第75話 キャバクラの予感
洋子は麟の目のステージに復帰した。だが1年半前と様子が違うような気がした。
何が違うのかと聞かれても答えに困るのだが、何かが違っていた。
何日か経つうちに少しづつ分かって来た。若いお客さんが増えていたのだ。
それはそれでいいことなのだろう。だが、そのお客さんたちは、洋子の歌を真剣に聞いていないのだ。
以前なら歌い終わったときは拍手と「ピィー」という口笛があったのに、今は何となくただ聞いている、というか、BGMを聞いているような感じがした。
フイッシャーズのリーダーの室井さんに聞いてみると「僕もそう思ってたよ、それで考えてみたんだけど、今の人たちが感じる 歌の良し悪しは、メロディー、がいいとか、リズムがいいとかよりも、歌詞が重要で、先ず先に物語風の詩を作って、それを3~4分の曲に詰め込むのが普通のようだね」
「物語ってどういうことですか?」
「例えば、自分の恋愛観とかを文章にして、それを3分くらいで読み上げる感じだね」
「恋愛観を文章にするんですか?、じゃあ、随分長い文になりますね」
「これは例え話で言ったんだけど、最近の歌の歌詞は文字数が多いと思うね。
それを3分くらいに収めるんだから、字余りソングが多くなったんじゃないかな」
「室井さんはこういう歌は好きですか」
「好きかどうかは好みの問題だけど、メロディーよりも詩が重視されてるのは事実だと思うね、だからサビの部分がなくて、平坦に聞こえる歌が多くなったんじゃないかな」
そう言われると納得できるところがあった。確かに最近は字余りソングと言われる歌が増えている。それに室井さんが言った通リ、人によって好みは違う。
だが、「歌は世につれ世は歌につれ」という言葉があるように、歌にはその時代性がある。と、すれば、洋子の歌は時代に合わなくなっていたのかも知れない。
そういえば最近、洋子の歌はラジオでも有線でも、放送されなくなっていた。
洋子を復帰させてくれたマネージャーの健治にも聞いて見た。すると健治は、
「俺は歌のことは分からないけど、うちだけじゃなくて、キャバレーに若いお客さんが増えたのは事実だね。ただこれがいいのかどうか、考えてたとこだ」と言った。
「若いお客さんが來るのは、いいことではないのですか」
「それはそうだけど、今まで来ていた人は来なくなるからね」
「そういうことってあるんですか」
「うん、ちょっと前までのキャバレーは値段が高くて、庶民の店ではなかったんだ。だからキャバレーは偉い人が部下を連れてきて、『お前も俺みたいに頑張って、早くキャバレーで遊べるようになれ!」と部下にハッパを掛ける所だったんだ。
その名残でキャバレーは若い客は少なくて、年配の偉い人の店になったんだよ。
だけど今は景気がいいから、若い人も来るようになった。すると今まで偉そうにしていた人は立場がなくなってしまって、キャバレーに来なくなるんだ。だけどそういう人は会社の経費を使える人だから、逃がしちゃダメなんだけどね」
「キャバレーに来なくなった人はどこへ行と思いますか」
「例えば今はなくなったけど、クラブ小鶴のような店だね。あそこは少々金を持ってるくらいでは入れないから、本当の金持ちは安心してくるようになると思うな。
「じゃあ、今は景気がいいから若い人もキャバレーに來るってことですね、もし景気が悪くなったら若い人はどこへ行くと思いますか」
東京では今、ミカドとかコパカバーナみたいな豪華なキャバレーはなくなって、
キャバクラが増えてるみたいだから、釧路もそうなると思うな、それとシャンデリーみたいなディスコに戻るんじゃないかな」
このころはバブル景気が始まったばかりであった。もしこの景気が続くとすれば、キャバレーにはこの後にもまだまだ、いろいろなドラマが待っているに違いない。
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