「そんなことは分かってる。あの店を可乃子にやらしたらどうだ」

「可乃子だって素人ですからね、できっこないですよ」


「可乃子は素人でいいんだ、ちゃんとした補佐がいればやっていけるもんだ。

子鶴には元、財川っていうマネージャーがいて、本当はこいつが全部仕切ってたんだ。

その財川は今失業中だ。だから可乃子をママにして、財川に任せばいいんだ」


「ママとマネージャーがいたって、バーはホステス次第でしょ、いいホステスが集まればいいんですけどね」

大丈夫だ、子鶴がなくなったあと、あそこのホステスのほとんどはアカネとニュー東宝にひきとってもらった。甚弥の嫁の里奈もそうだけど、あの子らは今でも子鶴を懐かしんでいる。だから子鶴を再開して彼女らを呼び戻したら、客もついて来るはずだ」


「だけど、子鶴の客は滝沢の親父がいたから来てたんでしょ、その親父は死んじまったんだから、もう子鶴には来ないでしょ。


「確かに子鶴の客は東京の大物が多かった。そんな店だから憧れていたヤツもいっぱいいたはずだ。だけど子鶴はめちゃくちゃ高いから、入りたくても入れなかったヤツらは仕方なしに他の店に行ってたんだ。

だから極東水産の親父に金を出させて、小鶴よりちょっとだけ安くして、同じ名前で再開したら、子鶴の名前に憧れていたヤツらは来るはずだ。それにあの極東水産の親父は可乃子には甘いから、潰れても文句は言わないだろ。その上前をお前が撥ねれるのだから、お前にとってはいいことづくめだ。


「確かにいい話ですね。やってみましょうか」

「その気になってきたみたいだな、もっといい話があるけど聞きたくないか?」

「面白い話は大好きですよ、聞かせて下さい」


「1年くらい前に麟の目のバンドマンと、心中した女がいたんだ、その女は、アイビーというBARのママだったんだ。そのアイビーも、閉店したまま借り手がなくて、家主は俺のところに泣きついてきてるから、それもお前が誰かにやらせて、お前は両方の店を管理すれば、どっちからも金が入るだろ」


「でも社長、アイビーのママがあの店の中で心中したことは、みんな知ってますよ。そんな縁起の悪い店に客が来ますか? それに死んだ女の客が戻ってはこないでしょ」

「大丈夫だ、幽霊が出るBARとして宣伝すれば、そういう趣味のヤツは、飛行機に乗ってでも来ると思うな」


「社長、真面目にやりましょうよ」

「俺は真面目だけどな、しょうがない、もう1件の店を紹介するからよく聞け。

末広町4丁目に「楡」という店があるのを知ってるか ?」


「ええ知ってますよ、あの人を知らない人は末広町にはいないと思いますよ。

いたとしたら、そいつは潜りですよ」

「俺も末広町は知ってるつもりだけど、潜りにはなりたくないから念のため聞かせてくれないか」


「楡のママはタクシーに乗るときは必ず、運転手の隣に座るんで、タクシー運転手の間では、リヤホールの女って呼ばれています」

「俺は潜りだったみたいだな、リヤホールとはどういう意味だ?」


「後ろを空けたままにしてるから『どうぞ後ろのホールを攻めて下さい』と言ってるのと同じだからですよ」

「お前も順子のリヤホールを攻めるのか?」

「よして下さい、私も順子もそんな趣味はありませんよ」


「趣味はいろいろだからいいとして、楡も閉店を噂されている。末広町の高級BARが三つも真っ暗になってしまったら、幽霊よりももっとおっかない、前歯が抜けちまった歯っ欠け婆ばあみたいだろ。


「社長、『歯っ欠け婆ばあ』は差別用語ですよ。起訴されたら間違いなく有罪ですよ。注意して下さい」

「お前もたまには弁護士らしいことを言うんだな」


「それで、私に楡もやれっていうんですか。可乃子の店には極東水産の親父に出さすとして、楡には金がかかりますよ」

「金は㋥佐々木がなんとかする。とにかく今は1軒でも守らないと、末広町全部がダメになってしまうだろ。

㋖北村は潰れてしまったし、丸一鶴屋デパートも札幌の丸井金井デパートに取られてしまった。あいつらみたいになる前に、俺は損得抜きで末広町をなんとかしたいと思っている。俺も甚弥も頑張ってるけどまだまだ手が足りない。頼めるのはお前だけだ」


「分かりました。幽霊の出そうな店もひっくるめて面倒を見させてもらいます」

「頼んだぞ高弁!」


慎太郎が心配したように、末広町の灯は一つ消えまた一つ消え、かっての輝きを失いつつあった。

大手のキャバレーはそれぞれ、独自の打開策を模索していた。

麟の目はクラブエスカイアと、トゥルークラブを出店して、すすきに活路を見いだした。

ニュー東宝は中華レストラン「竜虎」を立ち上げた。

アカネはホステスの増員と改装を打ち出した。

こうして末広町は、再び赤いネオンが瞬く街へ向かって走り出した。


☆☆☆


7月 すすき野はクラブ リッツのオープンで、一段と熱を帯びていた。

迎え撃つキャバレーアカネは 園まりを筆頭に、連日人気スターをステージに立てて、老舗らしく連日満員の盛況であった。

クラブエスカイアはオープンから半年となって、新参ながらすでに、すすき野に

確個たる地位を築いていた。

加えてトゥルークラブをオープンさせて、若年から壮年まで幅広い客層の支持を集めていた。

かくてすすき野に、三大キャバレーが揃い踏みすることとなった。


☆☆☆


アルバムの増版に赤信号が灯った洋子とフイッシャーズに、思わぬところから支援の申し入れがあった。

ある日、李基哲がニュー東宝にやってきて美紗希を指名した。

李基哲は美紗希(竹子)の夫で、竹子は洋子の義姉である。李は不二洋服店時代、社長だった洋子から1億円で不二洋服店を買い取り、跡地にチャラリンコというパチンコ屋をやっていた。また大楽毛の縫製工場を改築して、外国人向けの日本語学校を経営していた。


李は商才にたけていて、パチンコ屋も日本語学校も、安定した利益を上げていて、

アルバムの増版とセールスプロモーションに必要な資金は十分に備えていた。

だが洋子も美紗希も李のことを快くは思っていなかった。洋子にしてみれば、事実はともかくとして、不二洋服店を取られたとの意識が強かった。美紗希は娘がわずか5歳で石狩川に身を投じたのは李にも、半分は責任があると思っていた。


李と美紗希は婚姻関係はまだ残っていて、法律上は夫婦である。離婚を希望した美紗希を諭して李との復縁を勧めたのは、札樽法律事務所時代の高弁であった。

李の申し出た金は洋子とフイッシャーズにとって、救いではあっても、心情的には許しがたい金であった。洋子と美紗希、高弁、それぞれが、金と心の間の葛藤に苦しむこととなった。



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