第64話 テスラからの電文
門脇はたった一日いただけで、また船に乗る。今までにも付き合って別れたれた人はいた。
だが、今日ほど辛いと思うことはなかった。何か一言いえば、一緒に涙がでそうになった。汐未は門脇と和夫の再会を喜びあう姿をただじっと見ていた。
「やーあ、和夫君 久しぶりだね、試験に受かったんだってね。よかったね」
「門脇さんこそ2級通信士に受かったんでしょ、凄いですよ」
「3級だって簡単ではないですよ、船にも飛行機にでも乗れますからね」
「門脇さんに比べたら小さいですけれど、僕も船に乗っていますから、モールスで通信しませんか」
「いいですね、やりましょう。僕が乗っているブルースターラインヴィーナス号Ⅲのコールサインは分りますか」
「ええ、あんな有名な船ですから、すぐに分かりますよ」
「じゃあ和夫君の船のコールサインを教えてもらえますか」
「僕が乗る船は出航毎に変わるので、会社が持っている船、全部のコールサインをメモしてここに挟んでおきました」と言って和夫は、洋子のアルバムを門脇に渡した。
「そうでしたね、僕が大西洋で聞いた歌は、和夫君の奥さんが歌ってたんでしたね、今日は奥さんはどうされてるのですか」
「生憎 今日は子どもを連れて病院に行きましたので、ここに来られませんでした」
「そうですか、洋子さんにも赤ちゃんにも会いたかったですけど、また来ますから、
その日を楽しみにしています」
「僕も門脇さんから外国の話を聞けるのを楽しみにしています」
と、海の男どうしの話は尽きなさそうだったけど、門脇が空港行きのバスに乗る時間がきた。
和夫が喫茶店を出たあと門脇は「僕は次の航海で2月に神戸に来ることになっています。そのとき、また会ってもらえますか?」
2月どころか、今すぐにでも付いていきたいとさえ思った。
返事の代わりに「空港まで一緒に行ってもいいですか、もう少しお話をさせて下さい」と言って釧路空港行きのバスに乗った。
空港は札幌行きの便が出たばかりですいていた。羽田空港行きの便が出るまでは1時間以上時間があった。
正面に滑走路が見えるベンチに座ると、「僕は8か月の未熟児で生まれました。
本当は助からなかった命です。その命は北斗電気の竹内八郎さんという親切な人に助けられました。その人は僕に哲生良という名前を付けてくれました。
本当は「テスラ」としたかったらしいのですが、さすがにそれは変だと思って、テスラと読める漢字を探して、哲生良にしたそうです。
でもこの漢字を見てテスラと読める人は今まで、一人もいませんでした。
普段はテツヨシと呼ばれています。
これからは僕のことは、テツヨシでもテスラでも、どっちでもいいですけど、門脇さんは、やめてもらえませんか、なんだか他人行儀ですよ」
と言ったあと、
「テスラとは無線通信機を発明した人の名前です。でもテスラは世渡りが下手で、せっかく苦労して作り上げた無線機をマルコーニという人に横取りされました。
マルコーニはそれでノーベル賞をもらいました。
そんなテスラを竹内八郎さんは尊敬していました。それで僕にテスラという名前を付けてくれました。僕が通信士になったのは宿命だったのです。
それとですね、テスラが作った無線機はモールス信号です。いわゆるトンツートンです。今一般に使われている音声通信機を発明したのは鳥潟右一という、日本人です。
ですから僕は鳥潟右一も尊敬しています。
僕が洋上から汐未さんに連絡をするとしたら、テスラが発明した電信電報になりますので、読みにくいかもしれませんがこんな感じです」
と言って、システム手帳に何やら書き、そのページを外して汐未に渡した。そこには
「シオミサン、ムセンシツ ニ、 アナタ ガ キタトキ 、ボクハ 、マッテイタヒトガ 、ツイニ 、アラワレタ、ト,オモイマシタ、モシ 、ボクト、シオミサンガ、ケッコンシテ、オトコノコガウマレタラ、 ウイチ、ト、ツケタイト、オモイマス、テスラ」と書かれていた。
もう躊躇する必要はない「哲生良さん、、どこへでも私は一生付いていきます」と言った汐未の唇を、哲生良の唇がふさいだ。そのまま二人は唇を重ねた。
哲生良が羽田空港行きの便に乗る時がきた。汐未は哲生良が乗った飛行機が離陸して、やがて点になり、青空に吸い込まれて見えなくなるまで、じっと見つめていた。
☆☆☆
1月 日本列島は新しい年を迎えた。普段は和服かドレスの末広町とすすき野のホステスも、今日は晴れ着を装う。ただでさえ華やかなキャバレーは、まるで竜宮城のような艶やかな女たちで溢れている。化粧の匂いでむせ返る中で、麟の目グループが、新年早々に人事異動を発表した。専務ですすき野のクラブエスカイア、トゥルークラブ、月の世界、の三つの店の店長だった八重樫は末広町の麟の目と、ナイトサロン香港の店長に就任した。後任の店長には健治の直属の上司の高井が就任した。
健治は釧路に帰り八重樫の下で、麟の目とナイトサロン香港の筆頭マネージャーになった。
健治はついに、旗艦店の麟の目と、期待の新店、ナイトサロン香港の、筆頭マネージャーになった。入社以来10年間、思えばいろいろなことがあった。
ボーイになってまだ日があさいころ、プレートに乗せたカクテルを、ホステスの頭の上に落としてしまった。ずぶ濡れになったホステスが立膝をついて、土下座をさせた。見上げると、太ももに竜の彫り物があって、鋭い目で健治を睨んでいた。
他にもいろいろあったけど、とにかく健治は釧路に戻ることになった。一緒に暮らしてる智子も健治に合わせて、派遣先の丸井金井デパートから、丸井金井デパート釧路店に移動することになった。智子は釧路に帰りたがってたので、都合がよかった。
健治はラべリッツ英会話教室の、マリリン先生ともお別れすることになった。
ラべリッツ英会話教室は、釧路にも教室があるので問題はないのだが、実は健治は智子には内緒でマリリン先生と何度か、デートをしたことがあった。
そのおかげで上達が早かったわけだが、釧路の教室では赤鬼のような顔の男の先生に変わることになった。智子のほうはジェニファー先生からハンサムなマイケル先生に代るので、大喜びだ。なので、差し引きゼロということで納得することにした。
ともかく末広町とすすき野の、新しい年が動きだした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます