第50話 テレビCMと英会話
「洋子ちゃん、時計ばっかり見てないで落ち着きなさいよ」
「仕方ないでしょ、和夫さんはよく平気でいられるわね」
洋子はテレビの前で3時がくるのを、今か今かと待っていた。
4月第一月曜日。今日は丸一鶴屋デパートの新CMが始まる日だ。
午後3時に丸一鶴屋デパートが提供する、30分の帯番組の中に、1分30秒のCMが、3回放送される。
天気予報が終わり、ついに丸一鶴屋デパートオリジナル、丹頂ブランドの洋服を着たモデルが画面に映しだされた。
洋子は画面を食い入るように見た。
だが商品説明がいつまでも続いて、タイアップ曲の「丹頂が舞う空」のイントロが聞こえてくるまでの約1分が、1時間も続いたかのように長く感じた。
ようやくナレーションのバックに、タイアップ曲「丹頂が舞う空」のイントロが流れてきた。商品の案内が終わったあとイメージ画像に切り替わった。そしてついに、約10秒間くらい、洋子が歌う声が聞こえてきた。
「洋子ちゃんの歌が聞こえてるよ!」と、さっきまで冷静を装ってた和夫ももう、
テレビの前に釘付けになっていた。
CM の時間はたった1分30秒。しかも洋子の声はわずか10秒。
だがこの10秒が月曜日から金曜日まで、テレビで各家庭に届けられる。
この日のたったの10秒が、記念すべき洋子のテレビデビューとなった。
翌日から洋子は大きなお腹を抱えながら、フイッシャーズのメンバーと一緒に、サンプル版のコンパクトサイズCDを携えて、ラジオ局と有線放送会社回りを開始した。ラジオ局にはかってにデモテープを送り付ける人がいて、必ずしも新人ミュージシャンに、門戸が開かれているわけではない。
だが洋子とフイッシャーズのサンプル版は、丸一鶴屋デパートの威光もあって、ラジオ局も有線放送会社も快く受け取ってくれた。
だが丸一鶴屋デパートのCMが放送されるのは道東地方だけで、他の地域では見てくれる人はいない。なので、丸一鶴屋デパートのCMに頼っているだけでは売れる保証はどこにもない。本当の勝負は7月末の全国発売をもって開始される。
洋子は、身が引き締る思いがした。
☆☆☆
すすき野ではトゥルークラブの開店に向けて、着々と準備が進んでいた。
ホステスも予定通リ100名の採用が決まり、作法の専門家を呼んで、接客の教育が行われていた。
そのころ、ラジオの深夜放送を聞いた外国に住む女性から、日本語と英語のチャンポンの、電話による問い合わせが来るようになった。また英語で書かれた履歴書が数通郵送されてきた。
健治はラジオの電波が深夜になると遠くまで届くことを、無線通信士の受験勉強をしている和夫から聞いていた。だがこの反響の大きさには、ラジオの深夜放送による募集を提案した健治自身がいささか驚いた。
日本に住んでいて、就労している外国の人はこの当時から、たくさんいた。
だが現在母国に住んでいて、ラジオを聞いて日本に行こうと思う人がこんなにもいるとは思ってもみなかった。
健治はコンサイスの辞典を横に置いて、苦労しながらなんとか履歴書を読んでみた。すると応募してきたのは、香港からの15名と、台湾から5名。計20名の大学生であった。
だが麟の目では過去に、外国人女性を採用したことがなかった。
調べてみると、留学生が資格外活動許可を得ている場合、週28時間を限度に就労することが可能であった。
だがそれ以外にもし、法的な問題が発生したとすれば、責任は重大である。
そのことを考えると、外国人の採用には二の足を踏んだ。
結局この20人には、期待に応じられない旨の返事を出すことになった。
だがこの一件で健治にもある問題が突き付けられた。
もし将来、外国人を使うとなれば最低でも英語が必要になる。
今までにも、麟の目とクラブエスカイアでは、外国人のアーティストがたくさん出演していて、担当する企画部の人は全員英語が堪能であった。また店長の八重樫は昔、進駐軍相手にいろいろやっていて、英語はお手の物だった。
だがいつまでも八重樫や企画部の人たちに頼っているわけにはいかない。それに健治もより上の席を目指すとすれば、外国人アーティストとの対応のみならず、外国人客も多いクラブエスカイアにいる限り、英語の習得は必須であった。
それに第一、麟の目とクラブエスカイアのホステスの中にも、英語が堪能な人は沢山いた。
もし、健治が日本語しかできないと彼女らに知られたら、健治のマネージャーとしての立場は大きく揺らぐことは間違いなかった。店内で起きるトラブルを未然に防ぐのがマネージャーの務めであり、外国人が絡んだトラブルが発生したとすれば、それはすべてマネージャーの責任である。
結果、健治は英語を習得しなければならないはめに陥った。
そこで身の回りの人の中で、短期間で英語を習得した人を探してみた。するといっぱいいるではないか。先ず、自分の姉の敏江(汐未)はニュー東宝に入ってから英会話教室に通い、2年足らずでほぼ支障なく英語を話せるようになった。
それと里奈もクラブ小鶴時代に英語を習得しているし、美津子に至っては英語とドイツ語もできる。
付き合い始めた智子とデートしたとき、彼女の姉の聡子はスケートの遠征で頻繁に外国に行っていて、コーチも外国人だったので、必死に勉強した結果、わずか半年で英語をマスターしたと言っていた。
見てみると周りの人たちのほとんどが、英語を話すことができた。
健治は自分だけが取り残されてしまったような気持ちになった。
初めてデートしたとき智子は「私はオリンピックにも出て、注目される姉と比較されて、惨めな思いをしていました。せめて英語くらい話せるようになって、少しでも姉に近づきたい」と言っていた。
健治は二度目のデートのとき「僕と一緒に英語を習いませんか?」と智子に行ってみた。智子は「私もちょうど、英語を勉強しようと思っていたところです」
ということで二人は、ラべリッツ札幌校という英会話教室に通うこととなった。
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