第28話 道東の町の青い空
中標津の空はクッキリと晴れていた。霧で太陽も黄色く見える釧路とは大違いだ。美津子が国鉄標津線の中標津駅で降りると、酪農研究所の職員、今野が待っていた。
「小川先生だね、汽車でここまで来るんは大変だったっしょ、ご苦労さんだねぇ
」と、紺野はを駅前に止めたトヨタランドクルーザーに美津子を乗せた
「先生さ、これから家にいくんだけど、農協ストアの隣で良かったべかな、買い物が楽だと思って俺が決めたんだけどな」
「先生だなんて小川と呼んでください」
「だけどよ、獣医さんはやっぱり先生だべ、うちのかあちゃんなんか『先生さま』って言うけどな」
ここまで言われたらもう仕方がない。先生と呼ばれたら「はい」と答えることにした。
「ここが農協ストアだ、もうすぐに着くっけど」と紺野は言ったが、それから5分くらいして、「ここだぁ、ちょっと古いけど我慢してけれや、予算もあるしな、荷物は置いたままだけど良かったべかな、明日7時に来っからさ、そん時に手伝うよ」と言い、紺野は帰っていった。
酪農研究所が美津子に用意してあった家は、3LDK の1戸建てで、家族のある人用の広い家であった。
隣の家とは塀もなく多分、300坪以上あると思われる土地は境界線も曖昧で、どこからどこまで使っていいのか不明である。
こんな広い家と土地なのに、家賃はたったの千円であった。酪農研究所が補填してくれてるとはいえ、釧路にいたアパートと比べると、10分の1以下で、東京時代と比べたら、広さは10倍以上で家賃は50分の1以下である。
しかも冷蔵庫と洗濯機は酪農研究所が用意してくれていた。
尤も家賃は安くなったけれど、酪農研究所の給料は子鶴時代に比べると、3分の1くらいである。それから各種保険、年金などを差し引くと、手取り金額は5分の1くらいまで減ってしまう。
もう贅沢はできないと、覚悟することにした。ただ仕事のときは作業着と長靴なので、衣装代は全くかからない。そもそもお洒落をして出かけるところなど、どこにもない。
この町で必要なのは車くらいだろう。とにかくやたらと広いのだ。車がなければ買い物もできない。
帯広にいたとき免許は取っていたので、とりあえず仕事に問題はない。長いことペーパードライバーだったので、運転に自信はないけど、中心街以外、どこを走っても歩いている人は滅多にいないので、人身事故など起こしようがない。なにしろ牛はいっぱいいるけど、人は牛の半分しかいない。どこにも人がいないわけだ。
翌日、紺野さんが「これうちで使ってたもんだけど、要らねえかい」と言って、4人用の食卓テーブルと椅子を4脚、ランドクルーザーに積んできた。
「俺が新婚のとき買ったんだけど、すぐガキが二人もできちゃって、これじゃちっこすぎるんで、使ったのは、1か月だけだ、そのあとまた増えて、今は6人用でもちっこいくらいだ」と言った。どうやら双子の女の子が2年連続で生まれたらしい。
早速テーブルを部屋に入れると、本当に新品同様であった。それだけで殺風景だった部屋も、人が住む家らしくなった。
7時半ころ酪農研究所に着くと、約30人の職員は、もう忙しそうに仕事をしていた。所長の渡辺さんが「みんなそのままで聞いてくれ、今日から来てくれることになった小川先生だ」と紹介してくれた。
奥のほうから「おう、待ってたど、すぐ行っから車で待ってろ」と言われ挨拶もそこそこに、研究所の前に止めてあった軽4輪に乗った。
運転席に座った人は「あいつとは関係ないけど、俺も渡辺っていう名前だから、ナベさんと呼んでくれ、お前のことはみっこでどうだべな」と言った。
