第46話 ごくつぶし との境界線


 末広町のコロポックルスタジオで、洋子とフイッシャーズの、新曲の録音が始まっていた

「霧の街」のCDを自主制作したときは、リーダーの室井さんのマンションの管理組合の部屋を借りて、フイッシャーズの仲間だけで録音していた。

 レンタルした機材も粗末なものだった。コンクリートの壁はデットなのか、ライブなのかも分からないまま、窓のガラスにガムテープを貼って、共振を抑えるのに必死だった。

 それに比べたら、コロポックルスタジオは壁も床も天井も、プロらしい設備が整っていた。

 室井さんは「これならきっといい曲ができますよ。出来上がりが楽しみですね」と、早くも出来映えに自信を持っているようだった。


録音は3時間くらいで終了した。同じ曲を今夜8時から麟の目のステージで、品川明とクールスターズの伴奏で歌い、実況ライブ盤として発売することになっている。

 予定では、フイッシャーズ盤を4月中旬から丸一鶴屋デパートのCMで流し、7月に発売するのアルバムには、フイッシャーズ盤と、クールスターズ盤の両方を入れ、別にカラオケ版も作ることになった。アルバムには他に7曲入れるので、洋子の作詞ができ次第、順次録音することとなった。発売の日はアッという間にやってくる。そのころにはお腹も目立ってくるので、今のようには動けないだろう。洋子はうかうかとはしていられなくなってきた。


 麟の目でのライブ録音は良くても悪くても、やり直しはしないので、わずかな時間で終了した。


 朝からの録音と移動で疲れを感じた洋子は、2回目のステージをキャンセルして、アパートに帰ることにした。

 9時ごろ、タクシーを拾うために北大通リに出ると、横断歩道を渡ってくる女性がいた。

彼女から「斉木さん、しばらくですね」といわれてハッとした。

「斉木さん」と本名で呼ばれるのは久しぶりだった。㋖北村を辞めてからは「白木さん」と呼ばれることに慣れてしまい、わずか2か月前までは自分もOLだったことを忘れてしまい、一流の歌手気取りでいた自分を恥ずかしくなった。


「ほんと、久しぶりですね。お元気でしたか」と洋子がいうと、「うちが倒産したのは知ってますよね。今日は経理部の社員が集まってお別れ会をしたんですよ。今はその帰りです」と言った。

 彼女は洋子が㋖北村に勤めていたころ、同じ経理部にいた人で、彼女の夫は婦人服売り場にいた。

「ご主人はお元気ですか」と洋子が聞くと「主人は先週、丸一鶴屋デパートの面接を受けました。今は返事を待っているところです」と言った。


 婦人服はデパートの主力商品なので、丸一鶴屋デパートに新卒で入社した人は必ず一度は、婦人服売り場を経験する。なので、社内に婦人服売り場を経験した人はたくさんいる。よほどのことがない限り、他社の経験者を中途採用することはない。

 内心洋子は、多分、彼女の夫の採用は難しいだろうと、思った。


「主人と子どもが待っていますのでここで・・・・・」と言って去っていく彼女の後ろ姿を見ると何故か涙が流れた。「今の自分はなんて幸せなのだろう……」と。


 ☆☆☆


 ㋖北村は過剰な設備投資に問題を抱えた子会社の整理が重なり、1週間前に経営破綻が明らかになった。

 だが㋖北村が倒産することを㋥佐々木は1か月前から察知していて、密かに行動を開始していた。


 問題を抱えた子会社とは海野商事といい、㋖北村の東隣に約30,000平米の土地を持っていた。

 この土地は元々は㋥佐々木が所有していて、昭和25年ころ、港運送という運送会社に売却した。しかし港運送は、放漫経営が原因で10年後に倒産した。港運送の第一抵当権を持っていた道東銀行は、この土地を休眠会社であった海野商事に売却した形にして、新たな売却先を探した。


