第15話 東京と北海道の夏


 ある年の夏、赤坂のニューラテンクオーターに、美津子という名の新人ホステスが入店した。

 ニューラテンクオーターの新人ホステスは入店後1週間、先輩ホステスに付いて接客の勉強をすることになっていて、今日美津子が付いた先輩ホステスは珠季という人であった。珠季はニューラテンクオーターに約2年前に入店した中堅ホステスで、歳は美津子と同じくらいであった。


「美津子といいます、今日はよろしくお願いします」と美津子は言った後「昨日は外国人のお客さんで、英語が話せない私は大変困りました、今日は大丈夫でしょうか」と、不安そうに話した。

「私もね1年間必死に勉強して、ようやく話せるようになったのよ、あなたも大丈夫よ」

「はい、がんばります」と少しオドオドした感じはしたが、素直そうな子であった。

 6時の開店と同時に席が埋まりだし、二人の外国人の席に付いた。

 この店の客の半分以上は外国人で、ホステスが英語を話すのは普通である。


 客が一人の場合は客を真ん中にして、両側にホステスが座るので新人ホステスは、先輩ホステスの様子を見ていれる。

 だが今日の客は二人連れだ。客とホステスは並んで座り、それぞれが向かい合う形になった。

 美津子も最初は単語を並べるだけであったが、そのうちに客と筆談をしだした。

 これが客にとっても面白かったのだろうか、2時間の在店中、客の笑い声が絶えることはなかった。

「あんた凄いじゃない、英語が出来ないなんて嘘ばっかり言って」

「でも書いたり読んだりは出来ても喋れないし、聞いても分かりません」


「私と逆ね、私は喋れるけど全然読めないよ」とお互いに謙遜し合っていたが、

「じゃあさ、これからも一緒に勉強しようか、今度うちに遊びにおいでよ」と、美津子は珠季のアパートに行くようになった。

 珠季のアパートは参宮橋にあって、「私はうちの店に出演した人のCDは全部買うことにしているの、だからこんなに溜っちゃったわ」と言い、トム・ジョーンズの「思いでのグリーングラス」という曲を聴かせてくれた。


「あんた知ってる?トム・ジョーンズって元炭鉱夫だったのよ」

「そうなんですか釧路にも太平洋炭鉱という所があるんですよ」


「美津子って釧路の人だったの」

「出身は帯広なんだけど釧路に関係する人と付きあってたせいで、釧路もよく知ってるのよ。だけど事情があって東京に来たのよ」


「うちの店にいる人はね、みんな何か事情がある人ばっかりよ、私だってそうよ、あんた困ってることがあったら何でも言ってね、私にできることがあったら、何とかするからね」

「じゃあ、言ってもいいですか?」


「うん、いいよ」

「珠季さんの古い洋服があったら、貸してくれませんか」


「なんだそんなことなの、いっぱいあるから持って行ってもいいわよ」

「助かるわ、うちの店は同じ洋服は5回しか着れないでしょ、だから困ってたのよ」


 ニューラテンクオーターには、店内では同じ洋服は5回までしか着てはいけない、という規則があった。長年ホステスをやっていると徐々に買い揃えるが、新人ホステスには厳しい規則である。


「じゃあ、お互いに貸し借りすれば、10回着れるわね」と美津子は言った。

「あんた頭いいね、それにドイツ語もできるんだね」


「ドイツ語なんてできないわ」

「嘘でしょ、この前ドイツの人と筆談してたじゃない」


「ほんのちょっとだけです」

「ちょっとだってできるんだから凄いじゃない、学校で習ったの?」


「ええ学校ですけど…………」

「もう全部言っちやいなさいよ、私もいっぱい秘密があるけどね、ある人に全部言ったらスッキリしてね、今はこんなに楽になったわよ」


「じゃあ言っちゃうわね、卒業した学校は帯広畜産大学の獣医学科です」

「帯広畜産大学ってひょっとしたら国立じゃないの」


「はい、そうです」

「獣医学科っていったわよね、それじゃああんたって、獣医なの?」


「はい、一応獣医の資格は持っています」

「へーえ、そうなんだ、うちの店は変な人がいっぱい居るから、国立大学を出た人もいると思うよ、でも獣医の資格を持ってるのは、あんたくらいだね、そこでドイツ語を習ったの?」

「帯広畜産大学の獣医学科は第一外国語がドイツ語で、第二外国語が英語でした。

 だから読んだり書いたりだけは何とかなります」


「じゃあ獣医の仕事はいっぱいあったんじゃないの」

「でもそれができなかったんです。私が4年生の時、農業経営学科のある人と付き合うようになりました。

 ところがその人には、高校時代から付き合っている人がいて、釧路教育大学に通っていました」


「じゃあ、その人に二股をかけられていたってわけね」

「そうです、でもそれを知ったのは付き合い始めてから1年ほどたったころでした。

 その人は急に『釧路に行ってくる』と言って出かけました。ところが半年後、刑事がやってきて、彼は殺人容疑で逮捕されました」


「えっ殺人‼」

「そうです、私も驚きました」


「そりゃあ驚くわね、で、その人は誰を殺したの」

「全部後から警察に聞いたことですけど、その人は付き合っていた教育大学の学生を興津海岸というところに連れだして『俺と別れてくれ』と言ったそうです。でも理由も言わずに別れてくれと言われても、『はい分かりました』と言う人なんかいません。彼女は『どうして』と激しく迫りました。するとその人は彼女の首を絞め、海に突き落としました」


「…………と、珠季はしばらく声も出なかった」


「その後また刑事がやってきて、私も共犯の疑いで連行されました」

「へえーあんたまで、で、何日くらい?」


「容疑が晴れるまで1週間かかりました。でも帯広に帰ったら大学内はもう、大騒ぎになっていました。


 私は獣医の資格を取るまではと、必死になってがんばりました。でもこの町にはいられないと思いました。そこに3人の親切な人が現れて、『東京のラテンクオーターという店が、50万円の支度金を出すと言ってるから考えてみないか』と言われ、東京に来ることになりました」


「ごめんね、そんなことまで言わせてしまって」

「いいえ、私も聞いてもらってスッキリしました。珠季さんに感謝したいと思います」


「私よりこの店を紹介してくれた3人がいてくれて、良かったわね」

「はい、その中の一人は昨日もニューラテンクオーターに来ていました。でもお互いに『店で会っても素知らぬふりをしよう』と、約束していましたので、その人のことはまだ誰にも言っていません。ですから珠季さんにも言えないんです。すみません」


「そうね、私たちもそうだけど、うちのお客さんは秘密をいっぱい持っている人ばっかりだからね、それでいいと思うわ」



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