第11話 ホステスケアマネージャー 

「おい柿崎、ちょっとこっちへ来い」と、ステージの幕の陰から、ボーイ長になった松本が健治を呼んだ。

 松本は健治を睨みつけるような目で、「おめえな、上のヤツらに何をやったんだ」とドスのきいた声で言った。

「なんのことだ」

「しらっぱくれるな、なんで先輩の俺がボーイ長で、おめえがマネージャーなんだ、おかしいだろ!」

「決めたのは俺じゃない、上が決めたことだ」


 そう言うと松本は「今にみていろ、おめえに吠え面をかかせてやるからな」と捨て台詞を吐いて、ステージの袖から出て行った。

 時間は5時になっていた。そろそろ他のマネージャーや、ホステスたちが出てくる時間だ、健治はいつも通リフロアを点検し、事務所の社員専用電話の前に座った。

「リリリーン」とベルが鳴った。


「明美ですけど、今日休ませて下さい」

「どうしたんですか」


「ちょっとお腹が痛いんです」

「そうですか、明日は大丈夫ですか」

「ハイ、大丈夫だと思います」


「リリリーン」と2本目の電話が鳴った。


「小百合ですけど今日休ませて下さい」

「どうしたんですか」

「少し熱があるんです。風邪かも知れません」

「そうですか、大事にして下さい」と、言うと「マネージャーこそ大丈夫ですか、ちょっと声が震えていますけど」と、松本とのやり取りで高ぶった心は、人相手のホステスにはしっかりと見抜かれていた。


 結局この日、休みを取ったホステスは5人いた。300人のホステスがいれば、5人くらいはいつものことだ。彼女らの言う休む理由が、本当でないのは分かっている。

 そんなことはどうでもいい、マネージャーにとって大事なのは、店の中にもめごとが起きないようにすることだ。

 6時になり、ホステスが揃い、努めて明るい声で「おはようございます、今日も1日、がんばりましょう」と、朝礼を締めくくった。


 その後はどんどんと客が入り、いつも通リの流れで11時で閉店となり、客もホステスもいなくなった。店内を一旦真っ暗にして、15人のボーイとマネージャーが、客席下を見回り、たばこの火がないことを確かめる。健治も松本も、互いに何も言わない。

0時、売り上げ金を積んだ現金輸送車が、銀行に向かう。

0時30分、松本は無言で帰って行った。

1時、警備員の敬礼を受けて、健治は店を出た。翌日の11時に清掃会社の作業員が来るまで、麟の目の中には社員も入れない。健治の長い1日が終わった。


 200メートルほど歩いて4丁目まで来ると、電気を光々と点けて、アカネの建築工事が行われていた。

 アカネの前に午前2時まで営業している娘娘(にゃんにゃん)という中華料理店があり、中にどこかのホステスらしい女が3~4人いるのが見えた。健治も入り、カウンター席に座った。餃子でビールを飲んでいると、後ろの席にいる女たちの声が聞こえて来た。

「私さ、アカネに行くことにしたんだけど、ホステスがまだ半分しか集まってないんだって、開店に間に合うのかな」

「ボーイとバーテンだけはさ予定通リ、集まったらしいよ」

「男ばっかり集まったってしょうがないよね、うちらがいなかったら商売になんないのにさ、こんなんとこ来るんじゃなかったかな」


 オープン前から愚痴をこぼし合ってる女たちが帰った後、アカネの工事作業員が二人、休憩で娘娘に入って来た。

「親父、ビールと餃子」と言い仕事中なのにビールを飲みだした。


「この店が出来たらよ、一回来てみたいもんだな、いい女がいっぱいいるんだべ、

 どんな客が來るのかな」

「そりゃあお前、こんなんとこに来るのはよ、金持ちに決まってるべ、俺たちにゃあ、一生無理だべな」


「すみません、そろそろ閉めさせてもらいます」と娘娘の親父が言わなければ、男たちの愚痴はいつまでも続いていたことだろう。

 健治は暗澹たる気分になった。

 翌日、健治はチーフマネージャーの高井に呼ばれ、会議室に入った。会議室には高井の他に、店長と本部の部長がいた。

 高井が口を開き「今日ボーイ長の松本と、他のボーイが10人が揃って辞表を持って来た。松本は今日限りで辞めた。残りの10人がここにいるのは25日までだ。残ったのは5人だけだ。お前は5人でこの店をやっていけると思うか」と高井は健治を責め立てるように言った。25日とはボーイの給料日でアカネのオープンの日である。


 昨夜、娘々にいたホステスが言っていた「ボーイは予定通リ集まった」とは、松本以下、麟の目に辞表を出した10人に間違いない。

 席数150、収容客数300名、ホステス300名の巨大店がたった5人のボーイでやっていける訳がない。


「柿崎君、やり方は君に任すから、問題のないようにやって下さい」と店長は言った。本部の部長はただ、黙って聞いていた。


 今日は9月5日、25日までは20日しかない。どうすれば10人のボーイを確保できるのか、と考えても答えは見つからない。

 一度に10人は無理としても、一人ずつ探すことにした。先ず浮かんだのは、母と佐藤木工場で箱打ちの仲間だった桜井さんだ。

 桜井さんには健治とほぼ同じくらいの浩一という息子がいて、今は渡辺工務店の大工になっている。

 浩一に頼めば大工仕事の合間にアルバイトで、ボーイをやってくれないだろうか。


 健治は千秋庵のお菓子を持って桜井さんを訪ねた。

「健ちゃんかい、しばらくだねぇ、こんなんの持って来んでもいいんだよぉ、うちの浩一は大楽毛の現場にいってるよ、行ってみたらいいべ」

 桜井さんは昔のままの浜ことばで、浩一が大楽毛にいることを教えてくれた。


 浩一がいた現場の看板には「不二洋服店大楽毛工場」と書かれていた。

 高い屋根の上から「おーう健治、今いくぞ」と言うと、浩一は木組の足場をするすると、猿のような身軽さで降りてきた。

「お袋から聞いたけどよ、キャバレーのボーイだって、面白そうだし一度やってみたいと思ってたけど、仕事は休めないからな、勘弁してくれ」と丁重に断られた。

 無理もない、いきなりやってきて、「キャバレーのボーイにならないか」と言われても、引き受けてくれる人がいるだろうか。健治は自分の浅はかさを恥じた。


「お疲れさまです、一服して下さい」とお茶とお菓子を持った女性が、トヨタマスターラインから降りてきた。どうやらこの工場の施主らしい。

 浩一に「お前もここに座れよ」といわれ、健治も大工たちの輪の中に入った。

 女性は一人だけ大工とは違う服装の健治を見て、「設計事務所の人ですか?」と聞いた。

「いいえ、僕はキャバレーに勤めています、今日は友人の桜井さんを訪ねてきました」

「キャバレーの方だったのですか、私はキャバレーにお勤めの汐未さんという人のおかげで、倒産寸前だった会社をこうして工場の改築が出来るまでになりました。汐未さんには機会があれば何か、お返しをしたいと思っています」


「その汐未という人はひょっとして、ニュー東宝の人ですか、もしそうなら汐未は僕の姉です」

「まあ…………」といい彼女はしばらく健治の顔を見ていた。そして「私に何かできることはないでしょうか」と言った。


 健治は正直に今の窮状を話した。すると彼女は「その仕事は男性でなければ出来ないことなのですか」と、聞いた。そして「お客さんの席にお飲み物を運ぶのなら、レストランのウエイターと同じですね、それなら私にもできると思います。ぜひやらせていただけませんか」と言った。さすがに彼女の申し出には丁重にお断りしたが、健治は彼女の言うことは尤もだと思った。


 そもそもボーイという呼び方をするから、男だけのものと思われているのであり、ウエイターとか、ウエイトレスといえば、女性でも可能なのではないか。

女性が多い職場で彼女らと上手くやっていくにはむしろ、女性の方がいいのではないか、その人が常にホールにいて、サポートしてくれれば、ホステスにとってもいいはずだ。


 そこで健治はボーイという呼び方を改め、「ケアマネージャー」と呼べばいいのではないかと考えた。

 だがマネージャーと呼ぶ職種を作るには、本部の承認がいる。

 そもそも健治に与えられた使命は、辞職したボーイの穴埋めである。


 健治は早速チーフマネージャーの高井に進言した。

「高井マネージャーの考えとしてこれを本部に提案して下さい」

 案の定、健治が示した案に高井は難色を示した。「マネージャーを一気に10人も増やせだと、おれたちの立場はどうなるのだ」

「大丈夫です、マネージャーといっても名前だけです。それにこれが上手く行ったら、高井マネージャーの株も上がります」それを聞いた高井は本部の部長に、


「柿崎にはボーイの補充は不可能だと分かりました。そこで私が考えたのですが、

 ボーイと同じ仕事をしてもらい、ホステスの相談役的な名前、例えば「ケアマネージャー」という肩書を与えれば、求人に応じてくれる人がいるのではないかと思います」と健治の案をそのまま読み上げた。すると部長は「女性を大切にする会社という良いイメージが生まれるかも知れないな、素晴らしい案だと思う、すぐに取り掛かりなさい」と言った。


 翌日、女性ケアマネージャー募集のチラシが、新聞に折り込まれ、50人以上の応募があった。


 さらにその翌日、東北海道新聞に「女性を大切にする企業、麟の目の担当者に聞く」と書かれた見出しと。高井の顔写真が載っていた。








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