第14話 厚岸警察署 

「ごめん下さい、柿崎慎太郎さんはいらっしゃいますか」と、㋥佐々木の事務所を訪ねて来た女がいた」

「柿崎は出かけておりますが、どちら様でしょうか」と、事務員の菊池が聞くと「私は厚岸の市川智美と申します」と言いい、名前と電話番号だけの名刺を出して「また参ります」そう言って女は出て行った。


 慎太郎が智美の名刺の番号に電話を掛けると「あんたは智美の客なのかい、間違いないだろうね」と、念を押してから、「智美はね今仕事に行ってるよ、あんたはその後だね、ちゃんと行かすからさ、5時にリバーサイドホテルで待ってなさいよ」と低音の老女のような感じの声が帰って来た。


 老女の言葉からみて智美という女は客を引く女で、老婆は奥から智美を操る者のような感じがした。

 だがなぜ智美が㋥佐々木の事務所に来て、慎太郎に会おうとしたのだろう、慎太郎には全く思い当たるふしがなかった。


 ともかく慎太郎は老婆が言った、午後5時にリバーサイドホテルに行き、ロビーで智美を待つことにした。

 5時のリバーサイドホテルはホステスと、同伴出勤の客がロビーのほとんどの席を占めていた。5分くらいするとホステスと違い、地味な服装をした20歳くらいの女がホテルに入って来た。見たことのない女であったがこれが智美だろうと思い、声を掛けてみた。


「僕は㋥佐々木の柿崎です。あなたが智美さんですか」そういうと女は「もっと落ち着いたところで話しましょう」といい、かってを知った場所のように歩きだし、エレベーターに乗った。

 まさか部屋を取ってあるのでは、と慎太郎は一瞬ためらいを覚えた。だが女はレストランのある7階のボタンを押し、「このホテルは初めてですか」と言った。

 レストランで軽く食べ、部屋に入るのは、ことを始める男女によくあることで、女がその気になっているのだろか、ここに来たのは間違いだったのではないかと思った。


 席に着き女を見ると、青白い生気のない顔に下手くそな化粧をしていた。20歳くらいの女なら、素人でももっと鮮やかな色使いをするだろうに、と思うほど、女は地味に見えた。


 女は「私は柿崎さんが㋥佐々木にいると母から聞いていました。相談をするなら柿崎さんしかいないと。ずっと前から思っていました。

「相談とはどういうことですか」

「私は木田泰三の孫の市川智美と言います。木田泰三のことはご存じですね、桜の枝に掛かったロープにぶら下がっていた男です」

「木田泰三さんって誰のことですか」


「そうでしたね、金沢泰造といえば分かるでしょうか、木田とは養子になる前の金沢の旧姓です。私は木田の愛人の市川梅子の娘、玲子の娘です。歳は18歳です」


 ここまで聞いて慎太郎は智美の素性が分かった。

 市川智美は厚岸の金沢水産の社長、金沢泰造の愛人市川梅子の娘で、一時は慎太郎の子どもではないかと思われていた玲子の娘であった。


「玲子さんは今どうされているのですか」

「祖母の梅子が亡くなってから母の玲子は厚岸のパラオと言う店で、ホステスとして働いていました。

パラオは𠮷田観光という会社の経営で、社長の吉田利一が母に結婚を申し込みました。でも母は子どもがいることを内緒にしていました。

 結婚はしたいけど、子どもがいることを隠していたことで、悩んでいたと思います。


 それを救ってくれたのが木田泰三と別れた、金沢寛子さんでした。

 寛子さんはとてもいい人で、私を引き取り、高校まで入れてくれました。

 ところがある日、寛子さんの息子の壮一がレイプ事件を犯して、努めていた星園学院高校の教師を解雇され、寛子さんのところに戻って来ました。

 同じ家に住むことになった壮一は私を部屋に引きずり込み、レイプした上、恥ずかしい写真をいっぱい撮りました。


 そして『これをバラまかれたくなかったら、俺のいうことを聞け』といい、その関係は私が高校を卒業するまで続きました

 私は卒業後、釧路ステーションデパートに就職しました。そこに壮一と元パラオにいた人が来て、あの写真をちらつかせ、『今日からこの人のいう通リにしろ』と言いました。その人が今いる店の静という人です」


「寛子さんはどうされているのですか」

「寛子さんは去年の今ごろ『頭痛がする』と言って倒れた後、意識が戻ることもなく他界されました。


 慎太郎は、男と女の醜さを一身に背負ったような女を目の前にして、過去に出会った者たちや自身の過去の罪も、娘の敏江が犯された事実も全てが自分に覆い被さって来るような気がした。

 この女が受けた恥辱を誰が取り払うのか。この女を誰が救ってやれるのだろうか。

 慎太郎は男であることに罪悪感と恥ずかしさと、吐き気がするほどの嫌悪感に襲われた。


 自分はこの女の現在に深く関わっていて、拭い去ることのできない責任を持っている。

 この人が要求したら、どんなことでも引き受けなければと思った。


「僕に何をして欲しいですか」

「分かりません、ただパラオや壮一のような男には、例え一度でも人に屈する惨めさを味あわせたいと思います」


「お母さんの玲子さんには会っているのですか」

「私が寛子さんに引き取られてから7年間、一度も会っていません」

「今、会ったらどうしたいと思いますか」

「それも分かりません。でもきっとただ泣いて何も言えなくなると思います」


 ☆☆☆☆


 慎太郎は㋥佐々木の代表、佐々木勝也を訪ねた。

 佐々木勝也は一切の業務は慎太郎に任せ、釧路港が見える丘に居を構え、半ば引退状態の生活を送っていた。

 ただ重要な決定には次郎長の教えを語る、精神的支柱であった。


「会長、また厚岸で仕事をしてみたいと思います」

「厚岸か、あそこはいいとこだ、いろいろと儲けさせて貰ったな」

「ただ今回はあまり儲けにはなりません。ただ人を助けるだけです」


「柿崎、考えてみろ、法によって救われない者を、法を無視しても助ける、それが次郎長の精神を受け継ぐ、㋥佐々木の成すことだ。厚岸は清水から蝦夷に来た最初の地だ。儲けなど要らん。思い切ってやれ」


