第16話 あの女から美津子へ


 ㋥佐々木の事務所の電話がルルル、ルルルと鳴る。

「はい、㋥佐々木でございます」


「菊池か俺だ、柿崎はいるか」

「滝沢先生ですか、お待ち下さい」


「おい菊池、俺の名前は出すなって言ってるだろ」

「そうでしたね、先生」


 衆議院議員で北海道開発庁長官の滝沢修一は、㋥佐々木の事務所には秘書を通さずに、自分で電話を掛ける。妾が住む私邸でさえ秘書を通すことからみても、㋥佐々木がいかに重要であるかが分かる。


「柿崎か、帯広の事件は知ってるな。その件でお前に話したいことがある」と言われて柿崎慎太郎は、米町にある滝沢修一の私邸に行った。

 私邸とはいっても妾と住む家で、本宅は札幌にあり、選挙区が釧路地方なので、東京の議員宿舎を行ったり来たりのトライアングル生活をおくっている。


 釧路には妾との家の他、妾との間に生まれた娘、千鶴と孫の修が住むマンションが末広町にあった。

 千鶴は末広町にクラブ子鶴という店をやっていて、クラブ子鶴は東京と札幌の有力者をもてなすサロンであった。ホステスの採用も源氏名も滝沢が決めていた。クラブ子鶴は滝沢が永田町に力を維持するためのもてなしの場で、その後はある旅館に客を送りだし、そこが最後のもてなしの場であった。


 この旅館の存在を知っているのは、㋥佐々木の極一部の者だけで、送りだす責任者は㋥佐々木の事務員、菊池順子であった。滝沢の客である証明には旅館に入る時、

「雌阿寒岳」と言うと「菊池の婆さん」と返す合言葉を使った。


☆☆☆☆


 米町の滝沢邸からは「しらしらと氷かがやき千鳥なく…………」と刻まれた石川啄木の碑と、釧路港が見える。


「柿崎、帯広で女を殺したヤツだけど、お前んとこの健治の同級生らしいな」

「同級生たって小学生のころですよ」


「だけどよ、殺したその日に会って、寿司まで食ったというじゃないか」

「まあ、そうですね」


『それによ、殺された女は厚岸の剣吉造船の娘だって聞いたぞ」

「そうらしいですね」


「剣吉の娘にはお前もこの前の件で、関係があるんだろ」

「市川智美のことですね、智美は剣𠮷とは血の繋がりも薄いし、偶然ですよ」


「偶然とは言ってもな、厚岸は俺の選挙区だ。なにか問題が起きれば俺のイメージが悪くなると思わんか」

「そうですね」


「だけどな、やり方次第ではこれは利用できるぞ」

「先生のことだから、上手いことを考えたんでしょうね、ぜひ教えて下さい」


「あのな、殺したヤツにはもう一人女がいて、これがその女だ」と言い、滝沢は慎太郎に写真を見せた。

「どうだちょっといい女だろ」

「そうですね、先生の好みですか」


「バカ野郎、利用するってのはもっと大事なことだ」

「分かりませんね、何をするつもりですか」


「その女ってのは国立帯広畜産大学を出て。獣医の資格を持ってるのに事件のせいで、行くとこがなくて困ってるみたいなんだ。だからその女を助けてやれば、俺のイメージも良くなるし、いずれは票になって帰ってくると思わんか」


 「それはそうですけど、具体的におっしゃってくれませんか」

「その女の気持ちを考えてみろ、なるべく遠くて、知ってるヤツがいないとこに逃げたいと思うだろ」


「そうですね、誰でもそう思いますね」

「そこで考えたんだ、俺がよく行く赤坂のニューラテンクオーターなら、一般の人間は行かないし、名前も実名なんか要らない世界だ、こんないい隠れ場が他にあると思うか、それにな、採用担当者の気分次第だけど支度金も出るし、それも50万円だからな、そこらへんのサラリーマンの月給の半年分だ」


「確かに私の月給の半年以上ですよ。しかし本当に採用してもらえるんでしょうか」

「あの店は美人しか採らないから、芋姉ちゃんは無理だと思うな、だけどあの女は獣医学科の卒業だから、牛とか豚の匂いが浸み込んでると思うな、永田町とか大手町で踏ん反りかえってるやつには、かえっていいかも知れないぞ」


「永田町で踏ん反りかえっているのは先生自身じゃないですか」

「俺は別格だ」


「まあそういうことにしておきましょうか、でも帯広の芋に「ニューラテンクオーターのホステスになれ」と言われても不安もあるでしょうね」


「そこでだ、お前んとこの湯山甚弥を連れてきてくれ。アイツはクラブ子鶴に里奈って女を連れてきてな、前はBARラタンっていう、芋ばっかりの店にいたんだけど、今じゃあ、子鶴のナンバーワンだ。湯山は女を見る目があると感心したよ。

 湯山と里奈をあの女に会わせておけば、あの女も安心するだろ」


「そうですね、現役のホステスの話を聞いておけば、安心して東京に行けますね」

「お前も東京に行く機会があったら、ニューラテンクオーター行ってみてくれ。

 だけど行っても知らんふりをしてろよ、回りのヤツらに感ずかれたらまずいからな」

「感ずかれたらまずいってのは何ですか、先生ひょっとして、あれも狙ってるんじゃないんですか」

「まあ少しはな…………バカ野郎、俺に何を言わすんだ」


「先生が金を出してくれるなら、毎週でも行かせてもらいますよ」

「図に乗るな!これは労働省の就職対策費だ。予算には限りがあることを知らんのか」


こうして「あの女」と呼ばれていた人は、美津子という名前で、ニューラテンクオーターのホステスとなった。





















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る