第25話 クッシーを捜せ 

 竹子は何もかも捨て、わずか5年で命を絶った娘、凛々子のそばに行きたいと思った。行先も告げず、家を出た。石狩川を見ていると母を思い出した。竹子が札幌の大学にいる時に弟の博隆が出した電報で、あの知らせを受けた。なんとなく胸騒ぎがして恐る恐る開いてみるとそこには、「ハハキトクスグカエレ」と、書かれていた。

 釧路に帰ると病床で母は「あんたは長生きしてね」と言った。母は自分が50歳で死を迎えることを悟り、弟の博隆も病弱であることから、竹子にだけは元気でいて欲しいと、願ったのであった。3日後母は帰らぬ人となった。

「母の分も、凛々子の分も生きなければ」と、一度は死を考えたことを母の霊前で詫びた。


 ◇◇◇


 5年前竹子は札幌でパチンコ店を営む村井と結婚し、子どもにも恵まれた。ダウン症ではあったが幸せな家庭生活を送っていた。だがその子は他人の子であった。産院で起きた子どもの取り違え事件も解決し、ようやく訪れた平安の日々も長くは続かなかった。パチンコ店は経営に行き詰まり、店は李という男の手に渡った。

 李は才覚もあり、パチンコ店の経営は安定した。

 李は竹子にも凛々子にも優しかった。

 だが凛々子は突然現れた父親という人物に馴染めなかった。優しくされれば、されるほど、子どもの心は痛んだ。娘の凛々子は自から命を絶った。


 李と二人だけの生活に戻ったが、二人の関係は終わっていた。

 竹子は実家に帰ることにした。

 だが実家に帰ってみると、弟の博隆は病に臥せ、義妹の洋子が一人で一所懸命に働いていた。竹子は少しでも洋子を助けようと、竹子も得意先回りなどをした。


 一度は㋥佐々木の融資によって、倒産を免れたが、一度傾いた船が起き上がることはできなかった。

 そんな時、李が不二洋服店にやって来た。


「札幌に戻ってきてくれよ、そしてさ、また一緒にやろうよ」

「私は札幌には戻らないわ、ここで死ぬまで頑張るつもりよ」と竹子は答えた。


「そんならねぇ、札幌の店を売ってここに新しい店を作るからさ、洋子ちゃんも一緒にやろうよ」と李は新しい提案をした。


「李さんね、うちの借金はいくらあるか知ってんの、1億もあるんだよ、札幌の店を売ったって、1億にはならないでしょ」

「大丈夫だよ、俺がんばるからさ」


 李の仕事っぷりを知っている竹子には、1億くらいどこからか集めて来るのではないかと思った。


 その年、社長の博隆が亡くなって、不二洋服店は1億の負債を抱えて倒産した。

 もう李の申しでを断ることは出来なかった。

 債権者には李が返済し、不動産は人手に渡らずに済んだ。

 だが義妹の洋子は李に助けられるのを、潔しとはしなかった。


 洋子は不動産の全てを李に託し、㋖北村というデパートの事務員となった。

 ㋖北村は北村藤兵衛という人が明治時代に興した会社で、釧路では丸一鶴屋デパートに次ぐ大型デパートであった。


 竹子はニュー東宝というキャバレーで、美紗希という名のホステスとなった

 美紗希(竹子)はここで汐未というホステスと出会った。

 汐未が生きて来た道は、美紗希以上に波乱に満ちていた。だが汐未は少々の苦難には笑って吹き飛ばす、逞しさを持っていた。

 汐未を見ていると、それまでの悩みも苦労もどこかへ行ってしまい、青空の下にいるような爽やかな気分になった。


 ある日、汐未から「クッシーを捜しに行きませんか」と誘われて、汐未、美紗希、洋子の三人で屈斜路湖に行くことになった。屈斜路湖は釧路の地名の元となったアイヌ語のクッシャロ(水のあるところ)という意味で、「クッシー」という、恐竜が出没するといわれていた。


 元ネタはスコットランド、ネス湖の「ネッシー」のパクリで、もちろん冗談である。

 だが、竹子も洋子も冗談の一つも言えないほどに、疲れ果てていた。

 三人はこの日、子どもに帰ったように水辺で遊び、夜は旅館の畳の上で、あぐらをかき、飲んだり歌ったりして、大騒ぎをして楽しんだ。


 ついに隣の大宴会場の団体客も巻き込んで、旅館中がクッシーを発見したような、盛り上がりとなった。


 その日以来、美紗希と洋子は悩みも何もかも、飲んで笑って吹っ飛ばす逞しい女になっていた。


 ある日、ニュー東宝に、ラブホテルチェーンのオーナーの勝という男がやって来た。

 美紗希が席に付くと、「美紗希ちゃんはまだ新人なんだね、困ったことがあったら俺に相談してよ、なんでもしてやるからさ」と言い胸を触ってきた。

「私そこはダメなの。でも私車が好きだから、そこでならいいわよ」


「そう、乗るのが好きなんだね、俺は明日でもいいけど美紗希ちゃんは大丈夫かい」

「私も明日でいいわよ」ということで、スバルという喫茶店で会うことになった。

 翌日、スバルの前にはいすゞ117クーペというスポーツカーが止っていた。


「勝ちゃん待たせたわね、すぐに行きましょ」と勝を店の外に連れ出すと「鍵を貸して、私が運転するから」と言い、勝を助手席に押し込んで、美紗希はハンドルを握った。

 美紗希は幣舞橋を渡り、千代ノ浦海岸の海が見えるラブホテルの前で車を止めた。

「おいここはダメだ、他にしよう」と勝は慌て出した。

「どうしてダメなの、こんな素敵なホテルは他にないわよ」

「とにかくダメなんだ」


「しょうがないわね、じゃあ春取湖のホテルにしようか」

「いや、あそこもダメだ」


「困った人ねあんたって、ダメだダメだって子どもみたいだね、一体なんでダメなのよ」


「ここもあそこもカメラがあるからな、俺が写ってしまうじゃないか」

「へーえ、どうしてカメラがあるのを知ってるの」


「ここもあそこも全部俺のホテルだ、知ってるのは当然だろ」

「でもあんたさ、カメラで撮った写真を見て楽しいの、生で見ればいいじゃない、見てよほら」と美紗希は下着を下げた」


「見たくないそんなもの」

「見たくないなんて失礼な人ね、訴えてやるわよ」


「それはやめてくれ、バレちまうじゃないか」

「何がバレるのよ」


「俺はそのファイルムを○○先生に買ってもらってるから、バレたら先生が困るだろ」

「○○先生ったらさ、文部大臣じゃないの、そりゃまずいわよね」


「これで手を打ってくれないか」と勝は美紗希が握ったハンドルを指さした。

「何よ、117クーペって書いてあるわよ」


「だからよ、11万7万千円でどうかってことだ」

「ふーん、でもさ、せっかく117なんだから117万円にしてくれない?」


「117万円だって!馬鹿言うな!俺はまだ何もしてねえぞ」

「でも見たでしょ、私のあそこを」


「しょうがねえな、じゃあ半分の58万5千円でどうだ」

「まあ、いいことにしてあげるわ。でも117って中途半端な数字ね。どうしてなの」


「そんなの俺も知らねえな、いすゞ自動車に聞いてくれ」



結局この日、勝は美紗希と何もできなかったのに、58万7千円という途轍もない、高いチップを支払うこととなった。


馬鹿な男と女の戯言を打ち消すように「ザブーン」と、千代ノ浦海岸の波の音が聞えてきた。











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