 当時、マイカーが普及し始め、㋖北村は駐車場を必要としていた。

 道東銀行は海野商事を駐車場管理会社に約款を変更した上、㋣北村と賃貸契約を交わした。

 駐車場ができたことで、㋖北村は微増ではあるが来客数も売り上げ額も増加した。海野商事は駐車場を㋖北村の他に時間貸しを行い、さらにはクシロデパートとも契約して、海野商事は利益が出る会社となった。


 道東銀行は㋖北村に海野商事を子会社化することを提案した。

 社員数が少なくて済む上、利益が出る会社となった海野商事を子会社とすることは、㋖北村にとって何ら問題はなく、道東銀行の提案を受け入れた。


 時代は推移して、30,000平米もの平地はこの周辺にはどこにもなくなった。

 ㋖北村はタワー駐車場とすることで、余剰となった土地を、マンションを運営する東北海道興産というデベロッパーに売却することとなった。

 ところがこの土地の東側の一角に、徳野 与一郎という人が所有する、約2,000平米ていどの土地があり、今はボロボロの廃屋となっているが、10年くらい前までは「ごくつぶし」という名前の大衆食堂であった。


 マンションを建設するにはこのボロボロの廃屋が邪魔となり、東北海道興産はこの廃屋の撤去を土地取得の条件とした。

 ㋖北村は条件を受け入れて、譲渡の契約を交わした。


 ㋖北村は相場を上回る価格を提示して、ごくつぶしの土地の売却を申し入れた。

 このとき徳野与一郎は90歳と高齢になっていて、交渉は息子の徳野与太郎とすることとなった。しかし与太郎は法外な金額を要求して交渉は決裂し、マンションは建設されないまま、5年過ぎ、東北海道興産は㋖北村に10億円の違約金を請求することとなった。


 そもそも、ここに「ごくつぶし」ができたのは、太平洋戦争に起因する。

 釧路市は終戦直前の昭和20年7月14日から15日にかけて、アメリカの航空母艦13隻から発進した140機のB25ミッチェル爆撃機の空襲を受け、製紙工場、兵器工場、港湾施設、市役所などが標的とされた。この空襲により、末広町と北大通リ周辺の家屋の多くが焼失した。

 わずかに残ったのは㋥佐々木が所有する土地で、ここには大正時代初期から徳野 与兵衛という男が「ごくつぶし」というめし屋をやっていた。


 戦後の混乱期に、この土地には無秩序にバラックが建てられ、不法に住み着く者がたくさんいて、一時期はスラム街のようになっていた。昭和25年ごろ市の戦災復興計画により、市と㋥佐々木は共同で区画整理を始めた。

 昭和30年ころになり、ほとんどのバラックはなくなった。だが、ごくつぶしの2代目となっていた徳野与一郎は「この土地は親父が㋥佐々木から買ったものだ」と主張して、離れようとしなかった。


 ㋥佐々木の3代目の代表の佐々木勝也は、次郎長の「弱い者には手を出さない」という精神に基づき、ごくつぶしを残したままこの土地を港運送に売却した。

 港運送の運転手や人夫にとってごくつぶしは、安くて旨いと評判の良心的な店であった。しかし、港運送が倒産すると同時に、ごくつぶしの2代目の与一郎も倒れ、

 3代目となった与太郎は中学校の女性教師と結婚し、ごくつぶしの店舗を残したまま、彼女の実家の「シャラクサ屋」という食堂を継いでいた。


 ☆☆☆


 ㋥佐々木の前代表の佐々木勝也は、アメリカの空襲を察知して、公図を含めた書類の一切を、米町の土蔵に疎開させていた。

 土蔵は現在、甚弥と里奈が住む洋館の敷地にあり、翌日から土蔵の調査を始めた。すると、埃を被った木箱の中に、公図や戦前に写した航空写真などが続々と出てきた。航空写真にはごくつぶしの店舗も映っていた。

