第24話 霧のカレリアと山のロザリア

 末広ホール事件は麟の目の問題をさらけ出すことともなった。

 刑事が2階のトイレから外に出るまで5分もかかったのは、階段回りの整理が行き届いていないことを物語っていた。

 麟の目は店内の一部改装と非常階段の増設に、1週間休業することとなった。

 マネージャーは全員責任を取って、1段階降格となった。健治は、再び高井のサブとなった。


 麟の目はもう一つ問題を抱えていた。専属バンド、「品川明とクールスターズ」のメンバーの一人が、年明け早々に心中事件を起こしたのだ。

 バンドとキャバレーは契約制になっていて、バンドのメンバーは麟の目の社員ではない。だが世間はそうは見てくれない。麟の目で起きたことは全て麟の目の問題と取らえられる。

 もっと困ったのは心中の相手であった。相手というのは末広町では高級店といわれているBARアイビーのマダムで蔦恵といい、夫は教育委員会の委員長であった。


 バンドマンと、教育委員会の委員長を夫に持つ高級BARのマダムの心中となれば、話題とならない方がおかしい。世間は騒ぎ立てていた。

 品川明とクールスターズというバンドは、品川明と言う人が作ったジャズバンドで、麟の目の創業当時から契約していた。


 今は名前はそのままで、長谷部悟という人がバンドマスターとなっている。

 編成はブラスを中心に、ピアノ、ベース、ドラムスにスチールギターを加えた15人編成で、心中したのはスチールギターの担当であった。

 バンドをどう立て直すかは、バンドマスターの長谷部が考えることだが、麟の目としても、対策を立てねばならない事態であった。


「健治お前また格下げだってな、首になんなかっただけでも儲けもんだな」

 遠洋漁業から帰って来た近藤水産の伊藤和夫は、相変わらず景気がいい。

「今日はよ、シャンデリーに行って来たんだけど、あそこのベコマンボも悪くねえな。おれも姉ちゃんと踊っちまったよ」


「和夫さんもシャンデリーに行くんですか」

「当たり前だろ、漁師だって今は演歌ばっかり歌ってるわけじゃねえぞ」


 シャンデリーとは末広町にあるディスコで、入場を待つ客の列ができるほどの人気店であった。この店にはフィッシャーズというロックバンドと、ギャンブラーズというジャズバンドと、ビートルズのコピーバンドがあって、日替わりで出演していた。


 和夫が言ったベコマンボとは、キューバのペレスプラード楽団のヒット曲「闘牛士のマンボ」のことである。


 翌日健治はホステスの春美を伴い、シャンデリーに行ってみた。ステージではフイッシャーズが「霧のカレリア」という曲を演奏していた。


 ロックバンドと聞いていたが、霧のカレリアはスローバラードで、フロアでは若い男女がチークダンスを踊っていた。

「ねえ、踊りましょ」と春美に言われ、二人はフロアに立った。

入店したばかりの春美にダンスを教えたのが健治であった。

 あの時と比べると、春美のダンスは格段と上達していた。「この曲でダンスをしていると、本当に恋してしまいそうね」と健治の胸元で春美が言った。


 健治は思った。ホステスにこんな気持ちを抱かせるとは、このバンドは本物かも知れない」と。


 翌週健治は上席マネージャーの高井と、再びシャンデリーに行ってみた。

 ステージでは、白木洋子という人がフィッシャーズをバックに「山のロザリア」という曲を歌っていた。


 白木洋子の透き通った美しい声と、フィッシャーズの奏でる音は、健治だけでなく、高井の鈍感な耳にも響いたようだった「おい、こいつら使えるかも知れねえな」

「高井さんもそう思いますか」


山のロザリアの他、黒い瞳、赤いサラファンを歌い、満場の拍手の中、にっこり笑ってステージの袖に入った。残ったフイッシャーズのメンバーは、「ジャニーギター」と「すべては風の中に」というスローテンポのアメリカンポップスを演奏し、1回目のステージを終えた。


 受付で聞いてみるとフイッシャーズはアマチュアバンドで、月水金の三日間、1日に3回ステージに立つと言うことであった。白木洋子は週に1回の出演であった。


 9時になり、2回目のステージが終わったところで高井を先に帰し、健治は通用口で、フイッシャーズの誰かが出て来るのを待つことにした。


 30分くらいすると、白木洋子が一人で出てきて、タクシーに手を上げた。

 慌てて健治は彼女を呼び止め、自分が麟の目のマネージャーであることを伝え、話をしたいと言うと彼女は「私はもう帰るので、リーダーの室井さんに言っておきます」といいタクシーに乗った。


 翌日早速フイッシャーズのリーダー室井から電話があり、セコンドという喫茶店で会うことになった。

 健治と高井がセコンドに行くと洋子以外の5人全員が、二人が来るのを待っていた。リーダー以下全員が立ちあがり、深々と頭を下げ、「よろしくお願いします」と言った。彼らはすでに麟の目が自分たちを、スカウトしたのを知っていた。


 聞くとリーダーの室井は札幌音大のOBで、学生時代に結成したトリオエコーズというラテンバンドに、労音で知り合った二人が加わって、現在のフイッシャーズとなった。

 労音はロシア民謡を聞かせるためにできた組織で、霧のカレリアも山のロザリアも、元はロシア民謡である。


 彼らはアマチュアではあるが、昼の仕事はアルバイトで、バンドが本職ともいえた。白木洋子は最近加わったメンバーで、昼は北大通リの㋖北村というデパートの事務員であった。

 

 フイッシャーズは今 麟の目にいる品川明とクールスターズとは、ジャンルが異なるため、同じ店にいても競合することがなく、毎日クールスターズが2回、フイッシャーズが2回、ステージに立つこととなった。クールスターズにとっても7時から11時まで、出ずっぱりより、間にフイッシャーズが入ってくれるおかげて、休憩時間が取れるメリットがあった。クールスターズのバンドマスターの長谷部も、フイッシャーズの加入には諸手を挙げて賛成した。


 白木洋子だけは事務員という関係上、毎日とはいかず、週一回の出演となった。

 ただ、東京や海外からスター歌手が来た時は、前座歌手を務めることになった。


 翌日、エレキギター2本、ベースギター、ドラムス、とキーボードの5人による霧のカレリアが演奏されると、フロア全体がダンスカップルで埋まった。





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