ナベさんは先輩の獣医で、みんなから、「ナベ先生と呼ばれていた。美津子はその日から「みっこ先生」と呼ばれるようになった。
ナベ先生とその日行ったのは、ホルスタインを200頭飼う、郊外の牧場であった。
牧場に近づくとサイロの方から、牧草が発酵する独特の匂いがしてきた。
この匂いを嗅ぐのも久しぶりだ。美津子は帯広の畜産大で実習したころを思いだした。
あれから3年、回り道をしながらもこの道に戻ってきた。何があってもこの町の土になるまで生きようと思った。
牧場には去勢手術を行う牡牛が3頭待っていた。去勢にはバルザックという器具を使い、睾丸を壊死させる無血去勢法と、陰嚢下部をメスで切開し、睾丸と精管を引き抜く観血去勢法がある。
観血去勢法は痛みも少なく、回復も早いことから、現在はこの方法が主流である。
牧場の人とナベ先生が牡牛の足をロープで括り、ナベ先生が指定した首下に美津子が注射をすると、ほどなく麻酔が効いてきて、牡牛はおとなしくなった。
ナベ先生は素早く陰嚢に2か所メスを入れると、白っぽい色の睾丸が2個見えてきた。睾丸を引っ張りだしてU字型の器具を絡め、ドリルにつないでくるくる回すと、精管は陰嚢の内部でプツリと切れ、睾丸は摘出された。
2個目の睾丸も取り出され、消毒液をかけて無事、1頭目の去勢手術は終了した。
3頭の牛牡牛を全部済ませて、皿に並べられた6個の睾丸をしげしげと見ていると、ナベ先生は「記念にもって帰ってもいいど、食ってもいいけど、味は保証できないな、食うならタラコにした方がいいと思うな」と言った。
睾丸といっても牛の睾丸は丸い玉ではなく、タラコのような形の袋になっている。
色も金色ではなく、白っぽい銀色をしている。
美津子は男の睾丸に爪楊枝を突き刺した汐未のことを思いだし、ついクスっと笑ってしまった。
「おいみっこ、何を笑ってんだ、あれは痛いもんだど、女のお前には分からねえべな」と、ナベ先生は真顔で言った。
帰り道ナベ先生は「紺野のかあちゃんは、2年で4人も産んじゃってよ、4人全部母乳で育てたっていうから、ホルスタインも真っ青だ」
ホルスタインに双子は滅多にいない。1頭の雌牛が生涯に産む子牛の数は平均
2.3頭と言われている。子牛にオッパイを飲ませるのは生後5日までで、それから1年間、母牛は搾乳器でオッパイを吸われ続ける。2年間に4人も産んで全部母乳で育てるなんて、ホルスタインには絶対できないことだ。紺野のかあちゃんは間違いなく、ホルスタイン以上だ。
研究所に戻ると渡辺所長が「次の日曜の朝9時から俺んとこで、あんたの歓迎会をすることになったんで、紺野を迎いに行かせるな、起きててくれよ」と言った。
その日、紺野のランドクルーザーに乗って所長の家に行くと、所長の家は美津子の家の3倍くらいの大きさがあった。
土地はもっと広く、隣の家とは100メートルくらい離れていた。その庭にはテーブルが並べられ、肉がジュウジュウと焼かれ、白い煙が立っていた。人数は50人以上いて、酪農研究所の人だけではないように見えた。紺野さんに聞いてみると、このあたりは東北から開拓で入植した人が多く、今でも助け合いの習慣が残っていて、何かが起きたときはみんなが集まって、祝ったり、嘆いたりするのが慣わしらしい。
「みっこ先生今度さ、うちの娘に勉強を教えたってよ、馬鹿だけどさ」
「これうちで作った漬物なんだわ、いっぱいあっから持ってきなさいよ」などと、
美津子は道東の町の人たちと、牛たちにすんなりと受け入れられた。
スッキリと晴れた道東の空に、焼肉の白い煙が伸びていた。
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