第3話 国泰寺の桜

 厚岸湾を挟み、真龍から厚岸本町を見ると、国泰寺の桜がピンクに燃えている。

 花見に行く人は渡船に乗る。一人5円。自転車は10円。車は乗せられない。

 車で真龍から厚岸本町に行く人はぐるっと厚岸湾の奥(通称裏浜)を回ることになる。距離は約60キロもある。車も走れる橋の建設が必要だ。政治家は何をしてるのだ。と、町民の不満が高まっていた。


 この不満を利用して、町長選挙に立候補する人が現れた。それも何と7人もいた。

 地方選挙は立候補者が少なくて、無投票で地方自治体の首長が決まることが多い現在、厚岸町の現象は異常事態である。


 先ず名乗りを上げたのは、町議会議長の金沢泰造であった。

 現町長も3選に色気を見せているのでこの二人の一騎打ちになりそうな気配であった。どっちが勝っても力量は変わらなさそうである。


 勝つか負けるかが金次第なのは、中央も地方も変わらない。

 金沢泰造は漁船を20隻持つ会社のオーナーだ。資金力では現町長より勝っている。とすれば、次の町長は金沢泰造か。


 だがそれでは面白みがない。一波乱起こしてみようと思うのは当然だ。

 第三の候補は30代の若い町職員であった。男は生真面目で金も人脈も持たない、平凡な男であった。この男に一波乱を期待するのは絶対に無理かと思われた。


 そこに㋥佐々木に入社した柿崎慎太郎が現れた。


 真太郎は第三の候補、村上達夫にわずかばかりの金を貸し、ポスターを増刷させた。町のいたるところに第三の男の顔が張り出された。人の感覚とは不思議なもので見慣れてくると平凡で生真面目も個性に見えてくる。

 村上達夫の街頭演説にも人が集まるようになってきた。


 だが真太郎が用意した本当の武器は、全身に彫りものを入れた男たちだ。

 鉄火シャツを着た彼らを、金沢泰造の街頭演説会場に立たせた。

 ただ腕組みをして、聴衆に向かって怖そうな顔を見せる。ただそれだけだ。


 金沢泰造の選挙カーが移動したら、男たちも移動する。午後8時の演説終了時間までずっと、1日中続ける。次の日も、また次の日も。

 やがて聴衆は一人もいなくなった。


「バンザーイ、バンザーイ」と、村上達夫の選挙事務所は湧いていた。

 次期町長は一波乱起こした村上達夫に決まった。次点は現町長。

 金沢泰造は選挙法に基づき、供託金300万円を没収された。


 金沢泰造にとって300万円の供託金は痛くも痒くもない。だが狭い町では噂が広まるのは早い。あること、ないこと、全てを曝される。

 一度たった噂を消すのは難しい。噂は一人歩きをするようになる。無かったことでもあったかのようになり、事実となって記憶に残る、


 金沢の威信は落ち、語られなかった過去の悪事が次々と語られるようになった。

 新町長となった村上達夫は公約通リ、橋の建設計画に着手した。すると過去にも橋の建設計画があり、着工寸前で中断していることが分かった。

 当時、橋の建設計画を担当していた職員を問い質すと、職員はしぶしぶと答えた。


「金沢さんが『橋を安く作れるんなら、何をやってもいいからな。橋脚の鉄を減らせば1億は浮く、設計屋がいやだと言ったら、女を抱かせば済むことだ。俺んとこにはピチピチの若い女が二人いるからな、いつだって大丈夫だ』と言ったんですよ」


 村上は妙な話だな、と思った。

 橋を安く建設できれば、それは町としては納得できる。だが女を提供するとすれば、それなりに金がかかるはずだ。出費を抑えるのが目的なら、逆ではないか。


 仮に冗談だとしても金沢の会社は漁船の遠洋漁業だ。男ばかりで女は一人もいないはずだ、どこから女を連れて来るのだ。


 ただ選挙期間中、若い女がふたり金沢の選挙カーに乗っていたことがあった。

 そのとき漁船の乗組員のような男が「よっ、社長、ガキを二人も作っちゃって、

 美人なんだってな、俺にも一発やらせろよ」と言った。

 金沢には壮一と言う息子はいると聞いていたが、女の子がいるとは聞いていなかった。そこで念のため、金沢泰造の戸籍を調べるとともに、金沢の過去を知る者を探しだした。するとあまり知られていない事実が分かってきた。


 木田泰造(金沢泰造)と小料理屋の女将、市川梅子は約1年間、同棲生活を送っていたことがあった。だが梅子は同棲中も何人かの男と関係を持った。

 同棲中に木田泰造は漁船20隻を持つ会社の娘、金沢寛子と結婚し、金沢家の養子となり、金沢泰造となった。そして長男、壮一が生まれた。


 泰造と別れた梅子は厚岸本町の実家に帰ることとなった。この時梅子は子どもを宿していた。慌てた梅子の両親は梅子の姉夫婦の子どもとして籍を入れ、戸籍上は剣𠮷玲子として育てた。

 

 15年後、泰造は別れた梅子と再会した。泰造は店を持たせるが子どもは邪魔だと言った。梅子は店が欲しいあまり、上の子がひょっとしたら、泰三の子どもであるかも知れないことを告げることが出来なかった。

 泰造は姓が異なる娘がまさか、自分の子どもであるかも知れないとは思わなかった。梅子の留守中に泣き叫ぶ玲子の顔を叩き、欲望を満たした。


 ことを知った梅子は玲子が泰造の子どもであるかも知れないことを打ち明けた。

 泰造はこの悍ましい事実より、町議会議長という肩書に傷がつくのを恐れた。

 そして木材輸送会社で積み下ろしの人夫をしていた真太郎に、玲子を合わせた。

 本当は慎太郎でなくても誰でもよかった。玲子がどこかの男に襲われて、子どもが出来てしまったと、世間に知られるのが目的だった。だから、「三井物産の社員が町議会議長の娘を妊ませた」と話題になったとき、内心、もっと大きな騒ぎになってくれと思っていた。


 玲子もすでに16歳、事情は十分に承知していた。利用されているとも知らず、慎太郎は男の欲望を満たした。

 生まれた子が泰三の子か、慎太郎の子か、他の誰の子か、産んだ梅子にも誰にも分からない。

 だが一度やってしまった事実は消すことができない。

 慎太郎は以後、女に手を出すことはしなくなった。

 泰造の妻、寛子は離婚して町を出て行った。

 息子の壮一は、星園学院高校を辞職した。

 金沢泰造は木田泰造に戻り、会社を手放し、国泰寺の桜の枝にロープを掛けた。


 金沢泰造の漁船会社と、泰造が所有する権利一切を買ったのは㋥佐々木であった。もちろん金など払う訳がない。印鑑を押すだけの手間で、㋥佐々木は厚岸水産界の約2割を手に入れた。


世の中は、善とか悪とかに関わらず、強い者が尊ばれる。

 ㋥佐々木の強面の連中を仕切っているのは、柿崎慎太郎だと、その名を知られるようになってきた。
















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