 ☆☆☆


 慎太郎は若い衆10人を引き連れ、厚岸に乗り込んだ。

「お前たち5人はパラオというBARに行き、徹底的に遊べ、ホステスが「どこかへ行こう」と言ったら躊躇せずに付いて行け」

「えっ?本当ですか?やってもいいんですね」


「ばか野郎、最後までやってもいいとは言ってないぞ。女とパラオを出たら、女とどこへのホテルへ行ったかを調べるのが今回の仕事だ」

「そんな殺生な、ホテルまで女と行って、やらせてもらないのですか、次郎長の精神って辛いものですね

「こっちの5人は町中の酒屋へ行って、どこの店にビールを何本売ったか全部調べろ。それと洋酒もだ、空き瓶の数もだぞ、分かったな」


「はあい、行って来ます」と、㋥佐々木の若い衆は、厚岸の町に散らばった。


 ☆☆☆


「㋥佐々木の柿崎が来たと、署長にお伝え下さい」

「柿崎さんですか、署長になんか用ですか」と、厚岸警察署の門に立っていた警官は、ぞんざいな態度で慎太郎に言った。慌てたのが、上司の警部であった。


「おめえ、㋥佐々木の柿崎さんになんてことを言うんだ。おれの首が掛かってんだからな、気を付けろ」

「?はあい…………」

「ササ、こちらどうぞ」


 と、警部は慎太郎を下にも置かぬ態度で、署長室に案内した。

「いやいや、どうもどうも、お疲れさまです」と署長は警部に輪をかけて、丁寧語で慎太郎を迎えた。

「早速ですが署長、これを見て下さい」と慎太郎はパラオの調査結果を署長に見せた。


「いいですか署長、パラオにはホステスが20人います。で売り上げは1日平均100

 万円です。つまり、1人当たり単価は5万円です。ところがビールは20本しか売り上げがありません。パラオはビール1本500円です。すると49,500円がサービス料となります。これはどう思いますか」


「はあ、そうですね、サービス料が高すぎますね」

「署長もやっぱりそう思いますか、署長はこんな店に行きますか」


「私ですか、私は生きませんよ、特別な何かがないとね」

「そうですよね、49,500円分のサービスが無いと行きませんよね、じゃあ、そのサービスって一体何でしょうね」


「そりゃあ、あんた、あれに決まってるじゃないですか」

「そうですよ署長じゃなくたって男ならみんなあれが目的ですよ」


「じゃあ、パラオのホステスは飲ませるんじゃなくて、あれをやらせてるって訳ですか」

「さすが署長、その通リですよ」


「でもね柿崎さん、あの店は狭いですよ、そんな部屋はありませんよ」

「それでね、うちの若い衆を1週間毎日パラオに行かせたんですよ、そしたらね、ほら見て下さい。うちの若い衆はみんなホテルに誘われてるんですよ」


「えっ! 柿崎さんとこの人はホテルまで行ったんですか、そりゃまずいでしょ」

「大丈夫です署長、うちの連中はちゃんと鍛えていますから」


「はあ、鍛えれば我慢できるようになるものなんですか」

「署長 誤解しないで下さいね、長持ちさせるんじゃなくて、何もしないんです。ただお話をするだけです」


「それでもお金は払うんですよね、誰が払ったんですか」

「そこなんですよ、今回は特別に儲けなしでもいいって、うちの会長から了解を貰ってあるんです」


「㋥佐々木がそんなこともするんですか」

「ええ、だから特別なんです。署長も明日一緒にどうですか」


「いやいや勘弁して下さいよ、私が行ったら世間がうるさいでしょ、新聞にも書かれるし」


「署長、やっぱり誤解してるみたいですね、明日行ってもらうのは、パラオの社長を逮捕しに行くんですよ。新聞社に知られた方が署長もいいでしょ」


「はア…………そうだね、だけどね、証拠が必要でしょ」

「そう思ってね、町内のホテルを全部調べてあります。ほら見て下さい。五味ホテルなんか、パラオのために毎日、1室空けてあると言ってましたよ」


「だけどね、令状も必要だね、これはどうしたらいいんだろうね」

「大丈夫です。税務署は令状なしで行けますから、先にあの人たちに行かせましょうよ。その後にごっそりと手柄をいただいたら、署長も釧路本署に帰れますよ。そん時は末広町でちょっと、なんてどうですか」


 ☆☆☆


 翌週、慎太郎が言った通リ、パラオは税務署の調査を受け、さらに売春防止法により、捜査が行われ、社長の吉田利一は逮捕された。

 また、客にも事情聴取が行われ、頻繁に出入りしていた金沢壮一は、聴取の過程で新たなレイプ事件が発覚し、執行猶予を取り消され、10年間服役することとなった。

 壮一と組んで売春を斡旋していた静も逮捕されて、市川智美は静の組織から開放された。

 市川智美の母、玲子は𠮷田利一と離婚して、釧路で智美と住むことになった。

 今はホステスの就活中である。

































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