 ところが、青地に白い線と文字の複写(シアゾ式複写)は一部が白っぽく焼けていて、㋥佐々木の土地とごくつぶしの土地の境界線が、はっきりとは写っていなかった。また、明治時代末期に㋥佐々木がごくつぶしに、100坪(約330平方メートル)を10円で売った証文も発見された。明治時代の10円は現在の約2,000万円に相当する。


 ごくつぶしが占拠している2,000平方メートル(約600坪)よりは小さいけれど、㋥佐々木がごくつぶしに売ったことは事実であった。

 このままでは訴訟に持ち込んでも、㋥佐々木側が敗訴となるのは明らかであった。そこで、裁判が要らない方法を取ることにした。その方法とは…………


 ☆☆☆


 ㋥佐々木の依頼を受けた高弁は、頼めばなんでもやってくれる頼もしい友人の沢村を呼んで、ある仕事を依頼した。

「先生またですか、痛いのは嫌ですよ」

「大丈夫だ。ちょっと穴を掘るだけだ」


「穴ってなんですか? 先生のケツの穴ですか、それだけは勘弁して下さいよ」

「いいから黙ってついて来い」と言って、高弁と沢村はごくつぶしの廃屋の前に来た。


「いいか穴を掘るのはこの辺だ」と言って高弁は、ごくつぶしの店の角から2メートルくらいの場所に、30センチメートルくらいの深さの穴を掘らせた。


「先生掘れました、この穴に誰を埋めるんですか、まさか俺を埋めるんじゃないでしょうね」

「心配するな、埋めるのはこの石だ」


「先生やっぱり、人を埋めるんでしょ、それは墓石じゃないですか」

「あわてるな、これは境界石と言って、他人の土地と区別をするために、埋める目印だ。石の先っぽを見てみろ、何んか印が彫ってないか」


「㋥という印が彫ってありますよ」

「㋥という印は㋥佐々木の専用の境界石だ。じゃあその㋥の印を俺の方に向けろ」と言って高弁は10メートルほど歩き、

「ここだ、ここに向けて、㋥の印が隠れないようにして、土を戻せ」

「よし、あとは写真を撮って終わりだご苦労さん」といって境界石埋めは終わった。


 翌日高弁は現地の測量図と写真を持って、公証人役場に行った。

 釧路公証人役場には、高弁が札樽法律事務所にいた時代の先輩の、桜井弁護士が公証人となっていた。


「桜井先生、私は㋥佐々木さんのご依頼で、ある土地の測量をやってもらいました」

 と言って、古い青地の公図の写しと、境界石を埋めたあとの測量図の2枚を広げ、「先生よく見て下さい。古い公図ではこことここを結んだ線はまっすぐに見えます。ところが新しく測量した方は、2メートルくらい、西の方にずれています。

古い青写真は焼けて白っぽくなっていますが、元は新しく測量した方と同じく、2メートルくらい西の方に境界線があったのではないかと思います。ご面倒をおかけしますが、先生に現地で確認していただけないでしょうか」


 「高橋君、君が確認したんだから大丈夫だと思うよ。新しい公図は1週間くらいで出来るから取リに来てよ」ということで、新しい公図が出来上がった。


 翌週、甚弥と高弁が与太郎を訪ね、「ここをよく見て下さい。この公図を見ますと徳野さんの土地は横2メートル、奥行き10メートルの細長い3角形になります。

面積は5平方メートルくらいになります。この面積で3角形の土地ならきっと、永久に買い手は現れないでしょう。そこで当社が評価額の10倍で買わせて頂きたいと思います。これでどうでしょうか」と言って算盤を弾いて見せた。


「んぬうぅー、てめえら、覚えおけよ」と与太郎は物凄い形相で睨み付け、わなわなと震える手でハンコを押した。

 結局㋥佐々木は2,000平米の土地を10万円で手に入れた。多分現在の価格では5千万円は下らないと思う。


 それでも若干の経費は掛かった

 測量手数料5万円。

 公証人役場手数料10万円。

 穴を掘った沢村には30万円。

 高弁にはちょっと高くて100万円が支払われた。

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