第38話 札幌進出
「あんたが前に来たのはいつだったろうね」
「この家を建てた時だから、半年くらい前かな」
敏江(汐未)が緑が丘の実家に来るのは半年ぶりだ。あの頃まだ釧路の街は温かかった。今はもうどこもかしこも氷だらけだ。
「そうだったね、あんたはあのとき、『決まった人がいる』って言ってたけど、どうなったんだい」
「ああ、あいつね、あんなヤツとはずーっと前に別れちゃったよ」
「えっ、分かれちゃったの ?」
「だってさ、あいつったら、私の手も握らないんだよ」
「きっとその人は真面目なのよ」
「真面目なのはいいけどさ、気が弱くてあれじゃ出世はできないよ」
「出世なんかしなくたって、いいんじゃないの。こつこつとやるのが一番いいん
だよ」などと言ってると「おっす」と弟の健治がやってきた。
健治は営業部に回されて外回りが多くなったので、ちょくちょく実家に帰っていた。
「なんだ、姉ちゃんも来てたのかい」
「あんたさ、外回りに格下げされたんだってね、またなんか、ヘマをこいちゃったんじゃないの」
「ヘマをこいたのは俺じゃなくて、マネージャーの高井さんだよ」
「知ってるよ、東京から来た歌手が怒って帰ってしまったんだろ」
「そうなんだよ、大物歌手を怒らせてしまったんで、洋子さんも出れなくなってしまったよ」
「あんたんとこはさ、おばさんの演歌歌手ばっかり連れてくるからダメなんだよ。
うちなんかさ、奥村チヨにきてもらったら、満員だったよ。来週は渡辺真知子が来るから、また満員だよ」
「姉ちゃんとこは景気がいいんだな、うちの店は200海里問題でさっぱりだってのに」
「200海里問題もあるけどさ、釧路の景気が悪くなったのは、市長の山口が悪いんだよ。山口が工場誘致条例を廃止しちまったから、おっきい会社は苫小牧に行っちまってさ、私の指名客だって、半分以下に減っちまったよ」
ここで改めて200海里問題と工場誘致条例について記すこととする。
沿岸国は自国の海岸線から200海里(約370キロメートル)に対し、国際連合条約に基づいて、水産資源や、鉱物資源の採掘、開発、管理、調査などの権利を持つことを排他的経済水域(EEZ)といい、1970年代中頃から世界各国の共通認識となっていた。
日本は1977年に調印して、1996に国会において批准された。
釧路港は日本一の遠洋漁業(ソ連、カナダ、南米、インド洋、アフリカ、などでの漁業)の基地であった。しかし、それらの地域での200海里以内での漁が不可能となり、釧路港に水揚げされる漁獲量は往時の30分の1 以下に激減した。
加えて、北方四島でのソ連(現ロシア)の暴挙による拿捕事件が続発し、釧路の水産界は壊滅的な打撃を受けた。
次に工場誘致条例であるが、釧路市は1977年まで3期12年に渡り、日本社会党の山口哲夫という人物が市長を務めていた。山口は工場誘致条例を廃止して、企業と約束した助成金などを反故にして、大企業抑制策を実施した。
結果、釧路に工場を持つ大企業はことごとく釧路を撤退し、そのほとんどは同じ太平洋に面する苫小牧に移転した。
一例として、釧路にエンジン工場を建設予定であったいすゞ自動車は、急遽計画を変更し、苫小牧に工場を建設した。
また東京と釧路を結ぶフェリーボートも釧路便を廃止して、苫小牧便を新設した。
財政難に陥った釧路市は、設立を計画していた道東医科大学計画も白紙に戻された。
などなど、山口哲夫がとった愚策によって釧路市は、壊滅的な打撃を受けた。
☆☆☆
釧路の経済が低迷する中で、北大通リにある丸一鶴屋、㋖北村、クシロデパートの三大デパートによる競争は激しさを増していた。
丸一鶴屋は新館をオープンさせ、㋖北村は9億円を投じて改築し増床をはかった。
同年東京資本の長崎屋のオープンにより、競争は一段と激化した。
一方でクシロデパートは50店の意見がまとまらず、撤退する店が現れた。
堤防の一か所が崩れると激流が流れ出すように、クシロデパートにはシャッターを閉じた店が増えていった。
増床した㋖北村にしても客足が増えるわけもなく、過去に北海銀行から押し付けられた子会社が重荷となって、本体の経営も悪化の一途を辿り、管理部門の縮小が図られ、経理部の洋子も整理の対象とされた。
洋子を支え居を構える予定でいた和夫も、2年以内に無線通信士の資格をとらなければ、近藤水産にいられなくなる。その通信士試験は3月に行われる。
もし不合格になれば、9月に行われる函館で受験するか、さらに1年待って最後のチャンスにかけるか、和夫は正念場を迎えることとなった。
キャバレー麟の目は衰退し始めた釧路から、半年後の開店を目指して札幌に進出することとなり、店の名はクラブエスカイアと決まった。
健治はマネージャーに復帰して、札幌に赴任することとなった。
札幌ではロイヤルホテルグループの傘下のキャバレーアカネが勢力を持っていて、再び激突が予想された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます