第78話 歓送会という婚約発表
「美紗希、あんたには悪いことしてしまったわね。無理やり楡のママにさせちゃって」
「いいのよ汐未さん、末広町がこんなに景気が悪くなるなんて、誰にも分かんなかったと思うわ。私はいい経験ができたと思ってるわ」
末広町の景気が悪くなってから最も影響を受けたのは、社用族の利用が多い高級バーといわれる店であった。楡もその中の一つでついに閉店することとなった。
末広町には一般の人なら足を踏み入れるのを躊躇するような高級バーがたくさんあった。そうした店が軒並み閉店して、残ったのがキャバレーと庶民的なキャバクラであった。
キャバレーは社用族の利用も多いがいわゆる高級バーと違い、歌謡ショーを楽しめるなど、一般的な人でも入りやすい店であった。例えば町内会の集まりとか、女性を含む飲み会などで利用するなど、庶民的な部分を持っていた。
そのせいもあって、高級バーがなくなった後も生き残ることができた。
「どうしたんだ沢村、しけた顔をしちゃって」
「先生、楡が閉店してしまうんですよ。笑ってなんかいられませんよ」
「じゃあ今日は気晴らしにキャバレーにでも行って、パーッとやろうか」
「じゃあ先生のおごりですね。いいですね、行きましょう」
「今日はお前のために行くんだから、お前が好きな店を選んでいいぞ」
「じゃあどこにしましょうか、麟の目と、アカネと、ニュー東宝の中から選ぶとすれば、うーん、悩んじゃうな」
「じゃあ、ショーの出演者で決めるか、アカネは専属歌手で、麟の目はもんた&ブラザーズで、ニュー東宝は青江三奈が出てるけど、どこがいいかな」と高弁は沢村に言った。
「専属歌手は名前を知らないし、もんた&ブラザーズは前に見たことがあるから、今日は青江三奈にしましょうか」という訳で、高弁と沢村はニュー東宝に行くこととなった。
「いらっしゃいませ、ご指名はありますか」
「あんたに任すよ」
「いらっしゃませ、高弁ちゃん」
「なんだ汐未か、俺はお前なんか指名してないぞ」
「なんだはないでしょ、受番で付いただけよ」
「しょうがないな、お前で我慢するか」
「なんだよ、その言い方は失礼しちゃうね」といってると、沢村に受番のホステスがやってきた。
「いらっしゃいませ沢村さん」
「あれ?恵梨香ちゃんじゃない、どうしてここにいるの」
「楡が閉店するので今日から恵梨香から夕子という名に変えて、ニュー東宝に採用してもらったのよ」という具合で、お馴染みの組み合わせとなった。
「高弁ちゃん、青江美奈の出演は7時半だから、それまでダンスでもしましょうか」と、汐未と高弁はダンスフロアに立った。
すると汐未は「高弁ちゃん 来週の日曜日に美紗希の歓送会をするんだけど、あんたと順子には必ず来てもらうわよ。欠席は許さないからね」と、強制口頭召集命令を言い渡した。
「美紗希はどこへ行くんだ」
「美紗希はね、今 BAR楡にいるホステスのうち、再就職したのはニュー東宝に来た恵梨香だけでしょ、それで後に残った20人の再就職が決まったら、札幌に行くことに決めたのよ」
「札幌で何か店でもするつもりなのかな」
「実は美紗希は別れた李さんと復縁することになったのよ」
「それはよかったな、李はいいヤツだから今度は上手くいってほしいな」
「そうでしょ、だけどさ李さんと洋子の関係で美紗希はまだそのことを誰にも言えないでいるのよ、だからみんな集まって、美紗希を札幌に送りだしてしまおうと思ってるのよ」
「それはいい考えだな。それで、場所はどこか決めてるのか」
「元 クラブ子鶴にいた徳子さんの店を予約したわ」
「徳子さんの店といえば、小料理屋の伊吹だな。よし分かった、金は俺が出す。お前は全員が来るように声をかけてくれ」
翌週の日曜日、伊吹に関係者全員が集合した。洋子は子どもを託児所に預け、中標津の美津子は電車を乗り継いでやってきた。事情を知らないのは美紗希本人だけだ。
「美紗希さんの札幌行きを祝して乾杯!」と、高弁が乾杯の音頭を取ると「えっ!私のためだったの?」と、美紗希は目を白黒させた。
段々と酒が回ってきて、洋子は李も何もかもすっかり忘れて「竹子(美紗希)さん、おめでとう」と、スッキリと過去の嫌な思いを断ち切った。
問題はBAR楡にいるホステス20人の再就職先だ。すると健治が「麟の目で20人全員を受け入れたいと思います」と言った。「流石に麟の目の上席マネージャー、よく言った」と高弁が煽てると調子に乗った健治が「姉の汐未はブルースターラインヴィーナス号Ⅱの商船士官の哲生良さんとロンドンで結婚することになりました」と言ってしまった。
「なんだって!おい汐未、お前は美紗希の歓送会と言っておきながら、自分の婚約発表会か、今日の金は全部、お前が出せ!」と高弁が言うと「そうだ、そうだ」ということになって汐未は集まった15人分の飲食代を払うこととなった。
すると里奈が「皆さんから集めた会費で、元 クラブ子鶴の跡にできたキャバクラに行きませんか」ということになって、徳子さんには店を早終いさせて、キャバクラ「青い実」に全員で押しかけることになった。
現役のキャバレーホステスの汐未と、元、超高級クラブ子鶴にいた徳子、里奈、洋子の目から見れば、青い実は質素に感じた。店の設えも質素なら、キャバ嬢たちも素人っぽく見えた。
しかし、豪華さを競った果てに潰れた高級バーに比べれば「この質素さこそが、末広町で生き残る術なのか」と認めざるを得なかった。
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