第73話 がんばれ‼シンタロウくん‼
慎太郎は「会社を辞めるかも知れない」と妻の富美に冗談のように言った。
だが本当は冗談ではなくて、半分は本心であった。
そのころは日本中が好景気に沸いていた。給料が10パーセントくらい上がるのは序の口で、新卒社員のボーナスが100万円とか、入社してくれたらハワイに研修旅行に行くとか、麻布のちっこい自動車販売店がハワイのホテルを買い漁るとか、ピカソの絵を200億円で買ったとか、すさまじい消費ブームになっていた。
それでももっと金を貸すからジャンジャン買いまくれ、と銀行はハッパをかけ続けた。この背景にあったのは日銀の低金利政策にあったのだが、日銀の政策次第でいつ崩壊するか分からない、危険な賭けの時代であった。
末広町も同様で一時は潰れそうだった店も、完全に復活した。
健治がマネージャーを務めるキャバレー麟の目も、汐未がいるニュー東宝も、ホステス不足に悩むことになった。この消費ブームで経済のメカニズムが狂うのに合わせて、人の心も狂い始めた。
この年、景気がいいにも関わらず、自殺者が25,500人と、戦後最多となった。
こんな景気が続くはずがないと睨んだ慎太郎は、㋥佐々木が持っている不動産を売りに出した。するとたちまちのうちに買い手が殺到して、抽選をして買い手を決めるまでになった。だがまだ上り続けて慎太郎は甚弥と順子に「売るのが早すぎるだろ、もう少し待ってれば、もっと高く売れただろ、責任をとれ!」と、こっぴどく叱られた。
会社を儲けさせて辞表を書くという妙なことになってしまった。だが売ってしまったものは仕方がない、値下がりするまで待って買い戻すことにした。
ところが、不動産が欲しい不動産業者は、売りたがらない地主の家に押しかけて脅迫までして強引に土地を買い漁った。これでは値下がりなどあるはずがない。
㋥佐々木は金はどっさり入ったけど、銀行に預けても超低金利なので利息はないに等しい。結局ただ持ってるだけの(使う機会がないのに持っているコ〇ドーム)みたいになってしまった。
結局 慎太郎は自主的に自分を謹慎処分にした。謹慎とはいっても行動は制限しなかった。それでその期間は旅行に行くことにした。
つまり、ただ休暇を取ったのと同じことであった。これが㋥佐々木流というもので、世間の常識はまたも覆された。
慎太郎が向かったのは甲子園球場であった。
理由はいろいろあって、ややっこしくなるが、一つ挙げるとすれば、そのころはもう引退していたが元阪神タイガースの4番バッター田淵幸一選手と慎太郎の誕生日が同じ1946年9月2日生まれという単純な理由であった。
もう一つ挙げるとすれば、阪神タイガースは前年が村山実監督で最下位で、前々年が吉田吉男監督で最下位であった。弱い者を助けるという次郎長精神を受け継ぐものとして、2年連続最下位の阪神タイガースを応援するのは意義があることであった。
それともう一つ理由があった。実はこれが一番大事なところで、そのころ漫画アクションという雑誌に「がんばれ‼タブチくん‼」という漫画が連載されていた。
この漫画は田淵選手をモデルにしたコメディなのだが、当時の野球界がリアルに描かれていて王選手とか野村選手など神様みたいな人をバッタ、バッタと、斬りまくる痛快な物語であった。この漫画には準主役としてヤスダくんという人が登場するのだが、このヤスダくんという人は、ヤクルトスワローズの安田猛選手がモデルであった。
安田選手は球速60㎞という、プロ野球史上最も遅い球を投げれる人であった。
この遅い球で王選手を三振に打ち取る王キラーでもあった。
という訳で慎太郎は自分に「がんばれ‼シンタロウくん‼」と檄を飛ばすために 甲子園球場に行ったのであった。
と、やや冗談が過ぎたが、このバブル景気に浮かれてしまった日本は後に、大変なつけを払わせられることとなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます