第10話 ミラーボールの光り 

 釧路川のほとり、大川町の釧路商工会議所ビル5階。

「次の方、お待たせしました。こちらへどうぞ」と、キャバレー「アカネ」の

 ホステス採用の面接が行われていた。


 アカネは札幌のロイヤルホテルグループの一つで、札幌のすすき野店に次ぎ、9月に、第2号店を釧路にオープンすると発表した。

 ホステスの予定人数は200名で、実現すれば、麟の目の300名、ニュー東宝の250名に次ぐ、末広町では3番目の大型キャバレーである。


「明美、私ね、アカネに来ないかって、言われてんだけど、明美んとこにも来てるの」

「うん私んとこにも来てるよ、どうしようかなって、今考えてるんだ」


「考えることなんてないと思うな、いっぱいくれるって言うんだから、行けばいいじゃない」

「だけどさ、今の店には色々とお世話になってるのよ」


「私だって色々あるよ、だけどさ、こんなことって滅多にないんだからね」

「そうね、やっぱり行こうかな」


 ホステスがいる店は末広町だけで100軒以上ある。クラブ子鶴のような超高級クラブや、ラセーヌ、セラビ、楡、のような高級店は別として、一般的なホステスが4~5人の店の場合、ホステスが一人でも引き抜きにあえば、下手をすれば閉店に追い込まれることもある。


 高級店と言われる店の客は一般的に、ホステスの客であることが多い。

 ホステスが店を変われば、客も移動する。

 だがキャバレーは、ホステス個人の客というより、店の客である場合が多い。

 例えていえば、プロ野球チームのフアンみたいなものである。仮に巨人軍で活躍した有名選手が阪神に移籍したとしても、フアンは巨人軍を応援し続ける。

 こういう客のことを、「居付き」という。


 居付きはどこの店にもいるが、キャバレーは特に多い。居付きの多い店のホステスは、店を変わることにこだわりがない。

 なので、キャバレーからキャバレーに、移動することは十分考えられる。

 麟の目、ニュー東宝にしても、安閑としてはいられない状況になって来た。


「おはようございます」と、キャバレー麟の目の、ボーイたちが出勤してきた。

 キャバレーの出勤時間は、厨房担当は午後3時、ボーイは4時、各マネージャーと事務員と照明係は5時、バンドマンとホステスは6時と決まっている。


 ボーイの場合、ロッカールームで着替えたら、ホールに集まって、ボーイ長の点呼を受ける。もっとも大事なのは服装である。蝶ネクタイ、白いYシャツ、黒いズボンとベルト、靴も黒と決まっている。爪は短くカットされ、髪型は短髪か、ポマードで撫でつけるのが決まりとなっている。ポマードで髪を整える決まりがあるのは多分、キャバレーと大相撲くらいだろう。


 いつもならこんな手順で点呼が行われるが、今日は少し違った。

 ボーイ長の和泉ではなく、チーフマネージャーの高井が点呼を行った。

 点呼が終わったあと、「ちょっと来てくれ」と、高井に呼ばれ、健治は事務所に入った。

「お前はアカネに呼ばれていないのか」と、高井が聞いた。「話はありましたが、僕は行く気はありません」と、言うと「そうか、ホールマネージャーの和泉と、ボーイ長の田所はアカネに行くことになった。お前はホールマネージャーになる気はないか、もしその気があれば、今日からお前は俺のサブになってホールを担当しろ」と半ば強制的に、サブマネージャーの就任を要請された。


 ボーイ長の田所がアカネに行くことは、本人から聞いていた。

 だがフロアマネージャーの和泉までが、アカネに行くことは予想外だった。


 一般の小型店はホステスの引き抜きを恐れていたが、麟の目の幹部は、ホステスの引き抜きはあっても、マネージャーが引き抜かれることはないと確信していた。


 麟の目とニュー東宝が地元資本で、一店に集中投資するのに対し、アカネは多店舗展開を目指す、大衆向きの店である。

 敢えて高級店から大衆向きの店に移動することはない。キャバレーを知る者ならそう考えるのが常識である。

 多分二人とも相当いい条件を提示されたのだろう。

 健治としても、マネージャーに昇格することに異存はない。

「ありがとうございます。頑張ります」と、健治は高井の要請を快諾した。


 サブとはいえ、マネージャーになれば、事務所の中に机が与えられ、黒い服を着て、ホステスの採用や指導にも関与する。

 健治は総人数300名を超すキャバレーの準幹部の一人となった。

 田所の後任のボーイ長には、健治の3年先輩の松本という男が就任した。


 新任フロアマネージャーの仕事は種々雑多である。新人ホステスのダンスの練習相手にもなる。

 事務所を出ると早速新人ホステスが、ダンスの練習相手を待っていた。

 バンドマンがいないホールの真ん中で「ズンタッタ、ズンタッタ」と、自分でリズムを唱えながら踊っていると、女の子と目が合っただけでドキドキとした、昔の自分を思い出していた。

 頭上にあるミラーボールの光りの点がダンスフロアの上を、グルグルと回っていた。








 

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